大正時代の文化

生活様式の変化
 大正時代には都市ではガス、水道、電気、電灯が普及した。バスや鉄道なども普及し、東京では地下鉄が浅草・銀座などに開通した。

ターミナル駅もあらわれ、その駅の周辺にはデパートや劇場などがあらわれた。 鉄道会社が中心となって、このような鉄道周辺やターミナル周辺の郊外の開発をすすめられた。

 都市などでは、会社勤めをするサラリーマンがあらわれた。工業の発展が背景にあり、そのため専門知識をもつ労働者の必要性が生じていた。また都市など一部の労働者の通勤手段には、電車が使われるようになった。さらに女性タイピストやバスガールやラジオ用女性アナウンサーなどの「職業婦人」が現れた。(1920年頃の銀座)

 ラジオ放送が始まったのも大正時代で、1925年に東京、大坂でラジオ放送が始まった。翌年には、東京・大坂・名古屋の放送局が合併して日本放送協会(NHK)が設立した。
 食事では、パンやカレーライス、オムレツ、コロッケなどの洋食の普及。都会にはデパートなども出来た。女学校の制服に洋服が取り入れられ、洋服が女性にも普及しはじめた。住居には、洋間を利用した「文化住宅」があらわれた。
教育の普及と出版
 義務教育はほぼ完全に普及した。さらに中等教育、高等教育が普及しはじめた。 教育の普及によって、文字を読める人が大幅に増え、雑誌や新聞を読む人が増えた。発行部数(1日の発行部数)が100万部をこえる新聞もあらわれた。1冊1円の「円本」(えんほん)が1926年ごろから流行り、それからは庶民が比較的気軽に文芸に親しめるようになった。それ以前は、文芸は富裕層だけが楽しめた文化だった。1927年には文庫本なども出版され始めた。
 大衆小説が流行り、江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)も、この時代に流行った作家である。知識人を意味する「インテリ」という言葉が出来た。このような大衆へのメディアの普及が、大正デモクラシーの背景にある。
大正文化
モボ、モガ
洋装をした若者は「モガ」(「モダン・ガール」の略)とか、「モボ」(モダン・ボーイ)などと呼ばれた。映画やレコードおよび蓄音機とかも普及した。 新聞も普及し、1日あたりの発行部数が100万部をこえる新聞も出てきた。
演劇
 歌舞伎に変わり、ヨーロッパ風の演劇である新劇(しんげき)が、大正時代ごろから、流行りだす。劇作家の小山内 薫(おさない かおる)らが関わった。
映画、レコード
 映画とレコードが、大衆娯楽として、大正時代のころから流行をしはじめる。映画では、はじめは音声がなく、かわりに弁士がセリフや解説をしゃべる無声映画であり、活動写真(かつどう しゃしん)とよばれていた。しかし1920年から、有声映画(トーキー)が始まる。

映画館が立ち並ぶ浅草六区の歓楽街、1937年(昭和12年)1月