臨床医の知恵の部屋にようこそ

 

診療金言集

   患者を好きになれる医者は,最も幸福な医者になれる.

   医者を信頼できる患者は,最も幸福な患者になれる.

 

   図書館や医学書店の棚には数多くの医学書が所狭しと並んでいる.また何十種類もの医学雑誌が洪水のようにせまってきている.このような膨大な情報に対 し,医学は必然的に細分化され,医者は専門医の道を辿ることでこれに対応してきた.しかし,医者の患者に対する基本姿勢はいつの時代も変わるものではな い.日常診療において最も大切なことは医学情報の量ではない.必要なことは医学知識を生かすための知恵である.

 

◎診察は,視診で始まるのではない.挨拶で始まるのである.

   患者と医者との出会いは特殊である.患者は自分の秘密を話し,裸体を医者の前にさらすのである.両者の出会いはただの出会いではない,ある種の緊張と不 安の混じったドラマである.きちんと挨拶をして,患者の緊張をときほぐし,まず安心させることである.多くの医者に欠けている重要な問題は,挨拶の仕方を 知らないことである.医者は医学の教育は受けても,社会常識の教育はなされていない.医者は周囲から先生と呼ばれ,独善的で自分は特別と考えがちである. しかし,社会常識を知らない医者は社会で通用するはずがない.挨拶は社会常識の基本であることを忘れている.笑みをともなった挨拶が患者の気持ちを限りな く癒すことを忘れてはいけない.


◎患者はベットに横たわる.

  病棟回診はベッドサイドの椅子に座るか,あるいはベッドサイドにしゃがむのが最良の方法である.視線を患者の視線と同じ高さにして安心感をあたえることで ある.医者がベッドサイドに立つと,患者は「医者が何を言い出すのか」,「医者がいつそばから離れるのか」混乱して結局何も話ができなくなる.子供の時, いつまでもベッドで寝ているのを,母親に叱られたことがあるだろう.車の運転でトラックの威圧感にたじろいだことがあるだろう.思い出すがよい,あの威圧 感を医者がもってはいけない.またベッドに横たわる患者と話す時には,脈を取りながらおこなうのがよい.肌に触れることは相手の心を温め,お互いの心の距 離を縮める作用がある.


◎大部屋では深刻な話をしてはいけない.

  患者のプライバシーは大切である.大部屋の患者達は同病相哀れむがごとく同室患者の病気に異常なまでの関心を持つ.そして医者との会話を,全員が聞き耳を 立て注目している.このような状態で患者が本当のことを言えるはずがない.病気の核心に迫る話は,ナースステーションか廊下ですべきである.このことは, 外来においても同様である.母親が娘に付き添って受診する場合には,母親をいったん廊下へ出すべきである.病気の説明は子供では無理と心配するが,子供の 方がしっかりしていることが多い.親が側にいると,妊娠についても妊娠の可能性についても知ることは不可能である.また母親が側にいてもうるさいだけで役 に立たない.ピント外れの母親の説明に不機嫌になる子供も多い.子供から病歴を取る場合は腰を曲げヒトのよさそうなオジサンを印象づければよい.診察が終 わったら,母親を診察室に入れ,背筋を伸ばして病気の説明をするのがよい.


◎医者が悪いのではない,本人が悪いのでもない,病気が悪いのである.

   患者は「どうして良くならないの」と切ない眼差しで訴えてくる.症状の改善しない患者の顔を毎日見るのはたまらなくつらい.たとえ治らない病気であって も,治せない自分に後ろめたさを感じ診察に向かうのである.病気が思いの外に良くならない時,患者は医者に,医者は患者にその責任を押しつけたくなる. 「毎日顔を出すけど,頼りない.他の医者に変えてくれないかしら」,「訴えが多くイライラする.どうせ治らないのだから転院すればいいのに」.もしこのよ うな気持ちが患者と医者の心にあるとしたら,両者の関係は最悪の状態といえる.病気に関しては誰も悪者はいない.悪いのは病気そのものである.敵を間違っ てはいけない.患者も医者も,家族も看護婦も,共通の敵に立ち向かう戦友なのである.


◎ミスに対して嘘をついてはいけない.

  クスリの処方切れ,検査の出し忘れ,その他にも小さなミスは医療現場では日常的におきている.このような場合,ごまかそうと嘘をついてはいけない.自分の ミスに対しては正直に話し謝るべきである.1回のミスに対し患者は決して恨んだりはしない,医者の正直さに関心するだけである.ミスは神様以外の誰にでも あることで,隠そうとするとかえって深みにはまってしまう.また隠そうとする行為はミスを犯すことより罪深い行為である.ただし医療訴訟にむすびつきそう な大きなミスは,すぐに上司か院長に相談すべきである.患者はあなた個人を訴えることはしない.上司や院長には使用者責任があるので,必ず一緒に訴えられ る.自分で悩んだり,自分で解決しようなどと思わない方がよい.上司はそのためにいる.


◎問診では脅迫観念を持たせてはいけない.

  問診は尋問とは違う.何日も前のことなど,覚えている方が異常である.問診には時間が必要となるが,多くの医者は問診に時間がかかることに苛立ちをおぼ え,問診の技術のない自分を省みず,すべてを要領の得ない患者のせいにする.イライラしてはいけない.喋りやすい雰囲気をつくり,話を上手に導き出すこと である.問診は医者のウデと考え,ウデを磨くことである.まわりくどい老人には困ってしまうが不機嫌になってはいけない.人生の先輩と思って話を聞くこと である.


◎右眼を見ながら話す.

  患者の顔を見ながら話をするのは意外に難しい.シャイな医者は若い女性の眼を見ながら話すのが苦手である.日本人は相手の眼を見て話すことに慣れていない が,相手の眼を見ないで喋ることは信頼性の問題につながる.ここに簡単な方法がある,相手の右眼だけを見ながら話をすることである.2対1ならまず勝て る.これでもダメなら,相手をポスターの写真だと思って喋ることである.家では美人ポスターを壁に貼り会話の練習である.訓練しだいで簡単に克服できる.


◎脳ミソだって病気になる.

   ヒトの病気は何万種類もあるが,精神病の患者はただヒタイから上に病気があるだけで,肺の病気,心臓の病気,関節の病気と何ら変わるものではない.そう は言っても,患者を精神科へ受診させることは大変なことである.すんなり承諾する場合は少なく,自覚のない患者ほど抵抗を示す.患者が精神科に偏見をもつ ことは無理はないにしても,医者が精神科疾患に偏見をもってはいけない.脳味噌だって病気になるのである.精神科を受診させるコツは,「精神科を受診しな さい」ではなく,「精神科の先生の意見を聞いてきなさい,役に立つかもしれません」と話すのがよい.この言葉が素直に言えるようになれば,合格である.関 連性のない3つ以上の訴えをもつ患者は精神科疾患を考慮する必要がある.


◎低下する医者の直感力.

 画像診断をはじめとした検査の進歩により,アナムネの取り方,身体所見の重要性が薄れがちである.時間をかけ身体所見をとるよりは,胸痛の訴えがあれば胸部エックス線と心電図,片麻痺の患者には頭部CT検査,と短絡思考が先行してしまう.問診,身体所見の重要性は誰でも口に出す.しかし,神経内科の教授でさえCTが なければ診断できないという事実が説得力を削ぎ落としている.このように医学は進歩したが,医者にとっての動物的直感力はあきらかに低下している.医学は サイエンスであるが医者は医学的センスと直感力である.大きな問題であるが指摘されない.身体所見をとらない医者は患者を診ない医者である,また同時に検 査に溺れる医者である.医者が正しい診断を下すのは,ほとんどが問診,身体所見による直感である.検査はそれを裏付ける手段であることを忘れてはいけな い.


◎女性患者の生理を知っている医者.

 「病歴は大切で,病歴をきちんととることで疾患の9割 の診断がつく」と医者なら誰もが口を揃えて言っている.しかしながら医者のカルテを見るがよい.カルテに記載された病歴は悪筆で貧弱そのものである.主訴 だけをきいてすぐに検査にまわす医者がいる.この傾向は検査のオーダーを多く出す医者ほど強くみられる.「最近,胃の調子が悪いのです」,「では胃カメラ で確かめましょう」.これでは検査屋のオヤジである.とにかく検査をしないと先に進まないと思い込んでいる.このような医者は患者との会話が少ないから, 自然に患者との信頼関係も低下してしまう.患者が入院してくると採血などのルーチン検査をしてから問診や理学所見をとる病院がある.慣れてしまうとそれが 当たり前と疑問にも思わないが間違いである.そして,頼まれて他の患者をみる場合,医者が書いた病歴よりも看護婦の書いた病歴を見てしまうのが悲しい現実 である.女性患者の生理をきちんと記載している医者は合格である.


◎婦長が変わると褥瘡が増える.

  患者の診察に1分の時間をかけ,10分の時間でカルテを書く医者は指導医にほめられるが,患者からの人望はない.患者の診察に10分の時間をかけ1分でカルテを書く医者は,患者からの人気はあるものの指導医からは不真面目な医者とレッテルを張られる.患者の診察に10分の時間をかけ,10分 の時間でカルテを書く医者は立派な医者ではあるが,家族からの受けが悪い.診察に時間をかけることも,カルテを書くことも大切だが時間の配分が問題であ る.真面目な看護婦が病棟婦長になると,看護記録とカンファランスの時間が長くなり,褥瘡患者が増えるのである.何が患者にとって大切かを考えなければいけない.


◎決定権は患者にある.よけいなおせっかいは医者のうぬぼれ.

   医者の任務は病気の説明をおこない,最良の治療を勧めることである.病気に対する最終決定権は患者側にある.医者の多くは自信過剰で,患者にとって自分 が必要と思い込んでいる.しかし,患者にとってはただの医者の一人にすぎない.病気に対する自分の熱意を患者が理解しない,と悲観することはない.患者が 望んでいることを優先させればよい.患者にとって一番良い方法を教えることは医者の仕事であるが,患者の人生は患者自身のものである.患者には尊重すべき 自己決定権がある.決めるのは患者自身である.たとえ手術をしなければ死に至るとわかっていても,本人の承諾のない手術は違法である.傷害罪,損害賠償の 対象となりうる.


◎医者が治しているのではない,治る力を助けているのである.

   病気の多くは自然治癒力によって治ってしまう.医者は患者の治癒力を助けるため,安心感を与えるために存在する.患者の自然治癒力をうまく利用しながら 治してゆくのである.間違っても治ろうとする患者の足を引っ張ってはいけない,また新たな病気をつくってはいけない.患者の治癒力を引き出す最良のクスリ は時間である.治るためには時間が必要となる.決してあせってはいけない,またあせらせてもいけない.肺炎の患者にタリビット(抗菌剤)の指示を受けた研 修医が間違ってタガメット(胃グスリ)を処方し,処方3日目に指導医に怒られて胸部エックス線を撮ったら陰影が消失していたことがある.これは極端な例であるが肺炎でも自然治癒力で改善するのである.


◎患者にとって主治医は一人でも,医者にとっては多数の中の一人である.

   患者には医者を選ぶ権利はあるが,医者には患者を選ぶ権利はない.主治医という言葉は患者側の言葉であって,医者にとっては迷惑なことがある.ただの担 当医,たまたまの担当医のつもりでも患者は時間外に面会を求めてくる.忙しい時に,憶えのない患者から電話で相談を受け困惑することも多い.相手はこちら の都合も考えずに電話をしてくるが,すがる患者を邪見にすることはできない.「医者は患者の奴隷ではない!」と叫びたくなることもある.医者には指名料もなければ使命料もない,あるのは責任だけである.つらいことであるが,相手が頼る以上あきらめるしかない.

◎運動不足を言えば運動を勧め,運動過多を言えば安静を勧める.

   この言葉には,3つの真実が隠れている.ひとつは,適当な言葉でごまかしているうちに病気は治ってしまうこと.ひとつは,患者は医者の忠告を聞くことが 目的で忠告を守るつもりなど最初からないこと.ひとつは,偶然に医者の忠告どおりであることである.このように患者の質問は医学的に判断しがたいことが多 いが,医者の助言もそれに合わせいい加減なことが多い.本当は「どちらでも良いですよ」と言いたいのだが,患者にしてみれば白黒はっきり言われた方が安心 するのである.病気の原因として「ストレス」という言葉も医者の使用頻度が高い.現代社会においてストレスのないヒトは皆無に近いが,ストレスという言葉 に患者はなんとなく納得するのである.


◎いかにごまかすかではない,いかに信頼させるかである.

  病気の説明を完璧に行うのは不可能である.特に忙しい3分 外来では限られた時間の中で病状を伝えることも,クスリの説明をすることも無理である.しかし,早く終わらそうと口先でごまかす態度は良くない.たとえ嘘 が混じっていても,短い時間の中で誠意をもって相手を安心させことである.「この先生なら安心」という患者の信頼をいかにつかむかである.それは医者の患 者に対する温和な態度であり,温かいまなざしである.ごまかそうとする態度は,相手に敏感に伝わるから逆効果でしかない.患者は叱られるために診察を待っ ているのではない,病気に対する同情と友情を医者に求めているのである.早く終わらすことだけを考えて外来をおこなってはいけない.


◎病気の説明をしない医者.

   病気には不確定要素が多い.不確定要素が多いから病気の説明が難しい.病気の説明が難しいから説明がおっくうになる.説明する時間に余裕があればよいの だが,「このカゼはいつなおりますか」ときかれると,「そんなこと分かるわけがない.人間の身体は車の車検とは分けが違う」と不機嫌になる医者がいる.忙 しい外来で不機嫌になる気持ちは理解できるが,この医者はただ修行が足りないだけである.「カゼは1週間で治るのが大部分ですが,1ヶ月続くヒトもいます」と即答できるのが修行をつんだ大人の医者である.


◎病気に対する患者と医者の認識の違い.

  病気は治るもの,クスリは効くものと患者が思い込むのは無理はない.しかし実際には,同じ病気でも,治る場合もあれば治らない場合もある.また同じクスリ でも,効く場合もあれば副作用だけのこともある.患者は病気を同一視し画一的なものととらえるが,医者は統計上の不確実なものと考える.元気な患者が入院 後悪くなることも,手術時の麻酔事故,術後感染症などは医者にとっては珍しいことではない.ある確率でおきることである.しかし,「医療に絶対ということ はない」,「医療行為のすべては確率であり,結果については何の保障もない」と思っているのは医者だけで,患者の考えとの間に大きな隔たりがある.医者と して万全を尽くしたつもりでも,患者や家族が納得できないのはこの考えの違いによる.この相違に対し,患者はインフォームドコンセントを要求し,医者は病 気の不確かさを啓蒙しようとする.インフォームドコンセントは大切だが,欧米の医者の10倍の患者を診察している日本の医者に何の医療報酬もなくインフォームドコンセントを要求する医療構造が問題である.


◎インフォームドコンセントとインフォームドコンドーム.

   患者と医者との関係は,親子の関係にたとえられる.医学知識に乏しい患者に対し,医者は父親としての威厳と責任を持つという意味である.しかし,全ての 医者が父親のように信頼できるはずはなく,この両者の信頼関係が崩れ,またマスコミの影響もあり,最近はやりのインフォームドコンセントへとつながってき た.しかし,インフォームドコンセントは欧米の考え方で,医療制度の違う日本にそのまま当てはめるには無理がある.時間をかけて病状を説明しても,素人で ある患者に治療法を選択させることは無理である.正確な情報を与えることは,いたずらに病気,検査に対する恐怖心をあおることになる.まして癌の告知は患 者の希望を奪うことにつながる.インフォームドコンセントは欧米の訴訟社会に根ずいたもので,ある意味では病気の全責任を患者側に押しつけ,患者を突きは なす行為でもある.インフォームドコンセントは大切であるが,まだ日本では成熟していない.やはり医者は父親としての信頼を取り戻すことが大切である.た だしそれは,威厳を持った父親としてではなく,家族を安づるパパとしての信頼である.お互いに信頼している恋人同士はコンドームの使用でもめることはな い.インフォームドコンセントもお互いの信頼の上での合意が必要である.


◎癌の告知は,してもしなくても訴えられる.

  「癌の告知をしなかったために治療が遅れた」と訴えられることがある.また「癌を告知したため自殺をした」と訴えられることもある.医者は何も悪くはない のに,まったくいい加減にしてほしい.癌の告知は欧米では一般的であるが,日本ではまだ定着していない.多くの人たちは癌の告知を望んでいるようだが,こ こに分析上の大きな間違いがある.医者にとっては,治療効果の良い早期癌やごまかしきれない乳ガンについては告知をするものの,余命いくばくもない末期癌 については告知をしないのが常識である.しかし,一般人は癌を告知する医者と,告知しない医者との二つに分かれていると誤解している.癌の告知が良かった と思っているのは早期癌の患者であり,告知されなくて良かったと思っているのは末期癌の家族である.このように癌の予後の違いによって医者は告知の是非を 区別しているが,マスコミは患者の権利,情報の公開だけを振りかざし告知の有無をいうから混乱する.医者の立場からすれば,すべての癌を告知できればどん なに楽かと思う.患者をだましながら毎日顔を合わせるつらさは,一般人にも欧米の医者にも分からないと思う.


◎インフォームドコンセントの簡単な方法.

  外来で撮影したレントゲンは本人に保管させるのがよい.外来カルテは患者に持たせ,希望すれば外来のコピー機で複写をとらせればよい.病院側として何の不 都合はない.医者は悪筆で貧弱なカルテを心配するが,医者にはカルテを記載する時間などないことを患者が一番知っているから心配はない.ガン患者が問題と なるが,検査値や医学用語よりガンが分かる知的レベルであれば,所詮ガンを隠しても無駄である.患者が必要と思えばコピーをとり他の医者に相談するのもよ いだろう.しかし,この方法は入院患者には当てはまらない.入院患者にはある程度の時間が医者に与えられているから話は別である.


◎病歴を書いてくる患者,医者の話をメモする患者,いずれも可愛いものである.

   初診時に自分の病歴を書いてくる患者がいる.このような患者は几帳面で真面目な性格であることが多い.本人は一生懸命書いてきたのだろうが,書いてある ことの大部分は的外れである.しかし,一応読んであげよう.読むことが相手の尊厳を守ることになる.いっぽう,医者の説明をメモする患者は気分のよいもの ではない.説明をしているのに,まるで取り調べの雰囲気である.しかし大部分は,医者の話が進むうちにメモをとる手が止まることに気づくはずである.それ は医者の話を納得し,信頼しはじめている証拠である.メモをとる患者は医者との対面が初めての場合がほとんどで,要するに医者との会話に慣れていないので ある.病気の説明は,メモがとれるほど単純ではなく,複雑かつ微妙なのである.


◎ハリソンに記載がなければ,学会報告ができる.

   内科の教科書の中ではハリソンの内科学書が最も有名でよく読まれている.ハリソンは内科医に必要な知識を網羅しており,ハリソンに記載がなければ学会報 告ができるとさえいわれている.内科医はハリソンかセシルの内科学書,それと日本の教科書の二冊を選ぶのがよい.各科においても定版としての教科書が必ず あるから,それを選べばよい.そして版が代わったら買い換え,机上の友とするのである.次に教科書を読む上での注意は,教科書は過去の知識の集大成である が眼の前の患者に必ずしも当てはまるとは限らないこと,教科書にも時に間違いがみられることである.新しい知識を得るためには医学雑誌も読まなければいけ ないが,欧米の論文は英語で書いてあるし日本の商業紙は内容の割に値段の高いのが難点である.専門分野に関しては関連学会誌も目を通しておかなければいけない.


◎痛む場所の診察は最後にする.

   患者の訴えが頭部,胸部,腹部,関節などの局所的なものであっても,まず全身を系統的に診る必要がある.患者の訴える場所以外に病気が隠れているからで ある.患者の病歴を復習しながら全身の所見をとり,最後に訴えの場所を診察する.訴えのある場所を最初に診てしまうと,他の異常所見を取り忘れてしまう. また患者の話を鵜呑みにすると,不眠や下痢だけの甲状腺機能亢進症の患者,便秘だけの大腸癌,口内炎だけのベーチェットを誤診してしまう.恐ろしいことで あるが,分かっていても知らず知らずのうちに手抜き工事になってしまうのである.そして最後には胸痛でも胸を診ず,腹痛でも腹を診ない医者になってしまう.


◎脈を取りながら休憩するのも良い.

   外来の診察は疲れる.眼をつむり患者の脈を取りながら,他のことを考えるのもなかなかよい.瞬間ではあるが憩いの時間となる.医者は知的職業とされてい るが,外来は最初から最後までしゃべりぱなしのホスト役である.少しぐらい黙ったまま脈をとっても罪はない.しかしそれは30秒 以内にした方がよい.それ以上では本当に寝てしまうからである.患者の診察は真剣勝負である.脈をとる以外に休憩はない.また病気は様々で決してワンパ ターンではない.考える時間が必要な時,患者の脈を取りながら考えるのがよい.また病室では患者の手を握りながら考えてもよい.それは親が子供の手を握る のと同じ気持ちである.慈しみを含んだ自然な行為である.


◎直腸診はルーチン検査である.

   老人で便通の異常があった場合,直腸診は必須である.大腸癌の約半数が直腸癌で直腸癌の半数は直腸診で指の届くところにある.直腸診の重要性は分かって いても,多くの医者は直腸癌を指で診断した感動を知らないから面倒がって直腸診を省いてしまう.直腸診で指を進めてゆくと子宮頚部を腫瘤として前壁に触れ る.研修医は癌と誤診するがこの直腸診の常識を知らない医者があまりに多い.50歳 以上の男性では前立腺肥大と前立腺癌を除外するためにも直腸心は大切な手技である.直腸前壁に異常があれば泌尿器科依頼となる.欧米では直腸診はルーチン に行われるが,日本では羞恥心が強いせいか軽視される傾向にある.しかし羞恥心を互いに共有することは患者と医者との絆を強くするからためらう必要はない.


◎痛みは顔の表情で判断する.

  「痛い時はおっしゃてください」などと言って腹部の触診をおこなっても,腹はどこを押しても多少は痛いので正確な情報とはなりにくい.患者は「ここも痛 い,そこも痛い」と混乱するだけとなる.また患者が喋ると腹壁が緊張して診察所見も分からなくなる.正しい方法は,両膝を屈曲させ腹壁の緊張をとり,患者 の顔の表情で,圧痛の場所や程度を知ることである.痛みに対する顔の表情は言葉より正確である.腹膜刺激症状は腹部を押している手を急に離すと,全身に電 気が走ったように跳ね返ることであるが,これは脊髄反射であるから詐病にもちいることはできない.お腹を押して痛みがなければ痙攣性の疾患を,圧痛が強け れば炎症性の疾患を,反跳痛(Blumberg 徴候)があれば外科的疾患を考える.


◎異常値は病的異常と正常に分かれる.

  異常値は正常人の95%の範囲を越えた場合をいう.簡単にいえば正常人100人集めれば5人が異常となる.東大に合格するヒト,身長190cm以上のヒト,100m11秒 で走るヒト,これらは統計的には異常であるが病気ではない.つまり異常値が病気とは限らないのである.異常は集団の分布から外れているだけで正常人と連続 性をもつ.いっぽう病気は正常集団とは独立した別のものである.異常性格というが病的性格と言わないのは,性格は病気ではないからである.人間ドックでは 受診者の8割が異常だと言われている.この8割という数値の何割が病的かは不明である.そして健康なのに検査データが異常となると検査に振り回されること になる.人間ドックで「まったく問題ありません」と言われる方が異常である.


◎精神病患者も内科的疾患をもつ.

   精神科の患者が内科的疾患を持つ場合,その診断は難しい.症状を聞き出すことも,身体所見をとることも困難である.まして本人が納得するような検査の説 明は至難のワザである.熱があれば抗生剤,腹痛を訴えればH2ブロッカー,ゼーゼーしていればネオフィリンというように治療的診断にたよりがちになる.こ れとは逆に,精神症状を示す内科的疾患を見逃してはいけない.全身性エリテマト−デス,脳腫瘍,慢性硬膜下血腫,甲状腺機能亢進症,甲状腺機能低下症,薬 物中毒などである.原発性の精神科疾患に根本療法はないが,二次性の精神科疾患は治療で完治するから誤診は許されない.老人のバセドー病は,精神症状と体 重減少以外に典型的な症状を示さない.老人のせん妄や痴呆をみたら甲状腺ホルモンを測定する心構えを持たないと失敗する.Masked hyperthyroidism は 病名どおりマスクされた老人のバセドー病のことである.また両手のシビレやイライラの症状を神経症と診断され,数年後に副甲状腺機能低下症の診断を得た患 者もいる.糖尿病患者の低血糖発作も精神障害が全面にでると老人性痴呆と診断されてしまう.精神科の授業で「機能的精神病は30歳まで」と習ったはずなのに,精神症状をもつ老人に対し器質的疾患の検索を忘れている.ぼんやりと診察してはいけない.


◎病気の説明,承諾書.

   患者と家族は病気の診断名,病気であればその重症度を知りたいのである.病気の診断がつかなくても,緊急性があるのかないのか,重症か軽症か,そのぐら いの区別はできるだろう.病名は不明でも,致命的でない,あるいは予後良好という保証が欲しいのである.この患者側の要求に対し,医者は病気は常に悪化す る可能性があることを含めて説明するのは当然である.しかし,何かあれば訴えられるかもしれないと,責任のがれの保身的な説明に終始するのはよくない.保 身的な説明は,相手に対しての同情と誠意を自然に欠いてしまうからである.患者,家族の気持ちをくみながら正直に説明するだけである.「手術に対しいっさ い文句を言わない」などの承諾書を使っている病院があるが,このような承諾書にはもちろん法的効力はなく,医者と患者との関係を悪くするだけである.


◎ヒトはなかなか死なないものであるが,時に例外がある.

   末期以外の患者であれば,たとえ重症でもあきらめてはいけない.生命の光を念じ積極治療である.人事をつくし天命を待つしかない.これとは逆に,軽症患 者であっても侮ってはいけない.朝看護婦が部屋へ行ってみると,昨日まで元気だった患者が死んでいることもめずらしいことではない.入院患者の急変や急死 は十分にあり得る.前ぶれもなく急変する患者,突然の死を迎える患者の枕元には悪魔が潜んでいる.見えない悪魔の存在を知ることは難しいが,急変前の状態 を振り返ると,いつもと違ってソワソワしていた,食事を受けつけなかった,小さな声で多弁となった,なんとなく顔色がすぐれず元気がなかった.などの症状 があり,これらが悪魔のしわざなのである.


◎患者から人生を学ぶのもまた楽し.

  患者はそれぞれの人生を背負っている.10人の患者には,10編の伝記と10の社会と10の 家族がある.病気以外の話も楽しいものである.狭い医療村に閉じこもる医者にとっては,患者との会話によって,社会と人間の関係を学び,人生を深める利点 がある.医者は患者より医学的に優位に立っているが,人生の先輩である患者に教えられることも多い.また患者との関係も,病気を離れた,つまらない会話の 時間に比例して良くなるものである.何くれとなく話しかけることが重要である.患者の仕事や趣味に話を合わせることができれば,病気のことしか話せない医 者の何十倍もの良い関係をつくりえる.病気の話だけでは,毎日が退屈である.医学以外の知識の積み重ねは教養となり,医者の人格形成にも影響をあらわして くる.


◎奇病という病気は存在しない.

   明らかな訴えがあり,異常な身体所見や検査データがあるにもかかわらず,どうしても診断のつかない患者がいる.このような症例は医者の人生において数例 は経験するだろう.しかし,奇異な病気であっても決して奇病ではない.将来,きちんとした病名のつく疾患である.新たな病気は新たに生じた病気ではない, ほとんどは先人が見逃してきた病気なのである.よく観察し調べることである.既知の疾患を否定できれば,あなたの名前が教科書に載るかもしれない.


◎医者が病気を深刻に受けとめると,患者も深刻になる.

   映画やテレビで映し出す医者のイメージは,患者の暗い運命を一緒に背負った深刻な顔つきである.しかし,まねてはいけない.医者が深刻な顔をすると,全 てが暗くなる.医者には患者をなごませるユーモアが必要である.病気になることは運命であるが,暗い運命を少しでも明るくすることが医療従事者の役割であ る.余命いくばくもない患者を笑わすことができれば,一足先に「天国にいるのと同じ気分」にしてあげられる.もともと明るい気持ちで病院にくる患者はいな い.病院は明るい雰囲気に包まれていなければいけない.明るい病院が患者を救うのである.


◎患者には笑顔を,親切なふりをよそおいなさい.

   患者と医者のトラブルの多くは,表面は医療上のミスであっても,その根底には「医者の誠意のない態度」に対する不満が隠れている.医療事故で医者が訴え られるか否かは,患者との人間関係にかかわっている.患者が持つ医者のイメージは「人類愛を持つ聖人」であり,自分は弱い立場という被害者意識と重なる. このイメージが崩れた時,裏切られたと腹を立てる.医者と患者の関係は強者と弱者の関係にある.しかし,ちょっとしたことで立場が逆転する.医者がいばっ ていたのは昔の話である.


◎患者への説明は,小学生でも分かるような言葉で.

   医学用語が日常化しているため無意識に患者の説明に専門用語を使ってしまう医者がいるが,シロウトである患者に専門用語,外国語は通じない.病気の説明 の時は「細菌はバイ菌」,「抗生剤はバイ菌殺しのクスリ」,「心窩部痛はおなかの痛み」,「梗塞は血管のつまり」,「振戦はふるえ」,「利尿剤はオシッコ の出るクスリ」などのように小学生にでも分かるような言葉を使うべきである.また説明をしながら,絵や図やキーワードを紙に書き,説明の終わりに持たせて あげるのが親切である.理解の得られない説明は,不親切で,ごまかしと誤解される.説明の最後に,質問がないかをあらためて尋ねるようにする.患者に質問 をする時間と考える余裕をあたえることである.


◎のどもとに王手をかけてはいけない.

   病気の説明を理路整然とおこなうことは,医者にとってある種の壮快感をもたらす.しかし,その説明が医学的に正しいものであっても,相手が納得しない説 明であれば,医者の優越に満ちた顔は,「偉そうな顔をして」と一転して受けとめられる.患者は納得したのではなく,反論ができないだけで「言いこめられ た」と不満を蓄積させることになる.病気の説明は相手が納得しなければ意味がない.相手の急所を狙うことも必要だが,相手の喉元に王手をかけ反論できない ような説明は乱暴である.それは,説明ではなく脅しである.


◎詐病患者は知恵者である.

   サギ師は社会的な罪であり罰を受けるが,医者をだます詐病患者は罰せられることはない.詐病も病気のうちなのか,費用は全額自己負担とすべきである.詐 病を見抜くコツはじっくり話を聞きながら,相手の矛盾点を探すことである.その具体例として,詐病患者は医療従事者や思春期の患者に多い.また熱があって も脈拍数の増加がない(詐病脈をつくらず),感染源の不明な菌血症をくりかえす(点滴に汚物を入れる),症状の割に元気である,病気や症状を楽しんでいる ような雰囲気が伝わってくる,医者の常識では考えられない症状を示すことである.このような患者であれば疑う価値はある.詐病の代表的なものとしてMunchhausen 症候群がある.Munchhausen 症候群(ほら吹き男爵病)は原因不明の腹痛などで入院を繰り返す患者で,腹部に手術痕を認めることの多い詐病の代表的疾患である.


◎医者と患者の知恵くらべ.

   体温計をコスルこと,点滴に菌を混注すること,尿に血液を入れたりするのは序の口である.自己瀉血による貧血,ネコイラズ(成分はワーファリンと同じ) による出血傾向,尿にタマゴを入れたネフローゼ症候群,インスリンをもちいての低血糖.さらには尿に唾液を落として急性膵炎と診断させた知恵者もいる.唾 液を落として急性膵炎と診断させる裏には,医者が膵炎と診断すれば麻薬を打つことを知っているからである.この方法は刑務所の口コミで広まったものであ る.ところで,医者が詐病で病院を休む時は「ぎっくり腰」がよい.ぎっくり腰は自覚症状だけで否定する証拠は何も残さないからである.間違っても尿に砂糖 を混ぜてはいけない.砂糖はショ糖でありブドウ糖ではないから尿糖は陰性のままである.もし入れるのであればオレンジジュースである.


◎病院は汚れた場所である.

   家族の都合で退院しない患者がいる.保険医療を食い物にする悪い患者であるが,このような患者がいったん院内感染に罹患すると,病院の責任ばかりを怒鳴 り立て最悪の状態となる.院内感染の予防にはある程度の限界がある.入院の必要のない患者は院内感染の危険性を話し,早く退院させるのがよい.患者や家族 には病院が汚れた場所との認識がない.小児を廊下で遊ばせておく面会者の神経が理解できない.外来患者の中には1ヶ月おきに風邪を引く患者がいるが,これも院内感染である.


◎患者のたらい回しと私物化.

   患者のたらい回しが大きな社会的問題となったことがある.当直医者が専門外であることや,手術中であること,または満床であることを理由に病院が救急患 者の受け入れを断ることである.救急医療を整えない医療システムが悪いのに,たらい回しと個々の病院が非難されるのはつらい.病院が満床の時に重症患者が 受診しても転送するだけ二重の手間となる,眼科の医者に盲腸の手術ができないのは当然である.救急体制の未熟さを医者の診療義務違反として責任転嫁させて いるにすぎない.今日では,このようなたらい回しは少なくなったが,別の問題がある.「患者の私物化」である.診断に自信がなくても誤診を指摘されるのを 恐れ,あるいは患者が逃げてしまうことを恐れ他の医者に相談しないことである.口先で患者を丸めこみ自分で抱え込んでしまう.このように患者を私物化して はいけない.診断に自信が持てない時,治療に疑問がある場合,専門外の場合には,他の医者に相談するか紹介すべきである.一人の医者の経験はたかが知れて いる.知識にも限界がある.専門外の医者が3人集まっても烏合の衆であるが,専門医は1人でも文殊となる.


◎同僚に相談すれば楽になる.

   患者の診断,治療,社会環境.医者は患者のことでいつも頭を悩ましている.患者にとって何が良いかを決めるだけであるが,それが難しい.迷うような選択 は,コインの裏表で決めてもそれほどの違いはないと思ってもやはり悩んでしまう.このような時,先輩,同僚に相談しなさい.多くの医者に相談して結果が良 ければ自分の選択が正しかったと満足できる.結果が悪ければ最善を尽くした結果だから,精神的負担が軽くなる.相談の相手は多ければ多いほどよい.話せば 楽になる,迷うことはない.


◎患者は病気に対し,医者は社会に対し無知である.

   病気に対して無知な患者を笑ってはいけない.社会に対して医者ほど無知な職業はないからである.高学歴であること,社会的地位があること,自尊心が高い こと,そして社会的に子供であること.これは周囲から見た医者の姿である.そして,医者ほどだましやすい職業がないことは,詐欺師の仲間では常識である. 不動産会社が節税を理由にマンションの購入をしつこく電話をかけてくるのは,医者が金持ちだからではない,だまされやすいことを知っているからである.


◎病気は気から,気は病気から.

  「病気」は「病」と「気」に分けられるが,気からくる病気は病気とはいわない,ただの気持ちの問題である.しかしながら,外来にくる患者の多くは「気」の 異常である.このような患者はあらゆる検査でも異常はなく,それがかえって患者の不満を増強させる.「気」からくる病気は機能的なものだから,検査は念の ための手段でしかない.しかし,「気」の異常といっても馬鹿にはできない.ストレスによる白髪,脱毛など,精神的な重圧が肉体上の変化をもたらすことがあ る.身体の不調のみに集中している患者の治療は,まず病気から遠ざけ病気を忘れさせることである.症状は否定せずに,重篤でないから様子をみるように,安 心するように話をすのが最も効果がある.次に精神安定剤の投与を考える.


◎天使の足音,サタンの足音.

