紫式部

 紫式部は世界的に有名な長編大作「源氏物語」を書き上げた作家である。この源氏物語は世界中で翻訳され、その世界観や人間観察は後世の文学に大きな影響を与えた。本居宣長は源氏物語を古今東西に並びなき「もののあわれ」の文学として絶賛し、折口信夫はこれを怨霊鎮魂の小説と称した。日本人なら紫式部が源氏物語を書いたことを知っていても、紫式部について知る人は少ないであろう。

紫式部

 紫式部は父・藤原為時と母・藤原為信の娘の間に生まれたが、幼くして母を亡くしている。両親共に藤原北家で藤原冬嗣の系譜にあたる名家であった。父・藤原為時は幼少の花山天皇に学問を教授する侍読という学者の補佐役だった。このように父・為時は学者として有名で、その父親の血を引いた紫式部も幼少の頃から非常に優秀だった。

 紫式部が書いた「紫式部日記」には次のような逸話が書かれている。父の為時が、紫式部の弟・惟規に漢学を教えていると、そばで聞いていた式部の方がよく覚えてしまい、父・為時は「式部はなぜ男ではなく女に生まれたのだ」と嘆いたそうである。式部が生きた平安時代は男性は漢字、女性は仮名を使って文章を読み書きしていた。貴族男性にとって漢学ができることが出世の条件であった。そのような時代背景を知ると、為時が嘆く理由も納得できる。また式部がそれほど漢学に優れていたことが想像できる。

 紫式部は22~23歳の時に山城守藤原宣孝と結婚した。夫の宣孝は40代で妾の多い人だったが、紫式部が父とともに越前に下るときに情を受け、家格、学識の高い男性だったため20歳以上も歳の離れた宣孝を結婚相手に受け入れたのである。結婚の翌年には一人娘・藤原賢子(歌人・大弐三位)を生むが、夫の宣孝がまもなく都で流行っていた疫病で死んでしまい、幸せな結婚生活は3年と続かなかった。30代を目前にして夫に先立たれてしまった紫式部は、その頃から性格が変わり、優しい面もあったが、物思いにふけり、他人を突き放すようになっていた。

 夫の死から4年後に、藤原道長の娘で一条天皇の妃である彰子に身の回りの世話人として仕えることになる。これは彰子の父・藤原道長と母・倫子の強い要請だったとされている。晴れて宮仕えとなり、天皇の妃に仕えることになったが、当初は周囲の女房との行き違いが多く、実家に帰ってしまうなど塞ぎ込むことがあった。

 しかし周囲が「源氏物語」の作者だと知ると、学識が高く近づきにくいと思うようになる。そのため紫式部は漢文の知識があることを隠し、漢字は書けないふりをしていた。

 自分の持っている能力を活かせない日々が続くが、彰子が漢学に興味を持ったことから、式部は女房たちのいない所で、こっそりと彰子に教授した。

 このことが式部と彰子の距離を縮ませ、またこのことに気付いた一条天皇と藤原道長からの評価も上がった。

 源氏物語はこの頃から書き始められ、宮中内で見聞したり体験したことを「源氏物語」の中に散りばめている。宮中では一条天皇をはじめ多く人々が執筆途中の源氏物語を読んでいて、藤原道長も紫式部の部屋を訪ねては「続きを早く読みたい」と述べている。

 源氏物語は約10年の歳月をかけ、宮仕えの最中に完成した。源氏物語は長編小説で400字詰原稿用紙で約2400枚と分量がある。全部で54の章に分かれ、章ごとに「桐壷」「若紫」といった名前が付けられている。

 主人公は天皇の皇子として生まれた光源氏で、母が低い身分だったため宮中での跡継ぎ争いに耐えられず、天皇の配慮から皇族の地位を離れる。さまざまな女性と恋愛をして、友人たちとの語らいや出世競争が描かれ、物語は光源氏と孫の代まで70年間という長い期間におよび、登場人物は約500人で、約800首の和歌が詠まれている。

 紫式部が源氏物語を書き始めると、すぐに貴族の間で評判になった。藤原道長は一条天皇を自分の娘・彰子にひきつけるために、この物語を利用しようと思っていた。いずれにせよ紫式部を娘・彰子の世話係&家庭教師にしている。

 道長のねらいどおり、歌や漢文、物語を読むのが好きな一条天皇は、源氏物語を読むために彰子の部屋を訪れることが多くなり、また紫式部が彰子の家庭教師になったことで、彰子も一条天皇の相手としてふさわしい教養を身に着けることができた。宮中で仕事をするようになり紫式部の創作意欲は高まり、自分が実際に見たり聞いたりしたことを物語に生かした。

 藤原道長は執筆のための紙や筆をたくさん与えている。当時、紙はとても貴重品だったので、道長からの援助がなければ、原稿用紙2400枚という大作を完成させるのは難しかった。

 源氏物語の完成から2年後に紫式部は宮中を去る。式部のその後の足取りはよくわかっていないが、恋多き女として有名な大弐三位が、紫式部のあとを継いで彰子に仕えている。生まれた年も亡くなった年もわからないが、40代で亡くなったとされている。平安時代は天皇の妃や子どものような女性でなければ、本名も生まれた年や亡くなった年も分からないことが多い。また「紫式部」という名前は本名ではない。源氏物語の登場人物である「紫の上」にちなんで、この名前で呼ばれるようになったのである。本名は不明である。

