お市の方

織田信長の妹
 戦国時代の女性はいずれも決まったように政略結婚の道具にされ、運命にもてあそばれて生涯を閉じている。織田信長の妹・「お市の方」もその一人といえる。戦国一の美女と賞されたが、お市の方は数奇な生涯を送ることになる。
 お市は戦国時代の女性だが母親は定かではないが、織田家での待遇が良かったことから正室・土田御前の可能性が高い。なんせ父・織田信秀には24人の子供がおり、兄に織田信広、織田信長、織田信行、織田信包、織田信興・織田長益、弟に織田長利、姉・お犬の方などがいるため母親の記録がないのである。織田家系譜には「秀子」という名が記されており父は織田信秀で信長の妹になる。
 18歳の時、兄・織田信長の「娘分」として近江・小谷山城主・浅井長政の正室として嫁ぎ、織田家と浅井家は同盟を結んだ。浅井長政の父・浅井久政や浅井家の家臣らは、古くからの朝倉家との同盟を重視していたため、この結婚には反対だった。しかしお市の方と浅井長政との間は睦まじく仲が良かったとされ、1569年には長女・茶々(淀殿)、1570年にはお初、1573年にはお江の浅井3姉妹も設けている。

浅井長政の正室

 お市の方は後の歴史に名を残す浅井3姉妹を得ているが、後に豊臣秀吉の側室となる茶々(淀君)をはじめ、幾度も政略結婚の犠牲となって最終的には徳川秀忠に嫁いで徳川家光や千姫を産むお江(ごう)、それに京極高次に嫁いだお初(はつ)の三人姉妹の母親である。このお市の方がいなかったら豊臣秀頼も徳川家光も存在しないことになる。

 1570年、兄・織田信長は浅井長政に「朝倉は攻めない」と約束していたが、上洛の命令に従わないとして越前国の朝倉義景を攻めた。浅井長政は織田信長が裏切ったして織田勢の背後をつき同盟は破綻した。

 この際、お市は手紙では怪しまれるので、小豆入りの袋の両端をしばったものを陣中見舞いと称して織田信長に送り「袋の中のネズミ」として、浅井長政の裏切りを伝えたとされている。
 浅井長政の裏切りに怒った織田信長は帰国するとすぐさま兵を立て直し近江の小谷城に迫った。朝倉義景の援軍を得た浅井長政は、姉川にて織田信長・徳川家康勢を迎え撃つが大敗し大きく戦力を落とした。(姉川の戦い)
 1573年、越前の朝倉義景を滅ぼした織田信長は、その足で再び小谷城攻めを行い包囲した。浅井長政・久政親子は自害し、お市の方は3人の娘(茶々、お初、お江)と共に藤掛永勝らによって救出され織田家に引き取られた。お市の方は二人の男の子を産んでいるが、敗将・浅井長政との子だったため、不幸な運命をたどり、長男の万福丸は殺害され、二男の万寿丸は出家させられた。

 織田家に戻ったお市の方は、兄・織田信包の保護を受けて尾張・守山城などで娘の3姉妹と共に9年余りを平穏に過ごした。織田信長はお市の方や三姉妹のことを常に気にかけていたとされている。織田信包も「浅井家の血が絶えるのは忍びない」と、お市を手厚く保護し3姉妹を養育した。

柴田勝家との再婚
 1582年、36歳のとき兄・信長が本能寺で明智光秀に殺されると、清洲会議を経て羽柴秀吉が織田家の実力者となった。お市の方は羽柴秀吉の仲介により織田家筆頭家老だった柴田勝家と再婚し北ノ庄城に3姉妹と共に入った。柴田勝家はお市の方より25歳も年上であった。
 しかし1583年羽柴秀吉が柴田勝家を攻めると、柴田勝家は賤ヶ岳の戦いで敗れて、北ノ庄城に戻ったが、羽柴秀吉の軍勢が北ノ庄城に迫ると、柴田勝家とお市の方は越前北ノ庄城内で自害し運命を共にした。享年37。豊臣秀吉との合戦の結果、北ノ庄城落城と夫・柴田勝家の切腹という悲惨な状況に立たされた。お市の方は生き抜くことの悲しみに絶えかね、勝家と運命をともにした。三人の娘は道連れにせず、秀吉のもとへ送り届けている。このとき詠んだのが次の辞世の句である。
 「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れをさそふ ほととぎすかな」である。
 越前北ノ庄城での合戦では秀吉は敵であった。秀吉はお市の美しさに惹かれており、落城のとき夫・柴田勝家が勧めたように、城を出て生き延びようと思えば生きられたはずだが、なぜか夫に殉じて死を選んでいる。

 茶々(17歳)、お初(14歳)、お江(12歳)の3人の娘は「浅井と織田の血を絶やさぬように」と言い聞かせられて城から脱出し、羽柴秀吉が保護した。長女・茶々は豊臣秀吉の側室となり豊臣秀頼の生母となるが大坂の陣で自害した。二女・お初は、京極高次に嫁いだ。大阪の陣では豊臣側の交渉役として奔走した(常高院)。三女・お江は佐治一成の正室となったが、豊臣秀吉の命で豊臣秀勝の正室となり、豊臣秀勝の死後は徳川幕府2代将軍・徳川秀忠の正室となった。3代将軍・徳川家光を産んでいる(崇源院)。

戦国一の美女
 お市の方は戦国時代でも一番の美女と賞され、さらに聡明だったとも伝えられ、兄信長にもかわいがられた。私欲のため美貌を売り物ともせず、三度同じような流転の生涯をたどることをきっぱりと拒否した生き方にはさわやかさを感じさせられる。
 近年、お市の方は信長の実の妹ではなかったとの説が出されている。実は信長とお市は男女の関係にあり、信長がお市の嫁ぎ先の浅井長政のもとを訪ねた折の、様々な不自然な行動などがその根拠に挙げられている。その後、信長が浅井長政を攻めた際のお市の対応も少し不自然な部分がある。もちろん確かな論拠に欠けるが、不可思議な点があるのは事実である。いずれにしてもお市の方は越前北ノ庄城で夫・柴田勝家とともに紅蓮の炎の中で、その生涯を閉じた。