   看護婦さんの足音は天使の足音,痛い検査をする医者はサタンの足音.しかし,たとえサタンの足音であっても,入院患者はいつも医者を待っている.待つこ とほどつらいことはない.回診が終わった後の晴れ晴れとした患者の表情を見るがよい.回診はなるべく早い時間に,しかも同じ時間帯にすべきである.また患 者回診前には温度板と看護婦記録を注意深く見てからおこなうのがよい.患者の1日の動きを把握してから回診するのである.温度板に記載されている体温,脈 拍,血圧,食事量によって患者の状態がわかる.看護記録には医者には隠している患者の本音が見えてくる.不穏状態や状態の急変時の状況は,看護婦記録が頼 りとなる.


◎チームワークを乱してはいけない.

   医療は患者を中心としたチームワークである.医者の悪い癖は,医療の中心は自分であり,自分を中心に時計が回っていると無意識に思っていることである. 誰もが「列車に乗り遅れまいと,試験に遅刻しないように」時間を気にするが,これが社会的常識なのである.医者一人だけで医療が出来るはずがない.時間を 守ることがチームプレーの絶対条件である.時間を守らないことは,相手の貴重な時間を奪っているのである.医者は医療におけるチームリーダーで,良いチー ムワークを保つことが医者の仕事である.


◎温かいこころは患者を温かくする.

   病気は患者の悩みであり,悩みの固まりが患者である.「病気を治す」だけが医者の任務であれば,医者の仕事はどんなに楽であろうか.それは机の上で国家 試験の問題を解きながら遊んでいるのにひとしい.病気を治すだけが医者の任務ではない.病気をもつ患者を治すことである.大学では病気についての教育ばか りで,人間の心理については学ばない.医者にとって最も必要なことは人間の身体だけではなくヒトの心を知ることである.なぜヒトが病気になるのか.その多 くは不明である.しかし,病気になりたくて病気になるヒトはいない.このような病人に対し可哀想と思う自然の感情と,患者の心を温たためてあげようと手を さしのべるのが医療である.相手の気持ちを理解し,相手の立場を思いやることが大切である.患者は様々であり腹立たしい時もあるだろうが,自分が健康であ ることを神に感謝し,許してあげよう.


◎素人だから患者は悩む.

   患者は自分の症状,医者の言葉,検査の結果について悩むものである.家庭の医学を読めば,すべての病気が自分に当てはまってしまう.どうでもよいことで も患者は納得できない.いつも頭から悩みが離れない.しかし,相手は素人だから悩むのは当たり前である.溺れていない者でも,自分が溺れていると思えば, ワラをも掴みたいと思うのである.「心配ありませんよ,大丈夫です」の一言が患者の気持ちを救うのである.医者は病気には慣れているものの,病気をもつ患 者をあつかうことに慣れていない.


◎映画に見る医者の姿.

 主役の医者は,Tシャ ツに白衣をひっかけ,それがカッコよくみえる.そして,悪役の医者は,髪をきれいにそろえ,ネクタイをしめ,まるで銀行員である.ここで両者の服装の違い を勘違いしてはいけない.あなたは医療の主役であっても,映画の主役ではないのだから,映画の主役を真似てダラシナイ服装をしてはいけないのである.実力 のない医者ほど服装が乱れている.また自分の実力が貧弱なことにさえ気づいてもいない.服装が医者の能力をおぎなう作用をもつことも知らないでいる.清潔 でみだしなみの整っている医者のほうが患者の印象は当然良いのである.映画俳優は何をやっても何を着ていてもすてきである.それは俳優だからである.自分 の顔を鏡に映し,悲しい勘違いと服装を正さなければいけない.


◎確信がないのに確信のある顔で勇気づける.

   科学者は嘘をつくことは許されない.このことは学会や論文での回りくどい言い方を見れば分かる.しかし,医者は「勇気づける」という大義名分があれば, 嘘をつくことも許される.明日の命も分からない末期癌患者に「大丈夫ですよ」という言葉は明らかに嘘である.しかし,神をのぞけば明日の身は誰にも分から ない.患者は医者に対し「科学者の言葉ではなく,神の慰めの言葉を期待している」のである.


◎医者は全科にわたる知識が必要.

  妊娠などの婦人科疾患,尿路結石などの泌尿器科疾患,蕁麻疹などの皮膚科疾患,虫垂炎などの外科的疾患,あらゆる患者が内科を受診する.またその逆のこと もある.患者は何科に行くのか分からない時,とりあえず内科と考えても不思議ではない.このように患者は医者であれば全ての病気を知っていると思っている から,医者は専門分野以外にも全科にわたる医学知識が必要である.医者にとって自分の科こそが医学の中心と自負するのは勝手だが,少しぐらいは他科の疾患 を診断できる能力を養うべきである.


◎患者と話す時は後ずさりをしてはいけない.

  ベットサイドでの患者との会話は,お互いに沈黙の時間がくるまで続けるのが理想である.患者は聞きたい内容を前もって考えているが,いざ医者の顔を見ると 忘れてしまうのである.ベッドサイドの椅子に腰をかけ,雑談でもしながら患者に喋りたいことを思い出させる余裕を与えることである.時は金なりであるが, 数分の時間を患者にあげなさい.患者との話しは1m前後の距離で行うのがよい.患者と話をしながら重心をドアへ移動させるのはよくない.


◎患者の青春は二度と帰らない.

 誤診は患者の人生を奪うことになる.生物学的偽陽性(STS+TPHA-) で梅毒と診断され,結婚もせずに,何十年も抗生剤を飲み続けた患者がいる.甲状腺機能低下の患者に高脂血症の治療だけを漠然とおこなっていた例もある.不 妊女性患者に精子に対する免疫抑制の目的で長期にステロイド剤を内服し,満月様顔貌で内科を受診した患者がいた.リウマチ熱の診断を得ながら抗生剤の長期 投与を受けずに不幸な転帰をとった患者も知っている.自信がなければ他の医者に相談すべきである.自分で抱え込んで患者を不幸にしてはいけない.


◎知ったかぶりの患者に振り回されてはいけない.

  心臓が痛い,胃が痛いなどと言う患者がいる.もちろん心臓の場所,胃の場所と思っているところが痛いのであるが,患者の言うことを真に受けてはいけない. そのまま信じれば誤診につながる.心臓の痛みで本当は解離性動脈瘤や自然気胸であったり,胃の痛みで虫垂炎の症状は常識である.腕の痛みや歯の痛みが心筋 梗塞の症状であることもまれではない.また頭痛を頭蓋内病変と思っている患者が多いが,脳組織には痛覚のないことを教えるだけで患者は安心し,頭痛は自然 に消失する.


◎何もしないことほど忍耐のいることはない.

   病気に対してすぐに投薬と考えるのは間違っている.診断が出来て初めて投薬が必要となる.「発熱患者に抗生物質」という短絡思考は間違いで,細菌感染の 可能性がある場合にのみ抗生物質が必要である.薬剤アレルギーを否定するために,何もしないで様子をみることはつらい.入院した患者は医者が何もしないこ とに不満を持つだろうが,理由を話せば必ず理解してくれる.診断を得るまでは誤診の弊害があるから様子をみるのである.またクスリを投与しても効かないか らと,すぐに別のクスリに変更するのも間違っている.本当に効果がないのか冷静な判断が必要である,明日になれば効果がでるクスリをあせって変えてはいけ ない.何もしないのは何もしていないのではない,積極的に余計なことを抑えているのである.


◎各臓器は互いに関連性がある.

肺 炎は肺の病気,胃潰瘍は胃の病気というように,臓器別の病因論はそれなりに正しい.しかし,各臓器は互いに独立したものではなく関連性をもつ.医者は障害 臓器だけではなく,全身の臓器の状態をつねに把握しなければいけない.肺炎では低酸素血症による心臓への負担,胃潰瘍では精神的因子の関与などである.ど のような疾患でも,どのような薬剤でも各臓器への影響がある.癌患者で転移の有無を調べるように必ず考慮すべきである.多臓器不全という病名は表現型とし て障害が顕性化しただけで,表面にでない各臓器の影響を常に考えなければいけない

◎患者の信念を変えるのは医者の信念である.

   テレビドラマに出てきそうなセリフであるが,患者の信念を変えるのは容易ではない.わがままな糖尿病患者,アルコール中毒患者をみれば良く分かるが,患 者の信念を変えるのは患者本人か,患者が生まれ変わるかである.患者の信念と患者のわがままは同義語である.医者はわがままな一人の患者のためにあるので はない.患者の考えを変えようと努力しても無駄なことがおおい.患者は平等であり,わがままな患者は他の患者と同じように扱うだけで,よけいなエネルギー を費やすべきではない.


◎「何が原因だと思いますか?」患者に尋ねなさい.

患 者は自分の病気の原因を,うすうす気づいていることがある.若い女性の場合は膀胱炎だと分かっていても自分から言い出さない.医者が病気について説明する 前に,「何が原因だと思いますか?」と聞くのがよい.患者を医療に参加させれば患者の本音がわかる.たとえ答えに窮していても,患者の話から医学知識の程 度が分かる.また訴えが混乱して自分でも収集できない患者がいる.痛みの性格や部位などをきちんと答えられないのに,自分が病気であることを必死で訴えよ うとする.このような患者には「何が一番心配ですか?」と聞くのがよい.「癌が心配できました」と答えてくれれば,心配を除くため検査のオーダーとなる.


◎女性の直腸診は看護婦を呼びなさい.

  医者は誤解を受けてはいけない.特に異性に対しては注意が必要である.胸部の聴診の場合は決して乳首を見てはいけない,医者の視線がどこにあるのか,意外 に分かる.また,異性の直腸診や導尿は1人でおこなってはいけない,誤解をまねくような行為はつまらぬ問題をのこす.李下に冠を正さずである.また女性部 屋に入る時はノックを忘れてはいけない.部屋で着替えているかもしれない,オシッコをしてるかもしれない.たとえ高齢でも女性は女性,羞恥心をもっている.


◎治療法のない疾患を詳しく調べても意味がない.

  転移性腫瘍との診断を得た場合,原発臓器を知ることにどれだけの意味があるのか考えなければいけない.原発部位を知ることで,治療法が変わるのであれば, あるいは生命予後が違うのであれば調べることは意味を持つ.しかしそれ以外の場合は,これ以上の検査をするべきではない.医者の学問的自己満足と,わがま まな家族を納得させるために患者をいじめてはいけない.癌以外の病気であっても不治の病に対する検査は意味がない.アルツハイマー患者の脳CTを経時的に観察しても,患者にとっては何も益することがない.


◎1人の医者の経験は10人の医者の経験の10分の1である.

   「私の経験では・・・」という言葉は,今日では通用しない.所詮1人の医者の経験は限られている.分からないことは他の医者に相談すべきである.また十 人の医者の経験も所詮十人の医者の経験にすぎない.図書館で文献を調べ病態を考えることである.医学は奥が深い,「自分はまだ未熟」という認識と謙虚さ が,医者の一生において常に必要である.


◎患者とは病院の外で付き合ってはいけない.

   医者は患者に対し公平でなければいけない.病院外での付き合いは,その原則を破る第一歩となる.患者は医者とのつきあいで利益を得るが,医者にとって得 るものはない.患者とつきあう時間があれば家庭サービスをするか図書館で勉強することである.外来の順番を,患者の名前を見て変えることは,他の患者も, 看護婦もすぐに分かることである.その行為は周囲の不信感をつのらせることになる.ヒトは金銭的利益を目的としているが,医者は別である.


◎病気でないことの三原則.

  病気が回復,治癒しているかの判断は,患者の訴えがないこと,診察上の異常所見がないこと,検査所見が正常であることの3つが必要である.この3者がそ ろって初めて安心できる.また自覚症状だけで,他覚所見,検査所見が正常の患者は,精神的要因による機能的疾患か,病気でないか,医者の診断能力が劣って いるか,のいずれである.自覚症状をとることも医療ではあるが,様子をみるだけですむ場合が多い.


◎医者は卑しくあってはならない.

 医者は営利を追求する薬屋の手先になってはいけない.必要なクスリは自分の判断で決めるべきで,病院のMR(プ ロパー)が変わる度に病院のクスリが変わるようであってはいけない.資本主義経済において,医療は経済活動を禁じられている唯一の職業である.経済社会の 中で働いている医者が,世間外れしているのは当然であるが,卑しくなることは医者としてのプライドを捨てることである.医者がクスリ屋から接待を受けるこ とは,しだいに毒が身体をまわりマヒすることになる.接待は資本主義の商業手段であり必ず裏があるから受けてはいけない.


◎内科医にとっての誤診.

  誤診は許されない罪である.しかし実際には誤診は常にあることで,誤診の可能性,他の疾患の可能性は常に意識しなければいけない.最も恥ずべきことは誤診 に気づかずに漠然と診療を続けることである.急性疾患であれば誤診に気づくこともあるが,慢性疾患では最初の医者の方針が,その患者の一生を左右する.1 回だけの血圧測定による高血圧の診断,1回の検査所見による高脂血症や高尿酸血症の診断,関節痛とリウマチ因子陽性のみで慢性関節リウマチとの診断は,医 者がその患者の一生を無駄な時間と,無用な投薬と,薬害までを強いらせることになる.健康人を一生涯病人に変えてしまうのである.


◎医者は常に勉強しなければならない.

   医学の進歩にともない治療法も当然変わってくる.抗生剤の使い方にしても,素人医者とプロの医者では雲泥の差がある.またリウマチ熱が減少し,エイズと いう新しい病気が世の中に広がったように,時代とともに疾患も変化する.医者はその時代の最先端の知識を持たなければいけない.専門分野の論文ばかりでは なく医学の新しい常識を知るためにも英語の論文を読むことも必要となる.欧米の論文を世界同時に読むことは今日では可能である.最先端の医学が日本に広ま るには2年はかかるが,最先端の知識を持つことで診断治療の幅が広がる.


◎回診したくない患者ほど頻回に回診する.

   医者が患者の病気の快復を願うのは当然である.しかし,病気の勢いの前に医者は無力となることが多い.そのような時,医者は患者に気持ちの上でせめられ ることになる.特に告知をしていない癌患者の場合がそうである.患者の気持ちは分かるが,医者を恨んではいけない.恨むのなら病気を恨んで下さい,私が悪 いのではありません,病気が悪いのです.なかなか改善しない患者を回診するのはいやになる.癌患者に毎日ウソをつくことは患者のためのウソでも罪悪感があ る.頻回に足を運んでも病気の改善とは関係はないが,回診したくない患者ほど頻回に回診した方がよい.患者は文句を言いながらも医者の助けを待っている. 医者の顔を見るだけで患者は安心して今日を乗り越えようとするからである.医者がいやがる患者は誰もがいやがるものである.しかし患者を孤独に押しやって はいけない.


◎病気に対し最善をつくす姿勢.

  疾患について,患者と家族に科学的な説明をするのは当然である.説明の最後に必要なことは,本人と家族に対し「最善をつくす」という医療側の意思表示であ る.病気に対し気落ちしている患者に,病状を軽く説明することは期待を持たれ後で困ることになる.逆に,重症に伝えることは患者の意欲を奪うことになる. 必然的に,患者には軽症に,家族には重症に話すことになる.ヒトは病気になり,いずれ死ぬ運命にある.これは誕生と同時に死刑の判決を受け,その執行を 待っているのにひとしい.この運命を誰もが知っている.患者が希望するのは運命を変えることではなく,運命を前に最善を尽くしてほしいことである.生きる ことに希望を持たない患者はいない,また死を恐れぬ患者もいない.医者は患者を慰め勇気づける一番の友である.


◎末期癌の告知は賛成できない.

  既往歴をきくと肺浸潤と答える患者がいる.結核が癌と同じ不治の病だった頃,結核と言わずに肺浸潤と患者に告げた医者が多かったせいである.今は個人主義 と権利の主張がもてはやされる時代であるが,末期癌を告知されて幸せだったと思う患者がいるだろうか.すべての患者に欧米のように癌の告知を真似すること は,患者に接したことのない書生論である.癌の告知が許されるのは退院可能な希望の持てる癌患者のみである.ウソをつくと患者の不信感につながると言う が,患者のための誠意あるウソは許されるのである.


◎風邪は万病の元.

 風邪の患者に対し,胸部エックス線や何本もの採血をおこなうことが多い.これは感冒の症状を示す様々な疾患を誤診で訴えられないための保身術と病院経営学である.風邪と誤診しやすいのは,肺炎,SLE, 急性肝炎,扁桃炎,白血病,髄膜炎,亜急性甲状腺炎,虫垂炎など様々であるが,風邪以外の病気で鼻水をともなうことはない.問診で鼻水が出ていれば風邪か 鼻炎である.鼻水がなければ上記疾患を鑑別する必要がある.患者は風邪以外の疾患でも風邪と信じ込んでいることが多い.患者の言葉に騙されてはいけない. 医者としての未熟さに騙されてはいけない.患者はつねに正直で身体には病名の名札をつけているのに,見抜けない医者が未熟なのである.


◎スクリーニング検査よりスクリーニング診察.

   最近では病院のコンピュータ化が進み,医者は患者の顔を見ずにコンピュータの画面ばかりを見ていると非難がある.最新の医療が人間不在の医療となっては いけない.初診患者,入院患者の身体所見はきちんととることである.初めての患者の診断は全身をまず診ることからはじまる.初診患者にスクリーニング検査 を行う前に全身のスクリーニング診察をわすれてはいけない.胸部異常陰影の患者がさんざん検査をして睾丸腫瘍の肺転移であったことを経験している.喉頭を きちんと診る方法として,口を開けさせ“ア−”と患者に息を吐かせる医者が多いが,それでは咽頭は見えにくい.患者の口を開けさせ“ア−と息を吸ってごら んなさい”と言うのが正しい.この方法で舌圧板が必要となるのはせいぜい2割である.甲状腺の触診は輪状軟骨に指をあて「ごくんとしなさい」と嚥下運動を させればよい.正常人の甲状腺は専門医は触知できるが,一般医は通常触知できない.しかし甲状腺疾患で問題となるのは,一般医が腫瘤を認める大きさである から心配はいらない.


◎打腱器の今日的意味.

  診察室には必ず打腱器が置いてあるが,なぜ打腱器が置いてあるのか理由を聞いても首をひねるだけで誰も答えられない.一般人は脚気の診断のためと答える が,今日ではモデル希望の女性が無理に痩せた場合ぐらいで,まず脚気などは死語である.インスタントラーメンにさえビタミンが含まれている時代である.研 修医に同じ質問をすると,「上位ニューロンの異常を調べるため」と答えが返ってくる.「では,普通に歩いて病院にくる患者には打腱器は必要ないですね」と 聞くとやはり首をひねってしまう.打腱器の今日的意味は,糖尿病における末梢神経障害を調べるためである.腱反射が消失していたら糖尿病性末梢神経障害は すでに進行していると考えられる.また甲状腺疾患では反射の減弱ではなく,反射のスピードで亢進か低下をみているのである.


◎見落とされてきた症状. 

リウマチを専門とする医者は,B型肝炎の症状に関節痛があることを知っている.B型肝炎に関節痛をともなうことはリウマチの教科書に記載されているからである.しかし,肝臓を専門とする医者は,B型肝炎に関節痛があることを知らない.肝臓の教科書に関節痛の記載がないからである.このことは患者の全身症状をきちんとみることの大切さを教えてくれる.


◎わけの分からない病気.

  原因の分からない中年以上の患者をみたら癌を疑う.若い女性で原因不明の場合は全身性エリテマト−デスの可能性を否定することである.「若い女性を見たら 妊娠を疑え」は名言であるが,消化器症状の訴えであればスキルスとクローン病の除外である.若者のスキルス胃癌は診断や治療がまだ十分でなく,急速に死に 至るから本人も家族も医者も心の準備が必要である.診断は疑うことからはじまる.疾患を想定しなければ診断は不可能である.患者が医療関係者であれば詐 病,発熱に比べ元気そうなら薬剤アレルギーを考えることである.


◎先輩の言うことはよく聞くことである.

  医学は記憶の学問であるが,医療は経験の学問である.国家試験に受かったとしても,一人前の医者になるには数年の修行が必要となる.そこで先輩が後輩を指 導することになるが,どのような先輩と巡り会い指導をうけるかによって医者の将来形成が変わってくる.しかし,たとえダメな先輩であっても運が悪いと失望 してはいけない.反面教師も教師の内である.ダメな先輩でも口答えは賢明ではない.先輩の言っていることが間違っていてもハイハイと従順な後輩であったほ うがよい.良かれ悪しかれ,先輩はタダで教えてくれるからである.


37.5℃以下は熱の内にはいらない.

 37℃前後の微熱を気にして来院する患者が多いが,炎症所見(ESRWBCCRPなど)が正常であれば問題はない.精神的ストレスだけで発熱をきたすことがある.習慣性発熱症もある.また月経前は体温が37.5℃ぐらいになるが,生理的発熱である.「平熱は低いのに,3.5℃の熱がある」という患者も問題はない.もちろん老人の脱水,甲状腺機能亢進症,貧血による発熱などには注意が必要だが,「はっきりするまで様子をみましょう,忘れた頃には良くなっていますよ」ですむのがほとんどである.


◎診断基準は診断の参考にすぎない.

  多くの疾患には診断基準が設けられているが,診断基準を暗記する必要はない.必要な時マニュアルを見れば分かるからである.また診断基準を満足することが イコール診断が正しいことではない,診断基準は診断の参考でしかない.診断基準は診断分類から派生した言葉で,多施設における疾患の比較研究のために設定 されたもので,当初は診断に利用する目的ではなかった.診断基準は診断する上で,感度と特異性の最も高い条件が示されているにすぎない.たとえば精神科の 患者がインフルエンザに罹患し蛋白尿と関節痛を示せば,全身性エリテマトーデスの診断基準を容易にみたしてしまう.つまり,多くの疾患の診断基準は感度90%,特異度90%前後であるが,このことは診断基準をもちいると10例に1例の誤診例が必ず含まれることを意味しているのである.


◎標準体重と栄養指導との関係.

   ヤセの大食いもいれば肥満の小食もいる.同じ食事のカロリーでもヤセもいれば肥満もいることは,全寮制の学生をみれば一目瞭然である.同じ食事量であっ ても便の量が皆が同じでないように栄養の吸収も違えば,年齢などによる基礎代謝も違っている.このように栄養指導をする際に標準体重からカロリーを計算す るのは非科学的なのである.標準体重はあくまでも統計上の目安であり,患者に標準体重を押しつけるのは医療側の自己満足である.標準体重は集団としての標 準と,個人の中での標準がある.糖尿病患者のカロリー制限を,標準体重×25 カロリーなどと画一的に指導して満足してはいけない.目標は標準体重に置くのではなく,今の体重の5%を減量させることである.そして最終目標は体重の10%を減量させるか,二十歳頃の体重まで減量させることである.無理な目標は空論に終わってしまう.


◎何の為の栄養指導.

  栄養指導をどんなに厳密におこなっても,退院後に不摂生であれば患者にとって何の意味も成さない.患者を教育する上で一番重要なことは,健康管理の主役は 自分であることを悟らせることである.それが出来ないのなら入院中の栄養指導は医療側の自己満足となる.栄養指導は大切と言いながら,病院で出す食事の量 は90 才 の老人も若者と同じである.また性別や体格に対して何の考慮もなされていない.このような現状において栄養士からあれもダメこれもダメなどの指導などは受 けたくはない.たとえば,クスリでコントロ−ル良好な高尿酸血症患者に栄養指導が必要だろうか.生体内で産生されるプリン体の量は食事に含まれるプリン体 の量の約3倍である.プリン体を完全に制限しても,尿酸値はせいぜい1mg/dl 位の低下である.暴飲暴食がいけないだけで,尿酸値が正常にコントロールされていればアルコールを禁止する理由はない.


◎塩分制限は意味があるだろうか.

 高血圧患者に対し一様に塩分制限を厳しく指導するのは正しいだろうか.高血圧は塩分依存性と非依存性に分類されるが,非依存性高血圧の患者に塩分制限は意味があるだろうか.高血圧の専門家は塩分制限が大切といいながら,塩分制限をしなくても,Ca拮抗剤,ACE阻 害剤,βブロッカーで血圧のコントロールがつくことを当然知っている.そして塩分排泄剤は過去のクスリとなっている.このことは,塩分制限は建て前であり 本音は何も考えていないのではないか.塩分の摂取増加が細胞外液を増加させ高血圧を発症させる機序は正しい.しかし,それは塩分制限しか効果的な治療法の なかった時代の病態生理学である.今日ではその病態を制するクスリがある.


◎クオリティーオブライフと食事制限.

   糖尿病に対しての食事療法は意味がある.しかし,患者にとって本当に食事制限が必要な疾患かどうかを真面目に考えないと,患者の一生を台無しにしてしま う.「何々してはいけませんか」と質問されると,オウム返しに「いけません」と答える医者が多いが,「いいですよ」と言う勇気がほしい.「肝臓が悪いから 油ものはいけません」と言われ,20年 も天ぷらを食べたことのない患者がいる.コレステロールが高いと言われ,タマゴ料理もステーキもやめ終戦前の食事を細々と取っている患者がいる.コレステ ロールが悪いと指導するなら証拠を数値で示さなくてはいけない.欧米ではコレステロール高値の患者が心疾患を合併する危険率は7-8倍で,日本では2倍程度である.この2倍という数値の解釈であるが,タバコによる肺癌の危険率が20倍であるからいかに微々たる数値であるかが分かる.タバコを嗜好品と喫煙している医者にコレステロールを責める資格はない.まして患者にステーキをやめさせる権利は絶対にない.


◎ 肥満患者はどうして痩せないのか? 

  それは食べながら痩せようとする根性がいけないのである.痩せることの基本は食べないことである.飽食の時代において王様気分の患者を奴隷のレベルに落と すのは容易なことではない.だから痩せる石鹸とか痩せる化粧品などの,努力を要しない商品が飛ぶように売れる.脂肪肝の患者を入院,安静などもってのほか である.脂肪肝はGOT<GPTTramsaminase の上昇をきたすが病気ではない.死なない程度の栄養で,死ぬほど運動させることである.また肥満患者の減量はまず体重の5%,次に10%を 目標とさせる.そして減量に成功したら,高望みはせずに体重の維持に努めさせることである.肥満者が減量すれば脂肪と筋肉の両方が減少する.そして減量か ら再び元の体重に戻った場合,筋肉は増えずに脂肪だけが増える.このような減量の失敗は危険である.減量に失敗するぐらいなら減量しない方がましである. 減量は簡単でも減量した体重を維持するのが難しい.

◎患者は家庭の医学を読んでいる.


  今は情報化時代で患者が自分の身体の異常について調べるのは当然である.またテレビでは健康相談が安上がりゆえにいつも流れている.医者にとって困るの は,情報過多に溺れた患者が家庭の医学の記載に過度に反応している場合と医者より病気に対し高い知識を持っている場合である.しかし安心するがよい.豊富 な知識を持っていても彼らは所詮医者ではないのである.単なるうわべだけの知識を持つ患者と,医学的知識を有機的に持つ医者とは根本的に違うのである.余 裕を持って対応すればよい.いつも思うことだが,家庭の医学を読んでほしい患者は病気に無関心で,読む必要のない神経質な患者ほど熱心な読者である.


◎誤解される医者の仕事.

   外来患者は医者の仕事は週数回の外来診療だけで後は遊んでいると思っている.深夜時間外の患者は,当直医は夜中ちょっと働くだけで朝になれば家へ帰ると 思っている.入院患者は,数分の回診だけで後の時間は暇を持て余していると思っている.このように患者は医者を暇な職業と勘違いしている.だから外来が忙 しくても同情もなければ,深夜でも風邪で受診する.そして病棟での長時間のムンテラも医者としてあたりまえと感謝もない.患者は10時間の手術に対し感謝はするものの,患者のために悩み考えていることやカンファランスに時間を費やしていることは,見えない部分だから同情はない.1分の診察の後に多くの時間を費やしてカルテを書いていることを患者は知らない.医者としての仕事の多忙さに同情はいらないが,少しぐらの理解がほしい.この理解がないから,医者が身を粉にして働いても医者としての尊敬がないのかもしれない.


◎顔をそむける患者.

  胸部聴診の際には注意が必要である.「はい深呼吸をしてください」と言うと,多くの患者は大きな息を医者の顔にモロに吹きかけてくる.相手に息をかけない ようにと,顔を横に向ける患者はこれまで数えるほどしかいない.息を吹きかける患者の無知に罪はないが,敵意を感じることさえある.「子供にカゼをうつさ ないためには,どうしたらよいですか」などとツバを飛ばしながら聞いてくる.世の中には相手を気遣うヒトの少ないことは分かっているが,つらいものであ る.世間のヒトは医者はカゼをひかないものと思い込んでる.


◎電話での対応.

 患者の状態についての電話の問い合わせは,相手が誰であろうと不用意にしゃべってはいけない.プライバシーの問題があるからである.「電話ではお話できません」と断るべきである.親戚,知り合いの場合は本人の承諾を得た場合のみOKで ある.事件との関係で警察からの問い合わせの際は,警察内の内線番号を聞き,こちらからかけなおすのがよい.患者のことで法的に届け出義務があるのは麻薬 中毒だけである.患者が酔っぱらい運転で事故を起こして受診しても警察に届ける義務はない.患者のプライバシーは重要で,医者には秘密漏洩の罪がある.本 人の承諾書を持たない生命保険屋に病状を喋ってはいけない.学校の先生や会社の上司から尋ねられた場合には本人の了承が必要である.本人の承諾なしに梅毒 に感染していることを妻に話すだけでも問題を引き起こす.梅毒感染をフィアンセに言えばどのような事態になるかは想像がつくであろう.


◎保険医療は学問とはまったく別である.

 保険医療に関した法令を列挙する.第19条「保険医は,厚生大臣の定める医薬品以外の医薬品を患者に施用し,又は処方してはいけない」,第19条の2「保険医は,診療に当たっては,健康保険事業の健全な運営を損なう行為を行うことのないよう努めなければならない」,第20条 のニ「各種の検査は,診察上必要があると認められる場合に行い,研究の目的をもって行ってはならない」.このように日常診療は法令の枠に縛られており,た とえ学問的に正しい検査でも,患者のための治療でも,保険医は保険外の行為をおこなってはいけない.この点が医療側に理解されていないことが問題となる. レセプトに引用文献などを付けることは,医者の無知のあらわれで,勘違いも甚だしいと笑われる.保険医療は契約医療であり学問とはまったく別という考であ る.医療を理解しない無知な役人に怒りを表す医者は,医者の無知を鼻で笑われているのである.悪法も法のうちであるが,純粋に患者のためにおこなう医者行 為が行政側から押しつけられるのは許せない.保険指導が原因で自殺をした富山の開業医の死を無駄にしてはいけない.だれも行動をおこさないのはなぜか.大 学紛争の闘士が今では病院のトップにいるのに行政の嫌がらせを恐れ何もいわない.正義は勝つとうい気骨を忘れてしまったのか.


◎医療の進歩を妨げる保険医療.

   腹腔鏡下の胆嚢摘出術や胃切除術は患者の侵襲を減らす画期的な外科治療であるが,保険で認められていないことを理由に当初は治療費の返済命令がだされて いた.現在では保険適応が認められているが新たな臓器に腹腔鏡下の手術を行う場合は当局の許可が必要とされている.このように保険で認められる治療は過去 の治療に限られており,最新の治療は患者のためであっても許されないのである.このような制度で医学の進歩はあり得ない.医学の進歩に追いつけない保険行 政の怠慢を医者に責任転化させることは許せない.新聞の医学記事では最新の治療と持ち上げておいて,その治療がうまくいかないと社会面で人体実験と非難す るのである.国民の健康を守るという医者の使命をさまたげてはいけない.


◎後ろ向き医療は医療ではない.

  米国の弁護士は ambulance chaser (救 急車の追跡者)と言われている.つまり救急車が行くところに起訴にいたる弁護士の仕事が転がっていると言う意味である.これは決して誇張した表現ではな い.米国では医者の収入の3割が医療訴訟の保険金になっているのである.訴訟社会の欧米では,産婦人科医が減少し,医療に嫌気がさした医者が廃業する傾向 にある.このような風潮は憂慮されるが,日本も欧米の物まねだからその傾向が起きつつある.もしこのような訴訟社会を恐れ後ろ向き医療になればいずれ医療 の衰退となる.学校でのプール事故のため夏休みのプールが閉鎖されるように,肺炎が治っても念のためと抗生剤を続けたり,正常分娩を帝王切開にしたり,腎 移植ができても透析のままにしたり,ベットからの転落を恐れ患者を抑制したり,リハビリでの事故を恐れて寝たきりにさせたり,このような医療になれば医療 の衰退である.医療訴訟は患者にとっても医者にとっても不幸である.


◎医者と医療訴訟.

   医療過誤が原因で医者が刑事事件になることはカリウム静注事件のような例外を除けばまずありえない.医者が故意に犯した過ちでなければ,医療行為はもと もと正当な行為だから訴えるのは全て民事である.患者側には訴える自由があるから,医療行為によって生じた不利益はすべて慰謝料や損害賠償の対象となる. 研修医が未熟のため生じた医療過誤に対しても経験がないことは理由にならない.未熟な医者を雇っていた病院に責任があるとされる.子供をあずけた善意の隣 人を,事故が起きると訴える時代なのである.いったん裁判となれば,結審までの煩わしさは大変なものである.誠心誠意をつくしても訴えられるが,それを防 ぐのは誠心誠意しかない.


◎死亡診断書.

  死亡診断書で重要なことは,患者名,生年月日,死亡時間について間違いなく記載することである.この記載ミスは意外に多い.患者名に自分の医師名を書き役 所から突き返された医者もいる.次に死亡原因を正確に書くことである.心停止,呼吸停止などは生理現象であり死亡原因ではない.心不全,呼吸不全も同様で ある.死亡原因の記載は生命保険との絡みで,問題になる.たとえば肝臓癌の場合,多くは20-30年 前の輸血が原因であるが,肝疾患を申告せずに保険に加入した場合には保険が下りない.金儲けが目的の保険業界は,ちょとしたことでも因縁をつけてくる.ま た家族もそれを知っていて手心を加えるように医者に頼み込んでくるかもしれない.医者にとって一番良い方法は,自分に面倒が及ばないようにすることであ る.診断書に嘘を書いてはいけないが,記載しないことは嘘にはあたらない.君子危うきに近寄らずである.死亡診断書の死因は直接の因果関係がはっきりしな ければ書かないことである.肝臓癌,肝硬変,アルコール性肝炎,サントリーと書けば家族はサントリーを訴えることが可能である.「死亡原因は生まれてきた こと」これは宗教文学である.


◎死体に換気する.

  死の判定は医者のみによってなされる医療行為である.脳死や心臓死が社会的問題となり目を吊り上げてシロかクロかを議論しているが,彼らはヒトの死を議論 できても死を宣告することはできない.何をもって死と判定するかは法律上の規定はなく,医者が個人の判断で死を決めるのである.脳死患者に積極的治療をお こなうことも,死体に換気するだけと人工呼吸器を外すことも医者個人の考えに依存している.医者はヒトの生死を決定する責務があるのに,世間が騒ぐのは 「日本人の死のあり方」の各自の考えの相違と,「臓器移植をおこなう医者」の信用性の問題である.医学教育では延命の方法しか教えないが,医学生には森鴎 外の高瀬舟を読ませ,ヒトの死を宣告する人間性をつちかわすことが大切である.


 

診療雑言集


必要なことは患者への対応を含めた医療全体に思想を持つことである.

 

   医者は宗教家でもあり哲学者でもある.医者にとって必要なことは教養を高め常に考える姿勢をもつことで,このことにより患者の信頼を得るのである.この 診療雑言集は正解のみを記したマニュアル本とは対極にある.ある医者の独り言を聞きながら,自己を反芻させ己を高めていく「自己との対話本」である.

 

◎命をあずかる.

  スチュワーデス,パイロットは客の命を預かるから給料が高いとされている.私たち医者や看護婦は患者の命を常に預かっているのに給料は安い.この矛盾は経 済活動の有無と,医療関係者の自己犠牲的奉仕精神に国と世間が甘えていることによる.医療関係者は常に感染の危険をともなっているのに,世間は医者の犠牲 はあたりまえと思っている.この両者の大きな給料の違いについて,誰もモノを言わないのはなぜか.医師会のお偉方や大学教授は,医者の社会的奉仕は当たり 前と世間にゴマをするより,もっと身内を大切にしなければいけない.医者の社会的地位と経済力は明らかに低下している.日本の医療を守る医者の将来は,統 制経済に抑圧されたまま暗い方向へ向かっている.


