終戦〜昭和24年


                     終戦〜昭和24

順位  曲名                          歌手                                    作詞作曲                  昭和

 1 青い山脈             藤山一郎、奈良光枝        西条八十/服部良一              24

 2 リンゴの歌       並木路子、霧島昇    サトウハチロー/万城目正    20

 3 湯の町エレジー     近江俊郎        野村俊夫/古賀政男          23

 4 悲しき口笛       美空ひばり       藤浦洸/万城目正             24

 5 長崎の鐘        藤山一郎        サトウハチロー/古関裕而     24

 6 異国の丘        竹山逸郎、中村耕造   増田幸治、佐伯孝夫:吉田正      23

 7 東京ブギウギ      笠置シヅ子       鈴木勝/服部良一         23

 8 憧れのハワイ航路    岡晴夫         石本美由起/江口夜詩          23

 9 かえり船        田端義夫        清水みのる/倉若晴生       21

10 啼くな小鳩よ     岡晴夫         高橋掬太郎/飯田三郎       22

(平成元年にNHKが行なった調査)



紅白音楽試合
 敗戦から4ヶ月半、昭和20年が暮れようとしていた大晦日、昭和20年12月31日、内幸町の日本放送会館でラジオの生放送がはじまった。当時、NHKの放送はGHQの監督下にあり、事前に許可が必要だった。そこで「紅白音楽合戦」を翻訳者が「合戦」をbattleと訳したため、GHQが「battleとは何事だ。軍国主義的な思想の表れ」と却下された。しかしGHQの改革の一つに婦人の解放があったため、ディレクターは「体力差があるスポーツでは男女対抗は無理だが、歌なら可能で男女平等を実現できる」とGHQを説得、合戦を「試合」という意味のmatchに変え許可がでた。音楽試合ということから歌以外にも、木琴、マンドリン、尺八による曲も披露することになった。

 台本もなく、詳しい資料がないため不明の部分が多いが、白組の司会は古川ロッパ(喜劇スター)、女軍の司会は水の江瀧子(男装の麗人で一世を風靡したターキー)、総合司会を田辺正晴(アナウンサー)が務めた。非公開で、勝敗の判定はなく、審査員もいなかった。観客もいなかったが、ラジオで聴くうち、スターを見ようと、雪が舞うなか日本放送会館の玄関には熱狂したファンで黒山の人だかりができた。当時の大晦日には終夜電車はなく、終電に間に合わない歌手は放送会館の音楽部の部屋で雑魚寝をした。
 川田正子が歌った「汽車ポッポ」は「兵隊さんの汽車」という戦時童謡であったが、「兵隊さん 兵隊さん 万々歳」を「鉄橋だ 鉄橋だ 楽しいな」に変更して歌った。また大ヒットした「リンゴの唄」の新人並木路子も出場した。番組終了後の午前0時(昭和21年1月1日)に、『除夜の鐘』の生放送が行われ、まさに「年越し番組」であった。
 放送から5年後の昭和26年、この番組を原型に正月番組として「第1回NHK紅白歌合戦」が放送された。昭和28年の第3回まで正月番組として放送されたが、同年第4回から大晦日の放送になった。
 おおらかな時代だったのであろう。紅白音楽試合の出場歌手や歌唱順は資料が残されていない。()の歌手は、出場したかどうかは不明の歌手である。