世界に誇る日本の医師の部屋へようこそ

            はじめに

  現在の日本人が失っているものは、相手を思う気持ちであり、愛情であり、誇りである。そして正しいと信じて行動する勇気である。かつての日本人はこれらを 自然に身につけていた。そして政治、経済、教育、文化において数多くの偉人たちがいた。当時の民衆は彼らの成功をマニュアルとして学ぶのではなく、彼らの 凛とした生き方そのものを手本としていた。

 現在、日本人の品性は低下し、日本の社会、教育、人間性は確実に悪くなっているように思える。またそれと平行するかのように、日本の医療もあまり評判が良くない。

 医療にとって大切なことは今も昔も変わりはない。医療における基本はただひとつである。それは苦しんでいる患者を助けようとする気持ちであり、他人への愛情である。それらは自己犠牲という言葉を越えた、医療人として自然に身につけるべきものである。

  多くの医師たちは真面目に職務を果たしている。しかし医学の進歩によって習得すべき医療手技や学ぶべき医学情報があまりに多すぎ、患者のそばに行けないで いる。さらにカルテなどの書類に振り回され、患者のための書類や会議が患者との会話の時間を奪っている。医師と患者の信頼関係は互いが接する時間の長さに 比例するが、この時間が足りなすぎる。

 また医師と患者は同じ人間である。そして病気という共通の敵と戦う戦友である。この戦友という気持ちがなければ医師と患者との良好な信頼関係は生まれない。医師が奢りをみせれば、患者が信頼の気持ちを持たなければ、両者の信頼関係は生まれない。

  このような世の中である。多くの医師の中には自己中心的な者もいる。また医療事故の多発などが医療の評判を落としていることも承知している。しかし医療人 は多忙と過労の中で、医療の本質、または人間としての品性を教えてくれる人物がいないのである。人間として最も大切なことが教育されていない。

 医学史では、北里柴三郎、野口英世、などの有名人を挙げることができる。しかし彼らは歴史上有名であっても、患者を直接診察した医師ではない。研究で有名になった医師である。

 今回、人の医師を題材にした。

 永井隆は長崎の原爆で自ら負傷しながら多くの被爆者を助け、長崎の復興のために自らを犠牲にした。肥沼信次は自分の信念で、戦後の感染症に苦しむ多くのドイツ人を助けた。荻野久作はオギノ式避妊法として世界的名声を得たが、半生を田舎の医師として新潟市民のために働き続けた。萩野昇は逆境の中でイタイイタイ病の原因を解明し公害患者の救済に立ち向かった。菊田昇は赤ちゃんの生命を守るため行政と闘い、裁判では負けたが彼の行動は多くの日本人の賛同を得て、彼の信念が法律を変えた。そして数百人の赤ちゃんの命を救い世界生命賞を受賞した。

 彼ら人の医師に共通することは、彼らは臨床医であり、臨床医であるがゆえに患者の苦しみを知り、患者のために全てを尽くしたことである。彼らの情熱を支えたのは、名誉ではなく患者を救いたいという一心であった。目の前に苦しむ患者がいるから助ける。目の前に分からないことがあるから研究する。このような純粋な生き様を、医師だけでなく多くの日本人は忘れているのではないだろうか。

 私たちは歴史から人生を学び,多くの先輩医師から医師としての生き方を学んできた。しかしここに登場する人の医師たちを多くの人たちは知らないでいる。彼らは歴史の中に埋もれようとしているが、彼らこそが本当に尊敬すべき、世界に誇るべき、さらには歴史に残すべき医師であり人間である。

 彼らの半生を知ってほしい。そして医師として、学者として、人間として,彼らの生き方を学んで欲しい。彼らは今の日本人が忘れかけようとしている誇り高い生き方、人間としての生き方を教えてくれるものである。感動と涙、まれにみる良書と自負している。