◎医者にとっては患者より家庭が大切である.

   多くの患者は医者にも家族がいることを忘れている.また休日に呼び出す看護婦も同様である.家庭が平和でなければ,良い仕事はできない.家庭の平和は仕 事場の活力につながる.休日に病院へ顔を出す医者は,医者として素晴らしいが,家族にとっては最悪の親となる.母子家庭である.どちらを選ぶかは個人の判 断であるが,カルテの記載がキチンとしていれば,当直医がみれないはずはない.むしろ当直医の判断の方が正しいこともある.患者のために時間外,休日まで 働くことを職業上の任務と自負するのはよいが,時間外まで働かせる医療体制が間違っているのである.体制側は給料も上げず,医者の使命感に甘えていること を忘れてはいけない.あなたもいずれは寝たきりになるだろう.その時,面倒をみてくれるのは家族だけである.そしてその時に初めて,家族のあなたに対する 評価が分かるのである.家庭は大切にしなければいけない.


◎医者の家庭は無医村地区.

  家族が病気になった時,その多くは自分の専門外であるから,生半可な言葉でその場をごまかし,いずれ良くなるだろうと考え失敗する.また真剣に考えたとし ても,身内ゆえに混乱して正しい判断ができなくなる.一番良い方法は自分で判断せずに,医者のプライドを捨ててすぐに病院へ行かせることである.笑い話で すんでいるうちはよいが,いつなんどき伴侶の身体に災難が起きるとも限らない.自然治癒力を待っていてはいけない.医者の家庭は無医村地区なのに,クスリ はそこら中に散らばっている.クスリを整理する嫁さんのためにもクスリの番号の記載された本を家庭に置くことも必要である.


◎医者の不養生.

   だいたいにおいて医者は不摂生である.自分の健康に無頓着な医者が多い.仕事は不規則,ストレスは貯まる一方で,医者の平均寿命は短い.そして「身を 削ってヒトを助けているのだから,きっと天国にいけるだろう」と自らを慰め満足している.ところで,「医者の不養生」という言葉は間違いである.その本質 は,世間でいう健康法など無意味で,病気は養生しても良くならないと,医者が密かに運命論者になっている姿である.医者も若死に坊主も地獄とは昔のことわ ざである.


◎医者は聖職である.

   医者はボランティア精神がなければ,やっていけない.医療は営利とはかけはなれた聖職である.聖職という奉仕の精神と,崇高なプライドを持つことは大切 であるが,その態度が時としておごりとして映ることが問題となる.どこまでも謙虚な姿勢が必要である.また社会は,医療ミスに対しある程度の理解を示すべ きである.医療ミスは医者であれば避けることはできないが,医療は経済ではなく奉仕なのだから奉仕のミスを責めるのは酷である.


◎病気を笑う者は病気に泣く.

   長い人生において病気にならないヒトはいない.今日,健康でも,明日も健康とは限らない.明日はわが身である.不幸な病気を背負った患者に同情しよう. 今日の健康は日頃から健康に留意していたからではない,日頃のおこないが良いためでもない.ただ運が良いだけなのである.世の中には宝くじを当てる幸せな ヒトもいれば,難病に倒れる不幸なヒトもいる.そして,両者の違いは,ただ運が良いか悪いかだけの違いである.


◎患者,先輩こそ先生である.

   教科書を漫然と読むのでは医学は頭に入らない.眼の前の患者から病気を学ぶことが大切である.まさに患者は生きる教科書といえる.患者の訴えを注意深く 聞き,観察することである.十分観察した上で教科書を読めば頭にひっかかりができ入りやすい.ヒトは学習する動物で,その知識の伝達が人類を進化させ,医 学も同様に発展してきた.このことは先輩から医学を学ぶことの重要性を示している.先輩,同僚の助言なしに医療を行うことは,研修医がジャングルの中で医 療を始めるのに等しい.なお先生という言葉は「先に生まれたヒト」つまり先輩という意味である.


◎白衣は聖衣である.

   白衣について考えたことがあるだろうか.白衣は汚れから身を守るためのものではない.白衣は「神の聖衣」を表している.宗教家不在の現代において,医者 は医療だけでなく,哲学者や宗教家でもある.そして,白衣を着た医者は神の使いなのである.だから白衣は清潔に,きちんと着なければいけない.ところで, 裁判官の黒服は犯罪者にとっては悪魔を意味する.裁判官も白衣を着ればよいと思う.裁判官以外で黒いマントを着ているのはドラキュラだけである.


◎相対性理論とモナリザの微笑み.

  アインシュタインの相対性理論を数式で理解することができても,「モナリザの微笑み」を文章で表現することは不可能である.これと同様に医学には教科書を 読んで理解できる医学と,理解不可能な医学がある.前者の代表が公衆衛生をはじめとした基礎医学で,後者には臨床医学のほとんどが含まれている.皮膚科領 域を先頭に,百聞は一見にしかずである.このように臨床教育は教科書を読んでから患者を診るのではなく,患者を見てから教科書を読むのである.また「医の 倫理」を医学部の教養課程で教えても意味はない.「医の倫理」は患者を前にした卒後教育でおこなうものである.


◎医者と占い師の違いは科学的根拠の有無にある.

  病気は予後の良いものと悪いものに分けられる.そして,患者が知りたいのは疾患の種類と予後である.しかし,医学の教科書は診断学に重点が置かれており,予後についての記載は少ない.風邪ひとつにしてもいつ治るのか正確に言い当てられる医者はいない.また胃潰瘍にH2ブ ロッカーを投与した場合,翌日には半数以上の患者で症状が消失することを臨床家は知っているが教科書には記載がない.予後の記載が少ない理由は,予後の研 究ほど難しく根気が必要なものはないからである.疾患の予後の明らかでないものは,医者も占い師と同様にはずれても罪はない.


◎聴診器は飾りではない,また司祭の道具でもない.

  聴診器は医者の象徴的器具である.最近では心弁膜症患者の減少のため,また超音波検査という新兵器の登場により,聴診器の心疾患における価値は低下してい る.しかし,聴診器は医者のネックレスではない.ましてや臨終の際の司祭の道具でもない.聴診器の今日的意味は,患者の心をうかがう道具なのである.医学 が進歩すればするほど患者との人間的接触が少なくなる.医者はこの聴診器を捨てるわけにはいかない.


◎世間にこびる教授は医者の敵.

  医者の最高峰である教授でも,デ−タの捏造や色情魔はいる.周囲を見れば,非常識な教授ばかりである.この連中は困った存在であるが,もっと悪質な教授が いる.学会で認められていない自説を世間に対し無責任に述べる教授である.一般人が医者の最高峰と思い込んでいるだけに始末が悪い.日常の診察において新 聞の切抜きを持ってくる患者がいるが,その間違いを指摘するのに下っ端の医者がどれだけ苦労しているか,困ったものである.胃潰瘍のすべて原因はヘリコバ クターピロリーで治療は抗生剤であるとか,C型肝炎の治療で,あたかもすべてのC型肝炎にインターフェロンが効くように宣伝するたぐいである.ところで, 嘘を宣伝する教授は多いが,医者の経済的困窮を述べる教授はいない.教授は医者の見方ではない,悲しいことである.医者には医道審議会という組織がある が,医者の言動に対しても審議して欲しい.


◎本当の意味でのインフォームドコンセント.

   板前の腕が違えば当然味も値段も違う.医者の腕も経験と修行により当然違っているが,患者は病気についてはインフォームされるが医者の腕に関してはイン フォームされない.本屋には全国の名医などの本が出ているが,所詮学会名簿を見て作ったリストだから学問的であっても臨床の腕はまったく別である.特に外 科系では老眼の教授より講師の方が腕は上である.年に数例の手術をする心臓外科医よりも数十例の手術をこなす心臓外科医の方が当然腕は上なのに,値段も手 術の説明も同じである.医者の顔に「ただいまの誤診率20%,患者の信頼度60%」,「検査中の死亡率全国平均1%,自分がやれば0%」 と書いてあれば良いのだが無理な注文である.患者には自分の病院での治療を勧め,自分が病気になれば他の病院に入院することなどは本当のインフォームドコ ンセントをおこなっているとは思えない.患者が本当に知りたいのは医者の腕と信頼度であるが,患者は医者の腕を評価できないから,誠意の有無で医者を判断 する.つまり腕の良し悪しに拘わらず医者は誠意を持たなければいけない.


◎ 統計で嘘をつくことができる.

   統計は科学的,客観的な手段で推論の正しさを検定する方法である.しかし,統計の用い方ひとつで嘘をつくこともできる.マスコミは統計の結果だけを信じる から,その嘘に乗ってしまう.問題はどのような対象を選び,どのような統計処理をおこなったかである.一流の医学論文でも統計処理に間違いがみられる.医 学論文の読み方は,どこに間違いが隠れているかをレフリーになったつもりで批判的に読むことである.示されたデ−タをみて,筆者の結論がみちびきだせるか が問題である.またデ−タをみて差があるものは統計処理をしなくても有意差はある.逆に一見して差の無いものは,有意差ありと書かれていても,いずれ消え 去る論文と考えてよい.一読した読者の直感の方が正しい場合が多い.また注意が必要なことは,論文は最新の情報を与えてくれるものの,内容を無批判に信じ ると大きな間違いをする.有名な論文が捏造された真っ赤な嘘であることもまれではない.捏造が起きる背景には研究者の出世欲が絡んでくるが,あまりに論文 が有名になると追試をされてばれてしまう.また最近では前向き研究(prospective study)がさかんに行われているが,大規模研究は追試が困難だからその研究の信頼性は研究者の良心に関わってくる.日本の大規模研究が世界的に認められないのは,ひとえに信頼性の問題があるからである.


◎有意差は有意でない.

     ウ サギの耳にタールを塗る実験は,誰の目にも発ガン性が明らかだから統計は必要ない.一方,タバコと肺癌の関係は,関連性が明らかでないから多数例を用いた 統計が必要となる.日本人の身長と欧米人の身長は,差が歴然だから統計は必要ない.日本人と中国人の身長は,差がはっきりしないから統計が必要となる.こ のように統計は差の明らかでないものを対象とするから,有意差があっても有意差に意味があるかどうかは別問題である.クスリの効果が統計上有意であって も,実際に使って効果を実感できないのはこのことに起因する.統計は科学上の手段ではあるが,重要なことは感覚的な手応えとして差があるかどうかである.


◎癌が消えた,リウマチがなおった.

  新聞の広告にこのような記事が載ることがある.癌が消えたり,リウマチがなおったという宣伝は,まったくの嘘か,何もしなくても治ったのか,最初の癌やリ ウマチが誤診だったのか,いずれかである.民間療法のほとんどはインチキであるが,良心的なインチキか悪質なインチキかを見分ける方法として,高い金をと るようであれば,まず金儲けが目的で,病気という弱みにつけ込んだ大悪人と考えてよい.逆に金銭を取らないものであれば,宗教などの裏があるかもしれない が試すことは悪くはない.患者は治りたい一心でオシッコまで飲んでしまうのである.もし民間療法に良心があるのならば,そのデータを公開するか,第三者に 有効性の検討をゆだねるべきである.


◎科学の嘘.

  “なぜ母親は乳児を左手で抱くのであろうか”という論文が,サイエンスに登載されたことがある.論文では「母親が乳児を左手で抱くことは,心音を乳児に聞 かせることになり,母と子の絆を強くするための動物的本能である」と結論づけていた.しかし,子供を持った母親であれば当然この答を知っている.つまり, 母親の多くは右効きであり,子供を左手で抱きながら仕事,育児をしなければいけない必然性のためである.このように真面目に考えても,間違った答えを科学 者はするのである.


◎犬の医者ではいけない人間ドック.

 人間ドックは健康の維持や病気の予防のためというが,その内容はお粗末である.美名の根底にあるのは卑しい金儲け主義で,それが医療費抑制 の 国の方針と一致しているから始末が悪い.人間ドックの利用により,寿命に差があるというデータはない.むしろ有害というフィンランドの報告さえある.フィ ンランドの報告は,検診において健康指導をするグループとまったく指導しない2つのグループに分け両者を比較すると,指導しなかったグループの方が長生き だったのである.この両者の差は,良かれと思って健康指導することは患者にストレスを与え短命にさせる危険性を物語っている.また人間ドックの有用性をい うのなら,医者や医療関係者の人間ドック受診率を調べればよい.誰も受けていないはずである.さんざん調べておいて少しでも異常値が出ると「専門の病院で 検査を受けてください」と言うだけである.金儲けの人間ドックにとって誤診だけが恐いのである.だから何でもかんでも,紹介状もなく病院へまわしてくる. 人間ドックを終えたばかりのヒトが急死しても何も驚きはしない.検査だけの人間ドックにうつ病などの診断はできない.心電図よりも10倍以上重要な直腸診をしないのは病気を見つけても受診率が下がるためである.病気の予防に必要なのは人間ドックではない.病気に気づく患者の啓蒙である.なぜ義務教育に医学や病気学がないのか不思議である.今の義務教育に必要なのは病気学と税金学である.


◎良質のタンパクと良家のお嬢さん.

   食事療法の本には「良質のタンパク」を取りなさいと必ず書いてあるが,「良質のタンパク」とはなんであろうか.タンパクに良質も悪質もないと思うが,そ の根拠はなんであろうか.いろいろ調べてみたが分からない.結局,「良質のタンパク」とは科学用語ではなく,「良家のお嬢さん」と同様に文学的表現と考え るのが妥当である.科学者として「良質のタンパク」などの言葉を使うのは情けないと思うが,それだけ栄養学の分野は遅れているのだろう.このように曖昧で 意味不明の医学用語には注意が必要である.


◎美人の遺伝子と寿命の遺伝子.

  「美人薄命」はあまりに有名なことわざであるが,本当だろうか.美人は生涯美人であるとはかぎらず,いずれ老醜を呈することより美人の期間が短いという 説.美人はヒトから惜しまれることより寿命に差がなくても短命と感じられるという説.かつての結核は色白く普通のヒトでも美人顔にみえたという説.美人に 対し神様が嫉妬しているという説.どれが本当か分からないが,もし本当であれば「美人の遺伝子」と「寿命の遺伝子」とは互いに関連性を持つことになる.ヒ トとチンパンジーの遺伝子は1%の違いといわれている.美人と普通のヒトとの違いは皮一重であるから,その遺伝子上の違いは0.01%もないだろう.「美人の遺伝子」が分かれば「寿命の遺伝子」の同定も夢ではない.


◎言い伝え.

 「風邪の時には風呂に入ってはいけない」,「風邪はクスリで早めに治した方がよい」,「風邪には安静が必要」,「肩を冷やすと風邪をひく」,「鰻と梅干しの食べ合わせ」,「満潮にヒトが生まれ引き潮にヒトが死ぬ」,「妊婦の顔がきついと男,優しいと女」,「100回しゃっくりをすると死ぬ」,「小便はキズにきく」など多くの言い伝えがある.しかし,それらの真偽について正しい回答を持つ医者はいない.昔からの言い伝えの真偽について科学的回答が欲しいが,学問的評価が低いためか誰も研究をしない.


◎血液型と性格.

  血液型による性格判断は日本だけである.多数の大学生を対象に,相手の性格から血液型を言い当てる実験がおこなわれ,血液型と性格は統計的にまったく無関 係と結論がでている.血液型と性格との関係は別にしても,相手の性格を見抜くことはかなり難しい.自分の性格ですら分析できないのに,相手の性格など分か るはずがない.血液型と性格は日本人のたわいのないお遊びである.ところで,世間の9割のヒト達は,自分は人並み以上にユーモアがあり,頭は普通以上と信 じていることを付け加えておく.


◎非論理的異常を理論的に考える.

   ヒトの身体は不思議である.理屈で説明できないことが多くある.交通事故をきっかけに慢性気管支炎の症状が消失したり,クスリを中止したら症状が良く なったり,退院日に急死したり,このような非論理性が患者の周囲をとりまいている.しかし,この非論理性に対し,医者は常に論理的思考を維持しなければい けない.患者の持つ不可思議さに対し医者は運命論者にありがちな無力感に陥ることがある.しかし自らが科学者であることを自覚し,論理的思考を維持しなけ れば,総てがいい加減になってしまう.漠然と流されながらの医療になってはいけない.医者の持つ考えが正しいかどうかは問題ではない.考えを常に持ってい るかどうかが重要なのである.患者の病態をどのように考え,どのような根拠で治療をしているかが大切である.患者の1例1例が常に理論的真剣勝負であり, 理論性を高めるのが知識といえる.


◎ヌーディストクラブはくる病予防のため.

  くる病は脂溶性ビタミンDの欠乏が原因である.脂溶性ビタミンDは,紫外線の作用を受けたプロビタミンDからつくられるから日光浴が重要となる.太陽をき らってビタミンDを買い求めて余分にとると腎障害をひきおこす.自然の力は偉大である.男性週刊誌をにぎわしたヌーディストクラブは,短い日照時間をよぎ なくされる欧米人の知恵といえるが,今日では皮膚癌の危険性があり,ヌーディストはトレンディとはいえない.


◎日本人の名前がついている病気.

  日本では野口英世や北里柴三郎の名前は子供でも知っているが,欧米ではまったくの無名である.欧米人の医師が知っている日本人医師は高安氏,川崎氏ぐらいである.そして,歴史上世界で最も有名な日本人医師は荻野博士であろう.彼は「排卵は次の月経の12-19日前である」ことを発見し,避妊法として世界のだれもが世話になっている.日本で開催される学会は1年間に百以上である.学会では必ず外人の講師を招いて招待講演をおこなうが,日本人が外国の学会に招待されたことはあまり聞いたことがない.このように,日本の医学を支える医者達の国際的評価は低いのである.若い医者達は第2の荻野博士を目指さなくてはいけない.


◎冷え症は病気か体質か?

  冷え性,めまい,だるさ,立ちくらみ,肥満,ヤセ,下肢の浮腫,歯みがき後の悪心などは病気だろうか.訴える症状が病気かどうか,治療が必要かどうかは医 師の判断にゆだねられる.健康でないことと病気であることはイコールではない.病気でなければ,クスリなど処方すべきではない.病気と考えればクスリを処 方し,効果があれば一生クスリをのむことになる.しかし患者にとっての長期投薬は,一時的満足を与えるものの決して患者のためにならない.


◎週休2日なんて信じない,禁酒のみである.

  アルコール性肝障害の患者に週休2日の休肝日などできるはずがない.酒飲みを甘くみてはいけない,また甘やかしてはいけない.アルコール性肝障害は絶対に 禁酒のみである,病院経営を考えクスリなど処方してはいけない.禁酒ができなければ病院に通わせてはいけない.糖尿病患者も安易にクスリを処方してはいけ ない.何と言っても食事と運動である.病院の質をはかる簡単な方法として,その病院の糖尿病外来を見に行くのがよい.糖尿病外来に並んでいる患者の肥満度 により病院の質が分かる.


◎医者に過労死はあり得ない.

  仕事上のストレスが原因で心筋梗塞などの疾患で死亡した場合を過労死という.しかし,過労死という言葉は医学事典にも医学図書館の本にものっていない.過 労死は医学用語ではなく,労働省がつくりあげた法律造語だからである.仕事で死ぬなどあり得るだろうか.死んだ時が偶然仕事の最中だっただけだと思う.過 労死に関する問題は,残された家族の金銭的問題が大きい.過労死うんぬんを問題にするより,過労を強いらせる会社の責任と,死亡した勤労者の保障をどうす るかを議論すべきである.過労死を勤務中の事故である労災と同じレベルで扱うことがそもそも間違いのもとである.過労死は働く者全員が対象ではない,非管 理側つまり上から無理に働かされたという形式が必要となる.たとえば,総理大臣が仕事中に死亡しても過労死ではない.研修医は正職員ではないし,他の医者 の多くは経営側であるから医者の過労死はあり得ないのである.


◎コレラで死ぬことはない,法定伝染病だから騒ぐのである.

 コレラなんて屁でもない,前世紀の病気である.コレラ患者一人に大騒ぎをするのは,お祭り好きのマスコミと暇をもて遊んでいる厚生省が一般人の無知につけこんで騒いでいる現象である.病気は時代とともに変化するが,この変化に法律が追いつかないのである.コレラよりC型肝炎の方が何倍も恐ろしいことは,医者の常識であっても社会の常識ではない.また法律に対し医者にも責任がある.ライ病は抗生剤の治療が可能なこと,感染性がほとんどないことは30年前からの医者の常識であった.しかし,患者を隔離するライ予防法は最近まで生きつづけたのである.また明治30年に設定された伝染病予防法は今でも生きている.


◎ドクターショッピング.

  保険制度のおかげで,日本人は毎日のように病院を変え受診することが可能である.次から次へと病院を変えることを趣味とする患者がいる.彼らは自分の症状 が良くならないのは,病院のせいであり,名医に巡り会えば自分の病気は治るものと思い込んでいる.このような患者は不幸である.日本では病院の違いによる 診断能力の差はほとんどない.他の病院で診断のつかないもの,治せないものは病院を変えても無駄なことが多い.病院を変えることは患者の自由だが,医療側 の患者に対するやる気を削ぐことになる.


◎医は人術.

  教科書に載るような典型的な症状の患者がいるとしたら学会で報告できる.ヒトをとりまく環境が違うように,病気もヒトそれぞれである.また,患者ひとりひ とりは,性格も違えば社会的立場も違う.患者背景を考慮しながら医者は対応するわけだが,その対応は病気以上に困難なことが多い.毎日が人間という患者を 相手にした応用問題である.医は仁術でも算術でもない.医は人術である.


◎病院の外で傷ついたヒトがいたら助けるのが医者の道.

  医者たるもの,病院の外で困っているヒトがいたら助けるのが当然である.しかし,もしその行為に問題が生じた場合は,善意の行為であっても責任を問われ, 運が悪ければ裁判で負けることになる.「困ったヒトを助ける」という優しい心を奪ったのは,個人の権利しか考えない石頭の裁判官である.裁判官は罪を罰す るためにあるのではなく,社会正義を守りよりよい社会をつくるためにあることを忘れている.権利をがなり立てる者は強く,良識ある市民は社会の隅で他人と の関わりをさけるようになる.このような風潮は残念であるが医者としての良心を持っていれば,病院の外で傷ついたヒトを助けるのは当然のことである.川で 溺れた子供を助けようと川に飛び込んだヒトの犠牲が話題になるが,医者としての力量は,その場で瞬時に川に飛び込めるかどうかである.


◎男性は女性より多く生まれ,早く死ぬ.

  男性の出生数が女性より多いのは,Y染色体を含んだ精子がX染色体を含んだ精子より軽いため早く卵子に到達するからである.女性の平均寿命が男性より長い のは,X染色体がY染色体よりも大きいためである.何となく説得力がある.しかし,医療関係者に女の子が多いのは,X染色体がY染色体よりも放射線障害に 強いため,という説明は本当とは思えない.いずれにせよ,このような説明を思いつくことは楽しい.


◎器質的疾患より機能的疾患.

  病気は器質的疾患と機能的疾患とに大別できる.昔の内科医は「クスリのさじ加減」という言葉が示すように機能的疾患を得意としていた.しかし最近では,検 査に異常を示さない機能的疾患は,内科医にとって苦手中の苦手である.機能的疾患者は頻度が高いにもかかわらず,科学的根拠を欠くことから系統だった医学 教育はなされていない.自律神経失調症,心臓神経症,不定愁訴,心気症,仮面鬱病などは心療内科の分野と考えがちであるが,本当は最も内科的な疾患であ る.内科医は内視鏡などの検査が日常的になり外科医により近づいてきた.しかしその反面,内科医の本来の分野である機能的疾患がなおざりになっている.こ の内科医の姿勢は,すべてを科学的に説明しようとする近代医学の欠点といえる.

◎患者の英語訳はPatients,すなわち耐えるヒトである.


  患者は病気に耐えるだけでなく,医療システムにも耐えなければいけない.3時間待って3分診療というが,これは医療システムが悪いからである.医者の説明 が不十分との不満が多いが,3分間で何を説明しろというのか,不可能である.この批判は医者が悪いわけでも病院が悪いわけでもない,医療システムが悪いの である.外来は昼飯抜きの2時や3時は当たり前,ベットは満床なのに病院は赤字である.総ては厚生省が考える医療構造の欠陥が原因であるが,その改革をい う医者がいない.患者はこのシステムの中でよく耐えていると思うが,患者は病気を人質にとられただ耐えているのである.


◎医学の進歩は医者以外の人達によってつくられた.

  患者の前でいばっている医者がいるが,医学が進歩したのは医者が偉かったからではない.医学の進歩は,クスリの開発,検査の進歩のたまものである.また平 均寿命の改善や患者の健康は経済の発達にともなう環境改善による.「自分は心電図の大家だ」と自称しても,心電図をつくったヒトが偉いので,その医者が偉 いわけではない.「いいクスリがありますよ」と言っても製薬会社が作ったクスリをそのまま処方しているだけである.すばらしいクスリや検査であっても,医 者が使わなければ商売にならないから,企業が医者をおだて,医者は自分が偉いと馬鹿な勘違いをする.医者は学会で偉そうに発表しているが,そのほとんどは 検査やクスリの効果であり,他人のふんどしで仕事をしているのである.


◎教授が病気になる時.

  教授が病気になると,「初めて患者の気持ちが分かった」などの体験談を言うが,情けないことである.これほど恥ずかしいことはない.この言葉は患者の気持 ちの分からない教授がいかに多いか,またそのような教授を周囲が何の疑問もなく許してきたかを意味している.さらに学問に疲れた教授が周囲からおだてられ 「医療の心」などの講演をするのは間違っている.患者の気持ちを1番理解しているのは開業医や市中病院の医者なのである.研究と臨床は相反するものであ り,医療の心を知らないから教授になれたことを本人は忘れている.


◎耳をダンボにして耳学問.

  多くの医者は,必要と思う時に勉強し,不安な時に他人の意見を聞こうとする.しかし,それは泥縄方法である.知識は多ければ多いに越したことはないが,ほ とんどの医者は国家試験に合格すると勉強の習慣を忘れてしまう.もともと勉強が好きなヒトは少ないから仕方ないが,ここに耳学問という有効な手段がある. 医局のソファーに腰を沈め,同僚の話に耳を傾ければBGM の ように知識が入ってくる.医者同士の会話はほとんどが患者を中心とした病気の話であるから,耳をダンボにするだけで知識が入ってくる.医局で行われる抄読 会は耳学問そのものである.論文ひとつにしても,自分で読むより読んでもらう方が何倍も楽である.自分が喋る番になれば,喋ることで情報が整理され,頭の 中で復習を繰り返すうちに知識として蓄えられることになる.知識をみんなで分け合うことである.机の上だけの勉強では,ピント外れの知識になってしまう. 自分の机に向かうのは同僚がゴルフの話題に移った時である.


◎薄利多売の医療は厚生省の陰謀.

  医療費全体が抑制され,医療機関は生き残りに必死である.売り上げを上げるため,必要もないのに検査,クスリである.病院間の競争は医療の向上をめざして の競争ではない.医療サービスの向上も患者を思う純粋な気持ちからではない,サービスをしないと患者が離れてしまうからである.これらの行為は医療機関が 患者を奪い合う浅ましい姿で,少ないパイを奪い合う病院同士の共食い合戦である.総ては厚生省が考える医療構造の欠陥が原因であるが,その改革をいう医者 がいない.高齢化社会に向けての医療費抑制などと言うが,まやかしである.医療費は国民総所得の6.3% と言うがパチンコ産業と同じくらいの額である.国民1人当たりの医療費は先進国の中で最低であることを国民は知らされていない.平均寿命が世界一であるこ とと医療水準の高さとは直接結びつかないにしても,乳幼児の死亡率が世界最低であることは日本の医療が世界最高である証拠といえる.国民も医者もみんなだ まされているのである.医者の初診料が床屋の半分以下に押さえられているのは日本だけである.医療は営利を追求してはいけないとされているが,日本の医療 の80%が私立経営に依存しており,倒産の危機を前にして病院がまともな医療などできるはずがない.日本医師会は何をしているのか.かつて保険医総辞退の事件があったが,日本医師会のお偉方は責任をとって自らの総辞退が必要である.武見太郎は偉大だったと思う.


◎患者の不当な訴えは犯罪である.

  入院する時は日を選ばないのに,退院の時には「大安がいい」とごねる患者が多い.土曜日の吉日は結婚式と同様に退院患者が多くなるが,それを許す風潮が医 療側にもある.しかし,これは患者の勝手以外のなにものでもない,許してはいけない.医者が退院を決めた日が退院日なのである.「あと3日入院していれば 保険がおりる」,「発症日を保険の加入日以後にしてくれ」などという患者の言葉は,絶対に受け入れてはいけない.それは犯罪である.警察に「事故証明の日 時を変えてくれ」と言うヒトがいないのに,患者が無理を頼んでくるのは患者が困っているからではない.医療側を軽く見ているからである.医者が診断書を求 められれば診断書を書く義務があるが,患者の希望することを書く必要はない.正直に「休む必要はありません」と書けばよい.


◎安静は医者の迷信.

  入院患者の安静度をきびしくするのは問題である.人間は動く物,すなわち動物である.ベット上での安静は必ずしも肉体的安静にはならない.耐えがたき精神 的ストレスを与えるだけである.肝炎,腎炎が安静によって改善するという証拠はない.増悪する患者は安静にしていても増悪するし,改善する患者はハードに 動きまわっていても改善するのである.要するに疾患の病型により進行が決まっているので,安静によりその予後が変わるものではない.安静が必要な患者は, 医者が指示をしなくても安静にしている,これが人間の本能である.心筋梗塞でさえ欧米での入院期間は1週間である.QOLを抑え心臓の負担を軽くすることが心臓の治療と思っていた時代は終わった.安静は,安静しか治療法のなかった時代の迷信である.結核患者をサナトリウムで静かに寝かせておいた時代の迷信である.迷信を信じ,患者を風呂にも入れさせない非科学的医者が多すぎる.


◎病院食は病気を良くするのか,悪くするのか.

  病院食は予算が決まっているから美味しいものが食べられない.美味しいものが食べられないから元気がでない.治療食は治療の一貫として貢献度が高そうであ るが,糖尿病などの例外を除けばその有用性は低い.患者の食べ残す量をみれば,食事療法を真面目に議論するのも無意味と分かる.大切なことは食事の成分で はない.患者の食欲を増進させ,気力と体力を回復させる食事である.病院食の大きな利点は,規則正しい生活習慣が得られること,退院したがらない患者を減 らすことである.基準給食は持ち込みが禁止されている.よけいな行政のおせっかいであるが,幸いなことにこの規則を知るヒトはいない.医療用食品は栄養水 準を保証した加工食品であるが,その効果はドッグフード以下と知りながら,医療用食品加算があるので用いられていた.


◎アメであやつられる病院給食.

 入院患者が支払う食事の値段は1日600円で全国定額であるが,病院が患者の給食から得る収入は別に隠されたアメがある.栄養士がいる病院では1900円,それ以外は1500円が加算されるのである.糖尿病食,腎炎食など治療を目的としたものは350円,夕食を6時以降にして保温してだせば200円,病院に食堂があれば50円,選択メニューでは50円.このように診療報酬による加算が決まっている.適時適温とか選択メニューにするのは患者にとって喜ばしいことであるが,病院側の改善する動機が不純なのが気にくわない.


◎医学は統計であるが,医療は個人別のものである.

 喫煙者の肺ガンの危険率は非喫煙者の約20倍である.このことを多くの人達は知っているが,その本当の意味を知らない.肺ガンの危険率は疫学調査によるもので,喫煙者10万人の中で肺癌になったのが約200人,非喫煙者10万人の中で肺癌になったのが約10人という報告による数値である.喫煙者が肺癌になるのは確かに多いが,視点を変えると,肺癌にならないヒトは99800人と99910人でありその差は1%も ない.このように数字の二面性を医者は直感的に知っているから,医者の喫煙人口が減らないのである.タバコでさえこのありさまだから,危険率数倍などとい う数字は屁にも値しない.ところで,医学は科学であり統計上の数値が大切であるが,医療は個人個人が別々の独立の事象であることを忘れてはいけない.一つ の疾患でも患者によって病態はまるで違っている.集団の統計値は参考値でしかない.集団でえられた医学は個人の前では無力となる.手術で事故のおきる確率 が0.1%であったとしても,事故の起きた当人にしてみれば0.1%ではなく100%なのである.どんなによい治療でも,治療中に患者の命を縮めることになれば,結果的には最悪の治療になる.


◎新聞記事に気をつけよ.

  いつものことであるが,医学的発見が新聞紙上をにぎわしている.特に学会前になると騒がしい.しかし,「これで癌がなおるかもしれない」という記事はもう 何十年間も繰り返えされ食傷ぎみである.これらの記事は,嘘でないにしても読者を裏切ってきたことは事実である.新聞が取り上げる医学記事の半分は間違い である.また正しい記事であっても読者が期待する価値はほとんどない.新聞記事は研究者の自己宣伝と,その場かぎりの誇大解釈より成り立っている.情報の 過大評価と誇大妄想が一般読者を惑わしているのである.新聞に書かれている何パーセントが嘘であるのか,調べでみるのもおもしろい.ところで,嘘だらけの 健康雑誌の広告などを堂々と載せている新聞の姿勢をみれば,社会正義にはほど遠い利潤追求の会社であることが自ずとわかる.


◎遺伝子の力.

  病気の中で最も多いのは遺伝子病である.流産の頻度が2割で,そのほとんどが染色体異常である.この自然淘汰を克服した新生児でも全体の3%になんらかの異常があるとされている.さらに成人病のほとんどは加齢という遺伝子プログラムの過程における異常といえる.分裂病や全身性エリテマトーデスの一卵性双生児の一致率は8割以上であることはよく知られている.色盲や網膜芽細胞腫など数え切れないほどの遺伝子疾患があるが,正常人は発現しないだけで誰もが平均8個 の劣性遺伝子を持っているとされている.このように考えると,遺伝子の力を考慮せずにものごとを考えるのはむなしくなる.自分の顔が両親に似ており俳優に はほど遠いことを誰もが自覚している.しかし,テレビの内容が小学生並であることを知らないから,頭だけは人並み以上だと悲しい勘違いをしている.遺伝の 力は偉大である.


◎時間が人間を偉くする.

  どのような高尚な宗教家でも,死ぬ時には,生に対する執着と,死に対しての恐れを同時に持っている.しかし,平均寿命を越えた日本の女性は,生に対する執 着も,死に対しての恐れも少ないようである.長生きを恥と思っている老婆さえいる.「死ぬ時がくれば死ぬだけ」と自然に死を受けとめている.哲学も宗教も 知らない老婆が最も悟りを開いているように思える.老婆の生死感を学ばなければいけない.老婆は年齢とともに自然に枯れてゆきながら,そして仏に近づいて ゆくのかもしれない.


◎狼少年とコンドーム.

  エイズの予防としてコンドームの使用が啓蒙されている.日陰者のコンドームがエイズのおかげで太陽の下を歩けるようになった.しかし,避妊を目的としたコ ンドームの使用法と,病気を予防するための使用法とは違いがある.予防のためには挿入前よりコンドームを付けていなければいけない.射精時のみの避妊を目 的としたコンドームの使用では意味をなさない.このように,エイズを予防するのはコンドームだけでは不十分であるがそこまでは教育されていない.肝心なこ とは性感染症の恐ろしさを教え,不特定多数者との性行為をやめることであるのに,声を揃えてコンドームの大合唱である.日本人のエイズのほとんどが薬害エ イズなのに,厚生省もマスコミも薬害エイズの存在を隠すかのように声を揃えてコンドームである.問題をすりかえた厚生省もマスコミも狼少年と同じである. もう誰も信じるものはいない.


◎癌も老化も不治の病である.