 下)京都御所や同志社大学の近くに紫式部にゆかりある廬山寺(ろざんじ)というお寺がる。白砂と苔が美しい「源氏庭」と呼ばれる庭園には6~9月にかけて桔梗の花が美しく咲き、紫色に彩られる。この庭園が「源氏庭」と呼ばれるのは、この地が紫式部の邸宅跡であり、紫式部はこの地であの「源氏物語」を執筆したからである。

廬山寺には紫式部と賢子の歌碑があり、二首ともに百人一首に入選しています。
百人一首の選者である藤原定家が式部の数ある和歌の中で
 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな
を選んだのは、「源氏物語」の四十一帖「雲隠」を連想させるためと言われている。

源氏物語

 源氏物語は成は3部・54巻からなる長編小説で、第1部・2部は主人公・光源氏の波瀾万丈の生涯を描いている。桐壷帝の子の一人として生まれた類い希な光源氏が、亡き母親に似た桐壷帝の妻の藤壺に恋をして子をもうけ、その子はやがて冷泉帝となる。他の女性とも仲睦ましくして、時にはそのことから政敵に足をすくわれ、須磨の地に隠棲させられるが、須磨の地で明石の君を妻として都に連れ帰っている。六条の御殿で、最愛の女性である「紫の上」とたわむれ、このように光源氏の出世と女性遍歴は想像を絶するが、まさに平安時代の宮廷ロマンス物語である。

 「紫の上」に死なれた源氏が後を追うように亡くなった後、源氏の妻である女三宮が、源氏以外の男性との間に設けた息子、薫(かおる)の恋が語られる。第3部は光源氏亡き後の続編で、息子・薫と孫の匂宮が主人公で舞台も宇治に移り、宇治に住む大君・中君・浮船を中心とした恋物語となる。弟3部は1部・2部と区別して「宇治十帖」とよばれることがある。
 光源氏は数多くの恋愛を繰り広げるが、人妻に夜這いをするような、可愛い少女を誘拐するような、現在では考えられない世界である。しかし当時の皇族は、恋をして暮らすのが当たり前だったので、この源氏物語に違和感はない。不倫に満ちた生活が当たり前だったのである。この源氏物語が、現在の男性同様に女性にも受け入れられていることが意外であり、不思議なほどの恋愛に満ちている。

 

源氏物語のあらすじ

第一部 

 桐壷帝の子光源氏は幼くして母を亡くした。帝の後宮に新たに入った藤壷の宮が母に似ていると聞いた源氏は、藤壷に思い焦がれるようになり、父の後妻を愛するという道ならぬ恋に走る。年上の頑なな妻「葵の上」とのすれ違い続きの結婚生活、中流の女性・空蝉(うつせみ)との仮初の恋、夕顔との行きずりの恋、貴婦人六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)との駆け引き、そして藤壷の宮に似た少女「紫の上」(むらさきのうえ)を引き取って育て始めた。
  しかし藤壷の宮が源氏の子を出産し、桐壷帝の子として育てられるようになる。桐壷帝は源氏の政敵右大臣の娘婿である朱雀帝(すざくてい)に譲位した。挙句に右大臣の娘朧月夜(おぼろづきよ)と光源氏の密会が露見したことが発端となり、京の都を追われる羽目に陥った。

第一帖桐壷(きりつぼ)

 いつの帝の時代だったことでしょうか、このお話では帝のことを桐壺帝とお呼び申し上げることにします。宮中にはお妃さまたちが大勢おりましたが、桐壺帝は側室の更衣ばかりを寵愛していました。更衣は高貴な身分でないため、位の高いお妃たちから冷たくされ、援助してくれる父の大納言はすでに亡くなり、桐壺帝の愛情だけが頼りだった。

 桐壷帝は寝ても覚めても更衣のことばかりでしたので、桐壷帝の愛情を受けられない周囲の女人から桐壷更衣はひどく妬まれていた。未亡人の母は見識のある女性で、からだの弱い更衣のよき理解者でしたが、後援人を持たない更衣はいつも心細い思いをしていた。

 更衣は桐壺と呼ばれていましたが、それは住んでいる建物の庭に桐が植えられていたからでした。桐壺は内裏の東北隅にあり、桐壷帝が生活をされる清涼殿から最も遠いところにありましたが、桐壺帝は更衣をここに住まわせていた。
 やがて更衣が桐壷帝の子、それが、またとない玉のように美しい皇子(光源氏)を生んだのである。桐壷帝の第1皇子は権力者・右大臣の娘で皇后である弘徽殿女御(こきでんのにょうご)からすでに長男として生まれており、その長男は外戚を背景に皇太子(次期天皇)とされていた。

 更衣が生んだ第2の皇子(光源氏)は美貌と聡明さがあった。そのため第1皇子を生んだ右大臣の娘・弘徽殿女御は、第2皇子が皇太子(次期天皇)になるのではないかと心おだやかではなかった。さらに多くの妃たちは、桐壺帝の更衣への一途な寵愛ぶりに憎しみさえ覚え、更衣は散々な嫉妬を受けることになる。

