平成時代

 昭和天皇の崩御により元号は昭和から平成になった。日本は高度経済成長から安定成長期を経て、バブルに浮かれながら経済のピークを迎え、平成2年にバブルが崩壊すると、経済は停滞から衰退へと向かった。経済は右肩上がりから右肩下がりになったが、平成6年までは、昭和からの継続の色合いが強く、世相にはまだ明るさがあった。バブルが崩壊しても、経済はいずれ回復すると楽観していた。ジュリアナ東京の「お立ち台」でボディコン女性が扇子を振り回して踊り狂う姿が、バブルの象徴と思われがちであるが、ジュリアナ東京が営業を始めたのはバブルが去った平成3年で、閉店したのが平成6年である。つまり平成6年の「ジュリアナ東京」の閉店が、バブル世相の崩壊を象徴していた。
 海外に目を向けると、世界は新たな時代に入ろうとしていた。平成元年6月に中国で天安門事件が起きると、眠れる獅子は古典的共産主義から経済重視の道を進むことになる。同年、ポーランドで共産党独裁主義が崩れ、これをきっかけに東欧諸国で民主化への動が始まり、11月にベルリンの壁が崩壊し、さらに平成3年には、ソビエト連邦が崩壊して冷戦の時代は終わりをつげた。
 一方、平成3年にイランがクウェートを侵略して湾岸戦争が勃発。冷戦の時代から宗教色を帯びた新たな宗教紛争の時代になった。日本は世界の激変を横目で眺めながら、足元のぐらつきに気づかず、政府開発援助で大盤振る舞いをしながら、自国の将来、国力の低下を案じる空気はなかった。生活苦の実感はなく、昭和の遺産を食べながら楽観していた。
 平成6年に村山富市内閣が発足すると、日本社会党はその存在価値であった自衛隊違憲、日米安保条約破棄を取り下げ、このイデオロギーの放棄により日本社会党は自滅した。それまでは経済の繁栄をうたった自民党が常に政権を維持し、憲法改正阻止を主張する日本社会党が野党第1党を確保していたが、この政治的巨大談合があばかれたのである。冷戦の時代は終わり、55年体制が崩壊し、政界再編成が活発となり、内閣総理大臣が細川護煕(日本新党)、羽田孜(新生党)、村山富市(日本社会党)と非自民の連合政権が誕生しては、消えていった。小選挙区制が導入され党の再編が起こり、民主党が台頭してきた。
 平成7年1月17日、阪神淡路大震災で6,400人を超える犠牲者を出し、オウム真理教によるサリン事件が起き、社会不安を招いたが、国民はどこか傍観者の立場にいた。日本経済は下降線をたどり、同年1ドル79.7円になり「就職氷河期」と呼ばれたが、雇用不安はまだ他人事で、生活の低迷と日本の衰退を実感する者は少なかった。
 バブルが崩壊してから、失われた10年、失われた20年と言われているが、この20年で日本人の生活を大きく変えたのは、インターネットと携帯電話の普及である。パソコンの普及によってワープロが消え、平成7年にウインドウ95が発売されると、数年後にはIT革命といえるほどにインターネットが普及した。さらに平成10年頃からポケットベルが消え、携帯電話が爆発的に普及して、それまでの生活を一変させた。
 振り返れば、ラジオやテレビの登場も、私たちの生活を大きく変えたが、インターネットや携帯電話は生活を便利にしたが、その情報性と匿名性から知性とモラルの低下を招いた。匿名性から恥を失い、他人への攻撃、アダルト画像、援助交際、振り込み詐欺、などの悪用をもたらし、個人情報保護法に守られながらIT無法時代へと進んでいった。若者は自分が主役になったが、内向的な世界に閉じこもり、安穏としたまま気概を失った。このインターネットと携帯電話に世界への変化があまりに早すぎたため、道徳や規律を作るべき大人は、その濁流について行けず、スカートの丈を厳格に決めていた校則が、子供の携帯電話とインターネットの制限に追いつけずにいた。
 さらに国境を越えた津波のような情報は、経済のグローバル化とボーダレス化をもたらした。企業は生産コストを下げるため人件費の安い国に生産拠点を移し、日本の産業の空洞化を招いた。資本主義はマネーゲームとなり、虚構的投機資金が世界の経済を揺さぶることになった。
 戦後に生まれた世代は、昭和50年に50.6%と半数を超え、平成6年には3分の2を占めるまでになった。平成元年に生まれた者は成人式を終え、大学を卒業しようとしている。彼らは昭和の時代を知らず、彼らの両親は太平洋戦争を知らず、貴重な過去を体験した老人は寡黙のまま世間の片隅にいる。太平洋戦争は、戦国時代や明治時代のように教科書で学ぶものになり、今の若者が大学紛争、冷戦、バブルなどを知るはずもない。それは世代の断裂ではなく、単なる時間の流れによる世代の違いである。明治維新や日露戦争を体験した者がいないように、いずれ神戸淡路大震災も語る者がいなくなるのである。

平成9年、バブルの後遺症にアジアの通貨危機が加わり、日産生命、山一証券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行などが破綻し、銀行は合併を繰り返して日本経済の雲行きは一段と暗くなった。企業は終身雇用制度を見直し、リストラと非正社員採用で人件費を抑制し、正社員には過労を、非正社員には低賃金と不安定な生活を強いらせた。小渕内閣は総額40兆円を超える経済対策を実施し、大量の国債を発行して「世界の借金王」を自称したが、将来への悲壮感はなかった。