  病院で亡くなる患者の5割以上は癌死である.また高齢化社会を反映し,老化を基礎とした疾患による死亡が増えている.癌は不治の病であり,老化は不治の生 理現象である.この不治の状態に対する医療が終末医療と考えられる.ここで大きな問題がある.不治の病になぜ治療が必要かということである.医者にとって も,患者にとっても,家族にとっても,治療をしないで放置することはつらい.しかし,いかに高度医療といえども不治の病を治すことは不可能である.枯れ木 に水を注いでも無駄なことを知っているのに,ヒトの場合は1分でも長生きをさせることが使命と思っている.医者の使命は生命を守ることであるが,不可逆性 の末期の状態の時は生命の尊厳を守ることである.無駄な治療を止める時期に,今はきている.人間の尊厳を損なうような治療はすべきでない.まして患者急変 の場合,家族が来るまで心マッサージを続けることなどは誰も望んでいない.

◎癌や寝たきり老人は難病ではない.

  一般的に難病とは不治の病をいうが,国の難病対策には癌や寝たきり老人は含まれていない.奇異ではあるがわけがある.国の難病対策の柱は患者の自己負担分 を公費でまかなうことであるが,癌や寝たきり老人あるいは慢性関節リウマチなどの患者数の多い疾患を含めてしまうと財源がパンクするからである.現在,全 身性エリテマトーデスや強皮症など30数種類の疾患が特定疾患として指定されているが,その8割以上の患者は普通のヒトと同じように生活をしているのに治療費はタダである.


◎眠れぬ夜はつらい.

  睡眠薬は自殺,犯罪などの悪いイメージが強い.また「使っているうちに効かなくなって,最後に中毒になる」,「量が増えてぼけてくる」と思っている患者が いる.医者にもバルビツール系睡眠薬のイメージがあって処方を躊躇してしまう.しかし,眠れないと悩むよりは,眠れないと酒に頼るよりは,睡眠薬を内服す るほうが身体のためによい.眠れない時のクスリが睡眠薬なのだから,糖尿病にインスリンを投与するのと同様に不眠には睡眠薬である.「眠れなくて死んだヒ トはいない」,「気づかずに寝ているはず」,「もともと睡眠時間が少なくてよい」などの言葉は慰めになっても解決にはならない.入院患者の3人に1人は不 眠に悩んでおり,通院患者の1割は不眠症である.こうなると不眠症は高血圧と同じ日常的な症状となる.不眠の原因は様々でうつ病などの精神科領域の疾患を 除外しなければいけないが,ほとんどは「病的不眠」ではなく「だだの不眠」である.深く考える必要はない.具体的には,不眠を訴える老人には軽い抗不安剤 で十分なことが多い.超短時間型のハルシオンは反跳不眠,健忘,耐性があり使いずらい.1剤で効果があれば「だだの不眠」,効果がなければ「病的不眠」と 考えクスリを増量せずに精神科へ行くように指導すればよい.注意すべきことは眠剤のみならずセルシンでさえも歩行障害をきたしたり,日中の精気を失う老人 がいることである.面白いことであるが,痴呆老人は昼夜が逆転する.大昔の人類は,自分の身を守るために夜行性であったらしい,昼と夜が逆転するのは祖先 返りの現象である.


◎あまりに日本的な疾患.

  A 病院の健康診断を受けた女性がヘモグロビン11.8 g/dlと貧血の診断を受けた.患者は精査加療を希望しB 病院を受診し,貧血の診断で鉄剤の点滴投与をうけた.そして貧血の改善を認めないまま週2回の点滴を2年間延々と続けられていた.2年後に身体の節々に痛みが出てきたので主治医に相談したところ,リウマチ因子40倍陽性だから慢性関節リウマチと診断され,抗リウマチ剤の投与をうけた.3ヶ月間の治療で良くならないためC 病院を受診,C 病院ではリウマチ因子陰性,その他の検査も正常なので精神科疾患を考え,患者の痛みに対し相手にしなかった.患者は痛みのため歩行障害をきたしD病 院を受診.手当たり次第の検査の結果,異常値は低リン血症だけであった.患者は病歴を大部屋で訊く医者に対し,病院を転々としたことを喋れば周囲に奇病と 見られると思い,貧血の治療については主治医にしゃべらなかった.この患者は貧血の治療にもちいた鉄剤が原因で低リン血症から骨軟化症をきたしたのであ る.治療は牛乳を飲ますだけで改善した.鉄剤による骨軟化症は日本だけにみられる副作用である.なぜなら欧米では貧血患者に鉄剤を漠然と静注する発想がな いからである.この患者の経過にはA 病院の医者の間違いにはじまり5つ以上の医者の間違いが隠れている.


◎病気を気にしすぎると疫病神を挑発する.

  世の中は健康ブームである.暇なヒトほど長生きの努力を怠らない.しかし,長生きを願って長寿になった者はいない.健康にはそれほど関心がなく,気づいた 時に長寿であったヒトが大部分である.ジョギングの効果を宣伝した宣教師がジョギングの最中に心臓発作で死んだように,健康に良いはずのスポーツも,ス ポーツ選手の突然死は一般人より10倍高いとされている.天命を変えようとする不自然な行為は,天のバランスを崩すことになる.老人の言葉を借りれば「健康のことなど考えず,気楽に暮らす」のがよいらしい.気にしすぎると,寝ている疫病神を起こすことになる.知らんぷりがよい.

◎堅気なのに,畳の上で死ねない.


  悪事を働くヤカラに対し,「畳の上で死ねないヤツ」という表現は,最近まで日常生活の会話の中で生きていた.しかし,今日,「畳の上で死ねない」という言 葉は,日本人の終末期医療における切実な現実を表している.なぜ畳の上で死ねないのか.畳の上で死ぬことが患者の願いであり,それを叶えてやることが周囲 のつとめであるはずなのに,なぜ畳の上で死ねないのか.家族は患者の心情を理解しても,末期患者を家で面倒はみられないと考える.医者は11秒 でも長く生かそうと努力する.ここに患者の悲痛な叫びを無視した現代社会と現代医療の問題が集約されている.スパーゲッティーのように何本ものクダをぶら さげた壮絶な死に何の意味があるのか.ヒトは死に際が大切と言いながら,挿管された口からは言葉は出ない.アメリカ大使であったライシャワー氏は一切の濃 厚治療を拒否して死を迎えたが,畳の上で安らかに死ねる日本人はもういないのだろうか.

 


検査金言集

  

患者は診察が少なく,検査ばかりの医者に不安を感じる.

医者は診察は儀式で,検査の少ないことに不安を感じる.

 

     医学の進歩にともない臨床検査の数は膨大となり,大学病院から開業医まで広く検査を利用できるようになった.そしてその反面,問診に時間をかけるよりも 検査項目のオーダーのみをチェックする安易な姿勢がみられている.検査は診断を下すためにあるのではなく診断を裏づけるためにあることを忘れてはいけな い.

 

◎ハンマーを持つと叩きたくなる.

  医学の進歩により,内科医でもPTCD, 内視鏡,腎生検などの検査が可能となった.そして,手に技を持つと,使いたくなるのが心理である.しかしながら,腎生検,肝生検などの侵襲的な検査はむや みに行うべきではない.検査の適応はただ一つである,「検査の結果が患者にどれだけの利益をもたらすか」である.原因が分からないことを理由に,あるいは 研究や興味本位で検査を行ってはいけない.原因を知ることは医学であっても医療ではない.貧血患者に全例骨髄穿刺をおこなう必要はない.全身性エリテマ トーデスの患者全員に腎生検の必要はない.検査は必要な患者にのみ行うべきものある.患者を自分の親に置き換え,検査の適応を考えればよい.患者本位の医 療が重要である.患者を医者のマスターベーションでしごいてはいけない.


◎多少の異常は病気ではない.

  勉強家の医者は,病気の経過には様々な例外があることを知っている.しかし,科学者でもある医者は,95% の確率で問題がなければ大丈夫と言い切ってよい.交通事故で死ぬかもしれない明日を前に,誰もが大丈夫と思い生活しているのである.臨床医にとって困るの は,人間ドックでちょとした異常値を指摘され来院する患者である.「念のため」などの言い訳がましい説明は,患者の不安を増強させるだけである.この様な 患者に対しては「このぐらいの異常は異常なんていいません,私だって同じ位の数値ですが,面倒だから全然調べていません.まぁ,せっかくいらしたのだから 一応調べますが,結果はまず大丈夫ですよ.安心していてください」と,不安を取り除くことが第一歩となる.人間ドックは「不安という病気」をつくってはい けない.また人間ドックに最も欠けていることは,検査の異常値について,その検査の特異性と感度のデータを示して説明していないことである.


◎剖検率の高さは病院の質を表す.

  画像診断が進歩した現在,病理解剖が軽視される傾向にある.そして剖検率の低下は全国的傾向である.しかし,複雑化した社会を生きる患者の病態も複雑化し ており,剖検にて思わぬ所見に驚くこともまれではない.病理解剖を軽視してはいけない.病理解剖を軽視する医者は,自分の診断や治療がすべて正しいと思い こんでいる医者であり,臨床的な問題点を見いだせない未熟者である.欧米での剖検率の低下は,誤診で訴えられるのを嫌うためであるが,臨床診断の間違いを 指摘されることを恐れてはいけない.病理解剖は臨床医としての反省の場であり臨床訓練の場である.結節性動脈周囲炎,悪性胸皮腫,結核,肺梗塞など病理解 剖で初めて診断される疾患は数え切れない.総合病院には解剖室の設置が義務づけられているが,これは病理解剖の重要性を意味している.病院の剖検率は学問 に対する熱意を表し,医者の剖検率は患者に対する熱意に比例する.剖検率が教育病院の基準を満たさない大学病院は恥じ入って教育病院の看板をはずすことで ある.


◎病理医はKing of doctorDoctor's doctor ではない.

    臨床経過を書かずに病理検査を依頼する医者がいる.このような依頼をする医者は,「病理の医者は万能でプレパラートからの組織診断は絶対」と思い込ん でいる.病理検査も血液検査と同様,組織を見るだけでピタリと診断ができると思っている.しかし,顕微鏡を覗いて全ての診断が確定できるものではない.癌 と正常の区別でさえ境界型があるから絶対ではない.臨床医が誤診するように病理の医者も臨床経過を知らないと誤診する.必要なら切片を切り直し染色法を変 えなければいけない.診断に迷う時には臨床経過が参考になるが,肝心の経過の記載がなければお手上げである.病理の医者は得意,不得意の区別なく全科の知 識が必要となるが決して万能ではない.臓器の一部分だけを見て診断する困難さを理解しなければいけない.臨床医は臨床経過や臨床上の問題点を病理医と議論 することが重要で,このことが誤診防止につながる.


◎医者の技術料は極端に低い.

 日本の医療費は薬剤費と検査費がほとんどで,医者の技術的な医療行為は低く押さえられている.日本の医療費の1/3がクスリ代であるのに米国では7%に すぎない.つまり日本の医者は責任だけを押しつけられ,儲けのほとんどは薬屋さんや検査会社にそのまま流れていくのである.日本の病院は不況産業の一つ で,経済のプロである銀行はパチンコ屋に金を貸しても病院に金を貸してはくれない.日本の医療の第一線がこのような状態なのに,医療をとりまく産業の大儲 けは許せない.医者や看護婦のボーナスを倍にしても医療費の上昇は1/10 0ぐらいなのに,病院の経営を理由に給料は低く押さえられ人員整理まで行われる.この金銭の流れを見れば薬屋さんが医者にゴマをする理由も分かるはずであるが,ほとんどの医者は気づいていない.


◎病院経営学は周知の羞恥.

  病院経営者の多くは検査を病院経営を助ける手段と考えていることは周知の羞恥である.検査は患者のためにある.検査のための検査であってはいけない,まし て病院経営のためであってはいけない.検査の必要性と効率性を教えるべき大学病院の検査の多さはクレイジーである.研修医の未熟さをデータで補ってはいけ ない,意味のない的外れな検査を行ってはいけない,カンファレンスのためにデータを集めてはいけない.主治医の趣味としか言い様のないHLA検 査をオーダーする専門医よりも,細菌塗抹染色(グラム染色)のできる市中病院の医者のほうが何十倍も偉いのに誰も指摘しない.大学病院は特定機能病院で高 度医療ができるはずであるが,高度医療機器がそろっているだけで最良の医療をやっているとはかぎらない.検査の選択制,経済性を教えるべき大学病院がいか に研修に不向きかがわかる.


◎健康管理のための検査.

  検査料の増大が非難されているが,どのような疾患であろうと,医者は病気を持つ患者を診るのだから初診時にはルーチン検査をすべきである.日本の医療は保 険診療であり,検査は病気を想定した場合にだけ合法であが,慢性疾患においても定期的検査は必要である.1年に1回ぐらいはルーチン検査をすべきである. 高血圧患者も糖尿病になるだろうし,すべての患者は癌の予備群といえる.医者は患者の疾患だけをみていると思っていても,患者はすべての健康管理を医者が 行っていると思っている.通院中の糖尿病患者が肺ガンで亡くなった場合,糖尿病と肺ガンに因果関係がなくても嫌な思いをするし,場合によっては訴えられる.


◎日本には存在しない病気.

   抗リン脂質抗体症候群は,再発する血栓症や習慣性流産を特徴とする疾患で,その診断基準をみたすためには抗カルジオライピン抗体の測定が必須となる.し かし,その測定は昨年まで保険で認められていなかった.多発性硬化症の診断にはオリゴクロナルバンドの検出が必要であるが,現在も保険での測定は認められ ていない.認められていないことを理由に測定しないわけにはいかない.患者のための検査が医療側の自己負担となっている.このように検査費用を請求できな い検査として自己免疫性肝炎や原発性胆汁性肝硬変に関与する抗平滑筋抗体,抗LKM1抗体がある.その他CREST症候群や強皮症に関連した抗セントロメア抗体,SLEに関連した抗ヒストン抗体がある.血小板減少症では抗血小板抗体あるいはplatelet associated IgG (PAIgG) が陽性のことがあるが,前者は適応であるが後者は適応外である.HLAではHLA-ABCは保険適応があるがHLA-DRHLA-B27は適応外である.ANCAantineutrophil cyto-plasmic antibody)は好中球細胞質に対する抗体で,細胞質がび漫性に染色されるC-ANCAcytoplasmic ANCA)と核周辺が強く染色されるP-ANCA(perinuclea ANCA)2種類 がある.ウェゲナー肉芽腫症の活動期の90%に出現するC-ANCAは保険適応であるが,半月体形成性腎炎あるいは顕微鏡的結節性多発動脈炎に出現するP-ANCAは適応外である.


◎やってはいけない検査,やっても意味のない検査.

 血糖が200mg/dl 以上であれば糖尿病は確実だから,糖負荷試験をやってはいけない.糖尿病性昏睡を誘発するからである.腎不全患者の尿濃縮試験は腎不全を悪化させるから禁忌である.肝機能をみるICGは閉塞性黄疸では意味がない.貧血のない網赤血球測定,頻回な赤沈測定は意味をなさない.血清Ca値はアルブミンと結合していないイオン化Caが重要なので,血清アルブミン値で補正しないと正確な評価はできない(補正Ca=血清Ca-血清アルブミン値+4である).腫瘍マーカーはルーチン検査に用いても癌の早期診断に有用性はない.慢性肝炎,肝硬変の患者のAFP検査は肝癌のモニター上意味があるが,画像診断でみつかる微小肝癌の半分以上はAFP陰性である.ステロイド投与中のツ反は判定が困難である.サルコイドーシスのクベイム反応は化石の検査である.


◎検査が正しいとはかぎらない.

 明らかな出血傾向がないのに,血小板の減少を認める患者がいる.原因は採血に用いるEDTAが血小板を凝集させるためで,自動血球計測装置が血小板凝塊を他の血球と測定ミスすることが原因である.偽性血小板減少症と呼ばれ頻度は500人 に1人で,もちろん正常人にも認められる現象である.診断は末梢血の塗抹標本で血小板の凝集を認めることであるが,ヘパリン採血をすれば血小板が正常値と なるから容易にわかる.この現象を知らないと特発性血小板減少症の治療を考えたり,血小板輸血を用意したり,さらには緊急手術を遅らしてしまうことにな る.また血小板増多症の場合には,血液が凝固する際に血小板内のカリウムが放出されるので見かけ上の高カリウム血症となる.これを知らないとカリウム制限 食のオーダーやケイキサレートの投与となる.また正常人でも運動によって変動する検査があるから注意が必要である.筋原性酵素であるCPKは前日の運動やケイレンで高値を示す.CPK高値に驚いて心電図を見ても正常値パターン,あとで話を聞いたらマラソンに参加していたということがある.また小児では,骨の成長のある間はアルカリホスファターゼは高値であり,妊婦では白血球増加をはじめとして他の検査も正常とは違う変動を示す.


◎赤沈ほど奥の深い検査はない.

  赤沈は大正時代から用いられている検査であるが,疾患特異性に欠けることから最近では軽視されがちで検診の項目からも除外されている.しかし,とんでもな い話である.赤沈亢進は,疾患は不明でも疾患の存在を大雑把に教えてくれる重要な所見である.癌の検査においても腫瘍マーカーより有用度が高い.定期通院 患者が急に赤沈が高くなった時には癌の合併である.病棟で赤沈のガラス棒を見ていると,高脂血症,黄疸,貧血の有無だけでなく,沈殿上層の白層から白血球 増多の判定ができる.心不全でも右心系に負荷がかかると肝臓でのフィブリノーゲンの産生が低下し赤沈が正常化する.膠原病疾患では活動性の指標であり,治 療反応性や経過をみる上で有用である.なお赤沈値の変動はフィブリノーゲン,グロブリン,貧血などが関与するため数日を要する.このことより週1回以上の検査は臨床的意味は少ない.つい最近まで医者は赤沈だけで勝負してきたのに,赤沈を軽視するとは無礼である.


◎悪魔のささやき.

 検査の稼ぎ頭であるシンチグラフィーが故障したとしても,患者の診断,治療に何ら影響をおよぼさない.心臓カテーテル検査のクダ一本が30万円もするのに,ポイポイすてられている.日本は世界で一番の抗生剤の消費国であるが,抗生剤を本当に必要としている患者は何割いるだろうか.中心静脈カテーテルから高カロリー輸液を受けている患者のうちで,経鼻栄養に変更可能な患者は何割ぐらいだろうか.IVHの 方が経鼻栄養より管理しやすく収入も多いことが原因ではないだろうか.医療は営利を目的としないと言いながら,理想的医療は病院経営と相反するものであ る.厚生省管轄の国立病院が廃統合されたのは,まさしく赤字ゆえの廃統合である.かつて「水虫の患者にも脳波の検査が必要」と言いはった医者がいたが,も うそのような時代ではない.あなたが医者になろうとした時,「病気で悩む患者のため」との志があったはずである.悪魔のささやきに負けてはいけない.


◎検査では分からない生理的異常.

 老人の顔を見れば,およその年齢が想像できる.しかし,皮膚の病理組織所見を顕微鏡で丹念に調べても年齢を言い当てることはできない.100 mの ランナーとヨタヨタ歩いている老人の筋肉は明らかに違うのに筋肉を調べても両者は正常所見である.このように老化という生理現象は検査で異常所見を示さな いのが一般的である.血液検査で肝臓や腎臓の数値が若者と同様に正常であっても,老人の肝臓や腎臓は当然その機能は劣っている.胸部エックス線や心電図が 正常であっても,老人が若者のように走れないのと同様に,心臓や肺の機能は当然低下している.この検査の弱点を理解していないのが医者の弱点である.また 逆に異常値を示す生理現象もある.消耗性疾患ではT3,T4が低値でTSHが正常の患者がいるが,これは甲状腺機能低下症ではない.代謝を下げ体力を保存しようとする生体防御機構である.このような患者に対しては原疾患の治療や栄養状態の改善だけで回復するから甲状腺製剤を処方してはいけない.


◎急性疾患は症状が強く,慢性疾患は検査異常が高度である.

  呼吸不全,貧血,心不全などの疾患は,検査データが同じであれば,急性ほど症状が強く,慢性ほど症状は軽度である.このことはいちりつに検査数値で状態や 治療を決めてはいけないことを示している.気管内挿管の適応は急性呼吸不全に対しては酸素濃度の甘い数値で,慢性呼吸不全に対しては厳しい数値で対応しな ければいけない.ヘモグロビン5g/dlの 貧血でも慢性の貧血であれば様子をみててもよいが,急性出血によるものであれば急いで輸血の準備である.再生不良性貧血では血小板1万でも血小板輸血の必 要はない.治療の反応性は慢性疾患は治る場合でも時間がかかる.急性疾患は急いで治さないと慢性化するか生命を危うくする.血清クレアチニン値の高い患者 をみたら,何時から高いのか,つまり慢性か急性かが予後を決定する.


◎出血直後には貧血はデータにでてこない.

  出血直後は全血が失われることより検査上は貧血を示さない.この現象は,出血時には血球を含んだ血液全体が均一に減少するためで,ヘマトクリットが低下するのは出血後2時 間以上を要する.出血患者の貧血が軽度だからと安心できないのはこのためである.また上部消化管出血でタール便をきたしていても便潜血陰性のことがある. 便中の鉄分を測定するグアヤック法では陽性になるが,最近流行のヘモグロビン抗体法ではヘモグロビンが消化酵素で分解され抗原性を失い陰性となることがあ る.ヘモグロビン抗体法は下部消化管の出血に強いものの,上部消化管出血には弱いことを理解していないと失敗する.


◎検査での正常を信じてはいけない.

  検査結果が陰性でも正常とは限らない.急性白血病の白血球数正常はざらにある.尿酸値正常の痛風発作は珍しいことではない.肝硬変が進めばGOTGPTは正常化することも多い.赤沈が正常化して喜んでいるとDICに移行していることがある.発症24時間以内の脳梗塞のCT所見は脳細胞がまだ死んでいないので異常所見は示さない.ウイルス抗体価は病初期では陰性,症状が落ちついた頃に上昇する. 尿蛋白の試験紙法はアルブミンを感知しているから免疫グロブリンのBence Jones 蛋白は陰性となる.慢性膵炎は酵素が枯渇してアミラーゼの上昇をきたさない.糖尿病患者にビタミンCを処方すれば尿糖は陰性化する.白血球の増加しない老人の虫垂炎,ツ反陰性の結核,血培陰性の敗血症,free air のない消化管穿孔,このように検査データはその裏を読まなければいけない.


◎定期検査を定期的にやってはいけない.

 リウマチなどの慢性疾患を外来でみる場合,薬剤の副作用を考慮して定期的に採血を繰り返す医者が多い.しかしこれは間違いである.薬剤の副作用は投与後半年以内の場合がほとんどであるから投与1週間後,1ヶ月後,3ヶ月後,あとは4ヶ月に1度の採血とする.もちろん検査以上に大切なことは,無用な薬剤を投与しないこと,診察上の異常所見を見おとさないことである.


◎妊娠によるツワリを胃潰瘍と思い,胃の透視.

 腹痛の女性に妊娠の有無を確認しないで胃透視をおこなう失敗をよく耳にする.この場合,患者にどのように話せばよいか.「胎児に影響をおよぼす線量は10rem以上の場合で,胃透視では4rem,胸部エックス線では 0.01rem程 度だから問題はない」と答えるのが科学的な説明である.しかし,理屈はそうであっても,いやなものである.消化器症状を訴える若い女性に対しては,生理の 有無を聞くのではなく,「妊娠の可能性は絶対にありませんか」と聞くべきである.被曝による人工流産はもちろん優性保護法の対象ではない.


◎酵素結合性免疫グロブリンは心配無用.

   持続性の高アミラーゼ血症を示す患者の中にマクロアミラーゼ血症がある.そのメカニズムは免疫グロブリンがアミラーゼ分子と結合して高分子となるため代 謝されず高値を示すのである.もちろん病気ではないが,膵疾患との鑑別が難しいので病院を転々として同じ検査を繰り返すことになる.これと同様に免疫グロ ブリンが結合するために異常を示すものとして高LDH血症,高ALP血症,高CPK血症,高GOT血症,高GPT血症 などがある.説明のつかない酵素の上昇時には鑑別しなければいけない.これらのペプチドには酵素活性がないから,どんなに高値であっても無害である.健康人の出現頻度が1%と高いことより検査に振り回されることになる.診断は電気泳動によるアイソザイム分析により異常を見いだすことである.なおマクロアミラーゼ血症の尿のアミラーゼ値は正常である.


◎病院で違う正常値.

  医療機関ごとに検査法が違っているので同じ単位であっても正常値は病院間で違うことがある.紹介状を書く時には,異常値のあとに正常域をカッコで入れておくのが親切である.日常診療においては異常値にばかりに目を奪われてしまうが,心筋梗塞の経過中にCPKが 正常範囲内でも変動すれば心筋障害としての意味がある.また慢性膵炎でアミラーゼの低値は膵臓の荒廃を意味しており予後不良である.このように病態を理解 せずに機械的に数値を追っていくと,間違った判断を下すことになる.またこれからの臨床検査の傾向として,統一した単位が世界的に使われようとしている. 生化学検査ではmg/dl,μg/dlmEq/dl の記載がmol/lに,末梢血では白血球数はx109/l,赤血球数はx1012/lに単位の記載が変更されようとしている.しかしそこには尺貫法をメートル法に変えた時と同じ困難が待ちうけている.


◎コンピュータ診断.

  患者が症状の質問事項をマークシートで答え,血液検査の結果をコンピュータに入力すれば,たちどころに診断ができるということが近い将来の話として話題になった時期があった.クレムリンのトイレにはセンサーが取り付けてあって,CIAは ロシアの大統領の健康状態を把握しているという話も信憑性を持って聞こえたものである.しかし今日において,コンピュータ診断を唱える医者もコンピュータ 診断に頼る医者もいない.数多くの臨床検査の中でコンピュータが最も有用性が高いとされている心電図診断でさえ,誰も相手にしていない.このようにコン ピュータがどれほど進歩しても,一感の価値はあっても医者の五感を越えることはできない.


◎脳ドックはノードック.

 CTMRIの普及により脳ドックをセールスポイントにする病院が散見される.もちろんMRIの臨床上の有用性は計りしれないが,脳ドックに関してのMRI  の臨床効果は受診する人達の期待とはかけ離れたものである.脳ドックを受診する患者は症状があって受診するのではなく,症状が出る前に脳疾患を予防できると信じて受診するのであるが,この予防に関して脳ドックは無力なのである.高齢者の3割は自覚症状はなくても小梗塞の2つ3つは持っている.たとえMRI  の 結果が正常であっても,脳梗塞が見つかったとしても,だからどうなるものではない.脳梗塞の予防は脳梗塞の有無にかかわらず,糖尿病や高血圧などの危険因 子を減らし小児用バファリンを内服することである.正常人でもその予防には小児用バファリンに代表される抗血小板剤の投与になるが,脳出血の頻度を上げる 可能性がある.また脳動脈瘤を見つけクモ膜下出血の予防をうたっているが,脳動脈瘤の小さいものはMRIの解像度では見いだしえない.またMRIで分かるような大きなものは手術不可能である.このように脳ドックは頭の記念写真屋でしかない.新しい医療器械を患者のために使うのは当然である.しかし,高価な医療器械をもちいてむやみに不安を与えてはいけない.無知な金持ちをだましてはいけない.


◎検査データの変化.

  入院患者の採血を朝食前におこなうのはなぜか.もし食事や安静によって検査データが変わることが理由であれば,外来での採血は間違いとなる.朝食前の採血 の理由はたんに病院業務の効率化のためである.この効率化のために睡眠時間の少ない研修医がかり出されるのである.もちろん食事や安静度の影響があること は事実だが,一般の医者が知っているのは血糖値の変化ぐらいである.その他,中性脂肪は食後2時間で2倍になるが,コレステロールは変化しない.飲酒翌日の採血では中性脂肪と尿酸値が高くなる.総蛋白やアルブミンなどは安静で1割近くも低下するが,カンファランスではその変化の原因が分からず延々と議論をしている.その他CEAは 喫煙で上昇するが,これを知らない医者は画像診断のオーダーを考える.またアミラーゼ,アルカリフォスファターゼ,コリンエステラーゼ,コレステロールは 個人内の変動が少ない.このことはデータが予想に反した値だった場合,検体間違いの鑑別に役にたつ.もちろん経過中に変動があれば正常値内であっても有意 な動きと考えてよい.


◎検査の改善を焦ってはいけない.

 免疫グロブリンの半減期は2週間である.全身性エリテマトーデスの治療で抗DNA抗体の産生が完全に抑制 されたとしても,抗DNA抗体値が半分になるには2週間が必要となる.抗DNA抗体値が100ならば正常値になるまで2ヶ月かかることになる.これを知らないと毎週の採血で検査が良くならない,すなわち治療が悪いと間違ってしまう.赤沈も免疫グロブリンの増減に影響されるので週1回以上の検査は意味がない.肺炎の患者で赤沈が改善しないから退院させないという医者は ,即刻退場ものである.患者の状態を知るための頻回の検査も理屈を知らないとまったくの無駄となる.糖尿病の治療に関しても網膜症を持つ患者の血糖値を急に改善させると眼底出血をきたすことがある.血糖値は3ヶ月を目標にもどせばよい.あせってはいけない.時を待つのである.


◎すべてが正常のヒトはいない.

 検査データの正常値を決めることはできない.便宜上正常値は健常者の95%が占める値としているだけで,正常と異常の間には境界線などはない.このことは健康人でも異常値を示すヒトは5%いることを示している.あたりまえであるが,n項目の検査をおこなってすべて正常なヒトは0.95n x 100 % であるから,多項目となれば全ての検査が正常値であるヒトの確率は少なくなる.計算上14項目の検査をおこなった場合には,すべてが正常値をもつヒトは半数以下となる.現在検査可能な項目は1000以上もある.すべてが正常のヒトはあり得ない.人間ドックの測定値のあとに「H」とか「L」とかのマークを入れないでほしい.誤解のもとである.


◎造影剤による腎不全.

  造影剤によるアナフィラキシーショックは誰もが注意をはらうが,検査が無事に終わったからと安心はできない.造影剤による中毒性腎障害があるからである. 日頃プライドの高い外科医が内科医に泣きついてくるのは決まって造影剤による腎不全である.術前の血管造影で翌日の乏尿に気づかず血清クレアチニンの上昇 をみてあわてることになる.造影剤の量が多い心臓外科や血管外科に多いが,造影CT検査でさえクレアチニンが一過性に 1mg/dl 上昇することは決してめずらしいことではない.これを予防するためにはクレアチニン 1.5 mg/dl 以上の症例は禁忌と考えることである.必要上おこなう場合は,輸液量を増やし造影剤を尿から早く洗い流すことである.腎障害を見るための排泄性尿路造影で腎不全をつくれば,目もあてられない.


◎ダイヤルQ2をかける医者.

  医者がスケベなのか,医者の絶対数が増えたせいなのか,ダイヤルQ2で捕まる医者が新聞の話題となる.犯罪者数を職業人口で割ったものが職業別犯罪率であるが,上はヤクザから下は修道女までの中で,医者は25万人もいるのだから下位ゆえの新聞ざたと想像する.ところで医者にとって必要な情報を教えてくれるダイヤルQ2が ほしい.経験豊かな医者が個々のケースについて適切な判断をしてくれたらどれほど役に立つことであろうか.これこそ情報化時代に最も必要なシステムであ る.パソコンネットワークを利用して心筋梗塞の診断を専門医が判断するシステムが宣伝されているが,このネットワークの有用性は低い.心筋梗塞の診断ので きない医者が心電図をとることが間違いなのである.ネットワークの金があれば心電図の本を買って勉強する方が効率的なのに,最先端のシステムとして話題だ けが先行している.気楽に電話のできるダイヤルQ2がほしい.


◎病原菌それとも常在菌?.

  かつての感染症は赤痢菌が検出されれば赤痢,コレラ菌であればコレラ,結核菌なら結核とというように検出された菌イコール起炎菌であった.しかし抗生剤の進歩にともない起炎菌として弱毒菌や常在菌が問題となり感染症も様変わりをみせている.緑膿菌やMRSAはむしろ病院内常在菌と考えるべき時代である.このことは緑膿菌やMRSA, あるいは真菌が培養で陽性の場合,熱の起炎菌と考えるか否かが常に問題となる.血液培養が陽性であれば血液には常在菌はいないから治療の対象と判断しても よい.髄液,閉鎖性膿も同様である.ただし血液培養から表皮ブドウ球菌が検出された場合,皮膚の消毒が不十分のための汚染なのか,あるいは表皮ブドウ球菌 による心内膜炎なのか判断が難しい.尿は無菌であるが汚染があるから105個/ ml 以上の菌数で有意ととる.しかし咽頭,喀痰,尿などでこれらの菌が検出されても病因的意義は確実ではない.MRSAが痰から分離されても感染症状がなければ治療の必要はない.抗生剤の投与よりも,何もせず常在菌に退治させるほうが利口である.この点が感染症の治療の難しさである.


◎胸水の正常値は不明.

   胸水検査から得られる情報は多いが,緊急検査になることが多いので,医者は思いつくまま検査伝票にチェックを入れ,後で検査漏れに気づき後悔する.胸水 の検査をフルチェックしても胸水の正常値が不明であるから必要なモノ以外は調べても無駄である.胸水の検査で必要なのは,血算,生化,培養,細胞診であ る.生化では,蛋白,糖.LDH,アミラーゼ,コレステロールで,その他に,ADA,ヒアルロン酸をチェックすればよい.胸水の蛋白が血清の1/2以下であれば濾出液だから利尿剤でよくなる.血性では癌の可能性,腐った臭いなら嫌気性膿胸.白血球が増えてリンパ球優位なら結核,好中球優位なら細菌性胸膜炎.アミラーゼ上昇は膵炎による胸水,コレステロール高値は乳び胸水,ADA 50 IU/l 以上で結核性胸膜炎,ヒアルロン酸の上昇で悪性胸膜中皮腫.例外も多いがワンパターンでおぼえておけば役に立つ.


◎うまくまるめられたマルメ.

  いくら検査の無駄と効率性を言っても病院側が聞く耳をもたないから,検査を包括するマルメが設定された.そして検査の数と病院収入との比例関係がくずれたのである.生化学検査では5項目以上7項目以下が170点,8ー9項目で210点,10項目以上で215点と算定され,10項目以上の検査は病院の損失となる.同様に腫瘍マーカーは4項目,ウイルス検査は8項目,肝炎ウイルス関連は5項目,内分泌検査は8項目が上限である.自己抗体では抗Sm抗体,抗SS-A抗体,抗SS-B抗体,抗Scl-70抗体,抗Jo-1抗体は各抗体を1項目検査すれば300点であるが,2項目では550点,3項目以上では750点となる.連日1項目づつ6回採血すれば1790点となり病院の経営を助けることになるが当然おこなうべきではない.この規定は請求できる点数に上限を設け検査の無駄を抑制 するものであるから,必要な時には損を覚悟で検査をしなければいけない.自主的な検査抑制ができなかったから,厚生省にうまく丸め込まれたのである.


◎リウマチ因子の功罪.

  慢性関節リウマチの診断は難しく診断を誤ることが多い.誤診の最も大きな原因はリウマチ因子に対する過大評価である.リウマチ因子はIgGFc部分を認識する抗体で慢性関節リウマチの80%で陽性となるが疾患特異性はない.正常人の5%は陽性で,肝疾患や老人で陽性率が高くなる.関節痛とリウマチ因子陽性だけで慢性関節リウマチの診断はできない.そもそもRheumatoid factorの日本語訳をリウマチ様因子ではなくリウマチ因子と訳したのが間違いのもとである.これと同様に抗核抗体も解釈に注意が必要である.抗核抗体は膠原病のスクリーニングに適しているが,検出にHEp-2細胞を用いるようになり偽陽性率が高く問題となっている.160倍陽性以上であれば病的意味が強いものの,80倍陽性は正常人にも認められる.また全身性エリテマトーデス患者でも非活動期には40倍程度の弱陽性の場合がある.自己免疫性肝炎は自己抗体を伴うステロイドの有効な疾患であるが,HEp-2細胞のせいで多くの肝疾患が自己免疫性肝炎の診断基準を満たしてしまうことになった.検査には特異度と感度があり,エイズやC型肝炎の検査のように両方とも優れた検査はまれである.検査が万能であれば医者はいらない.