 更衣はこのような状況に耐えきれなくなり、心労のため身体を弱らせ実家へ戻るとやがて他界してしまう。残された若君はまだ3歳の皇子(光源氏)であった。

 翌年、弘徽殿女御の子が皇太子となり春宮となった。桐壷帝は若君(光源氏)の高句麗から来ていた人相を見る男に、将来を案じて引き合わせた。すると男は驚き「この若君は天上の位に昇る顔相だが、そうなると国が乱れてしまう。国家の柱石となり、国政を補佐する役目の顔相だ」と述べたのであった。他の観相者からも似たようなことを言われた。

 桐壺帝は若君の母・更衣との死別への悲しみから、更衣を忘れることができずにいた。慰みにと美しい女性を後宮へ招いたが、この世界には更衣の美に準ずる女性はいないと失望していた。

 そのような頃、先帝の四女・藤壷が亡き更衣によく似てると聞きつけ、桐壺帝は藤壷を側室に迎え入れた。藤壺が住む後宮の庭に藤が植えられていたので、藤壺と呼ばれるようになった。藤壷の宮は桐壷更衣に似ており周囲の女人はいい気分にはなれないが、桐壷更衣とは異なり藤壷の宮の身分が高いため、おろそかにはできなかった。このとき桐壺帝は40歳代で藤壷は16歳だった。

 桐壷帝は源氏の若君を手元から離さなかったため、若君は藤壷の宮と自然に親しくなり、帝の後宮に入った藤壷が母・更衣に似ていると聞きながら若君は宮中で成長していった。 藤壷の宮はたいへんな美貌だったため「輝く日の宮」と呼ばれるようになった。
 二人は実の親子のごとく仲睦まじくなり、とりわけ若君は亡き母の面影を藤壺に追い求め慕うのであった。やがて藤壷に思い焦がれるようになり、父の後妻を愛するという道ならぬ恋に走ることになる。
 やがて源氏の若君(光源氏)は12歳になり元服すると、桐壷帝は若君(光源氏)を臣下にするには惜しいと思われたが「源」の姓を与え臣下に下らせた。後ろ盾のない皇族のままならば皇嗣争いに巻き込まれ苦労することになるからである。若君に源の姓を与えて皇族から臣籍に下すことにした。皇子は光り輝くような美貌から光源氏と呼ばれるようになった。

 光源氏は元服すると、左大臣家の娘「葵の上」を迎えたが、「葵の上」の母親は桐壺帝の妹の娘だったので、いとこ同士の結婚であった。光源氏と「葵の上」は結婚しても二人の間はぎこちなかった。「葵の上」は次の帝の妃になるように教育されてきた。それなのに「なぜ次男で皇位継承権もない4つ年下の男に嫁がねばならないのか」と不満を持っていた。

 光源氏は、かたくなで取り澄ました年上の妻とは仲良くなれず、母に似ている藤壺宮が恋しかった。藤壺宮に会いたさから頻繁に宮中へ通い、さらには亡き母の実家を改造して二条院と名づけて「葵の上」と別に暮らすようになった。こうして光源氏と年上の「葵の上」とのすれ違い生活が10年くらい続くことになる。

 光源氏は「葵の上」と結婚したが、義母・藤壺宮の元へ通っていた。しかし光源氏が元服したため、かつてのように藤壺の御簾(スダレ)の中へ入ることは許されなかった。藤壺の宮の姿は御簾の向こうにあるが、もはや目にすることはできなかった。藤壺の宮が琴を弾き、光源氏が笛を吹き、御簾の奥から聞こえる藤壺の宮のお声を慰めにしていた。

 藤壺の宮とは別に、光源氏が17歳になると様々な女性と恋愛遍歴を繰り広げることになる。

第二帖帚木(ははきぎ)

  成長した光源氏は中将になり、その美貌と才能は宮中の評判を呼んでいた。そんな光源氏にひけをとらぬ左大臣の息子である頭の中将(とうのちゅうじょう)と光源氏は良き敵であり友人であった。

 五月雨がつづくある夜のことである。光源氏は中将となり宿直所にいると、頭の中将が左馬頭(さまのかみ)、藤式部丞(とうしきぶのじょう)とともに訪ねてきた。頭の中将は光源氏と学問や音楽など遊びもいつも一緒だった。頭の中将は源氏の君の妻・葵の上の兄であったが、頭の中将は本棚の中から光源氏宛ての女君からのさまざまな恋文を引き出し。からかいながらおのずと女性談義となった。

 頭の中将は女性を「雨夜の品定め」として上流・中流・下流と3つの階級に分けて話をした。身分の高い女性はお付きの者に囲まれ近づけないし、欠点も何もかも隠されているので、箱入り娘よりもむしろやりとりの感触のはっきりしている中流階級の女性との恋愛にこそこそが個性があって醍醐味があると話した。源氏も興味を示し、さらに左馬の頭と藤式部の丞も女性論に加わり話を広げていった。左馬の頭の恋愛談を受け、頭の中将もまた「愚か者の話をしましょう」と過去の身の上話を始めた。
 親もないひとりきりの女性と密かに逢うようになり、恋に落ちいったが、毎夜通うわけでもなく、たまに行く程度で夜な夜な浮かれ歩きをしていた。しかし女はそんな扱いに不平を洩らすわけでもなく、甲斐甲斐しく振る舞った。それを良いことになおざりにしていたら、いつしか女は姿を消してしまっていた。二人の間には娘までも生まれていたのたが、今となっては行方知れずで探しようもない。頭の中将はしんみりと話しながら、後に光源氏が契ることになる夕顔を思い出していたのである。

