森内閣から小泉内閣へ

森喜朗内閣
  2000年4月に小渕恵三首相が脳梗塞で倒れ、新たに森喜朗(よしろう)が、自民党・公明党と、自由党から分離した保守党の3党連立で内閣を組織した。しかし前任者・小渕恵三首相の急死で時間がなかったとはいえ、選挙ではなく有力議員の話し合いによって森氏が自民党の総裁に就任したことから、森首相の誕生以後、マスコミや野党は集中的にその動静をマークした。森首相は就任直後の平成12年5月、神道政治連盟の国会議員懇談会において、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であることを国民の皆さんにしっかりと承知をしていただく」と発言した。
 神道政治連盟での発言であり、また日本の歴史に照らしても何ら問題ない内容であったが、一部のマスコミや野党を中心に「神の国発言」として大々的に非難され内閣支持率も低下した。衆議院の任期満了が目前に迫っていたこともあって、森首相は翌6月に衆議院を解散したが、マスコミによって「神の国解散」と名づけられた総選挙において、自民党の議席数が単独過半数に届かない結果をもたらした。
 森首相は総選挙を経て新たに第二次内閣を組織したが、不祥事で内閣官房長官が辞任したり、野党から内閣不信任案が出され、自民党の一部議員が同調する姿勢を見せ、内閣の運営は順調にいかず支持率も上昇しなかった。
  2001年2月にハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没し、日本人9名が死亡するという「えひめ丸事故」が起きた。事故が発生した際、森首相は休暇でゴルフ中であり、現地で連絡を受けて一旦待機した後、数ホールだけ回って引き上げました。マスコミや野党は「事故が起きた際にのんびりとゴルフを楽しむとは何事だ」と叩いた。冷静に考えれば、えひめ丸事故は「首相個人の危機管理」ではなく、内閣官房長官に対応を任せればそれで済む話だったが、マスコミが森首相のゴルフをプレイする姿を繰り返して放送したため、それも当日とは無関係の夏の日に撮影されたものでしたが、首相の悪印象が増幅された。このようなマスコミの報道の影響を受け、支持率がさらに低下した森首相は、同年4月26日に内閣を総辞職せざるを得なくなった。
 前首相の病気による急な登板という緊急事態や、就任の際の不透明な問題など、様々な事情があったとはいえ、在任中に大きな失政と言えるものがなかったことから、森内閣の時代が「暗黒」であったと断定するのには無理がある。しかしながらマスコミが首相の一挙手一投足に対して執拗に食い下がり、「神の国発言」を問題視して直後の衆院選に影響を与えたり、えひめ丸の沈没という不幸な事故に便乗して、季節をたがえてまで首相のゴルフプレイを演出したりするなど、まさに「やりたい放題」のマスコミによって森内閣は倒された。
 森内閣が総辞職したのは21世紀の最初の2001年であったたが、いわゆる「古いタイプ」の政治家であった森首相であったゆえに、マスコミに敗北した一方で、後の小泉純一郎首相や、第二次内閣以降の安倍晋三首相は、マスコミとの情報戦に勝利できる「強い政治家」であるといえる。