 小渕首相が脳梗塞で死去し、森喜朗首相が失言で失脚し、平成13年に「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎が圧倒的国民的支持を得て総理大臣に就任した。小泉内閣は日本再生のため「聖域なき構造改革」を掲げ、市場原理主義と規制改革、スクラップとビルドによる経済活性化を図った。小泉内閣は一時的に個人消費を拡大させたが、市場原理主義が弱肉強食の格差社会を生み、拝金主義のヒルズ族がもてはやされ、その一方で、非正規雇用のワーキングプアーをつくった。小泉内閣は三位一体改革で7兆円の地方財政を減らし、平成の大合併で由緒ある地名の半分を記号同然の地名に変えた。また一方では、平壌に乗り込み30年間放置していた日本人拉致問題に着手し、北朝鮮から5人の帰国解放を実現させた。

 平成13911日、イスラム過激派アルカイダにより同時多発テロが発生、アメリカはイラク戦争でフセイン政権を打破するが、イラクの秩序を維持できず、世界の警察を自認しているアメリカは、宗教の自由と宗教テロという難問を抱えることになる。

 平成14年、政府は「いざなみ景気」を超えたと自慢し、大企業は設備投資、日銀は量的緩和、中小企業は労働力不足を訴えるたが、それは一時的な景気の回復であって、国民にとっては実感なき景気回復、幻想的景気回復であった。むしろ人材派遣業法の成立、人件費削減のため正規雇用の縮小、金融機関の貸し渋りが、日本社会を締め付けることになった。

 国民の多くは「日本を経済大国」と思い込んでいたが、平成12年に世界第2位であった一人当たり国内総生産が、平成20年には19位に急落していた。失われた10年と自嘲的に言っている間に経済は低迷し、地方活性化を言う度に地方の商店街はシャッターを閉じていった。

 世界各国の個人所得は倍増していたが、平成209月のアメリカ発のリーマン・ショックで景気は一気に悪化した。数年前まで見下していた中国経済は急成長し、10年前に国家破産となった韓国は蘇り、さらにアジア諸国の台頭により日本製品のシェアは低下し、日本の経済は中国経済に依存するようになった。

 日本経済の凋落は政治の無策によるものと思いがちであるが、賃金の安い国に製造業が海外に移動したこと、高齢化により扶養人口が増えたこと、資源のない日本が技術と学問をおろそかにしたこと、競争社会を否定した教育が若者と企業の活力を奪ったことなど、これらが複合的に重なったせいであろう。

 平成12年に介護保険制度が実施され、介護の問題は解決したかにみえたが、実際には財政難から介護保険は危機的状態に陥っている。日本の人口構造は、かつては年齢とともに人口が減少していく「ピラミット型」であったが、中高齢者が多く年少者が少なくなり「つぼ型」となり、さらに少子高齢化が進み、現在では「逆ピラミット型」になっている。

 生産者人口が半分になれば労働者の負担は倍になり、高齢者が倍になれば労働者の負担は倍になる。つまり少子高齢化は倍かける倍、4倍の社会保障費(養うための必要経費)を労働者に課すことになるが、4倍の負担など出来るはずもないし、また負担しようにも雇用がない。このような構造を抱えながら、大衆は不満のやり場を政治に向け、小泉純一郎内閣から安倍晋三、福田赳夫、麻生太郎と自民党政権は次々に変わり、さらに平成218月の衆議院選挙で「政治主導、国民の生活が第1」を掲げた民主党が308議席を得て大勝し、自由民主党は議席を300から119議席に減らして結党以来初めて第1党の座を失い、民主党政権が誕生した。鳩山内閣の友愛政治は高い支持を受けたが、政治資金と沖縄米軍基地の問題から9か月で崩れ去った。管内閣に交代したが、政治は混迷したままである。

 国民は民主党政権に大きな期待を抱いていた。しかし負担を嫌っては何も解決しない。医療、介護、年金などの社会保障の財源を、誰がどのように負担するのかを決めなければいけない。沖縄米軍基地についても「少なくても県外」と公言しながら、沖縄県民の気持ちを踏みにじることになった。

 政治家は耳に心地よい言葉を並べ、官僚は意味不明の言葉を並べ、評論家は職業病の空論を述べるだけでは何も解決しない。国民は政治不信、生活不安に陥り、政治の貧困は人心の貧困を招き、動機なき無差別通り魔事件、弱者を犠牲にする事件が多発するようになった。かつての犯罪には貧困、金銭、欲望、怨恨などの動機があり、犯人には苦悩、後悔、改悛の気持ちがあった。しかし平成10年以降の犯罪は、人間としての感情や精神が壊れているような非人間的かつ短絡的である。事件が世相を反映するのなら、日本そのものが壊れているのかもしれない。

 日本の労働時間はアメリカより少なく、温室育ちの若者にたくましさは見られない。小学生の勉強時間は江戸時代の寺小屋より少なく、学力は国際的にも低いレベルである。また拝金主義がモラルの低下を生み、共通一次試験が思考力を奪い、学校から競争を排除したことがやる気を削ぎ、貧困が貧困な心を生んだとも分析できる。

 人口構成が「ピラミット型」から「逆ピラミット型」に変わったのは時代の流れである。しかし恐ろしいのは、「逆ピラミット型」でもひとり1人がしっかりしてれば問題はないが、ピラミットの土台がシロアリに食われ、「逆ピラミットシロアリ型」構造になり、日本が根本から崩れることである。このシロアリを駆除するには、シロアリの生態を点検し、適切な駆除によって、建設的に改革を行うことである。日本はこのまま衰退するのか、再生するのか、これまでの歴史において衰退時に悲劇を味わうのは、常に弱者と若者であることを忘れてはいけない。