 ほかにさまざま話をするうち夜は白み雨が上がってきた。光源氏は妻・「葵の上」がいる左大臣家へ退出したが、退出したのは暗くなってからであった。光源氏は「葵の上」の澄ました様子が物足りなく、また周囲の世話係と冗談を交わしているうちに、この日は光源氏にとって帰る方角が悪いことがわかった。当時は占いから帰る方角が悪いと、別の場所をまわって帰るのが習慣であった。
 やむをえず光源氏は方違え(かたたがえ)で中川にある紀伊守(きのかみ)の邸宅を選び向かうことにした。紀伊守の邸宅は趣向が凝らしてあり風情ある様子だった。光源氏は昨晩の女性談義を思い出し、中流階級の女とはこういった邸に住む女性なのだろうと思った。偶然にも紀伊の守の父伊予の介(いよのすけ)の女性たちも方違えに来ていた。
 紀伊守の邸宅には空蝉(うつせみ)が来ていた。光源氏はかねてより空蝉の噂を聞いていり、空蝉は伊予介(いよのすけ)の後妻で、空蝉の両親はすでに亡くなっていて、伊予介とは親子ほど年齢が離れていることを知っていた。 源氏が通された部屋のそばで女性の話し声がした。このあたりの身分の女性がいわゆる昨夜話していた中流階級女性のことなのかと興味を示し光源氏は聞き耳を立てた。

 伊予介が単身赴任であることを知ると、眠れない光源氏はそっと起き出して、先ほどまで女性の声のしていた方へ向かい空蝉の寝床にしのびこんだのだった。うつらうつらしていた空蝉は驚くが光源氏を受け入れて関係を持った。

 人妻・空蝉と一夜の過ちをおかし、空蝉が忘れられない光源氏は、もう一度の逢瀬を懇願するが、空蝉は受け入れなかった、現在の境遇に満足はしていないが、光源氏を受け入れても、この恋の行く末が案じられるからである。空蝉は人妻であったが、気丈で潔い女性だった。光源氏はまさしく中流で凛とした空蝉にすっかり心を惹かれた。

 空蝉は一夜の過ちを悔いつつ、後妻となる前にこのような逢瀬をもてたならと思った。空蝉は高揚する気持ちを隠しきれないでいたが、ここで流されてはいけないと自制した。

 空蝉は自分の器量・年齢が光源氏とはあまりにも不釣合いであることを嘆いた。光源氏は小君を招き入れると、空蝉への思いを上手く言いつくろい、小君に手紙の受け渡しを命じた。しかし空蝉は手紙を持ってきた小君を、手ぶらで帰らせ光源氏を次から受け入れようとしなかった。その後、光源氏は空蝉の弟を手なずけ、何度も空蝉との逢瀬を求めたが空蝉はそれを頑なに拒んだ。

 何度手紙を送っても返事を寄越さないので、源氏は方違えの日を待って再度紀伊の守邸へ向かう。小君に空蝉のもとへ案内するよう言ったが、空蝉は源氏と会うことを頑なに固辞した。

 

第三帖 空蝉

 空蝉を忘れられない光源氏は恋しさが募るばかりだった。取り立てて美しいわけではない。ただ気丈で潔い風情に激しく心を惹かれたのだった。つれない仕打ちが恨めしく、恋しさは募るばかりだった。空蝉の仕打ちを憎らしいと思うが、それでも恋しい気持ちが止まらないため、源氏は再度小君に引き合わせを頼んだ。

 ある夏の夕暮、主の留守を見計らい小君の手引きで館に入り込むと、空蝉は義理娘の軒端荻と碁を打っていた。空蝉は身体の線が細く、それほどの美人ではないが、慎ましく振る舞っていて趣深い雰囲気を漂わせていた。反対に軒端荻は奔放で明け透けな様子で、どうも落ち着きがなく、はしたない感じがした。しかし軒端荻は美人でもあり、これはこれで興味を惹かれる女性だと源氏は感じた。

 空蝉の姿を垣間見ると慕情をさらにつのり、夜に入って皆が寝静まると光源氏は寝間に忍びこもうとした。 空蝉は寝息を立てる軒端荻の隣で横になりながらも、源氏のことを考えると眠ることができなかった。

 そのような暗闇の部屋に芳しい香りが漂ってきた。記憶に残されたあの香りにその正体を察知した空蝉は驚くが、声も音も立てずに衣だけを脱ぎ捨てて咄嗟に逃げてしまった。
 状況の変化に気づかぬ光源氏だったが、寝入っている軒端荻に寄り添ってみると、どうも以前の感覚と違う。そこでようやく空蝉が逃げてしまったことを察知し、軒端荻に人違いなどと言えるわけにもいかないので、それ相応に言い含めて、朝方、光源氏は蝉の抜殻のごとき着物を抱いて帰途につくのだった。