◎検査の回数が多すぎる.

   検査には検査をする目的がある.重症患者や病態の変化時には連日の検査をオーダーしたくなる.しかし,連日採血は患者の重症度よりは医者の常識レベルが 評価されることになる.頻回の検査が臨床上正しい場合は少なく,むしろ連日採血のオーダーを1週間前に出すことや,必要な項目ではなくセットメニューで採 血することが問題である.特に術後患者やICU患者がそうである.ICUの看護婦も「患者は毎日採血するもの」と思っているから始末におえない.研修医が外科やICUをローテートすると,次に回る科の検査オーダーは何も考えないワンパターンとなる.自分が検診で採血を受ける時はビクビクしているのに,患者の腕に残る青アザを見て何も感じないのは医者ではない.


◎検査の結果が出なけれは診断できない.

   診断基準を満たさないから診断ができないのであれば,検査結果がそろうまで治療を待たなければいけない.動悸,息切れ,体重減少などの症状があり意識低 下まであるのに甲状腺機能検査の結果が出ないから治療しないようであれば生命にかかわる.第1中足趾関節が赤くはれ臨床的に痛風なのに痛風を考えないよう では臨床医ではない.動脈血が真っ黒でチアノーゼがあるのに,血液ガスの測定結果を待っているようでは失格である.意識低下患者にグルコースを投与するよ うに,細菌性髄膜炎の可能性があればすぐに抗生剤の投与を始めるように,検査の結果を待っていてはいけない.診断があって初めて治療が開始されるが,診断 を検査に頼りすぎてはいけない.


◎腫瘍マーカーと癌の関係.

  血液で癌の診断ができると患者が言ったとしても罪はないが,人間ドックでそれを売り物にしたら罪である.また病院の医者が血液で癌を診断できると考えてい たら大きな間違いである.腫瘍マーカーは数え切れないほどたくさんあるが,癌の早期診断に役立つものはない.腫瘍マーカーが異常値を示す段階では,自覚症 状あるいは他の生化学検査での異常値や,内視鏡,超音波検査,CTな どの画像診断で癌の検出が可能だから必要ないのである.研修医の検査オーダーをみると腫瘍マーカーの絨毯爆撃である.そして大抵は個々の腫瘍マーカーの意 味を知らないでオーダーしている.血液検査で癌が診断できればそれに勝るものはないが,多くの医者は癌を見逃す恐怖症にかられあれもこれもと腫瘍マーカー をチェックするのである.またGaシンチも癌の診断に有用性はない.Gaシンチは他の検査で癌と診断ついたものを確かめる検査なのである.他の検査で診断がつかず,Gaシンチではじめて癌の診断がついた症例はない.癌診断の参考にすぎない腫瘍マーカーを安易にチェックし頼ってはいけない.


◎末期患者に検査は不用.

   死を恐れる理由の一つは痛いからである.点滴が無かった時代は,食事が取れなければ死を意味していたから今の患者より苦痛は少なかった.今日では患者の 状態が悪くなると病態を把握するために採血などを繰り返し患者を苦しめている.検査は患者の治療に結びつかなければ意味がないから,末期患者の状態把握の ための検査はまったく意味をなさない.死という運命が近づいたら,運命に逆らってはいけない.天国にいく前に地獄のような検査を行ってはいけない.

 

 

クスリ金言集

  クスリを鏡に映せばリスクとなる.

 

   臨床医にとってクスリは最大の武器である.この武器を知り最大限に生かすことが臨床医の腕となる.しかし,臨床医の多くは病気に対しこの武器の名前を覚 えるのみで,有効に使いこなすレベルには達していない.クスリについて大学で学ぶ薬理学は,学問的であるが臨床では何の役にも立たない.クスリの処方もで きない薬理学教授が,知った顔で講義することが基本的間違いである.毎日クスリを処方する臨床医は薬理学教授の何十倍もの知識が必要である.

 

◎薬理作用としての医者.

   患者の訴えに対し,医者の態度や言葉がクスリ以上の効果を示すことがある.「先生の話を聞いただけで,痛みが取れました」という言葉もあながち嘘ではな い.病気を癒すのはクスリや手術だけとは限らない.医師の話しぶり,温かい触診の手が患者を救うのである.これとは逆に,医師のちょっとした言葉使いや態 度が,患者の気持ちを傷つけることがある.このように医療現場における医者と患者の関係は,科学,医学をこえた人間心理学に近い.そして,この両者の関係 は「医者のプラシーボ効果」として表れる.名医と呼ばれる医師は,プラシーボ効果の高い医者である.


◎値段の高いクスリほどプラシーボ効果が大きい.

  クスリには薬理効果だけでなく,暗示による心理効果も含まれている.医者の説明しだいで,メリケン粉でさえ頑固な痛みを消失させたり眠気をさそったりす る.市販の風邪薬や滋養供給剤の効果はどんぐりの背比べ以下なのに,値段の高いものほど売れるという.この現象はまさしくプラシーボ効果である.プラシー ボ効果といえば医学用語のひびきがあるが,プラシーボの日本語訳は「偽薬」,「気休め」で,「高い化粧品ほどよく売れる」という群衆心理とまったく同じで ある.暗示にかかりやすいヒトは幸せである,まさしく信じるものは救われるのである.


◎効果のないクスリは投与しない.

   クスリは病気を治すため,不快な症状をとるためにある.クスリの効果がなければ当然中止である.元来クスリは異物であり,無意味な投与は毒を与えるのと 同じである.患者が入院すると,「病気は不明だが,とりあえず胃薬かビタミン剤を処方しておこう」という悪習がある.この行為はプラシーボを期待しての投 薬であるが,結局は金儲け主義と誤解され,その結果,医療が病人をつくるという社会現象となった.クスリは二種類のみである,効くクスリと効かないクスリ である.効くクスリは投与を続け,効かないクスリは中止する.簡単なことである.


◎多剤を用いた治療は危険である.

  クスリの最大投与量は保険で決められている.そして一定量以上では査定をうける.しかし,名前の違う同種のクスリなら何十種類でも投与可能である.つまりH2ブロッカーは12錠 までの投与であるが,ほかの胃薬を併用すれば,おわんいっぱいのクスリを処方することも可能である.保険制度上の矛盾であるが,馬鹿げている.多剤を用い た場合,その相加効果より副作用の相乗効果のほうが心配である.また心筋梗塞の適応のあるクスリだけでも何十種類もあるが,あれも良いこれも良いとの宣伝 におどらされ,思いつくすべてのクスリを処方する医者がいるが間違いである.多剤を併用して有効との証拠はどこにもない.二種類の家庭用洗浄剤を混ぜ合わ せ死亡した主婦を思い出すがよい,何が起きるか分からないのである.多剤は多罪,使わない方が無難である.


◎薬は患者によって反応が違う.

   風邪薬で眠くなるヒトもいれば,平気なヒトもいる.このようにクスリの反応は各人で大きな違いがある.薬効はあくまでも統計上の数値にすぎず,効くヒト もいれば効かないヒトもいて当然である.また個人においても体調の違いによってクスリに対する反応が異なってくる.さらに忘れていけないのは,胃薬の作用 の場は胃だけではなく,頭痛薬の作用の場所も神経だけではないことである.どのようなクスリでも病巣だけに作用し,正常臓器や正常細胞に影響を及ぼさない などのウマイ話はない.だから各臓器で予期せぬ反応が出たとしても不思議ではない.クスリの代表として酒を思い浮かべればよい.おちょこ一杯で青くなる青 年もいれば,一升瓶を抱えたまま平気な老人もいる.


◎新しい治療は,患者の了解のもとで試みなさい.

   どのような疾患であれ,治療法のない疾患は患者にとって絶望的である.医者はたとえ治療法がない疾患でも,自分の理屈を働かせて治療法を考え出さなけれ ばならない.治療法がないと教科書に書いてあっても,その記載は過去の記載であり,明日の教科書にはあなたの治療法が載るかもしれない.医者以外にすがる ところがない患者を見捨ててはいけない.患者を新しい治療に参加させ希望を与えることである.これまでの治療法は常に試行錯誤の結果であることを忘れては いけない.しかしながら,効果がなければやめる勇気も必要である.


◎クスリの薬価は誰が決めるのか.

   クレスチンやピシバニールは副作用の少ない抗ガン剤である.抗ガン剤である以上,効果は期待できなくても癌患者に処方するのは医者としての心情である. 単なる気休めに何兆円もの金をドブに捨てたとの非難があるが,非難すべきは薬価の高さであり,医師の倫理観を非難するのはすじ違いである.薬価を決める厚 生省の役人が製薬メーカーに天下る構造がそもそもの間違いである.患者にとって有用度の高いクスリは値段を高く,低いクスリは安くすべきであるが,良いも のほど値段が高いという市場経済の考えがないからクスリの値段と有用性は比例関係にはない.有能な役人を医師会や薬剤師会で高給で雇うことができれば,日 本の医療も変わるかもしれない.


◎症状出現時の内服薬は必ず聞き出すこと.

  原因の分からない,理屈に合わない症状の患者に対し,薬剤の関与は必ず否定しなければいけない.患者が他科のクスリを内服していることも,他の病院からク スリをもらっていることも珍しくない.医者が最も患者の力になれるのは薬剤を聞き出し,中止させることである.2つ以上の病院を同時に受診している患者 が,日本では2割とされている.抗パーキンソン剤による尿閉,βブロッカーによる徐脈,非ステロイド性消炎鎮痛剤による消化性潰瘍や浮腫,インターフェロ ンによる鬱病など数え切れない副作用がある.


◎慢性疾患に対するクスリはいつまで続けるのか.

  高血圧患者の血圧が安定してきたら,いちど降圧剤を中止するのがよい.クスリをやめて血圧が高くなれば再投与するだけである.もし血圧が高くならなけれ ば,それは治ったのではなく,誤診だったのである.慢性疾患患者に漫然と薬剤を投与してはいけない.本当にクスリが必要かどうかを常に考えるべきである. クスリの効果はクスリの治験によって検討されてきたが,治験ではクスリを中止して悪化するか否かは検討されていない.短期的に効果のあるクスリが長期的に 効果があるとはかぎらない.脳梗塞患者に投与する脳循環代謝改善剤などはいつまで続けるのかデータはない.もちろん,脳梗塞の再発予防効果などあるはずが ない.


◎不思議なクスリ,エリスロマイシン.

  エリスロマイシンは古くからのクスリで,マイコプラズマ肺炎の治療によく用いられるが,抗生剤としての作用以外に不思議な性格をもつ.び漫性細汎気管支炎 (DPB: diffuse panbronchiolitis ) に対するエリスロマイシンの少量長期投与は半信半疑で試してみたが本当に効果がある.この作用は抗菌作用というより免疫ぶ活作用によるとされている.その他,胃蠕動刺激作用をもち糖尿病などの自律神経障害による症状に効果がある.


◎老人はクスリを中止すれば体調が良くなる.

  「患者にクスリの投与は当然」との考えが,患者側にも医療側にもある.さらにクスリを処方しない医者は何もしない医者との偏見もある.しかし,クスリを投 与せずに患者を観察することは重要で,特に多剤投与の老人の場合,薬効より副作用の存在を知るべきである.パーキンソンや痴呆患者の何割かは薬剤性の可能 性がある.また脳循環代謝改善剤の長期投与患者は,それを中止するだけで別人のように良くなることがある.問題は,クスリを投与して良くなる患者もいれ ば,中止して良くなる患者もいることを知ることである.痴呆のクスリは頭を良くすることもあれば頭を悪くすることもある.老化は癌と同じ不治の病である, 効くクスリなどあるはずがない.

◎精神安定剤の効力を説明しなさい.

  最近は医者に対する不信感のあらわれか,くすりの効果,副作用に関した本が一般書店で販売されている.しかし,ほとんどの本には「副作用の頻度」が抜けて いることから読者の不安を増強させるだけの作用しかない.患者の不安につけこむ商売はいけない.動悸の患者にセルシンを投与し,翌日「私は精神病ではな い」と怒鳴られたことがある.慢性関節リウマチの患者にメソトレキセ−トを処方して癌と誤解されたことがある.適応と違う薬剤を処方する場合は,投与の理 由を説明しておく必要がある.



◎薬はもともと異物である.

  米やソバ粉などの自然食に対してさえアレルギ−を持つヒトがいる.どのようなクスリでも薬害を念頭に置かなければならない.副作用のないクスリはない,た だ頻度が違うだけである.日本では患者の2割がクスリの副作用を経験している.クスリはその量によって無作用量,有効量,中毒量,致死量があり,量を増や せば副作用は必発である.クスリは毒の1歩手前で毒を制している.このように薬物の毒性は量に依存するが,アレルギー性の薬物障害は少量でも発症する.ア レルギー性の薬物障害の科学的検査法であるリンパ球刺激試験(LST)は,ほとんど役に立たない.


◎副作用を知る上で薬品の添付文書は役に立たない.

 副作用の頻度について添付文書に書いてある「まれに」は0.1%未満,「ときに」は0.1-5%未満,「副詞なし」は5%以 上の頻度とされている.この頻度は目安にはなるが役に立たない.添付文書はクスリの副作用を減らすのが目的ではなく,副作用が起きた場合の言い訳が書いて あるだけで,これほど役所仕事の匂いのするものはない.副作用については製薬会社もあてにならない,医者が常に患者を観察し勉強するだけである.

◎クスリは1万5千種類,同じ製剤でも名前が違っている.

  クスリの種類は保険適応外まで含めると何万種類となる.このような膨大な数のクスリなど,覚えられるはずがない.せいぜい百までのクスリを使えこなせるよ うにすればよい.以下の薬は知っていれば便利である.[ジアゼパム:セルシン=ホリゾン],[ペンタゾシン:ソセゴン=ペンタジン],[ビタミンD3:アルファロ−ル=ワンアルファ−],[ニフェジピン:アダラ−ト=セパミット],[テオフィリン:スロ−ビット=テオド−ル=テオロング],[ニトログリセリン:ニトロダ−ムTTS=ミリスロ−ルテ−プ],[プロカイン:プロカイン=オムニカイン].通常1つの一般薬品名に10以 上の商品名がある.クスリの名前で頭がパンクしそうになる.セレナールとセレネースとサイレース,タガメットとタリビット,ボスミンとホスミシンなどまぎ らわしい名前をつけるのはやめてほしい.製薬会社が勝手につけた名前にまで付き合うのはいやであるが,知らなければ馬鹿にされるのがクヤシイ.


◎薬の副作用を利用する.

  肩凝りに精神安定剤であるセルシンの筋弛緩作用を利用する,下痢の患者に咳止めの薬であるリン酸コデインを処方する,不定愁訴の患者に潰瘍剤であるアビ リットの抗うつ作用を利用する.この他,適応外の投与法もある.抗不整脈剤であるメキシチールを糖尿病性末梢性神経障害のシビレに対して投与すること,抗 ガン剤のメトトレキサートや潰瘍性大腸炎のサラゾピリンを慢性関節リウマチに投与すること.シビレや痛みに対しての抗うつ剤の投与.喘息のクスリであるリ ザベンをケロイドに用いる場合などである.またカルシウム拮抗剤は片頭痛の予防に有効とされており,ACE 阻害剤は糖尿病の糖代謝を改善させるとされている.β遮断剤は動悸をおさえ緊張をとることから,オリンピックでは使用が禁止されている.なるほどβ遮断剤を学会発表前に飲む医者がいるが,なかなか良いらしい.

◎ピリン系アレルギ−の患者には何を投与すればよいのか.

  ピリン系で薬疹の既往を訴える患者が多いが,現在ではピリン系はほとんど使われていない.ピリン系とはアミノピリンであるが,患者の多くは「昔の風邪グス リによる薬疹,あるいはウイルス性の皮疹をピリン系によるもの」と思い込んでいる場合が多い.しかし,ピリン系に感受性を持つ患者は,他薬でも副作用の可 能性が高いと用心した方がよい.なおピリン系は現在セデス,メチロンぐらいである.


 ◎外来での注射は極力さけるべきである

  風邪で来院する患者に,「よく効く注射をうってくれ」と言われることがある.このように日本人の注射信仰は根強いものがある.早く治りたい患者の気持ちは 理解できるが,外来での注射はさけるべきである.鎮痛解熱剤の筋注による大腿四頭筋短縮症の事故以来,内服,坐薬の開発が進み,内服薬でも注射同様の効果 があるからである.注射の効力は内服とさほど変わらないが,違うのは注射による副作用の重篤さである.ベノピリン(アスピリンDL-リ ジン)の静注は緊急を要する場合だけが適応となるが,風邪や腰痛に気楽に使われすぎている.ベノピリンの静注による死亡例の報告があるが,静注による事故 は万が一でも許されない.注射によるショックほど恐いものはない.医者も患者も真っ青になる.鎮痛解熱剤に限らず内服可能な患者に注射をしてはいけない.


 ◎恐ろしい副作用,許せない副作用.

  サリドマイドを内服した母親による奇形児の事件,整腸剤であるキノホルムによるスモン病,などはよく知られた薬害であるが,まだ多くの副作用が歴史の裏側 にひそんでいる.若い女の子の歯が汚く黄いばんでいるのを見ることがあるが,これはテトラサイクリンの副作用と考えられる.歯の変色は生命にかかわること ではないが,乙女心をむしばんでいることは事実である.幼児期の風邪の際に投与された可能性が高い.このように不必要な薬は投与すべきではない.また日本 のエイズ患者の特徴である「血液製剤エイズ」は予防可能であっただけに悲劇である.医学界の権威者,製薬会社の思惑,お役所仕事の厚生省が生んだ悲劇であ る.生命を守るためのクスリに,生命を奪われてはいけない.


◎捨てられるクスリ.

   日本の医療がクスリづけと言われて久しい.さらにクスリの何割かがゴミ箱に捨てられている事実は,日本の医療を象徴している.クスリの必要性を患者に説 明することがコンプライアンスを高める唯一の方法であるが,処方したクスリを内服せずに血圧だけを測りにくる患者がいる.またクスリをゴミ箱に捨てながら 通院する患者もいる.クスリのコンプライアンスは重要であるが,学会では議論もされない.胃グスリなどのどうでもよいクスリはきちんと飲むのに,肝心なク スリを飲まないでいる.一方,患者のコンプライアンスを信じずに,リウマチ熱患者に対し,内服の抗生剤ではなく筋注のみという病院も欧米にはある.なおク スリの保存期限について質問を受けるが,保存期限は3-4年と意外に長いのである.


◎捨てられないクスリ.

   狭心性や心筋梗塞のクスリであるニトログリセリンの貼付剤はコンプライアンスを見る上で良い指標となる.診察時に貼付剤の有無を見ればよいのだから一目 瞭然であるが,貼付剤を何枚も身体に貼っている患者が意外に多い.貼付剤をはがすのを忘れたせいであるが,中には捨てるのがもったいないという患者がい る.ニトログリセリンは持続的に投与すると耐性を生じることが知られており,一日中貼っているよりもむしろ時々はずした方が効果的と言われている.医者の 指導が悪いと,このような患者をつくってしまう.


◎心のマントを脱がせるのは北風ではなく太陽.

  患者の半分近くはクスリをきちんと内服していない.しかしこれを聞き出すのに「クスリをきちんと飲んでますか」などと訊いても答えてはくれない.「クスリ をきちんと飲むのはなかなか面倒ですよね,あなたも時々忘れることもあるでしょう」と訊けば本当のことを答えてくれる.クスリをきちんと内服しない理由と して,副作用を恐れていること,クスリの効果を信じていないこと,他のクスリとの相互作用を心配していること,疾患に対しての自覚がないこと,ただズボラ なだけ,と様々である.いずれの理由であれ本当のことを言わないのは医者にしかられるからである.痛みをともなう急性疾患であればコンプライアンスはよい が,慢性疾患では飲み忘れがおおい.内服の時間として食前30分や食後30分の指示が多いが,守れるはずがない.クスリの内服と食事時間の関係は胃障害と吸収の問題であるが,わざわざ飲み方を指定して混乱させるよりは,クスリは食直後と決めたほうがよい.糖尿病の内服薬でさえ食前でも食後でもどちらでも良いのである.


◎自分で試してみる.

  患者に飲ませるクスリは自分で試してみるのがよい.ラシックスの利尿効果に驚くであろう,カゼグスリがいかに無力であるかが分かるであろう,ハルシオンの 逆行性健忘を恐ろしく思うであろう,ラキソベロンの効力を誰かに試したくなるであろう.自分で試せば患者の気持ちも少しは理解できるようになる.ただし試 すのは1回だけである.仕事中毒,アルコール中毒,うぬぼれ中毒,眠剤中毒は医者の4大中毒疾患だからである.このことは検査においても同様である.注射の痛みを知らない者が注射の痛みを理解することはでかない.


◎うさんくさい漢方.

  漢方ほど効果の漠然としたクスリはない.それは臨床データの欠如に起因する.薬理作用や薬理効果の科学的根拠がないのに,臨床治験もやっていないのに,な ぜ保険の適応になったのか疑問をこえた疑惑である.さらに保険の適応となったことより,多くの医者が訳も分からずに漢方を処方するようになったのは大きな 問題である.漢方は副作用がないと思われているが嘘である,副作用が少ないだけである.小柴胡湯による間質性肺炎による死亡例や偽性アルドステロン症によ る低カリウム血症は有名である.西洋医学の教育を受けた医者は,生半かな浅知恵で漢方など処方すべきではない.漢方は漢方専門医が処方すべきものである. もし一般医が漢方を処方するのなら,漢方の目的は自覚症状の改善のみで検査データの改善ではないことを知るべきである.めまいやだるさなどの症状に対して 処方するのであって,3ヶ月で症状が改善しなけれは中止である.


◎使いなれたクスリ.

 日本で使われている非ステロイド性消炎鎮痛剤だけでも50種 類以上もある.これらの一つ一つを覚える必要もなければ,ぶ厚い本を買って勉強する必要もない.要するに作用に大差がないのである.自分の使いなれたクス リを用いるのがよい.病院のクスリは,あれもこれもと自然に増えてくるが,クスリの種類が多くなると,それだけクスリの知識が薄くなる.病院のクスリは少 ないほどよい.また,もしクスリの重篤な副作用が警告されたら,注意して使うなどと考えずに,クスリの納入を止めることである.「十分に注意して用いるこ と」の能書きは,どう注意すればよいのか書いていない.副作用が出た時の厚生省と製薬会社の責任のがれの文書に医者がのる必要はない.

◎クスリの宣伝.

  風邪薬,胃薬の宣伝がテレビで盛んに流されている.しかし,宣伝ほどの効果は絶対にない.市販のクスリは間違って大量に飲んでも安全なように有効成分が低 く押さえられているからである.風邪薬,胃薬は宣伝の違いだけで効用に差はない.どんぐりの背比べを誇大広告で騙しているだけである.「風邪には風邪グス リは直接効きませんが,症状を軽くするかも知れません」と広告するのが正しい.


◎麻薬を使わないのは罪.

  抗ガン剤のピシバニールやクレスチンが最近なぜか聞かなくなった.癌への保険適応をやめた厚生省は偉いと思うが,保険適応を認めた厚生省はそれ以上に罪が 大きい.製薬会社は製造者責任法以前の道義的責任により儲けた金を国に返すべきである.癌患者に医者がやれることはピシバニールやクレスチンを処方するこ とではない,麻薬を処方することである.末期癌の痛みにはモルヒネ(MSコンチン,アンペック坐薬,注射)の使い方を知るだけで十分である.モルヒネを少量から初め,痛みが消えるまで1日ごとに50%の増量をおこなう.痛みがとれ眠気がなければOKである.便秘をきたすので最初から下剤を併用し,嘔吐があれば制吐剤の投与である.モルヒネの依存性や耐性などは問題にならない.日本のモルヒネの投与量は欧米の1/30である.麻薬の不正使用は罪になるが,癌末期の痛みに麻薬を用いないことはさらに罪深い.


◎コレステロールは諸悪の根元か.

 コレステロールを強力に下げるクスリが開発され,コレステロールを下げることが心筋梗塞の予防になると広く宣伝されている.製薬会社が宣伝するならまだしも,循環器の医者も声をそろえて「コレステロールは諸悪の根元」である.メバロチン(HMG coenzyme reductase inhibitor)は このことより日本で一番の売り上げをほこる薬剤となった.しかし,このコレステロールを下げることが心筋梗塞の予防になる報告は欧米人を対象としたもので 日本人に当てはまるとは限らない.また心筋梗塞の予防になったとしても,コレステロールの低下は感染症に対する抵抗力の低下をきたすと言われている.クス リの長期効果の報告は成人を対象としたもので,老人に当てはまるかどうかは不明である.老人とコレステロールの関係として,コレステロール値が高いほど長 生きするとも言われている.こうなると何が正しいのか分からなくなる.このように成人を対象とした効果を鵜呑みにして,老人に当てはめてクスリを処方する には疑問がある.高脂血症のクスリは筋肉に影響をおよぼすから長期投与で寝たきり老人を増やす可能性がある.平均寿命を越えた老人は,成人病を乗り越えて きたのだから,クスリなどの人為的な操作よりは,老人の生命力を信じた方がよい.


◎あれも良くない,これも良くない.

  食生活の改善から食事指導は飽食の時代の健康管理となってきた.コレステロールの値が高いと心筋梗塞になりやすいという疫学調査を信じて「油ものはやめましょう」と指導するが,栄養学では偏った食事をとらないことが大原則である.日本人の死亡原因として心疾患が第2位に浮上して,いよいよコレステロール悪玉説が勢いを増しているが,ここに統計上のウソが隠れている.死亡統計は加齢の要素が作用しており年齢構成別に統計を調節すると,心疾患はこの30年 でむしろ減少傾向を示しているのである.各年齢層のおける心疾患の頻度は減少しているのに高齢層が増加しているので見かけ上心疾患が多いだけである.純粋 な目で見るとコレステロールが高くなったから平均寿命が延びたといえる.あれも良くない,これも良くないと食事指導することも高脂血症のクスリを投与する ことも何ら根拠を持たないのである.なお年齢調節死亡率では脳血管障害,肺炎,消化性潰瘍はこの30年で激減しているが,癌は横ばいである.


◎新しいクスリと古いクスリ,どちらを選ぶべきか.

  新薬が出ると製薬会社は早く使えと執拗に耳もとで紹介する.大学教授は雑誌で宣伝を繰り返す,病院では高いクスリは儲けが大きいという.そして気の良い医 者は新しいクスリを試してみたいと思う.しかし宣伝を信じてはいけない.これまで多くの新薬が登場しては去っていったことを思い出してほしい.クスリには 時代による自然淘汰があり,良いクスリは時間を超えて生き残るものである.その点において,新薬は時代的選択を受けていないから,前評判が良くても,その 効果を受け入れる訳にはいかない.新しいクスリほどよく効くというのは迷信である.新薬の効果を鵜呑みにして,何度裏切られたことか.新薬は必ずしも患者 をハッピーにはしてくれない.


◎日本人のクスリ神話.

  不老長寿のクスリがないことは誰でも知っている.しかし一方では,老化だろうが癌だろうが,すべての病気にはクスリが必要と思っている.越中富山の置きグ スリのせいもあるが,日本人のクスリ神話を作ったのはペニシリンの登場による.感染症でバタバタ死んでいった患者がペニシリンの登場により劇的に救われた ことがクスリの概念をかえたといえる.しかし,ペニシリン賛美の数年後に東大教授が歯の治療で用いたペニシリンショックで亡くなって以来,クスリの恐怖神 話も出来上がったのである.


◎全てはネズミ,ラットのクスリである.

  クスリの開発にはまず動物実験が行われ,動物に対する薬理作用により有効性,副作用が検討される.このことは,クスリはネズミやラットに有効だとしても, ヒトに同様の効果があるとは限らないことを示している.ネズミに有害な菌がヒトに有害とはかぎらない,ウシの結核菌はヒトではBCGで ある.ウシの狂牛病とイヌの狂犬病は別ものである.疾患モデル動物はあくまでもモデルであり,表現型は同じであっても発生機序はヒトとは違っている.サリ ドマイドが動物実験で胎児奇形を予見出来なかったように,ヒトと動物は根本が違うのである.新薬の本当の効果は時間が経たないと分からない.


◎思いもつかない副作用.

  プリンペランは無月経と乳汁分泌をきたし妊娠と間違えられることがある.プロカインアミドやヒドラジンによる全身性エリテマトーデスは有名である.インデ ラールは脂溶性であり中枢神経に作用することにより悪夢,抑鬱をひきおこす.カルシウム拮抗剤によるインポテンツやグリチロンによる低K性四肢麻痺は思い もよらない副作用である.ACE阻 害剤による咳嗽は有名であるが,最初の治験の段階では報告されていない.レセルピンでのうつ病は有名であるが知らなければ気づかない.このように思いもつ かない副作用の症状を患者はまさかと思い悩んでいることが多い.肝疾患の治療薬であるチオラで肝障害をおこしたり,喘息の治療薬であるステロイド剤が喘息 を誘発したりすることがある.またCa拮抗剤はグレープフルーツジュースと同時に内服すると血中濃度が2倍 に上昇することが知られている.看護婦や若い女性が低カリウム血症や筋力低下を訴えた場合には,ラシックスなどの利尿剤による副作用であることが多い.顔 のむくみや体重を気にして密かに利尿剤を飲んでいるからである.この際には,「他にクスリを飲んでませんか」と訊くのではダメである.「利尿剤で低カリウ ム血症がきますが,内服していませんか」と訊かないかぎり白状することはない.利尿剤の副作用など思いもしないからである.クスリの副作用はクスリを中止 しない限り分からない.


◎鉄剤とお茶との関係.

  鉄剤はお茶と一緒に飲んではダメとされてきた.その理由は,お茶にはタンニンが含まれており,タンニンが鉄剤と結合し鉄剤の吸収をさまたげることらしい. しかし,理屈はそうであってもこれは間違いである.鉄剤を水と飲んだ場合とお茶で飲んだ場合を比較し,両者に差がないことはすでに証明されている.鉄剤を 内服させる際の注意点は,鉄剤を内服させると未吸収の鉄が便中にでてタール便様になること,鉄剤を内服したまま日光に当たるとシミがでること,データが改 善しても体内の貯蔵鉄を貯めるまで内服が必要なことなどである,貧血は生理が原因だから病気ではなく女性ゆえの現象と理解させることである.女性であるか ぎり治療をやめれば,いずれ同じ状態にもどることを話しておくことである.鉄欠乏貧血は貧血患者の約7割である.クスリの処方だけでなく患者の教育も必要 である.また胃切除後の患者に対しても鉄剤は経口鉄剤で十分効果があり,静注投与の今日的意味はまったくない.


◎心臓病と納豆の関係.

   ワーファリン内服患者には納豆を食べさせてはいけない.納豆に多く含まれるビタミンKがワーファリンの抗凝固作用に拮抗するからである.このようにワー ファリンと納豆の関係は大切であるが,心臓病と納豆との関係はもちろんない.しかし,ワーファリンを内服していない心臓病患者の中にも,納豆を食べてはい けないと固く信じている患者がいる.このように情報の間違いや,思い込みが間違った方向へ走らせることがある.納豆の他にビタミンKを多く含む食物として ブロッコリやほうれん草があげられる.またクロレラは納豆の十倍以上のビタミンKを含んでいるから,ワーファリンとクロレラは絶対禁である.最近薬物相互 作用が話題になるが,ワーファリンのみが他剤との相互作用を多く持つので注意を要する.ところでワーファリンに納豆禁と言いながら,肝障害で凝固異常があ る患者に毎日納豆をださないのはなぜだろうか.


◎食事で治るからクスリは出しません.

  アルコール性肝炎には禁酒,高血圧には塩分制限,糖尿病はカロリーを押さえ,高脂血症は油ものを控える.これらの努力をして効果がない場合にはじめてクス リを処方するのである.禁酒を守れない酒飲みに肝庇護剤を投与するのは酒を勧めているのにひとしい.糖尿病は食事と運動でほとんどが改善するのに,食事指 導をせずに安易にクスリを処方すると,調子がよくなり太りはじめる.これらの医療行為は罪である.これとは逆に,貧血患者にほうれん草やレバーの指導をす るが意味がない.食事で取れる鉄の量(約1 mg/日)などたかが知れている.はやく鉄剤(1100mg)を飲ませることである.簡単に解決することを医者が知らないことはやはり罪である.


◎偶然発見された効果.

  インフルエンザのクスリとして開発されたシンメトリルはパーキンソン病に効果があり,今ではパーキンソンの治療薬として有名である.プロベネシドはペニシ リンが高価だった時代に,ペニシリンの体内代謝を遅らせるために開発されたクスリである.今では高尿酸血症の治療薬として活躍している.糖尿病の治療薬で あるスルホニル尿素剤は抗菌剤として開発されたが,副作用としての低血糖が注目され糖尿病のクスリとなった.クロールプロマジンは自律神経抑制剤として開 発されたが,分裂病治療薬の草分け的薬剤となった.アレルギー剤であるリザベンはケロイドに効果がある.肝疾患の代表的治療薬である強力ミノファーゲンは 以前は抗アレルギー剤であった.このようにまったく偶然に見つかったクスリがある.

◎なぜ効くのか分からない.

  眩暈に対するメイロンの効果,しゃっくりに対してのギャバロンの効果,閉塞性黄疸の掻痒に対する重曹の効果,誰もが認めているのになぜ効くのか分からな い.同様に漢方は薬理的裏付けに乏しい.このようにどうして効くのか分からないクスリは多いがこれは当然である.クスリのほとんどは偶然見つかったもの で,クスリの効果が発見された後にその薬理作用が調べられたものだからである.薬理作用という理屈は後でつけられたものである.最近になって薬理作用の面 から化学的にクスリを造るようになった.H2ブロッカー,プロトンポンプインヒビター,Ca拮抗剤などである.


◎H2ブロッカーによる感染症.

   H2ブロッカーの開発は人類に大きな恩恵を与えてくれた.他の胃グスリがいかに効果的と宣伝しても,H2ブロッカーが消化性潰瘍による手術を劇的に減ら した事実を曲げることはできない.安全性が高いとされているクスリであるが,無顆粒球症の副作用が報告されている.頻度はまれであるが,重症患者に対し ルーチンにH2ブロッカーを投与している現状を考えると入院患者が血液障害をきたした場合にはH2ブロッカーの関与を否定する態度が必要となる.H2ブ ロッカーは胃酸を抑える作用をもつが,この作用が仇となることがある.海外旅行でH2ブロッカーを内服しているヒトにコレラ感染の危険が高いことである. 通常の胃の酸度はpH 1~2で大部分の菌やコレラ菌は死滅してしまうが,H2ブロッカーの内服で細菌が繁殖しやすくなるためである.東南アジアなどコレラ汚染地域への旅行ではH2ブロッカーを内服してはいけない.


◎副作用の頻度の説明.

  タクシーに乗る時,「交通事故はおこしませんか?」と聞くヒトはいない.飛行機に乗る時,「この飛行機はおちませんか」と聞くヒトもいない.しかし,クス リをもらって「副作用はないですか?」と聞くヒトは多い.薬剤の副作用の頻度を聞かれた場合,比較的安全なクスリは「歩いていて交通事故にあう程度」, 「食事をして蕁麻疹が出る程度」と答える.Ca拮抗剤による頭痛やACE阻害剤の咳のように副作用の出やすいクスリは「10人に1人ぐらい」,重篤な副作用をもつ場合は具体的な症状と「宝くじがあたるぐらいの確率」と頻度の説明をするのが親切である.


◎薬物相互作用を忘れてはいけない.

