明治の終り

 明治45年7月、明治天皇は東京帝国大学の卒業式に行幸された頃から体調が悪化され、同月20日にご不例が国民に公表された。陛下のご平癒を願って多くの国民が続々と皇居に集まり、全国の神社や仏閣でもご病気平癒の祈願が行われたが、人々の祈りもむなしく明治天皇は同年7月30日に61歳(満59歳)で崩御された。
 陛下の崩御を受け、皇太子嘉仁親王が直ちに第123代天皇となられ、元号も大正に改まった。明治天皇の大喪の儀は9月13日に行われ、ご霊柩は翌14日に京都へ列車にて移送され、降りしきる雨の中を伏見の桃山御陵に埋葬された。なお大喪の儀が行われた日に、明治天皇のご信任が厚かった陸軍大将の乃木希典が、天皇の後を追うように夫妻ともに自刃して国民に大きな衝撃を与えた。
 明治天皇は国家の元首のみならず、日本が幕府による武家政権から欧米列強に肩を並べる近代国家にまで成長を遂げた、いわば国家の興隆と繁栄の象徴でもあった。それだけに明治天皇の崩御は「明治」という一つの時代の終焉を強く印象づけ、夏目漱は小説「こゝろ」の中で「其時私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終わつたやうな気がした」と書き、また森鴎外は乃木大将の自刃について、歴史小説「興津弥五右衛門の遺書」を書き上げた。
 明治天皇のご神霊をお祀りして、ご聖徳を永遠に敬ってお慕いしたい熱い願いが自然に沸き上がり、大正9年に、東京・代々木の地に、大正3年に崩御された皇后の昭憲皇太后とともに、御祭神として明治神宮が建設された。
 また大正12年には乃木大将が自刃した邸宅の隣地に、国民の熱意により乃木神社が創建され、昭和2年には明治天皇のお誕生日である11月3日が「明治節」として祝祭日になった。日本に大きな興隆と繁栄とをもたらした明治の精神は、後世の人々に受け継がれ、今もなお光り輝きいている。