 空蝉が逃げるときに残した小袿(上着)をまるで空蝉のように持ち帰り、抱きしめながら眠りに就くが、恋しさが紛れることはなく、眠れなかった。心を残しながら空蝉のような小袿を抱いても、恋しさが紛れることはななかった。空蝉は後悔が募って連絡を絶ったのである。そのうちに旦那が戻ってきて空蝉も一緒に伊予に下ることになった。

 

第四帖夕顔(ゆうがお)

  この空蝉と時期をかぶらせながら、光源氏は新たな恋人六条御息所(みやすんどころ)の元へ足しげく通っていた。しかしこの六条御息所とはひと夏の恋だった。六条御息所は本気だったが、夏が終わると、光源氏は六条御息所のもとに行かなくなった。

 六条御息所は会いたくでも光源氏は来ない。六条御息所は亡き前の春宮の妃という重い身分の貴婦人が、若い貴公子に弄ばれたという醜聞が広まったら、どうやって生きて行けばいいのかと悶々と悩み、苦しみ、その怨念は生霊となった。

 六条御息所のところにお忍びで通っている頃、光源氏の乳母(藤原惟光の母)が病に伏したため五条まで見舞いに出かけた。侘びしい佇まいの隣家に咲く花に目を留め、花の名を尋ねると、その家の女性は扇に香を焚きしめ和歌をしたためてきた。光源氏は興味をそそられ、歌を返すと藤原惟光に歌の送り主を調べさせた。

 光源氏は夕顔の館を訪れると、高貴とは違うが繊細な姫君だった。夕顔はおっとりとして無垢な雰囲気を備え、どことなく品のある不思議な女性だった。頼りなげで男の庇護をそそるのである。光源氏はとりことなり夕顔の花の咲く家に住む美しい姫君に心惹かれ、足しげく通い逢瀬を重ねた。

 光源氏は身分を隠したまま五条に住む夕顔の姫と関係を持った。身分を明かさずに、つかの間の逢瀬を楽しむ日々が続いた。ある明け方、源氏は夕顔をそっと外へ連れ出した。それは夕顔の家の者には誰も知らせず、右近(うこん)という夕顔の侍女のみを伴ったお忍びの外出だった。

 光源氏は可憐で素直な夕顔の姫を深く愛するが、六条御息所が光源氏を待ちながら悶々としていることを知らずにいた。ある夜、光源氏と夕顔が寄り添って一緒に寝ていると、光源氏の夢の中に恨めし気な幽霊が出てきて「なぜ私を差し置いてこんな女と」と睨んだ。光源氏は悪夢からはっと目覚めると、灯してあったはずの明かりは消えており、周囲は闇になっていた。館は不気味な空気に満ち、ふと見れば夕顔の姫は息をしていなかった。六条御息所の生霊にとりつかれ、殺されてしまったのである。

 夜が明け、従者の藤原惟光と今後について相談すると、光源氏の醜聞が噂になることを避ける為、公にせず内密に済ませることにした。夕顔の亡骸は乳母の家へ移され、源氏は憔悴の体で二条院に戻った。それでもやはり最後に夕顔を見ておきたいと、日が暮れに馬で向かい亡骸と対面した。光源氏は夕顔の姫を失い、傷心の悲しみにくれ病の床についてしまう。

 心痛で光源氏は伏せってしまったが、20日ほどでようやく回復した。源氏は右近を召し寄せ、ようやく夕顔の素性と過去を知った。夕顔は雨夜の品定めの折に頭の中将が語った行方知れずの恋人であった。

 夕顔を失った今となっては、せめて夕顔の遺児だけでも引き取りたいと源氏は考えた。 夕顔がいた五条の家では夕顔どころか右近までも帰って来ないので心配するが、右近もまた五条の家に戻れば、あれこれ詮索されるのを恐れ近づくことができなかった。

 そうこうするうち空蝉が伊予の介とともに任国へ下る日が迫ってきた。

 空蝉は未練が残る心の内を和歌に託して源氏へ送り、源氏もまた歌を返したが、実際に会うことはなかった。空蝉の継娘の軒端荻は、蔵人少将を婿に迎えた。

第五帖若紫(わかむらさき)

 それからしばらく経ち、光源氏が18歳の頃である。光源氏は熱病を患い、熱がなかなか下がらないので、加持祈祷のために北山に住む評判の僧侶のもとを訪ねた。

 北山の景色は素晴らしく光源氏の気分も晴れてきた。従者の源良清が、そこで播磨の明石の浦に住む明石入道の話をした。明石入道は都での出世を捨て、明石に豪邸を構えて悠々と暮らす男で、一人娘には「最上の男性に巡り逢えないときは海に身を投げて死ね」と言い聞かせていた。

 高台から下を眺めると、僧坊には人の姿がみえた。夕方、惟光だけを連れて僧坊のあたりに向かうと、垣根の隙間から可愛らしい少女が泣いていて、祖母の尼君が泣く少女を慰めていた。年端も行かないその少女(紫の上)はどことなく藤壷の宮に似ており、光源氏は手元に置いて育てたいと考える。この若紫と呼ばれる幼女が、後の「紫の上」(10歳)であった。