 昔は,スイカと鰻などの食べ合わせがあったが,今日では,クスリの飲み合わせが問題となる.帯状疱疹の薬剤ソリブジンとフルオロウラシル系の抗ガン剤の併用により10 数人の死亡者をだしたことが,薬物相互作用の重要性を再認識させることになった.ニューキノロン剤とNSAIDs(フ ルマークとフェンブフェン)による痙攣,エリスロマイシンとトリルダンによる肝障害などは2剤の関与による副作用である.身近なものではハルシオンとジフ ルカンの組み合わせも良くないらしい.またテトラサイクリンやニューキノロン剤を胃グスリと一緒に内服すると体内への吸収が阻害される.このように薬物相 互作用は重要であるが,問題なのは,2剤を用いた場合必ず起きる相互作用なのか,ごくまれに起きる副作用なのかの情報がないことである.薬物相互作用につ いての情報は多いが,臨床上問題になるような重要な組み合わせがどれなのか漠然として分からないのである.そして多くの医者は,これまで患者に投与してき たクスリだから大丈夫だろうと曖昧な根拠で処方するのである.


◎抗不整脈剤は心筋梗塞患者の予後には無関係.

  心筋梗塞の合併症である不整脈に抗不整脈剤を処方するのは当然である.しかし,米国でおこなわれた臨床試験では,抗不整脈剤を投与された患者は非投与のコ ントロール患者よりも予後が悪いことが分かり試験を途中で中止することになった.抗不整脈剤が長期投与中に催不整脈作用をきたすことがその原因とされてい る.クスリの目的は,自覚症状の改善と余命の延長にある.クスリによって検査所見が良くなっても,予後が改善しなければ意味がない.このことは抗ガン剤に ついても同様である.抗ガン剤は腫瘍の縮小率で効果を判定するが,抗ガン剤の投与による生命予後は不明の部分が多い.


◎白髪,ハゲのクスリがないのに,なぜか痴呆のクスリがある.

  白髪,ハゲに効くクスリがあれば,その薬効は誰の眼にも明らかである.だから白髪,ハゲに効くクスリはない.一方,痴呆のクスリは痴呆改善の科学的評価が いい加減だから痴呆のクスリが存在する.もし効果があれば,それは評価する医師側のプラシーボ効果である.臨床医も痴呆に効くクスリなど信じていないの に,クスリを処方しないと家族から非難されるから投薬でお茶を濁しているのである.クレスチン,ピシバニールと同様にその効果を再評価してほしい.そして 痴呆に効くクスリがないことを,一般人に広く理解させれば,臨床医も痴呆のクスリなど処方せずにすむのである.そしてクスリという安易な手段に安住してい る家族に対し,家族の呼びかけと愛情こそが痴呆のケアーで最も大切であることを徹底して教育すればクスリよりはるかに効果がある.


◎皮膚のシワをのばすクスリがないのに,骨粗鬆症のクスリは多い.

  最近では,骨粗鬆症が老人クラブの話題である.私も私も皆そろって骨粗鬆症である.骨粗鬆症は皮膚のシワと同じ老化現象なのに,なぜか病気と宣伝されてい る.骨密度測定器の普及とともに,骨粗鬆症はうなぎ登りである.かつての日本では,老人といえば腰を曲げて歩く姿が特徴であった.あれが骨粗鬆症なのに, 今日では腰の曲がっている老人を捜すほうが難しい.骨粗鬆症にクスリが効果的との論文が多いが,牛乳より勝っているクスリがあるとは思えない.ましてクス リによって寿命が延びたり,寝たきり老人の減少を示した信頼ある報告はない.骨粗鬆症を心配して病院へいけば,正常でもその予防のため,骨粗鬆症があれば 治療のためと,いずれにしてもクスリを処方されることは目に見えている.日本人の7 割 がカルシウム不足であると常に指摘されているが,世界一の長寿国に対してまったく失礼な言い方である.外国人はカルシウムを多くとるから短命で心臓病が多 いのかもしれないのに,日本人のカルシウム不足の根拠が分からない.たとえカルシウム摂取が必要だとしても,病院に行けばカルシウム以外に骨粗鬆症のクス リを山ほど処方される.骨粗鬆症の診断に骨密度測定器など必要ない.骨粗鬆症では椎骨の高さが低くなるので身長の変化が最も科学的かつ信頼性があるのに誰 も身長を測らない.身長測定はタダだが,骨密度測定器はお金が入るからである.骨粗鬆症患者にクスリを処方しても,運動や日光浴の指導などまず行わない. 骨粗鬆症を問題にする裏には真実より嘘が多いように思えてならない.


◎クスリをこわがるヒト.

  調子が悪いとすぐにクスリをほしがるヒトがいる.その逆に,どんなに症状が重くても絶対にクスリを飲みたがらない患者がいる.疾患を根本から断つ根本療法 であれば医者の説得も力がはいるが,症状のみを取る対症療法では説得力は弱い.眠剤の習慣性を言う患者には無理に眠剤は処方しにくい,花粉症の患者にはあ と1ヶ月の辛抱ですねと励ますだけとなる.また親切心から「ちょと試してみませんか」などと言ったりする.対症療法のクスリは患者に内服の自由が与えられ ているから慰めの言葉だけで無理強いはよくない.


◎前科のないクスリ.

 肝障害,腎障害,骨髄抑制 な どが発現した場合,投与中のクスリの副作用を考え能書を調べることは大切である.しかし,副作用の記載がないことは副作用の否定にはならない.クスリの副 作用には個人差がある.そのことを異常体質と呼ぶのは勝手であるが,世界に一人でも副作用が出ればりっぱな副作用である.また副作用が本当かどうかを確か める再投与試験は,アスピリン喘息以外は絶対禁忌である.患者に危険をもたらしても患者には何の利益もないからである.


◎健康食品が危ない.

  健康は誰でも願うことである.健康を増進するクスリがあれば人類の宝となる.しかし健康を願う一方,「健康食品ほど危険」という認識がない.「梅肉エキ ス」からシアンが検出された事件,ゲルマニウムによる急性腎不全が続出したことも記憶に新しい.貴腐ワインと称してジエチレングリコール入りのワインによ る死亡者が出たことも忘れてはいけない.このような報告例は氷山の一角である.徐々に身体をむしばんでいく健康食品は多い.水溶性ビタミンは尿から排泄さ れるものの,ビタミンAやビタミンDなどの脂溶性ビタミンは,過剰摂取により身体に蓄積され害をもたらすことが知られている.これまで販売された健康食品 の中で,その効果が証明されたものはないが,害が証明されたものは数多い.


◎患者のさじ加減.

  昔の医者はクスリの微妙な調合を職業的特技と考えていた.患者の年齢,体格,体質に合わせ調合するが,今日では散剤は少なく錠剤やカプセルばかりで,「医 者のさじ加減」は死語となった.錠剤は真ん中にスジが入っており,半分に割って内服できるが半量までの加減である.わずかに膠原病におけるステロイド剤, パーキンソン病のクスリは,その中で細々とさじ加減が生きている.最近では,患者が患者なりに病気を考え,処方どおりに内服しない.「患者のさじ加減」が 流行している.


◎治療的診断.

 治療的診断が可能なのは結核である.しかし,腹痛の患者に検査をせずにH2ブロッカーを投与するのは意味がある,翌日症状が改善していれば急性胃炎,胃潰瘍の可能性が高い.逆に数日の投与で不変ならば,胃以外の疾患を考慮しなければいけない.もちろんH2ブ ロッカーは胃癌でも一時的に良くなるので注意が必要である.狭心症患者の7割は安静時心電図が正常である.胸痛患者の診断がつくまでニトロダームテープを 処方し,クスリの効果で狭心症の可能性を判断することも必要である.鉄欠乏性貧血に鉄剤を処方して改善すればやはり鉄欠乏性貧血である.パーキンソンの診 断は難しいが,L-Dopaの投与で良くなればパーキンソンである.


◎治験の最も良い方法.

  異常値は正常人の95%の範囲を越えた場合をいう.簡単にいえば正常人100人集めれば5人が異常となる.東大に合格するヒト,身長190cm以上のヒト,100m11秒 で走るヒト,これらは統計的には異常であるが病気ではない.つまり異常値が病気とは限らないのである.異常は集団の分布から外れているだけで正常人と連続 性をもつ.いっぽう病気は正常集団とは独立した別のものである.異常性格というが病的性格と言わないのは,性格は病気ではないからである.人間ドックでは 受診者の8割が異常だと言われている.この8割という数値の何割が病的かは不明である.そして健康なのに検査データが異常となると検査に振り回されること になる.人間ドックで「まったく問題ありません」と言われる方が異常である.


◎老人に対しての治験.

   クスリの臨床治験の際は,小児や老人など,また他の疾患を合併している患者などは通常対象から除外される.治験に伴う危険から弱者を守るためらしいが, クスリが認可されると,同じクスリを老人に処方して平気な顔である.老人に必要なクスリの量はどう考えても若者とは違うのに,1日の投与量が皆同じなのは 不思議である.このように治験は非科学的側面をもつが,治験者が科学的であるが故に困ることがある.薬効をみる上で二重盲検法が最も優れた方法であるが, 病人である患者に片方がクスリで片方がメリケン粉などの試験を強制させようとすることである.このような治験は患者の同意など到底不可能で,治験以前の道 義的問題となる.このため治験薬と同様の効果があると考えられるクスリを用いた active placebo が最近の主流である.


◎副作用報告は氷山の一角.

   クスリの副作用の報告が厚生省から一般医に警告されるが,厚生省の集計は氷山の一角のゴミにも満たない.臨床医はクスリの副作用が出た場合に厚生省への 報告義務があるが,届け出自体を知らない医者もいれば,届け出ることを知っていても膨大なデータ記載義務を前に挫折するのである.報告書を書くのに半日も かかるような書類は,報告するなと言っているのに等しい.厚生省は医者をよほど暇な職業と思っているらしいが,煩雑な書類の提出がネックとなって報告を躊 躇してしまうのである.もし電話報告ですむならば副作用症例は今の10倍以上は集まるであろう.


◎絶対に飲まなければいけないクスリ.

  どうでも良いビタミン剤はきちんと飲むのに重要なクスリを内服しない患者がいる.膠原病患者の多くは副腎皮質ホルモン剤を内服しているが,もし患者が勝手 に副腎皮質ホルモン剤を中止したら,副腎機能不全により生命の危険がある.このようなクスリを投与する場合は薬剤の内容を十分に説明することが必要で,ク スリの説明がコンプライアンスを高める.それでも副腎皮質ホルモン剤は満月様顔貌をきたすことから勝手に内服量を減らす患者がいる.症状に改善がみられな い場合は内服の有無を確かめる必要がある.発熱の改善がみられない全身性エリテマトーデスの患者が窓からクスリを捨てているのを探しあてたことがある.


◎ステロイドホルモンと満月様顔貌.

   ステロイドホルモンは抗生剤の発見と同様に何人もの患者を救い,「奇跡のクスリ」とまで言われている.膠原病のみならず白血病から喘息まで多くの疾患が ステロイド剤の適応となってる.これだけ汎用されているクスリであるが,同じ疾患でも患者によって同様の効果が得られるとはかぎらない.血液中のステロイ ド剤の測定は可能であるが臨床にはまったく役に立たない.ステロイド剤の投与量は職人芸であり経験のない医者には難しいが,その目安として副作用としての 満月様顔貌を利用する手がある.ステロイドが効いているかどうかの判断は満月様顔貌の有無で予想がつく.患者が満月様顔貌をきたしていれば,これ以上のス テロイド剤を投与しても意味がない,満月様顔貌がなければ投与しているステロイド剤の量が多くても,体内で代謝されている証拠だから,増量が必要となる.


◎副作用と有効量.

   アスピリンによる耳鳴りは用量依存性の副作用で投与量を増やせば必発である.この副作用はアスピリンの減量により消失するが,かつてこの副作用を臨床に 応用した時代があった.慢性関節リウマチの治療にアスピリンを投与する場合,耳鳴りがおきる直前が至適濃度であることより,臨床医は耳鳴りを指標にアスピ リンを投与していたのである.痛風に対するコルヒチンの投与も同様である.痛風発作時の治療はコルヒチン1錠を3時 間おきに投与し,副作用である下痢が出現するまで続けたのである.今日では非ステロイド性消炎鎮痛剤の開発によりこのような処方は過去のものとなったが, かつての医者はクスリの副作用を指標として利用していたのである.今日ではクスリの血中濃度測定が可能であるが測定には1週間を要するので臨床的ではない.ジゴキシン中毒は心電図異常より嘔吐などの消化器症状や周囲がチラチラしたり黄色く見えたりする視覚異常が出やすい.この症状が出ればジゴキシン濃度の結果を待たずにすぐに中止である.


◎風邪に抗生剤,解熱鎮痛剤は必要か

  風邪に効くクスリほど多くのヒトが望んでいるものはない.この患者側の要求に対し「風邪は自然に治るもの」と医者はあまり問題にしない.風邪に抗生剤を処 方した場合,二次感染の予防になるのか,あるいは口腔,咽頭の常在菌の変化により二次感染の誘因となるのか.風邪に抗生剤,解熱鎮痛剤が必要かぐらい結論 をだしてほしいと思うが,その研究はなされていない.個人的には,膿性痰や扁桃が腫れていれば細菌感染の合併を考え抗生剤を投与している.このように本来 科学的であるべき風邪の治療でさえ,まだ医者個人の理屈だけで治療法がきめられている.対照試験がないから,どの方法が最適なのか最悪なのか分からない. 他の病気には多くの専門医がいるのに,なぜ風邪の専門医はいないのか.まれな症例が重要視され,多くのヒトが望んでいる疾患がうとんじられている.


◎投与するクスリは自然に多くなる.

  患者が1つの症状を訴えると,医者はクスリを追加する.このように患者が症状を訴えるたびにクスリの量が増えていく.また,念のためと処方する抗生剤は菌 交代症をひきおこす.クスリを多く処方する金儲けの医者がいたことも事実だが,薬価差益の少ない今日ではその非難は的外れである.医者のほとんどは,患者 を思う優しい気持ちからクスリの量が増えるのである.クスリは必要ないから我慢しなさいと厳しく言えないのである.優しい医者の悲しいサガといえる.


◎潰瘍と美人は夜つくられる.

 胃の酸度を連続測定するpHメー ターが開発され,胃の酸度は深夜が最も低いことが分かった.このことより消化性潰瘍は深夜に形成されることが科学的に証明された.H2ブロッカーも寝る前 の投与とされている.しかし本当であろうか,これまで夜食は胃に悪いと言われてきたが,理屈の上では寝る前に軽く食べるのがよいことになる.また他の胃薬 も1日3回ではなく寝る前に飲むのが正しいことになる.なお夜は成長ホルモンが多く分泌されることより,ヒトの身長は夜間に伸びる.また性腺刺激ホルモン も夜分泌されることより,美人は夜つくられることになる.


◎美人のおまもりビタミンC.

  ビタミンCの発見者であるポーリング博士が,ビタミンCの抗癌作用を宣伝して以来,ビタミンに対する健康神話ができあがった.ノーベル賞を受賞したポーリ ング博士がいうのだからその宣伝効果は大きいものだった.しかし,ポーリング婦人が癌で倒れ,ポーリング博士も癌で他界し,しだいにビタミン神話は下火に なった.しかしながら,今でもビタミンCは金儲けの対象として健康食品会社の中で生きている.ビタミンCの次はβカロチン,ドコサヘキサエン酸,ビタミン Eであり,金儲けのネタはつきない.


Kissing diseaseAmpicillin 疹.

 伝染性単核症(infectious mononucleosis)はEBウイルスによる感染症で,症状は発熱や咽頭痛であるが初診時に診断することは不可能である.検査では異型リンパ球やPaul-Bunnel 反応陽性,肝障害などから感冒と区別できるが症状から診断するのは困難である.ここで治療上の問題として,伝染性単核症にABPCを投与するとほぼ全例に皮疹(Ampicillin 疹)が出現することがあげられる.原因は分からないが本症の改善後に投与しても皮疹を生じないことよりEBウイルスが関与した反応であろう.初診時には症状から伝染性単核症など予想もつかないから,上気道炎や扁桃炎の患者にはABPCを処方しない方がよい.伝染性単核症は Kissing disease の別名があり,これは20歳ごろに経口感染することを意味していが,これは欧米の話であって日本では小児期にほとんどが感染している.一般に予後良好でPaul-Bunnell反応陰性ならばCytomegalovirus によることが多いとされているが,Paul-Bunnell反応は有名な割には診断価値が低い.EBウイルスの抗体価の測定がより実際的である.Kissing diseaseに加えハネムーン肝炎 の名前もおもしろい.新婚の性行為でB型肝炎がうつるのでハネムーン肝炎の名前がある.


◎健康食品を信じてはいけない.

 癌が難病である以上,その予防として禁煙を勧めるのは当然である.しかし,食事療法で癌を予防できるという報告はない.食事による癌の予防を期待して,食事に栄養素としてβカロチンやビタミンEを加え癌の発生を5年以上にわたり観察したフィンランドの報告がある.この大規模な検討の結果は予想とは反対に,βカロチンやビタミンEを 投与されていたグループの方が,何も含まれていなかったグループよりも肺癌の発生が有意に高かったのである.またアメリカでも同様の試験が大規模に行わ れ,βカロチンとレチノールを投与したグループの方が肺癌の発生が有意に高い中間発表がなされ,試験を途中で中止したのである.このように癌に効果がある と思って行った試験が皮肉な結果に終わったのは,大きな教訓を残している.健康食品を信じてはいけないことである.理屈上良いとされても,それは理屈上の 話で,人間の浅知恵にすぎないのである.


◎医薬分業はかけ声だけ.

  医薬分業がさかんにいわれているが,その理由の中に「薬剤師はクスリのプロである」という間違った認識が混じっている.研修医が医者のプロでないのと同 様,臨床経験のない薬剤師が頼りにならないのは当然である.また医薬分業になれば患者の薬歴や薬剤の副作用を管理できると理屈を述べるが,ただの理屈であ る.総合病院でさえ他科を受診する患者の管理ができないのに地域レベルでできるはずがない.「こんな処方をして,先生は何を考えているのですか」と薬剤師 が言える日を迎えるまでは,医者がしっかりしなければいけない.医者や薬剤師の祖先は薬師如来であるが,日本の薬剤師はまだ薬師如来のようにほほえむだけ で無口なヒトが多い.


◎長寿のくすりはアスピリン.

  秦の始皇帝が不老長寿のクスリを求めたように,誰もが健康で長生きを望んでいる.現在のところ不老長寿のクスリはない,また将来も可能性はないであろう. しかし,もし長寿のクスリに近いものを探すとすればアスピリンと抗脂肪剤である.アスピリンの長期投与による脳梗塞,老人性痴呆,心筋梗塞の予防効果が多 施設から報告されており間違いない.アスピリンの投与量は小児用バファリン1錠/日相当量である.間違いやすいのは,市販されている小児用バファリンはライ症候群との関連から,中身はアスピリンではなくアセトアミノフェンに変更されていることである.効果があるのは医療用の小児用バファリンである.家族性高HDL血症や家族性低LDL血症は長寿症候群として知られており,男女ともに五年から10年以上一般人より長生きをするらしい.このことよりHDLを上げ,LDLを下げる抗脂肪剤の開発が期待される.


◎クスリの剤型.

  内服薬には散剤,錠剤,カプセルがある.坐薬を「座りながら飲むクスリ」と誤解する老人の話は笑い話である.笑い話ですまないのは,水虫のクスリを点眼し たり,プラスチックの包装のまま飲んでしまう痴呆老人である.クスリは苦いものと昔から決まっていたが,最近の小児用のクスリは甘く飲みやすい.このこと よりクスリを隠しておかないと子供が勝手に飲んでしまう危険性がある.ところで,トローチの形がドーナッツ様であるのは,誤飲で気管に詰まっても大丈夫な ようにと考案されたのである.


◎オーファンドラック.

  製薬会社は金儲け以外にも病気を治すという高尚な目的がある.金儲けだけが目的であれば,日本で数千人程度の患者のためにクスリを開発することなど経済的 に引き合わない.ある限られた少数の患者のために経営を考えずに開発するクスリをオーファンドラック(孤児クスリ)という.抗マラリア剤,拒絶反応抑制剤 のサイクロスポリン,悪性症候群のダントロレン,脳下垂体性小人病などの内分泌障害のクスリなどがこれに相当する.製薬会社も偉いものだと感心するが, オーファンドラックの多くは国の助成金と税額控除がなされている.


◎医者の考えを更正してほしい抗生剤.

  抗生剤の予防投与は保険で認められていない.しかし外科系では,本物の感染症に投与する抗生剤の量よりも手術における予防投与の方が圧倒的に多い.消化管 の手術は別としても,あまりに多くの抗生剤を使いすぎる.そしてその反面,抗生剤による偽膜性腸炎や出血性腸炎に対しての知識には乏しい.偽膜性腸炎は抗 生剤により腸内フローラの変化が起き菌交代現象により異常に増殖したクリストリジウムの毒素が原因である.出血性腸炎は抗生剤のアレルギー反応による循環 障害が原因とされている.内科ではヘリコバクターピロリーの除菌で偽膜性腸炎をおこすことがある.何のための抗生剤かを考えなければいけない.ところでリ ウマチ熱の発症が減少し心弁膜症患者が激減したのは,抗生剤の乱用のせいだろうか.


◎量が多ければよいとは限らない.

 風邪を早く治したいからと,風邪グスリを2倍,3 倍に増やしても,口が渇くだけで効果はない.脳梗塞や心筋梗塞の予防に用いるアスピリンは血小板凝集抑制作用を期待して投与しているが,血小板凝集抑制作 用があるのは小児用バファリン1錠相当量であり,それ以上では血圧が上昇したり血液が固まりやすくなり逆効果となる.肺炎の治療に関し,内服の抗生剤と点 滴の抗生剤を比較した英国内科学会誌の論文では,内服のほうが点滴より効果的と結論していた.全身性エリテマトーデスの腎症にもちいられるステロイドパル ス療法は,従来の量よりも1/2量の方が効果的と報告されている.クスリの量が多ければ良く効くとは限らない.医者の思いこみの部分がおおい.適量を知ることである.抗生剤の抗菌力が以前の100倍になったと宣伝するMR(プロパー)に対し,それなら投与量を1/100にして使いますと言う医者がいないのはなぜだろうか.


◎毒をもって毒を制する.

  ペニシリン以前の梅毒の治療は,まずマラリアに罹患させ高熱によってスピロヘータを死滅させる.次にキニーネによってマラリアを死滅させる方法がとられ た.まさしく毒をもって毒を制していたのである.現在ではボツリヌス菌の毒素を治療に利用する方法がおこなわれている.ボツリヌス菌による食中毒は,数十 人の犠牲者をだした熊本のカラシレンコン事件が有名で,まだ記憶に新しいヒトも多い.今日ではボツリヌス菌による食中毒はほとんど見られないが,A型 ボツリヌス菌の毒素は顔面痙攣,眼瞼痙攣,斜頚の治療として用いられている.また小児ボツリヌス症はハチミツに含まれている芽胞が原因となることから,1 才以下の小児にはハチミツを舐めさせてはいけないことがハチミツのビンに書いてある.その他トリカブトは本来猛毒であるが,漢方ではトリカブトの根を生薬 として繁用している.


◎よけいなおせわ.

 種痘やBCGな ど近代医学の歴史は公衆衛生を中心とした予防医学が切り開いたと言っても過言ではない.しかしながらインフルエンザワクチンを強制接種させたことは国家的 なお節介である.インフルエンザワクチンの効果は不明だが,強制するほどのメリットは製薬会社にあっても患者にはまずない.インフルエンザはあくまでも個 人の問題で,国家的責任感は理解できるが,接種したいヒトが接種すればよいことで国が口を出す事柄ではない.MMR三種混合ワクチンははしか,おたふく風邪,風疹の3つを1回の注射で済まそうとしたが,予防接種どころか1000人に1人の副作用で病人をつくる結果となった.ごく最近まで予防接種は集団で連続注射を行っていたが,この連続注射がC型 肝炎を蔓延させた可能性が指摘されている.よかれと思って行うことも裏目にでることもある.公衆衛生はすでに時代的任務を終っているのに,まだ自分たちの 仕事があると思いこんでいるからよけいなことをする.届け出伝染病さえ保健所に届ける医者がどの程度なのか想像するがよい.なおインフルエンザ予防接種で は卵アレルギーをもつヒトはダメである.


◎予診,問診という儀式.

  予防接種でショックや脳症がおきた場合に医者の注意義務を問われるが,予診,問診をきちんとおこなっても,事故はおきるものである.異常体質としかいいよ うのない事故に対しても,予診,問診という儀式が十分でないと,医者は責任を追求される.少しでも具合のわるい場合には,接種拒否である.医学は科学であ るが,科学で説明のつかない場合でも,誰も責任をとらないから非科学的儀式の有無が問題となる.医者の過失を問わない患者救済システムが必要である.


◎アスピリン喘息はカゼグスリ喘息,NSAIDs 喘息.

 気管支喘息は全人口の1%.アスピリン喘息は喘息患者の1割といわれている.話半分としても喘息患者20人に1人 である.しかも由々しきことにアスピリン喘息は突発的で重症喘息なのである.喘息はカゼで誘発されるが,カゼで誘発されたと思っている患者に,アスピリン 喘息がかくれている.二重マークの注意が必要なのは,アスピリン喘息はアスピリンだけではなく,非ステロイド性消炎鎮痛剤(NSAIDs)でもまったく同様に誘発されることである.カゼグスリ喘息,NSAIDs 喘息と名前を変えたほうがよい.またアスピリン喘息はコハク酸のステロイドの投与で悪化することがある.アスピリン喘息に気づいて患者を救えるのはあなただけである.


◎アスピリン,ペルサンチン,パナルジンは胃の出血を引き起こす.

  胃の潰瘍患者にアスピリン,ペルサンチン,パナルジンが投与されていることがある.処方した医者になぜいけないか,説明するまで気づかないのが悲しい.ク スリは漠然と投与してはいけない.ワーファリン投与中の患者が吐血で救急に運ばれてくることもまれではない.これらのクスリは術前の患者には数日前より中 止の指示である.なお胃潰瘍の原因は,ストレスやヘリコバクターピロリーなどと世間では騒いでいるが,最も多い原因は非ステロイド性消炎鎮痛剤によるもの である.


◎透析で抜けるのはアンコチル.

  腎不全患者に薬物を投与する場合,腎クレアランスを考慮しなければいけない.透析中の患者には,透析で抜ける薬物かどうかを調べなければいけない.メトト レキサート,イソニアジド,リスモダン,カプトリル,アンピシリンなどは透析でよくぬける.アレビアチン以外の抗てんかん薬も透析でぬけるため,デパケン やフェノバール内服中の患者が透析中にてんかん発作をきたすことがある.


◎メルカゾールは1000人に1人の割で無顆粒球症を引き起こす.

 甲状腺亢進症治療薬であるメルカゾール,プロパジールによる無顆粒球症は投与後3-6ヶ 月で出現する.ある日突然に顆粒球減少をきたすので定期血液検査では予測できない.咽頭発赤を伴う発熱が出たら病院へ来るように指導が必要である.副作用 は忘れた頃にやってくるが,忘れた頃の副作用として抗リウマチ剤による無顆粒球症や肺線維症があげられる.抗リウマチ剤による無顆粒球症は徐々に出現す る.肺線維症は乾性の咳が初発症状となる.また忘れていけない副作用としてチエナムの中枢神経症状や抗高脂血症剤による横紋筋融解症がある.慢性関節リウ マチに投与するペニシラミンは,副作用としてSLEや重症筋無力症などの自己免疫疾患をひきおこす.


◎妊婦に投与できるクスリは何か.

  妊娠中の患者に薬物を投与する場合,そのクスリを投与した場合の胎児に及ぼす影響,投与しなかった場合の影響,さらにクスリの有無にかかわらず妊婦の精神 的影響までも考えなければいけない.能書には「妊婦に関しては安全性が確立されていないので,治療の有益性が危険性を上回る場合にのみ投与すること」と書 いてあるのみである.クスリは本来,治療の有益性が危険性を上回る場合にのみ使用するのであるから,禅問答以下の記載である.真面目な顔をして慎重投与の ふりをするか,患者の不安を取り除くために自信ありげに投与する方がよいのか,それすらも分からない医者が多い.妊娠とクスリについては不明な点が多い が,臨床医はあまりに妊婦への投薬に慎重になりすぎ病気を悪化させるきらいがある.妊娠における奇形児の発生率は3%であり.薬物による異常児の頻度はその数%にも満たない.患者には,「奇形児が生まれるかもしれません,奇形児の可能性はゼロではありません」などと説明するのではなく「奇形児の発生頻度は一般妊娠では3%で,クスリを飲んだ場合と比較して差はありません」と言い切った方がよい.もとろん何の根拠もなく中絶を勧めてはいけない.情報を与えても,中絶の最終決定は本人と家族が行うものである.


◎妊婦に投与してはいけないクスリ.

  妊娠中に投与してはいけないクスリを米国の監督官庁であるFDAFood and Drug Administration)が具体的に1から5までランクづけをしている.このランクで最も危険とされているのはビタミンAの 大量投与と抗痙攣剤で,その他の薬剤はそれほどの危険性を示唆していない.一般的にはカゼグスリ,ペニシリン系,セフェム系,プレドニゾロンは影響がない とされている.投与して良い薬剤より投与を避けるべき薬剤をおぼえた方が近道である.妊娠初期ではスピロノラクトンは男性ホルモン抑制 作用により男子の尿道下裂をきたすことがある.妊娠後期には非ステロイド性消炎鎮痛剤は動脈管開存のため,ミノサイクリンは歯牙の色素沈着のため投与してはいけない.ACE阻害剤は胎児の腎障害をきたすことが知られているので妊婦の高血圧では他剤に変更した方がよい.なおメトトレキサートとサイトテックは妊婦には禁忌中の禁忌中の禁忌である.欧米では両者を用いた妊娠中絶がおこなわれている.


◎アルブミン製剤は血清蛋白の上昇には結びつかない.

  低アルブミン血症にアルブミン製剤の投与は,どれだけの効果があるのだろうか.本当に必要な患者は何割もいだろう.アルブミン製剤を使う前に,低アルブミ ン血症の原因が産生の低下なのか消費の亢進なのかを考え,原病の治療を優先すべきである.産生の低下ならコリンエステラーゼやトランスフェリンも低値を示 す.蛋白濾出性腸炎やネフローゼのような消費の亢進ではざるにアルブミンを投与するのに等しい.貧血の治療に輸血が第1選択でないのと同様に短絡思考はい けない.


◎秘密兵器としてのジゴキシン.

 ジゴキシンの体内吸収はほぼ100%で ある.ジゴキシンのこの薬物動態を利用すれば患者のコンプライアンス,つまり患者が医者の指示通りクスリを内服しているかどうかがわかる.他のクスリと同 時にジゴキシン半錠を内服させ,ジゴキシンの血中濃度を測定するのである.ステロイドを内服させても改善しない膠原病患者に試してみる価値がある.


◎医者の使命と保険診療.

 マラリアはわが国では年間100人 程度であるが重症死亡例があるからコレラ以上に恐ろしい病気である.抗マラリア剤であるクロロキンはマラリアの特効薬であるが,網膜症の副作用から一時製 造が中止されていた.ではマラリア患者が受診した場合,どうすればよいのか.かつての医者は海外の学会のたびに薬局からクロロキンやキニーネを自費で買い 求め患者に投与していた.日本で許可されていないクスリを投与して網膜症の合併症をきたしたら,それこそ目も当てられない事態となるが,患者を治すという 医者の使命感がそうさせたのである.教科書には「マラリアの診断はマラリアを疑うことである.治療薬は何々」と書いてあるが,治療薬の記載があってもクス リの入手方法の記載はない.マラリアの治療薬は一般に入手困難で,厚生省のマラリア研究班員に連絡をとってクスリを取り寄せるのである.最近中国の王先生 が白血病の治療としてレチノイン酸(ビタミンA誘導体)の劇的な臨床効果を報告し,ウソだろうとみんなが思っていたら1年後には世界中の血液学者がその効果を認め始めた.今は日本では認められていないクスリなので中国から取り寄せて使っているのである.


◎訴訟社会と保身治療.

  慢性関節リウマチの治療は欧米ではメトトレキサートが第1選択剤である.本邦でもリウマチ専門医はメトトレキサートの効果を認めており副作用の頻度の少な いことも分かっている.このことより本邦では保険適応はないものの慢性関節リウマチの治療薬としてメトトレキサートは重要である.しかし,保険適応のない クスリを患者に投与して重篤な副作用がでた場合,クスリを実験的に投与したかのような口調で訴えられるのである.患者にとって最も良い方法と考え治療をお こなった医者と,患者のことなど何も考えず「訴える患者」に入れ知恵する医者とどちらが医者の本来の姿なのか,小学生でも分かることが裁判官は理解してい ない.このような風潮が強くなると,医者は「治療効果は期待できなくても,保険適応のある副作用の少ないクスリを用いることになる」.訴訟社会は医者を保 身医療に走らせることになる.教訓的なのは,酸素投与による未熟児網膜症が問題になり未熟児網膜症は減ったものの,低酸素で死亡する未熟児が増えたことで ある.


◎医者の給料以上のクスリ.

 心筋梗塞の画期的治療薬としてt-PAの静注がある.血栓溶解率は80%といわれ,夢のようなクスリである.しかし,早く冠動脈の血栓が溶解するのと,病気の治療の有効性を同一視するのはまだ早い.ウロキナーゼとt-PAとを比較した大規模スタディーの報告では,有効性は同じ程度,副作用はウロキナーゼのほうが少ないとされている.ここでコストの問題がでてくる.t-PA130万円でウロキナーゼの約7倍なのである.医療は国民の相互助け合い制度であるから必ずコストを考慮しなければ共倒れとなる.コストを念頭に置いて治療を考えないと,抗ウイルス作用のあるインターフェロンを風邪の治療薬とするような発想が生じるのである.研修医の給料は12万円程度,大学によっては大学がピンハネをして4万円,あるいはゼロのところもある.クスリの価値は医者以上に高いのである.


◎勤務医の中でクスリの値段を知るものはいない.

  クスリの値段は高価なものが多い.1錠数百円の内服薬や1バイアル数万の注射薬さえある.このように処方するクスリが高価であっても,ほとんどの勤務医は 自分の処方しているクスリの値段を知らない.医療はタダだと患者が思っているように,クスリはタダだと医者は無意識に思っている.クスリの値段とクスリの 効果を考えれば,いかに無駄なクスリを処方しているかに気づくはずである.医者は医療の経済性を考慮しクスリの値段を知るべきである.一般的には古くから 用いられる効果的なクスリは値段が安く,新しく開発された効果の不明なクスリほど値段が高い.ペニシリンGの細菌性心内膜炎に対する効果は絶大であるが,100U170円と他の抗生剤の1/10以下である.あまりに安すぎることより半数以上の病院では納入をしていない.大学病院でさえペニシリンGを置いていないところがある.



救急金言集

医者の最大の喜びは,後輩に知恵を与え育てることである.

 

 情報化時代を反映し,救急医療に関した医学書がちまたに溢れている.しかし,いずれの医学書も50100歩 の知識の記載のみで,実際の救急にどれほどの有用性をもたらすかいささか疑問である.特にフローチャートなどは,理屈が書いてないから理解もされないし記 憶にも残らない.まさしく紙面の無駄,資源の無駄である.ここに,視点を変え生きた情報である救急金言集を編集した.一読を期待する.少しでも救急医療に 役立てれば幸いである.

 

◎患者の重症度は数秒以内に判断せよ.

  患者の重症度は血圧,脈拍などのバイタル測定によると考えていたら大間違いである.重症度の判定は,「死にそうな患者」かどうかを瞬時に判断することであ る.死にそうな顔貌であれば,どんなにバイタルがよくても重症である.あなたの視診を信じなさい,そしてあなたの直感力をやしないなさい.重症度を患者か ら読みとることである.当直医として大切なことは,病名は分からなくても,重症度で入院の適応を決めることである.無意味な検査を繰り返し,外来で様子を 見守るだけではいけない.


◎クスリは病院内で内服させ20分様子をみよ.

