ここに挙げた作品は、青空文庫のランキングである。
日本では著者の没後50年を経れば、つまり明治から昭和初期の作品は著作権が消滅している。さらに外国語作品の翻訳や著者自身により無償閲覧の認められた現代の作品もある。これらの作品を無料で読めるのが青空文庫である。青空文庫はボランティアで運営されており、日本の文化を支える大きな柱となっている。青空文庫を大切にしたい。
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文学とは言葉によって綴られた審美的な作品であるが、この定義はあまりに曖昧である。文章による芸術と非芸術のどこに線を引くのか、数学の定義とは違い文学の定義は曖昧でかつ厄介である。そのこともあって、文学に対する苦手意識、尻込みが起きている。
小説には「生きるための宗教、哲学、人情や人生的側面」が含まれ、これら高尚な内容を文学と評価している場合が多い。しかし忘れてはいけないのは、人間は言葉を話す動物であり、言葉や話し方で感情を表現し、さらにその感情を聴力で判断できることである。すなわち文学には、言葉による意味や感情の伝達だけでなく、言葉の流れやリズム感が心を躍動させるのである。音楽や美術が人の心を捉えるように、文章も言葉の選択や配置によって洗練され、芸術になるのである。しかし、現在の国語教育、現代文学はこの言葉音楽的リズム感を無視している。あるいはそのことを知らないでいる。
私たちは自由である。これまで多くの人に愛されてきた文学作品を、自由に読むことが出来る。しかし何が良書なのかを教える者がいないので、文学を知らず、その良さを知らず、本を読まない者が大部分になっている。
ストーリーの意外性だけを追求する現代文学は、すでに審美性を失っている。本屋の棚に並ぶハウツーもの、カタログを集めただけの書籍、表紙の題名だけで内容がゼロの本、これらは単なる享楽的娯楽本であり、出版社の商業主義に踊らされた欲望追求本にすぎない。
人生とは何か、愛とは何か、このような答えのない問題を、答えがないまま考えさせるのが文学である。しかし答えがないと最初から考えず、避けて通る者がほとんどである。これでは人間は思考しない動物、欲に左右される動物になってしまう。軽薄と知性、知識と知恵、この違いは思考の深さであり、それを形成するのが文学である。音楽や美術がなくても生きて行けるように、文学がなくても生きていける。人の生き方に押し付けがましいことは言いたくはない。しかし本能に左右される動物ではなく、思慮深い人間らしい時間を過ごしてほしい。