 夜、僧坊で光源氏は尼の兄の僧都(そうず)と会い、少女が思慕する義母・藤壺によく似ているのが気になり尋ねると、少女は尼君と亡き按察使大納言の孫にあたり、少女の母も亡くなり、父は藤壷の宮の兄にあたる兵部卿宮だといった。

 道理で藤壷の宮に似ているはずと光源氏は納得した。少女は藤壺の兄の側室の娘で、恋する藤壺の宮と少女は縁続きだった。少女の母親はすでに亡くなっていて、祖母の尼君に育てられていた。それならば少女を託してはくれないかと言ってみるが本気にされなかった。尼君にも少女を引き取って手元で育てたいと言ったが、尼君は幼すぎると取り合わずその場を去っていった。  熱病もすっかり良くなった光源氏のもとに、頭の中将たちがやってきたので花見と洒落こんだ。光源氏の姿を見た少女は、幼心にも光源氏を美しい男と思うのだった。

 左大臣邸に久々に出向いてみたが、葵の上」は相変わらず頑なな性格で打ち解けられずにいた。ちょうどその頃、藤壺は元気がなくなり実家に帰っていた。それを聞いた源氏はいてもたってもいられず、光源氏は家にいても年上の妻の相手では疲れるだけなので、これ幸いと藤壺の元に向かう。

 光源氏18歳。藤壺は23歳である。そこでふたりは密会して不義の仲となる。藤壷の宮は身を慎もうとするが、光源氏をあからさまに遠ざけることはしなかった。そうこうするうちに、あろうことか藤壺の宮は不義の子を身籠ってしまった。懐妊を知った光源氏は生きた心地がせず、恐ろしさが増すばかりで、手紙すらも絶えてしまった。7月になって藤壷の宮は身重の身体で御所に参内した。

 藤壺の夫は光源氏の父である桐壺帝である。まさか実の息子と妻のが、とは知らずに不義を知らぬ桐壺帝は自分の子と思い、例えようがないほど喜び、藤壺と光源氏は運命に恐れにおののき罪の意識にさいなまれた。さらに桐壺帝の正妻である長男・朱雀の母が嫉妬した。

 父の側室・藤壺が、光源氏との間にできた男児を出産すると、以前、見かけた美貌の少女についてある噂を光源氏は耳にした。

 美貌の少女を養育していた尼君が亡くなり少女は父親・兵部卿宮(藤壺の兄)のもとへ引き取られることになり、少女の侍女たちは兵部卿宮の正妻にいじめられるのではないかと心配しているという噂だった。

 光源氏は「それならば、これを機に少女(紫の上)を自分のところで引き取ろう」と決めた。兵部卿宮が明日迎えに来るらしい。光源氏は先回りして少女のもとに行くと、まだ夜も明けきらないうちに車で屋敷に乗り付け、まだ寝ている少女を抱きかかえ車に乗せて二条院へ連れて行った。もちろん強引に連れさられた少女は 最初のうちは怖くて震え泣いていたが、光源氏が遊んでくれ、優しいことから次第になついてゆく。迎えに来た兵部卿宮は少女がいないことに落胆した。

第六帖末摘花(すえつむはな)

 光源氏はまだ「紫の上」に手を出さず養育していた。ここで「紫の上」のことは別として、光源氏は夕顔のことが忘れられず、なんとか似た女性はいないかと周囲の人に相談した。

 そこでまだ誰も顔を見ていない深窓で高貴な女性である末摘花(すえつむはな)の存在を知る。頭の中将(光源氏の正妻の兄)」も末摘花に手紙を送ったが返事はなく、また光源氏の手紙にも返事はなかった。

 この高貴なお方は誰にも会わず、琴だけを友として暮らしていた。光源氏は物陰から琴の音を聴くと、心に染みる音でもなく普通の音色だった。そこで光源氏は末摘花のところへ夜這いをして一夜を共にする。しかし末摘花は一言も言葉を発せず、歌を送るも返事の歌にも手ごたえがなく、なんとも味気なく心を開かない末摘花をつまらない女性と光源氏は思いこむ。紫の上と一緒にいるのに時間を取られ、末摘花の館には足が遠のいてしまう。

 その後、光源氏は「紫の上」と一緒に居るのが楽しいが何もせず、ある雪の日の昼間に末摘花のところへ久しぶりに訪れてみた。するとお昼に見る末摘花はとても不細工で、特にその鼻が紅く長く垂れ下がり、赤くなった象のようで大層醜い様子だった。

 ここで光源氏は「少々ブサイクならまだしも、ここで見捨ててはかわいそう」と色恋ではなく親身に面倒をみるようになる。源氏の君は、姫君を末摘花(紅花)と呼び、見るのも厭な気がしたが契りを結んだ姫君としてずっと後見することを決める。時間が経つと末摘花は光源氏に心を開き、ふたりは親しいお友達になる。最初は夕顔に似た人を探していたが、この光源氏の身勝手も光源氏の魅力のひとつである。光源氏はまだ19歳だったので「紫の上」と仲良く暮らしながらも、さらに女性との交流は続く。

 光源氏の正妻・葵の上は左大臣の実家にいた。光源氏が来ないので、家中の者たちは光源氏をよく思っていなかった。そんな中、「光源氏が住んでいる二条院にまた新しい女性(紫の上)を迎えた」という噂が左大臣の家にも入ってきた。
 家中の者たちは「うちの姫さまを妻にしておきながら」という面白くない気持ちであったが、光源氏が来たときにはそのような気持を表に出さずに大切にもてなした。