 生命にかかわる薬物アレルギー(アナフィラキシーショック)は内服20分以内に出現する.このことより,薬剤は病院内で内服させ20分後に帰宅させるのがよい. また「アレルギーの既往」についての問診は必須である.聞く癖をもたないと失敗する. 抗 生剤によるアレルギーが最も多いが,あらゆる薬剤で可能性がある.アレルギー治療薬である強ミノCやステロイド剤による薬物アレルギーの経験がある.アナ フィラキシーショックは,顔が蒼白ではなく赤くなるので他のショックと鑑別しやすい.喉頭浮腫をきたすような重症患者に対しては,血管を確保し10 倍希釈のボスミンをゆっくり静注しながら,頭を整理し,ソルメドロールの静注と気管挿管の準備を指示することである.ボスミン原液の静注は不整脈を誘発するから希釈したボスミンである.症状が落ちついたら肥満細胞トリプターゼの測定のために血清を採血保存する.


◎あなたが大将.

  急変患者,重症患者に対し,心であわてても表情を顔に出してはいけない.まず何が起きたのか,次にどうすれば良いのかを冷静に判断しなければならない.医 者の動揺は,本人,家族の不安を強くする.バタバタしてはいけない.あなたが大将である.大将がオタオタしてどうするのか,アワアワとあわててはいけな い.そして混乱している時に思い出して欲しいのは,「気道の確保」「心マッサージ」「ルートの確保」だけである.あとは多少遅れても問題はない.また「早 くしないと死んじゃうぞ」などと声を張り上げてはいけない.あくまでも冷静なふりである.


◎ムンテラは可能性の高い順に説明.

  診断がつかないことを理由に「分からない」とは言うべきではない.患者,家族は情報が欲しいのである.検査の出来ない夜間に診断をつけるのは難しい.しか し,そのことは患者も承知している.あなたの診断が間違っていても恥じることはない,可能性の高い疾患順にきちんと説明するのが礼儀である.理論的説明は 患者,家族に安心をあたえる.また入院となった場合には,本人には軽症に,家族には重症に話すのがよい.患者が退院する時に,重症だったことを話せば,感 謝の気持ちが倍増して返ってくる.


◎他科の先生とは日頃から仲良く.

   救急患者は内科的疾患とは限らない,虫垂炎,子宮外妊娠,尿路結石など他科の医者の協力が必要な場合が多い.夜間に面識のない医者を呼ぶには戸惑いがあ る.気楽に電話できるように他科の医者とは普段から仲良くしておこう.ドクターがドクターを呼ぶことを恥じてはいけない,呼ばないことを恥じるべきであ る.他科の疾患をみる場合は誤診の可能性が高いから自分をヤブ医者と自覚し,いつも以上に慎重で親切な対応が必要となる.


◎患者は懐に訴状を持っている.訴えられるは医者ばかり.

   医者は何万の患者を治したとしても,たった一人の患者のために医師生命を失う可能性がある.それを防ぐためには,常に患者の立場になって考え対応するこ とである.そしてこの患者に対する姿勢が,医者と患者の関係を良くすることにつながる.裁判官は数年もかけた判決が間違っていても罪も罰も問われず年金ま でもらえるが,医師は数分の診察で医師免許と医師生命を失うのである.


◎言ってはいけない前医の悪口,いずれ自分にふりかかる.

   前医での説明,治療の内容を聞くと,「ずいぶんヒドイことを」と思うことがある.しかし,前医の悪口を言ってはいけない.患者は前医の治療で良くならな いから来たのである.あなたの言葉は火に油を注ぐことになる.また「後医ほど名医である」と言う言葉が示すように,病気は時間と共に明らかになるものであ る.医療訴訟の多くは前医の悪口からはじまる.同業者を守る意味ではなく,状況を正確に知らないのに偉そうに悪口を言ってはいけない.

◎ペンは剣よりも強し.

   カルテはきちんと記載しなければいけない.記憶より記録である.緊急時は,自分の処置,指示を大声で看護婦に伝え,メモをとらせる.処置後は経過をすみ やかにカルテに記載する.外科医は大体においてカルテの記載が怠慢である.しかし,それをまねてはいけない.内科医は外科医とは違いメスを持てないからで ある.剣を持てない内科医はペンで勝負しなければいけない.内科医のカルテが不備であれば,それは内科医でも外科医でもなく,ただのペーパードクターであ る.


◎馬鹿じゃないの,能書の内容.

   薬剤の効果,副作用を知るためにクスリの能書を読むことは大切であるが,能書には重要なポイントが示されていない.ただの言い訳の羅列の繰り返しであ る.また能書の9割は副作用の記載ばかりで,効果については1割の記載もないから読んでもつまらない.医者は薬効と副作用について常に勉強しなければいけ ないが,どれが重要なのか分からないから結局能書を読まなくなる.クスリの重要な禁忌事項については赤字による記載か,禁忌事項のみの別冊配布を出してほ しい.無知な一般人には罪はないが,無知な医者は罪を問われるから勉強が必要である.


◎当直医,あなたは夜の院長先生.

   当直医は全ての責任を負わなければいけない.給料は安くても責任と名誉を持ちなさい.あなたの判断で病院が潰れるかもしれない.あなたの判断で患者は救 われるかもしれない,あるいは逆かもしれない.しかしいくら意気込んでも,当直医が全ての疾患をみれるはずはない.自分の限界を見極め,必要なら点滴を確 保して転送する判断も必要である.要するに,全ての条件を考え,正しい方針を即座に決定することである.


◎起こされても怒るな.傷つくのは自分だけ.

   暁の波状攻撃,自分より元気な患者がやってくる.しかし,怒ってはいけない.怒ればエピネフリンが分泌され,疲れ倍増,眠れなくなる.当直医にとって救 急患者は二種類のみである.「どうして風邪ぐらいの軽症で起こされるのか」とカチンとくる患者と,「どうしてこんなに重症になるまで放置していたのか」と カチンとくる患者である.患者が来るたびにカチンカチンといらだっていては,自分が病気になってしまう.怒ってはいけない.


◎無口な救急隊に愛をこめて.

   医師は常に紳士であるべきである.救急の適応外の患者が運ばれてきても救急隊に罪はない,いやな顔をしてはいけない.救急隊は患者の要請があればタク シーがわりと分かっていても拒否できないつらい立場にある.そのような救急隊の立場を考え,礼儀正しくすべきである.その地区の医療に熟知している救急隊 に他病院の実情を教えてもらえれば役に立つ.救急隊に若い看護婦さんを紹介して感謝されたことがある.


◎救急は汗をかいてもスポーツではない.

   救急に運ばれる重症患者は物体でしかない.冷静な判断と行動が必要な救急において,意識のない患者は物体でもかまわない.しかし家族にとっては,医者, 看護婦のちょっとした言動がいつまでも脳裏に残るものである.家族はドアの外で聞き耳を立てている.不用意な言葉を使ってはいけない,厳粛にふるまうこと である.何があっても笑ってはいけない.救急は本を読んでも何もできない,必要なことは汗をかいて身体に憶えさせることである.


◎手洗いは小学生でも知っている.

  手洗いは教科書に書いていないが診療の基本である.自分を守るためにも,他人に感染させないためにも簡単に出来る手技である.手洗いによるMRSAに対する予防効果のみならず,感冒でさえ手洗で予防できることが報告されている.産科医のSemmelweisが手洗いだけで分娩時の敗血症が1/100に減少することを報告したのは100年 以上も前である.ローレックスの腕時計を手にするよりも医者は手洗いである.またDOA患者の場合,手袋,マスクが基本である.間違っても,口対口による 人工呼吸をやってはいけない.パラコート中毒患者のツバが口に入れば,あなたも確実に死にます.口対口はすべての教科書に書いてあるが,病院外の手技であ る.


◎心停止,死亡宣告は5分待て.

   心停止,呼吸停止,瞳孔散大が死の3徴候で,臨床医はこれをもって死亡宣告をおこなうと誰もが思っている.しかしそれを実行している医者はいない.医者 が死を宣告するのは心モニターで心停止を確認してからになる.臨終間際の患者は個室に入れられ,家族に見守られながら死の宣告を受けることになるが,ほと んどんの家族は,患者の顔を見ないで,医者と一緒に心モニターばかりを見ることになる.これは明らかに大きな間違いである.心モニターはナースステーショ ンに置き,心停止となったら看護婦がそっと教えにきてくれるのがよい.患者が死亡した場合,死亡宣告は心停止後5分以上待つべきである.心停止後に生体反 応を示すことがあるからで,また5分の時間は家族の気持ちを落ち着かせるのに効果がある.


◎自殺未遂,何をおしゃるインフォームドコンセント.

   今はやりのインフォームドコンセントは,患者の医者に対しての権利意識と,不信感の表れである.しかし,自殺患者においては患者の意志を尊重する必要は ない.ドジな自殺未遂者は助けなければいけない.自殺から回復した患者の多くは助かったことを感謝している.しかし,パラコート中毒,90%以上の熱傷患 者は治療すべきではない.善意の医療行為は患者を苦しめることになる.


◎救命は医者の宗教である.

  医療行為は患者を救うことが目的で,患者の目的も同じはずである.しかし,それとは別に,一般常識を越えた理解できない患者もいる.「輸血の必要なエホバ の証人」や「意識のはっきりとした自殺未遂者」などである.彼らはもともと病院に来る資格がないのに来てしまった患者である.医者にとっては迷惑なだけで あるが,来てしまった以上は何とかしなければいけない.輸血を拒否するエホバの証人に,輸血をしないで死亡させた場合,約束を破り輸血で救命した場合,い ずれも法的に問題となる.しかし道義的には前者のほうが罪深い.相手が宗教でくるなら医者としての宗教で,相手が信念でくるなら医者としての信念で対抗す るしかない.


◎坐薬にショックあり.大人でも最初は小児用坐薬.

   発熱患者に対しての非ステロイド性消炎鎮痛剤の坐薬によるショックは,頻度が高い割りには話題にならない.小児用坐薬は大人用の半量であるから,大人に は小児用坐薬を処方し,そのかわり使用回数を多くすればよい.なお坐薬によるショックは低体温ショックだから,慢性関節リウマチなどの痛みに対しての投与 は安全である.痛み止めのクスリを英語で,pain killerと言うが坐薬で本当のkillerにならないように.


◎抗生剤の点滴は初めポタポタ,あとジャージャ.

   抗生剤の皮内テストは必要であるが信頼性にかける.それは近代医学に残る儀式的行為といえる.最良の方法は最初の20分間は抗生剤入りの点滴をごくわず かづつ滴下させ,問題がなければ普通に落とすことである.さらに良い方法は点滴をキープして3方活栓から抗生剤をごく少量注入し20分後問題なければ普通 に落とすことである.このことは造影剤の注射や輸血においても同様である.造影剤で問題をおこした患者のほとんどはヨードテスト陰性である事実を素直に受 けとめなければいけない.輸血による肝炎などの長期的弊害は,今日ではまず認めないものの,皮疹や発熱などのアレルギーは以前と同じ頻度でおきている.


◎バイタルサインで頻脈は出血をあらわす.

   バイタルサインで血圧測定はもちろん大切であるが,頻脈は冷汗や末梢冷感とともに生体反応として重要である.消化管出血や子宮外妊娠で頻脈をともなえ ば,データ上貧血がなくても重症である.「お家で様子をみてください」と帰そうとしたとたん,ドアの前で患者は崩れるのである.出血性ショックは代償性に 頻脈がまず出現し,次に血圧が下がるのである.いったんショック状態におちいれば,血管は虚脱し血管確保は困難となる.状態の良いうちに血管を確保してお くべきである.冷汗は心筋梗塞,低血糖発作で頻度が高く,出れば出るほど重症である.末梢冷感は末梢循環不全すなわちショックそのものである.眼瞼結膜は 貧血の診断で重要であるが,ショック患者も貧血と同様に白くなる.ショック患者の治療には昇圧剤の投与であるが,血圧が戻ったからと安心はできない.安心 できるのは血圧が上がって尿量が安定してからである.


◎消化管穿孔と頻脈.

   消化管穿孔をきたした患者が腹膜刺激症状を出すとはかぎらない.肥満でブヨブヨの中年女性は筋性防御も板状腹も所見としてとらえにくい.たとえ穿孔して いても大網が穿孔部位を塞いでいれば腹膜刺激症状を認めないこともある.老人の消化管穿孔は腹膜刺激症状を示さないことも,腹痛を訴えないこともある.消 化管穿孔を疑ったら,腹部立位レントゲン像だけでは少量のガス像はわからないので胸部エックス線を撮る必要がある.このような時,消化管穿孔では頻脈がく ることを知っていれば役にたつ.腹痛患者で頻脈があれば自覚症状が軽くても要注意である.


◎死の十字架.

   患者の多くは死期が近づくと,脈拍が早くなり,体温が下がることから脈拍と体温が温度板上で交差する.これを死の十字架とよぶ.このような患者で尿量の 低下,血圧の低下,下顎呼吸が出てくればいよいよとなる.やるべきことは何もない,家族を呼ぶだけである.慢性化した重症患者の場合は,眼球結膜の浮腫が 出てくると死期は数日以内となる.かつての医者は,尿が出なくなると1-2日以内と家族に告げたものであるが,高度医療の今日では死期の予測はむずかしい.


◎トキソイド,患者のためじゃなく自分のため.

   あなたの子供が怪我をした場合トキソイドをうちますか? うつ筈がない.しかし,他人の子供が怪我をした場合にはトキソイドをうちなさい.なぜなら裁判 で負けるからである.あなたのヨメさんが熱をだした場合,胸部エックス線をとりますか? とる筈がない.しかし,となりのヨメさんが熱をだした場合には胸 部エックス線をとりなさい.なぜなら過剰の検査は医者の親切,なにもしないのは医者の手抜きと誤解されるからである.


◎胃ゾンデは患者の協力が必要.

   経鼻胃管を挿入される患者は,本人にとって初めての経験だから医者の思い通りにチューブを飲み込んではくれない.「ゴックンと飲み込んで」と言っても, すまなそうにトグロを巻いたチューブを口から吐き出してしまう.意識の無い患者なら喉頭鏡を用い直視下に押し込むことも可能だが,意識があれば医者も患者 も泣きたい気持ちになる.意識のある患者にはチューブを入れる理由を医学的に説明し,まず安心させ緊張をとり協力させることである.鼻腔にキシロカインを 入れ痛みと滑りをよくする.ゆったりと焦らずにおこなうことである.挿入後に胃内容物を吸入できなければ,心窩部に聴診器をあて,チューブから空気を送り こみ胃内のバブル音を聞いて確認する.挿入チューブの長さは眉間から剣状突起までの距離,約50 cm が目安となる.チューブの長期圧迫により胃出血や食道びらんをきたすこと,口腔内の感染に注意することが必要であるが.気管に絶対入っていないことが必須条件である.


◎中心静脈確保はきちんと確保.

   心臓が動いていないのに末梢のルート確保はナンセンスで,その際には中心静脈の確保が必要となる.中心静脈穿刺のルートは大腿静脈が合併症が少なく安全 であるが,不潔になりやすい欠点がある.出血傾向の患者には選択すべきルートであるが長期の高カロリー輸液にはむかない.内頚静脈は成功率が高いが患者に 不快感を与える.鎖骨下静脈は長期に使用できるので最も利用されるが,気胸をつくる可能性,動脈穿刺となれば圧迫止血ができない欠点がある.どのルートで あっても確実に血管の中に入っていることを血液の逆流で確かめる.胸腔や腹腔を点滴で水浸しにしてはいけない.中心静脈確保は一度失敗すると血腫をつくっ て二度目は入りにくくなるので,1発必中の心構えである.カテーテルが長すぎると心室に当たって不整脈をきたすので胸部エックス線での確認が必要である.


◎気管挿管は救急の基礎.

    気管挿管は声帯が見えれば絶対に成功する.声帯が見えない原因は喉頭鏡のブレードが深く入りすぎていることがおおい..少し引いてみると声帯が見えてく る.挿管後はバックを押して呼吸音と左右差を確かめる.呼気時にチューブがくもれば肺,ゲボゲボと音がすれば胃である.チューブが食道に入っていれば,チ アノーゼは強くなり腹が膨れて胃が破裂する.最後に胸部エックス線を撮ってチューブの位置を確かめるが,チューブ先端の位置は気管分岐部の3cm上 である.経鼻挿管は自発呼吸のある患者の場合に適応となるが,行うべきではない.経鼻挿管の手技をわざわざ憶えるほどのメリットもなければ,救急カートを 煩雑にするだけである.経鼻挿管は鼻出血などの臓器障害は意外に多い,また何よりも盲目操作であり操作に確実性がなく成功率も低い.経口挿管できればOKである.経口挿管は気管壁の圧迫壊死をひきおこすので2週間が限度,長期を要する場合は気管切開の適応となる.

◎気管内挿管と中心静脈確保,出来ぬなら当直医の資格なし.


  気管内挿管と中心静脈確保が出来れば手技的に合格,あとは頭脳だけである.気管内挿管は30秒 以内,中心静脈確保は3分以内である.意識のない患者に局麻をしながら中心静脈確保をしている研修医を見ると頭を叩きたくなる.挿管時に歯を折ってしまう 研修医を見ると頭をかち割りたくなる.意識障害の患者に麻酔はいらない.意識のある患者には,セデェーション,筋弛緩剤の使用が必要である.気管内挿管は 中心静脈確保より優先する.中心静脈確保に時間のかかる場合は,挿管チューブよりボスミンの散布が効果的である.その他,気管内投与可能な薬剤は,リドカイン,アトロピンである.


◎股間に手を入れ,触診で血圧を知れ.

  重症患者が運ばれてきた場合,あなたの手を股間にすべりこませなさい.橈骨動脈で脈拍が触れなくても大腿動脈が触れれば血圧は50 mHgはある.血圧の変動は大腿動脈の拍動の強さで推測できる.また重症患者を搬送する場合は,動脈の拍動で血圧を推測する以外に方法がない.頚動脈は押さえにくいし脳の血流に影響をおよぼすので,やはり大腿動脈の拍動である.拍動がなくなれば,すぐに心マッサージである.


◎どんな女性でも女性をみたら妊娠と思え.

   女性が嘔気などの消化器症状で来院した場合,妊娠による悪阻症状と鑑別しなければならない.誤診の大部分は問診を怠ることにあるが,生理が順調といって も着床出血を生理と間違うので安心できない.また女性の容貌でごまかされてはいけない,つらい時には顔をゆがめ,どんな美人でもブスに見えるものである. 子宮外妊娠を見逃せば生命に関わる.本人が最近中絶したというアナムネは,子宮外妊娠はそのまま継続されるから否定の根拠より肯定の根拠となる.最近の妊 娠反応は妊娠4週,すなわち妊娠後2週から陽性になるので役に立つ.救急室に妊娠反応キットを置くべきであるが,医者や看護婦が使用するためすぐに無くなってしまうのが欠点といえる.


◎神経所見で大切なのはBarreサイン.

  神経所見を一つ選ぶとしたら,瞳孔,対光反射などと答えてはいけない.瞳孔に変化がくるようであれば,一見しただけで重症であることがわかる.経過をみるには良いが必須ではない.大切なのはBarreサインである.Barreサインで軽症の脳血管障害を知ることができる.+4/5の変化を四肢の挙上で調べるのである.発症早期の脳梗塞であればCTよりも診断価値がある.少なくとも1分間は挙上させ左右差を調べよ.ギランバレーのバレーである.なお脳血管障害は軽症でも進行の可能性があるから入院の適応となる.


◎原因不明の意識障害にはグルコース.

  意識障害イコール脳疾患と短絡させてはいけない.原因不明の意識障害であれば,まずは低血糖性昏睡の否定からである.50 %グルコース20 ml,2Aの静注を試してみる.低血糖による意識低下は,数時間で脳の不可逆性変化をひきおこすから早めの治療が必要である.たとえ高血糖による昏睡であっても,グルコースの静注は許される.救急室に簡易血糖測定器があれば診断はもちろん容易である.簡易測定器は400mg/dl以上はHiと表示されるが,Hiがでたら反応時間を1/2にして測定値を倍にする.頭部CT検査室の前には,「血糖チェックのないものの立ち入りを禁ず」の張り紙が必要である.


◎説明のつかない意識障害.

  栄養状態が悪く,ルーチン検査で診断がつかない意識障害患者は,頻度は少ないがWernike脳症を考えサイアミン(ビタミンB1  100 mg 静注)の予防投与である.Wernike脳症は意識障害,眼球運動障害,運動失調を3徴とするが,意識障害の著明な劇症型Wernike脳症でも早期のサイアミンの投与で完全に回復する.悪性腫瘍患者で意識レベルの低下や譫妄がでた場合には癌の脳転移を考えなければいけないが,高カルシウム血症による精神症状であることが意外に多い.この際にはアレディアの投与で改善する.


◎過換気症候群,その裏に重要な疾患が隠れている.

   過換気症候群の治療には紙袋を用いるより,息をこらえさせる方が簡単である.「息をこらえなさい」と言いながらカルテを書いているうちに大部分は改善す る.過換気症候群が精神的な要因だけであれば問題はないが,他の重症疾患の危機的反応として二次的に出現している場合があるので,軽々しく診断してはいけ ない.反復性の肺梗塞は過換気症候群と臨床上区別がつかないから,血液ガスの測定が必要である.


◎頭痛に項部硬直,ルンバール.

  頭痛の多くは筋緊張性頭痛であるが,クモ膜下出血の軽症例,髄膜炎を見落とさないことである.嘔気や嘔吐を伴う頭痛であれば要注意,髄膜刺激症状としての項部硬直(neck stiffness) の有無,髄液検査が必要となる.項部硬直は枕をはずし患者の後頭部を持ち,頭を持ち上げた時の抵抗感の有無で調べるが,この診断は真面目な医者ほど時間が かかる.患者は緊張していて,首をダラーンとはしてくれない.このように緊張している患者やパーキンソン病患者は,頭を左右に回しても同様の抵抗感がある ので診断は上下と左右との比較になるが診断は難しい.最も簡単で確実な方法は,座らせたまま「自分のおへそを見てください」ときく.項部硬直があれば顎を 引いて自分のへそを見ることはできない.


◎誤診率2割のクモ膜下出血.

  クモ膜下出血の軽症例は頭痛の症状だけで受診するから,風邪や高血圧性による頭痛と誤診される.クモ膜下出血の初診時の誤診率は約2割との報告がある.頭部CTが 正常でもクモ膜下出血は十分にありえる.突発する激痛の訴えがあれば髄液検査が必要となる.クモ膜下出血の鑑別のためのルンバールは髄液の性状を調べるの が目的だから,髄液は1〜2滴で十分で圧の測定などは不用である.髄液が血性であれば3本試験管を用意して3本目が同じ様に血性であるかどうかを調べ手技 による出血と鑑別する.


◎結核性髄膜炎は胸の影でわかる.

  胸部エックス線の胸膜肥厚の所見を見て,「むかし結核をやりましたね」と言うと,誰もが鳩ポッポのように驚いてしまう.この患者の驚きは,結核菌の感染と 発症を同一視していることによる.日本人の多くは小児期に結核に罹患している.罹患しても症状を出さないのは生体防御反応により結核が封じ込められている からである.この封じ込められた結核菌が,過労や他の病気に合併して生体の防御機構が低下すると元気になり発症する.この理屈を知っていれば結核性髄膜炎 患者の胸部エックス線には結核の既往が見つかるはずである.まったく正常の胸部エックス線であれば結核性髄膜炎の可能性は低い.


◎ルンバールで頭痛.

  頭痛の鑑別のための髄液検査で頭痛をきたすことが多い.髄液の排液と穿刺孔からの漏出による脳圧低下が原因で,起立時の頭痛が特徴的である.医原性頭痛の 予防は,穿刺針はなるべく細い針を用いること,穿刺後は腹臥位で後頭を低位にして2時間の安静をまもらせることである.ルンバールによる頭痛は1ヶ月以上 続くことがある.髄液検査をおこなう前には必ず頭部CTで脳ヘルニアの可能性を否定しておく.また手技による汚染には十分に気をつけることである.最初の髄液所見はリンパ球優位のウイルス性髄膜炎,2回目の髄液は好中球優位の細菌性髄膜炎という結果をまねくことになる.化膿性髄膜炎は血液検査による白血球,赤沈,CRPなどの炎症所見は意外に軽度で,血液検査から髄膜炎の診断は不可能である.診断は髄液検査のみである.髄液に混濁があれば化膿性髄膜炎,すぐに抗生剤の投与である.


◎ヘルペス脳炎は疑ったら即治療.

 ゾビラックス (aciclovir) の開発によりヘルペス脳炎の予後は著しく改善をみせた.数年前までは,ヘルペス脳炎の自然経過は 1/3が死亡し, 1/3 が後遺症を残し, 1/3 が 治るとされていた.今日ではゾビラックスの登場により早期投与例による死亡はまれで,問題となる副作用はほとんどないので確定診断を待たずに治療を行うこ とである.ヘルペス脳炎の症状は髄膜脳炎の症状に加え側頭葉症状を持つことで,「カゼだと思っていたら,変なことを喋りはじめた」が家族の訴えとなる.検 査はCTMRI で側頭葉に浮腫などの画像所見を見ることで,髄液検査によるウイルス抗体価やPCR法で調べることであるが,検査のために治療を遅らしてはいけない.ヘルペス脳炎を早期に確定する診断法はないが,治療薬があるからヘルペス脳炎を疑えばすぐにゾビラックスの投与である.


◎慢性硬膜下血腫の診断がつけば治療は簡単.

  ボケや老人性痴呆という言葉が普及しすぎて,老人がボケをきたしても家族はそれほどあわてる様子はない.患者は軽い神経症状や精神症状をもつだけで重症感がみられないので,軽い脳梗塞だろうと軽い気持ちで脳のCTをとり,あわてて脳外科医コールとなる.慢性硬膜下血腫は硬膜下腔に血液がたまる状態で2〜3ヶ月前の頭部外傷が原因とされている.しかし教科書とおりに頭を打ったことなど患者は教えてくれない.CTを見せながらしつこく聞いてやっと半分が思い出す程度である.軽い麻痺が徐々にくるので脳血栓と安易に診断し,血栓溶解剤を投与すれば悲劇のはじまりとなる.まさにCT様々である.なお出血1〜3週は血腫が脳組織と  isodensity となるためCT をみても誤診する.また両側の慢性硬膜下血腫は難しいが,疑って見直せば診断は可能である.診断がつけば治療は簡単,血を洗い流すだけである.


◎発熱患者で感冒症状がない場合は要注意.

   発熱患者で感冒様症状がない場合は,細菌感染,白血病,膠原病,肝炎など様々な疾患が考えられる.必ず翌日再診させる.発熱患者で鼻水を垂らしていれば 感冒である,まず安心してよい.若い女性の発熱の原因として膀胱炎が多い.性行為により尿道から菌が押し込まれることが原因らしい.性行為後の排尿だけで 予防になるというが,妙齢ゆえに説明しにくい.なお悪寒,戦慄は熱が急上昇した時の症状である.あがってしまえば悪寒戦慄は消失する.


◎メマイにもアポあり.

  末梢性のメマイはどんなに症状が強くても問題にならない.問題は中枢性のメマイを見逃さないことである.メマイは強ければ強いほど末梢性である.耳鳴りをともなえば確実である.中枢性メマイは第8神経以外の神経症状をともなうが見逃しやすい.小脳出血や梗塞は回転性のめまいと嘔吐を伴うが,小脳のCTでは骨のアーチファクトが強いので鑑別が困難である.初診時にメマイだけであっても,翌日に片麻痺で再受診となる.メマイの患者は帰宅させてもよいが,症状に変化があれば必ず再診するように指導する.


◎意識障害には胸骨グリグリ.

   意識障害の患者を叩いたりつねったりしてはいけない.意識状態をみる行為は家族にしてみれば可哀想と思うのは当然で,つねった痕を皮膚に残すのは家族の 心情を傷つけることになる.意識障害患者には胸骨グリグリで反応を見るのがよい.胸骨グリグリはつねるより格段痛いが痕を残さない.この痛み刺激であばれ るのなら反応は良好といえる.両手を胸にもってくる恥じらいのポーズをとれば除皮質硬直でまだ望みがある.スキーのジャンプ選手の姿勢は除脳硬直で望みな しである.


◎治療の条件反射.

  やけどは水道水で数分間冷やし続ける.毒を飲んだら吐かせて牛乳を飲ませる.出血は押さえて圧迫止血.脈が触れなければ心マッサージ.鼻血には希釈ボスミ ンガーゼ.子供が喉にモノを詰まらせたらひっくり返して背中を叩く.年寄りが餅を詰まらせたら背中を叩くか,後ろに回ってみぞおちを両手で突き上げる.昆 虫が耳の穴に飛び込んだらキシロカインスプレーの噴霧で昆虫を麻痺させ取ればよい.石鹸をつけても指輪が取れなくなれば救急隊がカッターを持っている. ぎっくり腰にはキシロカイン 5ml とステロイド1Aを圧痛部位に筋注するのがよい.このように治療の条件反射が働かないと緊急時には役に立たない.


◎下痢でこわいのは,腎前性腎不全.

   下痢,発熱の患者に対し,まず脱水の治療を考えなければいけない.脱水による腎前性腎不全は,ある意味では医者の責任である.下痢の患者は水分をとると 下痢が悪化すると思い,水分の補給をおこたっている.脱水による腎不全ほど悔やまれることはない.患者には「水を飲んで,悪いものを洗い流すつもりになり なさい」と話すのがよい.水分の補給ができない患者は点滴のみである.尿量を確保することが点滴の目安であるが,過剰投与は肺水腫へとつながる.急性腎不 全は,たとえBUN100 mg/dlCr10 mg/dl 以上でも死ぬことはない.死亡原因の多くは肺水腫と高カリウム血症であるからこの2つに注意する.また腎機能が完全に停止すればクレアチニンは1 mg /1日 で上昇する.このことは,クレアチニンが2.5から3.0に上昇する患者より,0.5から1.5に上昇する患者の方が障害の程度の強いことを意味している.


◎脱水は,舌の乾き,尿の濃さで判断.

   検査データがなければ患者の状態が把握できないようであれば医者として失格である.眼瞼結膜で貧血の診断がつくように,脱水は舌の乾き,皮膚の弾力性, 尿の色の濃淡で判断できる.肉眼的血尿は見ればわかる.呼吸困難はチアノーゼも大切だが,呼吸回数が重要である.苦しければハァハァする.原因は何であれ 無尿が12時間以上続けば腎不全の可能性が高い.発熱患者で喀痰や膿の臭いが強い場合は嫌気性菌による感染が考えられる.


◎尿路結石,死にはしないと勇気づけ.

   食中毒の嘔気や下痢は自然治癒するのが大部分だから,治療は対症療法のみで抗生剤の投与は原則的には必要ない.ロペミンなどの止痢剤の投与は腸管に毒素 を充満させ症状を悪化させるから禁忌である.点滴とブスコパンで治るまで我慢比べである.尿路結石を経験した女性患者は,「結石の方が出産より何十倍も痛 い」という.結石の患者は死にはしないが,痛みをとってやるのも医者の重要なつとめとなる.また末梢性のめまいはどんなに症状が強烈でもいずれよくなる. このような患者に対しては「死にはしないから安心しなさい」,と言う医者の笑顔が大切である.


◎教科書の肺梗塞の検査所見はすべてウソ.

 急性の呼吸困難,胸痛の患者の中で肺梗塞は意外に多い.そしてほとんどが,血液検査も心電図も胸部エックス線も変化をきたさないので,首をひねるばかりで時間だけが過ぎてゆく.過換気をともなった低酸素血症(PaCO2<40mmHg, PaO2<60mmHg)は肺梗塞を考えヘパリン100 U/h あ るいはウロキナーゼの投与である.治療の時期を過ぎてから肺シンチで肺梗塞と診断しても意味がない.肺梗塞の検査所見は心電図では右房負荷,胸部エックス 線では透過性の亢進であるが,後で振り返って気づく程度である.治療後は,なぜ肺梗塞をきたしたのか原因となった動脈血栓の有無を精査する.抗リン脂質抗 体症候群の鑑別も必要となる.


◎教科書の間違い.

 高カリウム血症の治療として,ケイキサレートをソルビトールに溶解させて浣腸する方法が教科書に書いてある.しかしこの方法は腸管壊死をきたすことが報告され禁忌となっている.ケイキサレートを5%グルコースあるいは水に溶解させ浣腸するのが正しい方法である.また重症患者で血圧が上がらない場合,教科書どおりにμg/Kg/分の計算式でイノバンを投与するよりは血圧が上がるまでイノバン入り点滴のフラッシュである.血圧が上がったら点滴量を減らし計算式に合わせればよい.重篤な副作用のクスリはすぐに市場から回収されるが,間違った記載の教科書を回収すると本屋に本がなくなってしまう.


◎空気が入ると死ぬ.

 点滴中の患者は,点滴が終わりそうになると,空気が入るのではないかと必死の形相となる.そして「看護婦さん,看護婦さん,もうすぐ点滴が終わります」と泣きそうな声で訴えてくる.ここに患者の思い違いがある.空気が入って問題になるのは動脈の場合で1ccでも死ぬことがある.しかし静脈ではたとえ10ccの空気が入っても肺で吸収されるから問題はおきない.また点滴は静脈圧があるから空気が身体に入ることはあり得ない.患者にきちんと教えてあげよう.これを医者の気配りという.


◎胸痛,なにはともあれ心電図.

   胸痛が主訴であれば,経過がどうであれ心電図をとることから診察は始まる.心筋梗塞を否定できれば,自然気胸,肺梗塞,解離性動脈瘤などを念頭におき, 頭を柔軟にする.肋間神経痛は除外診断である,気楽に診断してはいけない.診断のつかない胸痛が続く患者は痛みが本当であれば入院の適応となる.なお心筋 梗塞患者を転送する場合は,リドカインを筋注してからである.知ったふりをしてt-PAを投与してはいけない.t-PAの静注は成功率が高いものの再潅流による致命的不整脈を引き起こす.今は昔と違い転送に1時間以上かかる病院はない.


◎心筋梗塞,ソセゴン使用でばかにされ.

   心筋梗塞の胸痛に対しソセゴン(ペンタジン)の投与は,肺末梢血管抵抗を上昇させるので禁忌である.心筋梗塞の痛みには塩酸モルヒネで,痛み以外にも肺 鬱血を改善させる血管拡張作用がある.なお塩酸モルヒネは気管支収縮作用があるから喘息患者には禁忌となる.分かっていても,咳がつらいと患者が訴えると リン酸コデインを処方して失敗する.心筋梗塞患者で血圧の低下時にニトログリセリンの舌下は禁忌である.その際は昇圧剤を使用し血圧を上げてから投与す る.冠動脈は心臓の拡張期に血液が流れることよりニトログリセリンの舌下で拡張期血圧が低下すると胸痛が増強する.狭心症患者の胸痛発作時に二トロールを なめるように指導するが,二トロール舌下で胸痛発作を誘発することもある.


◎ヘソより上の痛みに心筋梗塞.

   心筋梗塞を見落としては医者の恥である.心筋梗塞でありながら胸痛以外の主訴で来院する患者も多い.肩の痛みや歯の痛みを訴える場合や,腹痛,悪心,嘔 吐などの消化器症状だけの心筋梗塞もある.圧痛のない心窩部痛の訴えは心筋梗塞(下壁)の可能性がある.少しでも疑いがあれば胃内視鏡ではなく心電図を優 先させないと,内視鏡の検査中に心停止となる.また腹部症状を訴える重篤な疾患として糖尿病がある.インスリン依存型糖尿病は腹痛,悪心,嘔吐が初発症状 で急速にくることがある.糖尿病の消化器症状はブスコパンやプリンペランによる改善はのぞめない,血糖とアシドーシスの補正のみで改善する.口渇があって 悪心をともなう患者を,ただの二日酔いだからと安易なブドウ糖の点滴で症状を悪化させてはいけない.


◎診断できない心筋梗塞.

