湯の町エレジー

 昭和23年、作詞:野村俊夫、作曲:古賀政男で近江俊郎がヒットさせた曲である。ギターの音色を特徴とする「古賀メロディー」を代表する曲であり、同時に近江俊郎の代表曲となった。この曲で、近江俊郎の人気を不動のものにしたが、当初は霧島昇が歌うのを想定して作った曲だった。近江俊郎はレコーディングの際、歌い出しの低音がうまく出せず、23回NGを出したというエピソードをもっている。いづれにしても発売当時、40万枚という驚異的なレコード売上枚数を記録した。

 近江俊郎は東京出身、武蔵野音楽学校(現在音大)中退後、昭和11年にプロ歌手になった。戦前はヒット曲に恵まれなかったが、戦後、この「湯の町エレジー」の大ヒットにより一躍スターダムになる。その後「悲しき竹笛」「山小舎の灯」「南の薔薇」「別れの磯千鳥」などのヒット曲を飛ばした。このヒット曲から、岡晴夫、田端義夫とともに戦後三羽烏と言われている。

 なお戦後からしばらくの間、歌謡映画というジャンルがあった。歌がヒットすると、それをヒットさせた歌手を主役にした映画が作られていたのである。当時はテレビのない時代だったので、どんなに有名な歌手であっても顔を知らないひとが多く、これらの映画で歌手の顔を知ることになった。その意味で歌謡映画は重要だった。また歌謡映画は手軽に作られたものが多かった。例えばこの「湯の町エレジー」の舞台は伊東市であるが、伊東駅から山々がすぐ近くに見えたり、町中の川で女性が洗濯していたりと、当時の風景を知ることが出来る。
 近江俊郎は昭和29年に映画監督となり、新東宝で「坊ちゃん」シリーズなど多くの作品を手がけた。昭和50年代からテレビで歌番組の審査員などを務め、明るく温厚な人柄から多くの人に親しまれた。平成4年肝不全のため死去、享年73。なお実兄との関係で死去するまで大蔵映画の副社長を務めていた。

1 伊豆の山々月淡く
  灯りにむせぶ湯の煙
  ああ 初恋の
  君をたずねて今宵また
  ギターつまびく旅の鳥

2 風の便りに聞く君は
  出湯の町のひとの妻
  ああ 相見ても
  晴れて語れぬこの思い
  せめて届けよ 流し歌

3 淡い湯の香も路地裏も
  君住むゆえに懐かしや
  ああ 忘られぬ
  夢を慕いて散る涙
  今宵ギターもむせび泣く