第七帖紅葉賀(もみじのが) 

 一方でまだ10歳の「紫の上」は自分が光源氏に拉致されたことも知らず、ただ光源氏と一緒にいるのが楽しい日々であった。「紫の上」はただただ源氏に懐いていて、不在のときは塞ぎこんでしまうほどだった。将来は光源氏の側室になると侍女たちから教わっていたが「結婚相手は醜いものと思っていのに、自分の夫・光源氏は若くて美しい」と不思議に思っていた。

   一の院(桐壷帝の父)の50歳の祝いの準備に桐壷帝は心を砕いていた。懐妊した藤壷の宮への慰みの意味も込めて、本番前に御所で試演をおこない、源氏と頭の中将は藤壷の宮が観ている前で舞った。源氏の美しさはこの上なく、弘徽殿女御は「神が魅入って命をさらってしまいそう」などといった。朱雀院の行幸が催され、光源氏が紅葉の下で舞う雅楽・青海波は比類ない美しいものであった
 源氏は藤壷の宮に手紙を送り、乱れた心を秘めて舞った胸中を明かす。藤壷の宮もまた捨て置けず、ひとかたない思いで舞を観たと返信した。本番当日、源氏は見事な舞を披露し、正三位(しょうさんみ)に昇進した。

 藤壷の宮はお産のため実家へ戻るが、予定日の12月が過ぎてもお産は始まらなかった。物の怪のしわざかと噂が流れ、藤壷の宮も光源氏も心を乱される。2月10日を過ぎてようやく男子が無事に生まれた。光源氏そっくりの子なので、藤壷の宮の心はますます塞がれ光源氏が対面したいと言っても取り合わなかった。藤壷は罪の重さに心痛めた。
  4月、若宮が参内し、桐壷帝は若宮を愛らしく大切に扱う。源氏も藤壷の宮も恐ろしく複雑な気持ちを隠すのがやっとだった。
 7月に光源氏は宰相に昇進し、桐壷帝は譲位して若宮を皇太子にしようとしたが、若宮に後ろ盾がない点を心配する。そこで桐壺帝は藤壺が産んだ光源氏に生き写しの若宮を跡取りにしようとした。しかし後ろ盾がなく、心配だったため若宮のために藤壺を「中宮」の位に上げた。これにより藤壺は正妻・弘徽よりも位が上になった。このことより正妻・弘徽殿の怒りは膨れ上がった。源氏も藤壺中宮も不義の子が皇帝の座に上り詰めようとし、また桐壷帝が真実を知る由もない姿におののくしかなかった。

 そのような時も光源氏の女遊びは止まらない。父親に使える女官で源典侍という上品で才気もあるが50歳後半の老いた女性に手を出し戯れに一夜を過ごすが光源氏はすぐにとおざなりに扱っうと、源典侍は光源氏にあからさまに嫌味を言った。この話を聞いた桐壺帝は思わず笑ってしまう。

 なにかと光源氏と張り合う頭の中将(光源氏の妻・葵の上の兄)も噂を聞きつけ、老女好みという意外な道を試してみるかと、冗談半分で源典侍と会うようになる。頭の中将は源典侍と一晩を共にするが、頭の中将も源典侍はダメだと、ことあるごとに源典侍をネタに笑い話にした。

 ある夜、寝入った源典侍の隣で寝付けない光源氏は男が忍びこんできたことに気づいた。源典侍の恋人が間男を懲らしめにやってきたのかと勘違いして、

光源氏は驚き逃げようとするが、その男が頭の中将だと分かると、光源氏と頭の中将はわざと修羅場を演じて乱闘となった。服がはだけて千切れるほど暴れたあと、ふたりは仲良く帰ってしまった。
 翌日の御所。二人は澄ました顔で職責をこなしながら、お互いに笑いをこらえていた。それ以降、頭の中将はことあるたびに源典侍を引き合いに出しては源氏をからかって喜んでいた。

第七帖紅葉賀(もみじのが) 

 一方でまだ10歳の「紫の上」は自分が光源氏に拉致されたことも知らず、ただ光源氏と一緒にいるのが楽しい日々であった。「紫の上」はただただ源氏に懐いていて、不在のときは塞ぎこんでしまうほどだった。将来は光源氏の側室になると侍女たちから教わっていたが「結婚相手は醜いものと思っていのに、自分の夫・光源氏は若くて美しい」と不思議に思っていた。

   一の院(桐壷帝の父)の50歳の祝いの準備に桐壷帝は心を砕いていた。懐妊した藤壷の宮への慰みの意味も込めて、本番前に御所で試演をおこない、源氏と頭の中将は藤壷の宮が観ている前で舞った。源氏の美しさはこの上なく、弘徽殿女御は「神が魅入って命をさらってしまいそう」などといった。朱雀院の行幸が催され、光源氏が紅葉の下で舞う雅楽・青海波は比類ない美しいものであった
 源氏は藤壷の宮に手紙を送り、乱れた心を秘めて舞った胸中を明かす。藤壷の宮もまた捨て置けず、ひとかたない思いで舞を観たと返信した。本番当日、源氏は見事な舞を披露し、正三位(しょうさんみ)に昇進した。