  急性期の心筋梗塞や回旋枝領域の心筋梗塞は心電図変化をきたさないことがある.さらに糖尿病患者は心筋梗塞で痛みを訴えない場合があるので診断は困難とな る.心電図で診断ができない場合は心エコーで壁の運動をみれば分かるというが,一般的ではない.胸痛が持続するようであれば,入院させ経過をみることであ る.胸痛疾患で生命に関わるのは心筋梗塞,解離性大動脈瘤,肺梗塞である.そして軽度の胸痛で意外と多いのは帯状疱疹である.皮疹がなければ診断は難しい が,帯状疱疹の可能性を話しておかないと皮疹がでた後で恥をかく.帯状疱疹の治療はゾビラックス15Tの投与で,後遺症である神経の痛みを軽減させる.

◎ジャンプ一発虫垂炎.

  どのような患者でも腹痛を訴えればまず虫垂炎の除外である.虫垂炎を見落とせば,医者も患者も致命的となる.分かっていても見逃してしまうから恐ろしい. 特に老人や子供の場合は症状が典型的でないため,虫垂炎を常に除外する態度をもたないと誤診確実となる.子供の場合は感冒様症状が先行することが多いの で,カゼによる胃腸炎と誤診してしまう.80歳 以上の老人や精神病患者の虫垂炎は手術時にはほとんどが穿孔している.妊婦では圧痛点が胎児に押されて右上腹部になるので,これを知らないと診断を誤って しまう.虫垂炎の診断はもちろん右下腹部の圧痛であるが,直腸診で右に圧痛があれば可能性は大である.立位でジャンプをさせて腹にひびくようなら可能性は 高い.症状が強くなると,前屈みになり右足を引きずるようにそっと歩くようになる,足どりで虫垂炎が分かる.


◎叩けば答えがひびく.

 発熱患者や腹痛患者に対してはCVA tenderness を必ずみるようにする.これほど明らかな理学所見はない.尿路結石や腎盂腎炎の診断におおいに役に立つ.CVA tenderness の 偽陽性は脊椎や背筋の痛みであるが,脊椎は押しても痛みを訴える.筋肉性の痛みは強く押せば痛みを感じるが,軽くなでるようにすると患者は気持ちよく感じ られる.尿路結石や腎盂腎炎は押しても痛みは感じないが,叩けば「もう堪忍してくれ」という.同じように胆石や胆嚢炎では右季肋部に叩打痛がある.Murphy 徴候などよりはるかに診断価値がある.肝炎や肝臓癌も季肋部の左右差を比べれば診断価値がある.


◎見れば分かる腹痛.

   見れば分かる腹痛として,年寄り女性は大腿ヘルニアの嵌頓,年寄り男性は鼠径ヘルニア嵌頓が意外に多い.パンツを下げて腫瘤を見るだけで診断できる.患 者は腹部腫瘤に気づいていても,その存在を言わないことが多い.患者が腫瘤を触れると言って心配するのは剣状突起や脂肪腫である.研修医は腎臓を腫瘤と誤 診して心配する.また糞塊を腹部腫瘤と間違うこともある.腹痛の訴えがあれば必ず見て触ることである.腹部に手術痕があれば癒着性イレウス,手術痕が数カ 所あれば「ほら吹き男爵病」を考慮する.


◎腹膜刺激症状は外科的疾患.

  腹痛患者の多くは急性胃腸炎や便秘などの軽症疾患で,大部分は安心して帰すことができる.しかし,反跳痛や筋性防御を示す場合は,急性腹症すなわち外科的 処置が必要となる.急性胃腸炎でも反跳痛をきたすことがあるが,即入院か転送の心構えである.腹痛の程度は患者の言葉を真に受けると間違いのもとになる. 腹膜刺激症状があれば患者が平気な顔をしていても重症である.腹膜刺激症状は腹部所見の中で最も重要な所見であるが,外傷後の腹痛や腸間膜動脈血栓症の初 期では腹膜刺激症状を伴わないことがある.腹痛をきたす疾患の血液データで重要なのは炎症を示す白血球増加,組織の壊死を意味するLDHの上昇である.


◎酸素投与で呼吸抑制.

  呼吸不全の患者には血液ガス測定が必須である.老人の呼吸困難患者で高炭酸ガス血症をともなう場合は,酸素の投与でCO2 ナルコーシスを誘発するから安心できない.PaCO280mmHg以上になると意識の回復が困難となる. 高 炭酸ガス血症の患者には少量の酸素を投与し,改善しなければ気管挿管の適応となる.高炭酸ガス血症の身体所見は,低酸素血症に比べ呼吸困難が軽度であるこ と,手が温かく発汗していること.また頭痛を訴えたり傾眠を示すことであるが,血液ガス測定ができない場合はこの症状を参考にしてもあてにしてはいけな い.他の施設に転送するしかない.なお一度CO2 ナルコーシスを経験した医者は呼吸不全患者に酸素を投与するのを躊躇しがちになるが,CO2 ナルコーシスをおこすのは例外なく老人である.若者の呼吸不全は酸素の大量投与を迷ってはいけない.あつものにこりてなますを吹いてはいけない.


◎チアノーゼがないことにだまされてはいけない.

   チアノーゼの患者は状態が悪く入院は当然である.しかし,チアノーゼと低酸素血症はイコールではない.ショックによる末梢循環不全では酸素分圧が正常で もチアノーゼをきたす.また酸素濃度が低くてもチアーゼを示さない患者は意外に多い.迷うことはない血液ガスを測定すればよい.また喘鳴のない喘息患者に だまされてはいけない.喘鳴が聴こえないほど気道が閉塞していれば,呼吸困難のためしゃべることはできない.このような患者は重症感を最優先に酸素投与な どの処置を急がないと,意識低下と心停止が次にくる.


◎ボスミンはアシドーシスでは効果なし.

  心停止の患者にボスミンを投与して効果がないと諦めてはいけない.アンビューバッグによる過換気,pH 7.15 以下ならメイロンの投与を急ぐべきである.メイロンの必要量の計算式は変動する患者には意味がない.血液ガスの測定を頻回におこなうことである.なおメイロンは心筋抑制作用があり,血液のpH が 改善しても組織のアシドーシスを改善させないことより必要最小限の投与とする.メイロンの大量投与は脳や心筋の乳酸アシドーシスを亢進させ,髄液の酸性化 をきたす.また高ナトリウム血症による脳浮腫などの報告がある.救急薬剤においてメイロンと同じように,カルシウム製剤の効果も見直されている.カルシウ ム製剤は心筋の収縮力を高めるとされていたが,今では悪影響のため救急カートからはずされている.


◎輸血1パックで1gアップ.

  濃厚赤血球1単位(200ml) でヘモグロビン1gの増加が期待できる.目安として覚えておくと便利である.また濃厚赤血球 200mlは,血液 200mlから濃縮したことを意味しており,容量は約120mlとなる.これに当量の凍結血漿を加えると,まともな血液となる.なおヘマトクリット10 %の低下は1000mlの出血と憶えておくとよい.凝固系の異常のある肝硬変などの患者の出血には,濃赤輸血以外に凍結血漿  ( 5 -10 単位) が必要である.出血性ショックの基本は輸血と止血である.たとえ血圧が触れないほどの出血でも,外妊などの腹部からの出血であれば手術の適応である.あきらめてはいけない.


◎輸血の事故は必ずある.

 不適合輸血ミスは各病院で1例は経験している.ないという病院は隠しているか,これから経験するかである.不適合輸血の頻度は0.1%で,その3割が死亡している.輸血量が100ml以下であれば死亡率は低い,早くミスに気づくことである.その原因のほとんどは検査ミスではなく,検体の間違いや投与すべき患者の間違いである.治療はハプトグロビンの点滴と,DIC,ショックの予防である.


◎膀胱バルーンは奥までおしこんで.

  膀胱バルーンカテーテルは尿閉や尿量の測定が必要な患者に対して行われる.女性の場合は簡単であるが,男性に挿入する場合問題が起きやすい.まず潤滑と麻酔のためにキシロカインゼリーを注射筒で尿道に注入する.バルーンカテーテルは細いものは折れ曲がりやすいので16-18Fr を 使用する.吸入して尿の逆流があっても尿道内である可能性があるので,カテーテルは尿の逆流があっても最後まで押し込んでからバルーンを膨らます.この最 後まで押し込むことが尿道損傷を防ぐ基本である.またカテーテルの挿入が困難な場合には,ブジーやスタイレットを用いる方法があるが泌尿器科以外の医者が 行うのは危険である.泌尿器科の医者にまかせたほうがよい.相手は導尿のプロである.泌尿器科の医者がいない場合には,膀胱穿刺の方がむしろ安全である.


◎肥満患者でも栄養不良の患者がいる.

  患者を診るときには注意深い観察が必要である.肥満患者は脂肪に含まれる水分が少ないため,一般人より脱水をおこしやすい.また皮下脂肪は栄養が低下して も容易に代償してくれないので数日間食事を取れないと低栄養となり血液中のコリンエステラーゼが低下する.潜入観念をもって患者を診てはいけない.喘息患 者が喘鳴で来院しても,喘息発作とはかぎらない.気管支異物や気管支腫瘍が原因の喘鳴もある.心不全(心臓喘息)による喘鳴であれば治療はラシックスであ るが,心臓喘息もネオフィリンの投与で多少よくなるので誤診しやすい.


◎喘息患者の肺はかたい.

 「喘息で死ぬことはない」と昔の教科書に書いてある.しかし,喘息死はまれではない.呼吸状態が悪い場合は挿管であるが,気道内圧が高いため,無理をすると肺に穴をあけてしまう.もちろんPEEPをかけてはいけない.PaCO2の上昇は無視してPaO2を保つようにする.たとえPaCO2100mmHg以上でも死ぬことはない.生食で肺をあらい,ミオブロックでもダメなら最終的に全身麻酔である.なお喘息患者の生活指導で,タバコはもちろんダメであるが酒もダメである.原因は分からないが,飲酒時の喘息死が多いからである.


◎点滴は11食分.

  点滴は細胞外液成分と細胞内液成分(3号液)に分けられる.血管内ボリュームを増やしたい場合は細胞外液(ハルトマン)をつなぐ.脱水患者で腎臓が悪そうであればカリウムを含まない1号液が基本である.心不全のルート確保は5%グルコースである.重症患者の静脈確保は点滴確保だから何をつかってもかまわない.イレウス患者は腸管内に水分が逃げるのでジャンジャン輸液である.糖尿病性昏睡患者は血液を薄めるつもりで,血糖250mg/dlまではジャンジャン生食の輸液である.通常の患者の場合は,点滴は11食分と覚えるとよい,13本が基本となる.


◎補正をあっせてはいけない.

 検査データを早く戻そうとあせってはいけない.低ナトリウム血症による痙攣は抗痙攣剤に抵抗を示すのでナトリウムの正常化が根本治療となる.しかし急速に低ナトリウム血症を補正すると橋中心髄鞘崩壊症をひきおこすので,血清ナトリウムの補正は120 mEq/l までは急速補正で戻し,120 mEq/l をこえたら3日間での緩徐補正を目標とする.急を要する低カリウム血症でも,その補正は40mEq/h (1A/h)をこえてはいけない.腹水でパンパンの肝硬変患者の腹水を急速にドレナージすると循環不全によるショックをひきおこす.利尿剤で腹水を急速に減らすと腹水のアンモニアが血液に移行し肝性脳症を誘発する.


◎吐血にピトレシン.

 肝硬変患者が吐血で来院した場合,食道静脈瘤からの出血とは限らない.胃潰瘍の出血も3割ぐらいだから鑑別は内視鏡による.食道静脈瘤の治療は内視鏡的硬化療法で,次にSegstaken-Blakemore tubeである.肝硬変患者の吐血でこれができなければ転送である.救急の本を読んでピトレシンを想い浮かべてはいけない.薬局でピトレシンを探しても,どうせ期限切れのアンプルが見つかるだけである.もし薬剤を使うのであれば,門脈圧を低下させる二トロールの静注である.


◎心マッサージの効果は瞳孔で,目的は心蘇生ではなく脳蘇生.

   テレビドラマで見る心マッサージはまったく効果がない.当たり前である.心マッサージは肋骨が折れるほどの圧でなければ効果がないからである.ベットが やわらかい場合には背板を患者の下にしき,腕をのばし真上から体重をかけるように胸骨をおす.心マッサージの効果は瞳孔で判断がつく.つまり,脳循環が保 たれれば散大していた瞳孔が改善する.また脳の機能が改善しなければ心マッサージの意味がない.心蘇生の目標は心臓を蘇生させることではない,脳を蘇生さ せることである.心マッサージの回数は80回/分.正しい方法は心モニターの波形を正常人の波形に近づけるように意識するのがよい.


◎知ってますか呼吸マッサージ.

   開胸心マッサージは多くの教科書に載っているが誰もやらない.呼吸マッサージ(用手人工呼吸)は教科書に載っていないので誰も知らない.胸郭下部両側面 に両手をあて圧迫をくりかえす方法である.呼吸停止の場合,挿管までの短時間なら効果がある.また,圧迫が刺激となり自発呼吸が出る場合がある.なお呼吸 が止まっていれば,また動脈血をとって黒ければ,血液ガスなど測定せず,すぐに気管挿管である.


◎中心静脈圧,頭をつかえばすぐ分かる.

   中心静脈圧の測定は繁雑であるが,中心静脈カテーテル挿入時の血液の逆流の程度で中心静脈圧の見当がつく.また経過でみる場合は,点滴チューブの接続部 をはずし上下させれば水平面の高さから中心静脈圧が分かる.肺疾患患者に中心静脈ラインを挿入する場合は健側胸部に入れてはいけない.挿入に失敗して気胸 をつくると悲劇となる.また左鎖骨からの挿入は胸管損傷のおそれがあるからなるべくさけるべきである.片麻痺患者の末梢点滴は罹患側に入れてはいけない. 点滴が漏れても気づかないからである.


◎ナートに針1本.あなたはマジィシャン.

  中心静脈ルートを皮膚に固定する場合ナートセットは必要ない.18 G のピンク針と糸があれば簡単にナートできる.まずピンク針を皮膚に刺し5mm位 の挿入で再び皮膚から顔を出させる,ピンク針の先端の空洞に糸を押し込め,次にピンク針を皮膚から引き抜くだけで糸だけが皮膚に残り完成する.あとは糸を 結べばよい.また糸を切る場合はハサミは必要ない,注射針の先端で糸をはじくようにすれば切ることができる.最後に看護婦さんの拍手が待っている.


◎心不全に吸血鬼.

  救急外来において心不全の治療はさほど困難ではない.起座位にして酸素をあたえ少量の点滴をしながらラシックスである.ジゴキシンは静注してもすぐに効果はないが昔からの義理で投与する.問題は心不全で腎不全を合併している場合である.ラシックスを1A, 2A, 4A, 8Aと 投与しても排尿がみられない場合,三次救急の医者は笑うだろうが瀉血が一時的に効果がある.瀉血で一時的危機を回避し透析の応援を待つのである.中世ヨー ロッパではあらゆる病気で瀉血療法がおこなわれたが,今日では多血症,ヘモクロマトーシス,心不全ぐらいしか適応はない.


◎セルシン静注は,話しかけながら.

   セルシンには呼吸抑制や血圧ストン作用があるため通常は筋注である.しかしケイレンなどの急を要する場合,点滴では白濁するから静注となる.静注時は患 者と世間話をしながらゆっくりと行う.ゆっくり静注はセルシンに限らず静注の基本である.中心静脈カテーテルを鎖骨下から挿入する際には,布は患者の顔に かけず,折り返すようにして顔の表情が見えるようにする.患者の顔の表情を見ながらIVHの挿入を行えば,痛ければ顔をしかめるし急変すればすぐに対応できる.迷走神経反射によるものか,リドカインによるショックなのか,IVH挿入時の呼吸停止は意外に多い.


◎血圧,確かめよう右左.

  解離性大動脈瘤は突然の胸痛で発症する若年者に多い疾患である.しかし最近では老人の解離性大動脈瘤が意外に多くみられる.加齢による動脈硬化が原因であるが,痛みが軽度の場合には診断が困難となる.胸部CTを行う前に血圧の左右差をみることが必要である.左右差が 20mmHg 以上あれば有意である.ほとんどは他の病院へ転送となるが,血圧は降圧剤で収縮期血圧110 mmHgを目標にさげておく必要がある.救命の可能性は十分にある.発熱患者の脈拍の左右差を調べ,大動脈炎症候群(脈なし病)と診断すればプロ中のプロであるが,言葉で言うのは簡単でもこれが難しい.A病院で高血圧,B病院で低血圧と診断されるのが大動脈炎症候群なのである.もちろん障害血管の部位によって「脈のある脈なし病」もある.


◎マユを剃ってはいけません.

   創傷の処置ぐらいは医者なら身につけておくべきである.軽度の創傷であれば洗浄と消毒をおこない滅菌テープで固定しガーゼを当てればよい.縫合する場合 は十分に創部を洗浄しデブリードメンを行ったあとである.顔面や頭部のキズは出血が多いので,麻酔時間の長いエピネフリン入りのキシロカインで麻酔をして もよいが,手指や足趾では血管収縮による血流障害から壊死をおこすのでエピネフリンの入っていないキシロカインをもちいる.頭部外傷の場合,感染予防のた め頭髪を剃るが,マユを剃ると生えるまで数カ月かかる.患者に恨まれる.内科医がキズを縫う場合,「自分は慣れていないが縫ってよいか」,他の病院を紹介 することを含め患者に判断させる.後日患者からクレームがこないように外傷部位の写真をとって残すようにする.


◎口で呼吸している患者には,経鼻カニューラは効果なし.

 当たり前である.その際には経鼻カニューラを口にくわえさせればよい.通常経鼻カニューラで5リットル以上の酸素を流す場合は,患者に不快感を与えることになる.高流量が必要な時はフェイスマスクに変えるほうがよい.人間が生きていく上で最も大切なのが酸素である.目標は PO2  60 mmHg,酸素飽和度90%以上である.病棟で酸素の投与を受けながらタバコを吸っていたツワモノ患者に驚いたことがある.


◎老人の「ちょっとおかしい」は要注意.

  老人は身体の反応性が鈍いだけでなく,病気に対しての反応性も低下している.老人の感染症の場合,発熱や白血球増加を認めないことも珍しいことではない. 家族が「いつもと違う」,「元気がない」,「寝てばかりいる」と連れてくる老人は要注意である.最近ボケてきたという主訴だけの慢性硬膜下血腫はよくある ことである.また老人は予備能力が低下しており容易に脱水となる.点滴1本でロボットのスイッチを入れたように改善することもある.老人の発熱で頻度が高いのは肺炎と尿路感染,腹痛で多いのはイレウスと虫垂炎,緊急手術になることが多いのは急性胆嚢炎である.また医者が後悔するのは腸間膜動脈血栓症である.

◎性格のよい老人.

  老人は病気に対して,「どうせ年のせい,今まで生きてきたからもういいだろう」という諦めの気持ちや,「家人や他人に迷惑をかけたくない」という優しい気 持ちが強いので,病院にくるのが遅れてしまう.しかし,ヒトのよい老人の言葉を真に受けてはいけない.治療や手術の適応は,年齢とは無関係である.早く診 断を下し治療することである.「あなたは閻魔様に嫌われているから,まだ大丈夫,良くなりますよ」この言葉に老人は納得する.


◎意識のない患者でも,あなたの言葉を覚えている.

  脊髄小脳変性症,パーキンソン病などの患者は意志の疎通が悪そうであるが,実際には頭は悪くない.意識が悪そうだからと,人間の尊厳をキズつけることを 言ってはいけない.脊髄麻酔の時は,患者は動けないが意識は当然しっかりしている.不用意な言葉はつつしむべきである.医者の何気ない言葉が患者の不安と 怒りをひきおこす.不穏患者のベット抑制をおこなう場合にも,本人に声をかけ抑制する習慣をもつことである.どうせ分からないだろうと不遜な態度をとって いるといずれ失敗する.家族にはベット抑制の意味を前もって説明しておかないと誤解をまねく.病院において日常的なことも本人や家族にとっては理解のでき ない処置はあとで問題を残すことになる.


3度目の正直DOA

  救急外来患者の多くは救急処置が必要と思い込んで病院を受診するが,そのほとんどは入院の必要のない軽症患者である.しかし,1度 帰宅させた患者が再受診した際には入院を考慮したほうがよい.もちろん心気症に近い患者も多いが,予想した診断が間違っていることもある.医者は診断名で 入院の適応を決める傾向にあるが,「どこかおかしい」「ちょっとヤバイかな」というアバウトな感覚こそ重要である.失敗するケースはこの感覚に素直になれ なかった場合が多い.絶対の自信がなければ入院させ様子をみるのがよい.大丈夫と思って帰した患者が3度目に DOA で戻ってきたり,他の病院に入院することは珍しいことではない.自分の身体は自分が一番知っているというように,医者の判断より患者の判断の方が正しいことも当然あり得る.再診患者は邪見に扱わず,患者の訴えを素直に受けとめることである.


◎腹水穿刺を恐れるな.腸が針を恐がって勝手に逃げてくれる.

   腹水が確実にあれば,腹水穿刺は外来でも可能である.穿刺の結果が血性であれば肝癌破裂の可能性が高い.肝癌破裂であれば肝動脈閉塞術かそのまま諦める かである.また血性腹水から外傷や子宮外妊娠による出血も診断できる.漏出性,滲出性の区別は尿の比重計で判断可能である.漏出性であれば心不全か肝硬 変,滲出性であれば結核あるいは癌性腹膜炎である.腹水穿刺をためらう理由はない.腹水による膨満感で苦しんでいれば腹水を抜けば楽になる.腹水穿刺は安 全な手技である.穿刺部位は下腹壁動静脈を損傷しないように腹直筋をのぞいた側腹部ならどこでもかまわない.わざわざエコーガイドの必要はない.注射針を 腹に刺しても腸に刺さることはない.腸が勝手に逃げてくれる.腹水穿刺と同様,心嚢液貯溜による心嚢穿刺も恐れるに値しない.心嚢穿刺は心タンポナーゼを 解除する緊急的手技であるが,ほとんどの医者は経験がないから恐れている.患者を半座位にさせ剣状突起から左肩を狙い30度の角度で挿入させればよい.


◎ベッドから羽ばたけない患者.

 飲酒家の肝障害患者が不穏状態となった場合,アルコールの禁断症状なのか肝性脳症なのかの鑑別が必要となる.カルテを読めば判断がつくが,カルテが真っ白の時は,当直医は真っ青となる.両者の簡単な鑑別は,アルコールの禁断症状患者は禁酒2日目頃に症状がでるが,ベッド上でじっとしていることはない.ベッドの回りを動き回ろうとしている.肝性脳症患者は,羽ばたき振戦はあるものの,元気がなくベッドから羽ばたくことができない.


◎徐脈には硫アト1丁,だめならプロタノール.

  救急カートの薬ぐらいは使いこなせるようにする.一番簡単な方法はデキの良い医者に説明してもらうことであるが,説明を受けてもすぐに忘れるから,薬の投与方法は拡大コピーをして救急カートに張っておくとよい.薬の量は 50 kg の患者を想定して頭に入れておく,あとは比例計算で算出できる.たとえば,100 ml 生食にイノバン3Aを 入れ,小児用点滴セットで滴下すれば,ガット数がガンマ数となる.医者に電卓は似合わない.当直の時は救急患者に対しての心構えはあるものの,救急カート のクスリと器具の点検を忘れずにしておくことである.必要な時に,喉頭鏡の電池が切れていたり,リドカインを探しに看護婦が病棟を走り回るのは日常茶飯事 である.分かっていても喉元すぎればまた同じ間違いを繰り返すことになる.


◎ドカンとイッパツ除細動

 心停止,心室細動の患者には胸部を手拳で叩打する.これで2割ぐらいの患者がもどる.ダメならDCショックを200ジュールでおこなう.効果がなければ300360ジュー ルと増量する.それでも効果がなければ心マッサージを続行し,ボスミン,リドカインを投与したのちに除細動の再度挑戦である.DCはペーストをバトル全体 に塗り皮膚との接触面を広くとらないと熱傷をつくることになる.DC終了時に患部をタオルで冷やすことが熱傷の予防となる.もちろんゴム手袋をして感電の 防止をおこなう.バトルを当てる場所をマニュアルを見て調べる必要はない,心臓をはさみこむように皮膚に押しつけるだけである.DCをためらう必要はな い.ドカンといけ.救急は学問ではない,除細動を知っていても実際にやれる医者は1割もいないだろう,欧米の救急隊以下である.


◎やってはいけないDCショック.

  DCショックは除細動が目的であり完全に停止した心臓を動かすことはできない.生きているか死んでいるか分からない場合にはDCショックの適応はあるが,冷たくなって運ばれてくるDOA患者には無効である.教科書ではDCショックの適応として心房細動や上室性不整脈と書いてあるが,意識のある患者にDCショックは禁忌である.DCショックを行なう患者は心室細動や心室頻拍で通常意識のない場合であるが,意識のある患者にDCショックを行うと患者の恐怖は地獄以上と言われている.やる場合は必ず麻酔下である.

◎点滴用リドカイン,点滴でつかえば救世主,静注すれば地獄をみる.

  リドカイン点滴用(1g)のワンショット静注は,研修医の致命的医療過誤として頻度が高い.抗不整脈剤であるリドカイン点滴用の静注は,不整脈をきたし死をまねく.また点滴用インスリンを静注する事故もある.インスリン大量静注時は,50%グルコースを静注しカリウムを多めに入れた点滴でキープすることである.低血糖のピークは30分後にくる.またカリウムの静注事件は笑い話ではない.他の薬剤と間違って静注することがある.頭はパニック,すぐに心蘇生である.10分もてば血中カリウムは低下し救命できる.救急カートのクスリは何をつかってもよい.たすけることである.

◎生命線は,すなわちデットラインである.

  患者の状態を知る上でバイタルの測定は重要である.脈拍40以下140以上.血液ガスPO2 50mmHg以下, PCO2 50mmHg以上.呼吸数5回以下,30 回以上.尿量30ml/h以下,血圧80mmHg以下,出血量は1000 ml 以上,クレアチニン2mg/dl ,血清K6.5 mEq/L ,これらの数値が生命線である.この値が現世とあの世との境界線になる.なんとしても死守である.


◎馬鹿の1つ覚えブスコパン.

   腹痛患者にブスコパンを使うと腹痛の原因が分からなくなると我慢させる医者がいるが,間違いである.ブスコパンで改善するような間欠痛の患者は各種検査 をおこなっても原因不明のことが多い.ブスコパンの投与で痛みが取れない患者は,ペンタジンを投与し検査を進めればよい.ブスコパンの投与により診断が不 明になることはない.このことは発熱患者に対する解熱剤の投与においても同様である.熱型観察の有用性は腸チフスや成人スチル病などの例外はあるが,今日 ではほとんど意味がない.解熱剤の投与は対症療法であるが,心臓病患者は発熱で心負荷を増大をきたす,また頭蓋内圧亢進の患者も発熱で脳圧の亢進をきたす ので解熱剤の投与を躊躇してはいけない.貧血患者に対しても,貧血が急性で高度の場合は原因精査よりも輸血である.


 ◎対症療法の例外.

 高血圧のために頭痛をきたす患者が多い,このような患者に対してはアダラート舌下による降圧だけで症状は改善する.またクモ膜下出血や解離性動脈瘤に対する内科的治療は血圧のコントロールしかない.ペルジピン 1/2 A の 静注で正常域まで下げることである.このように降圧療法が必要な疾患もあれば,脳梗塞の急性期のように血圧を下げてはいけない疾患もある.脳梗塞の発症直 後は血圧が高いが,これは血圧が高いから脳梗塞をおこしたのではなく,脳梗塞が原因で血圧が高くなったのである.つまり血圧の上昇は血流低下をきたした脳 組織に少しでも血液を送ろうとする生体反応なのである.バイタルを良くしようと血圧を下げると脳梗塞を悪化させる.生体の自然治癒力を邪魔してはいけな い.看護婦が心配しても収縮期220mmHgまでは我慢である.なお急性期をすぎれば血圧は自然にもどるので,血圧の下がりで急性期から安定期に移ったことがわかる.

◎専門医に送るべき疾患.

  閉塞性黄疸,胆石,イレウスは外科医が診る疾患である.クモ膜下出血で意識があれば脳外科が担当である.扁桃周囲膿瘍は耳鼻科での切開が必要である.このように他科に送るべき疾患を抱え込んではいけない.同じ内科でも急性前骨髄性白血病は出血やDICによる死亡率が高いが,専門医の適切な化学療法では8割が完全寛解にいたる.全身性エリテマトーデスを教科書を読みながら治療することは不可能である.まれな疾患については専門医のネットワークが必要である.

◎オシッコが出ているのに腎後性腎不全.

  尿閉は膀胱から尿道までの閉塞を意味するが,不完全閉塞の場合は尿が出ていても腎後性腎不全になりえるから病歴でこれを否定することはできない.特に老人 の場合は,下腹部の腫瘍と診断され入院となることがある.鑑別は腎エコーによる水腎症の確認であるが,膀胱カテーテルを挿入すると噴水のように尿が出て, 腹部腫瘤が消失するから診断がつく.腎後性腎不全は治しえる疾患であるから誤診は許されない.尿閉の原因として前立腺肥大の外に抗コリン作用をもつ胃グス リ,抗不整脈剤,抗パーキンソン病剤など薬剤の関与がおおい.


◎急性腎不全は利尿期が危険.

   腎臓の機能は糸球体と尿細管の働きに大別できる.急性腎不全は無尿期から利尿期を経て回復するが,なぜ利尿期となるのか,その理屈を知る医者は少ない. 急性腎不全が回復する場合,糸球体が尿細管より先に回復するため,尿細管の再吸収障害が残り利尿期となるのである.補液の管理の悪かった時代の急性腎不全 は,利尿期の脱水により死亡したのである.同様の理屈で,重症患者で腎の血流量の低下をきたした場合,尿細管の再吸収機能は正常だから濃縮尿となる.腎不 全は血液透析の進歩により恐ろしい病気のイメージから一歩身をひいた.理屈の上では血液透析という医療手段を持つ限り尿毒症という死因は存在しないのであ る.腎不全が悪化した場合は,全身状態が悪く転送できないことが多いから,腎不全患者を血液透析のない病院でみてはいけない.


◎眠れる美女にアネキセート.

   ベンゾジアゼピンの中毒に対しアネキセートが拮抗剤となる.汚物でビショビショの患者がふっと目を覚ます.アネキセートは半減期が短いのですぐに眠れる 美女に戻ってしまうが,意識障害の鑑別に有用である.ワーファリンにはビタミンkが拮抗薬であることは医者の常識であるが,ワーファリン内服による消化管 出血患者にビタミンkを投与するとまもなく止血することを知らない.カゼグスリ(アセトアミノフェン)を大量に飲んだ場合は肝不全に移行する可能性があ る.その際はムコフィリンの投与である.その他の拮抗薬としてメトトレキサートにはロイコポリン.ペンタジンにはナロキソンである.メチルアルコールに対 してはエチルアルコール,ヘパリンには硫酸プロタミンである.ジゴキシンの拮抗剤は欧米にはあるが本邦にはない.その他の疾患には医者が拮抗剤となる.


◎こわい患者にはセレネース,セレネースはこわくない.

  アルコール酩酊患者や暴れている患者を眠らせるのに,セレネース1A+アキネトン1A+生食100 ml のフラッシュである.特に覚醒剤の既往のある患者はセルシンで悪化するから,やはりセレネースである.セレネースは抗精神病薬で精神科医が使うものと考えがちであるが,点滴で血中濃度を高めれば催眠作用が強くなる.セルシンにみられる呼吸抑制 や血圧ストン作用はなく安全である.もちろん普通のヒトにもつかえる.


◎体位は3つだけである.

   足がむくんだ場合には足を高くして臥床すれば自然に改善することは一般人でも知っている.心不全の患者をファーラー位にすることは研修医でも知ってい る.ショック患者やルンバール後の患者の頭を低位にすることは内科医なら知っている.しかし脳圧亢進患者をファーラー位にして脳圧を低下させることは専門 医でも知らない.安静時と体動時では身体の循環血液量が違っており,安静時の血中総蛋白やアルブミン値などは1割も低下するが,当然これを知る臨床医はいない.


◎ショックになればDICDICになればショック.

 汎発性血管内凝固症候群(DIC)は,その長い名前が示すように全身の微小血管内に血液凝固が形成され,凝固因子の枯渇により二次的に出血傾向を示す疾患である.DICの診断は難しく,そのためにDICスコアーが用いられるが,DICの基本は重症患者であることを忘れてはいけない.DICは基礎疾患として感染症や癌などの患者に合併するのであって,DICスコアーが高くても軽症患者にはあり得ない病態である.逆にショックの末期にはDICは必発であり,DICの終末像はショックそのものとなる.治療は出血傾向があるのに抗凝固療法としてヘパリンの投与が必要である.その他,補充療法としてATⅢ製剤の投与.血小板,新鮮凍結血漿,蛋白分解酵素阻害剤(FOY)の投与であるが,濃厚治療が必要となるから診断を間違ってはいけない.


◎救急今昔物語.

 20年 前までは,重症患者は倒れた場所から動かしてはいけないとされていた.トイレならトイレ,愛人宅なら愛人宅がそのまま死に場所となった.たとえ病院に運ば れてきてもビタカンの注射をするだけで,反応がなければ「これはだめです」と,医者は残念そうな顔をしていればよかった.今日ではDOA,死んだ患者が生きるかもしれないと運ばれてくる.そして医者は1秒 をあらそって走るのである.かつて子供のころ,西部劇映画で,意識を失った美女をウイスキーの臭いで正気に戻すシーンがあった.あれは一体何だったのだろ うか.迷走神経反射による意識消失発作だったのか.迷走神経反射であれば徐脈のはずだが知るよしもない.なつかしきよき時代である.


◎思い浮かばなければ診断はできない.

  医者の熟練度別診断能力.グレードA(研修医レベル):脳梗塞,肺炎,心筋梗塞,虫垂炎.グレードB(内科医レベル):ヘルペス脳炎,肺梗塞,解離性大動脈瘤.グレードC(専門医レベル):悪性高熱症,腸間膜動脈血栓症,ベーチェット.グレードD(偶然レベル): 急性胃アニサキス症,憩室炎,急性ポルィフェリン症,甲状腺機能低下による意識障害,副腎クリーゼ.あなたのレベルはグレードいくつですか.

◎救急におけるABC

  A:気道確保AirwayB:人工呼吸BreathingC:心マッサージCirculationD:薬剤,静脈確保Drugs and FuidsE:心電図 ECGF:除細動 Fibrillation Treatment ,G:測定 Gauge,H:体温調節 Heat control,I:集中治療 Intensive care.これらは救急の常識とされている.しかし,救急専門医は救急に熟練しているからAからIまで憶えなくても,頭と身体が自然に反応する.救急専門医以外の医者は,突然の救急患者に頭は混乱し腕をふるわすだけで,AからIまで思いだそうとしてもドプラムなどのピントはずれのクスリの名前が出てきてしまう.救急で必要なことは「挿管」と「心マッサージ」と「ルート確保」の3つだけである.このが3つのABCで9割は完成である.次に何をすべきかは,ゆっくり落ちついて考えればよい.もちろん,Away from Bed Call another Doctorは医者の心理ではあるが救急の真理ではない.

 

おわりに

   どんなに優秀な医者でも,研修医時代は先輩の指導なしでは何もできないボンクラ医だったはずである.研修医が持つ知識は試験に合格するための暗記の産物 にすぎず,人間を相手にする臨床の場では何の役にも立たない.国家試験を終えたばかりの研修医に,医学知識の貧弱な先輩医者がなぜ必要なのか考えればよ い.必要なことは知識を詰め込むことではない.臨床に必要な知恵を学ぶことである.総合的実践である臨床はマニアルもなければ教科書もない.人間の感情や 心理に触れ,複雑な人間模様を知り,教養を高め社会常識を学ぶことである.そして経験を積んだ先輩医者に教えてもらうのである.臨床医の歴史は徒弟制度で あり,医者としての経験は個人的所有物であってはいけない.それは先輩から後輩へ受け継がれるべきもので,ここに研修の意味がある.これまでの医学書は依 然として知識の羅列であり臨床医としての知恵を与えてくれるものはない.知識に知恵を注ぎ花を咲かせてくれることを願っている.