
長崎の鐘
長崎の鐘は永井隆が執筆した随筆。長崎医科大学助教授だった永井隆が原爆爆心地から700メートルしか離れていない同大学で被爆。被爆したした時の状況と、飛び散ったガラスの破片で右側頭動脈切断の重症を負いながら、簡単に包帯を巻いただけで、生き残った医師や看護婦たちとともに被災者の救護に奔走。永井隆はまもなく大量出血のため失神するが、気づいた後も救護活動を続け、帰宅したのは翌日のことだった。自宅は跡形もなく、台所があったとおぼしきあたりに、黒っぽい固まりがあった。そのすぐそばに妻・緑がいつも身につけていたロザリオ(ローマカトリック教徒が使う数珠のようなもの)が落ちていた。黒っぽい固まりは、焼け残った妻の骨盤と腰椎だった。2人の子どもは疎開していて無事だった。
被爆者の救護活動に当たる様を記録し、被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく自ら同僚や市民たちの様子を克明に描いている。また、救護の際には、疲労等から永井自らも危篤状態におちいるが、同僚医師や看護婦たちの助けにより一命を取り留める。「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から掘り出された鐘のことである。
作品は昭和21年8月には出来ていたが、GHQの検閲により出版の許可が下りず昭和24年になって、日比谷出版社から出版され、空前のベストセラーとなった。同年7月にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲で同書をモチーフとした同名の歌謡曲が発売されて大ヒットし、昭和25年に松竹により映画化された。
作詞の依頼を受けたサトウハチローは、最初、ベストセラーに便乗した企画だと思って断ったが、その後、永井隆から贈られた著書を読んで感動し、「これは神さまがおれに書けといっているのだ」と確信して、全身全霊を捧げて作詞したされている。
1 こよなく晴れた青空を
悲しと思うせつなさよ
うねりの波の人の世に
はかなく生きる野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る
2 召されて妻は天国へ
別れてひとり旅立ちぬ
かたみに残るロザリオの
鎖に白きわが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る
3 つぶやく雨のミサの音
たたえる風の神の歌
耀く胸の十字架に
ほほえむ海の雲の色
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る
4 こころの罪をうちあけて
更け行く夜の月すみぬ
貧しき家の柱にも
気高く白きマリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る
作詞:サトウハチロー、作曲:古関裕而、唄:藤山一郎