 藤壷の宮はお産のため実家へ戻るが、予定日の12月が過ぎてもお産は始まらなかった。物の怪のしわざかと噂が流れ、藤壷の宮も光源氏も心を乱される。2月10日を過ぎてようやく男子が無事に生まれた。光源氏そっくりの子なので、藤壷の宮の心はますます塞がれ光源氏が対面したいと言っても取り合わなかった。藤壷は罪の重さに心痛めた。
  4月、若宮が参内し、桐壷帝は若宮を愛らしく大切に扱う。源氏も藤壷の宮も恐ろしく複雑な気持ちを隠すのがやっとだった。
 7月に光源氏は宰相に昇進し、桐壷帝は譲位して若宮を皇太子にしようとしたが、若宮に後ろ盾がない点を心配する。そこで桐壺帝は藤壺が産んだ光源氏に生き写しの若宮を跡取りにしようとした。しかし後ろ盾がなく、心配だったため若宮のために藤壺を「中宮」の位に上げた。これにより藤壺は正妻・弘徽よりも位が上になった。このことより正妻・弘徽殿の怒りは膨れ上がった。源氏も藤壺中宮も不義の子が皇帝の座に上り詰めようとし、また桐壷帝が真実を知る由もない姿におののくしかなかった。

 そのような時も光源氏の女遊びは止まらない。父親に使える女官で源典侍という上品で才気もあるが50歳後半の老いた女性に手を出し戯れに一夜を過ごすが光源氏はすぐにとおざなりに扱っうと、源典侍は光源氏にあからさまに嫌味を言った。この話を聞いた桐壺帝は思わず笑ってしまう。

 なにかと光源氏と張り合う頭の中将(光源氏の妻・葵の上の兄)も噂を聞きつけ、老女好みという意外な道を試してみるかと、冗談半分で源典侍と会うようになる。頭の中将は源典侍と一晩を共にするが、頭の中将も源典侍はダメだと、ことあるごとに源典侍をネタに笑い話にした。

 ある夜、寝入った源典侍の隣で寝付けない光源氏は男が忍びこんできたことに気づいた。源典侍の恋人が間男を懲らしめにやってきたのかと勘違いして、光源氏は驚き逃げようとするが、その男が頭の中将だと分かると、光源氏と頭の中将はわざと修羅場を演じて乱闘となった。服がはだけて千切れるほど暴れたあと、ふたりは仲良く帰ってしまった。
 翌日の御所。二人は澄ました顔で職責をこなしながら、お互いに笑いをこらえていた。それ以降、頭の中将はことあるたびに源典侍を引き合いに出しては源氏をからかって喜んでいた。

 

第八帖花宴( はなのえん)

  桐壷帝が花見の宴を開いた。藤壷中宮、弘徽殿女御、春宮をはじめ大勢が揃う中、源氏は「春」という題目で漢詩を詠む。吟ずる声も詩も素晴らしい。頭の中将もそれに続いた。ともに美しい舞も披露し宴はさながら二人の独壇場である。

 この後、女性関係が多く混乱しやすいが、光源氏は父・桐壺帝の正妻・弘徽殿の妹「朧月夜」に手を出してしまう。

 桐壷帝が花見の宴を催された夜、宴が終わると皆散り散りに帰って行く。光源氏は藤壺のところに行くが、鍵がかかっていて藤壺は光源氏を受け入れてくれない。ほろ酔い心地で弘徽殿の局へ行ってみると、あろうことか不用心にも施錠されていなかった.

 細殿の辺りを歩いていると、「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜に似るものぞなき」と新古今集の歌を詠って歩いて来る美しい姫君に逢った。源氏はすかさず歌を返した。その美しい女性は相手が光源氏と知るや、素直に源氏を受け入れるが仔細ありげに名乗ろうとしなかった。名前が判らなければ手紙も送られないし、次回逢う手立てもない。二人は愛し合い、そうこうするうちに朝になったので、やむをえず持っていたお互いの扇を交換してふたりは別れざるを得なかった。

 あの女性は誰だったのか断定できないでいた。もしかして弘徽殿女御の妹であれば、ほどなく皇太子に嫁ぐ予定であった。ただでさえ右大臣と敵対する自分である。ましてや兄に嫁ぎ皇后となる女性に手をつけたとあっては、のちのちの面倒の種となかもしれなかった。源氏の胸に不安がよぎる。朧月夜もまた入内を控えた身でありながら、源氏との夜が忘れられなかった。

 その悪い予想は的中し、後にこの姫が弘徽殿の女御の妹君・朧月夜だと知ってしまった。光源氏は朧月夜には手を出すべきではなかったと後悔する。朧月夜は、父・桐壺帝と正妻・弘徽殿の子で、しかも朧月夜は春宮に嫁ぐことがすでに決まっていた。しかし朧月夜はは物思いに沈む日が続いた。春宮へ入内することが内定した身でありながら、源氏との一夜の逢瀬が忘れられないのだった。
 源氏は久しぶりに二条院の紫の上のもとに戻り、聡明に愛らしく育って行く紫の上の姿に格別な思いを抱く。最近では源氏の後を追いすがって泣くようなこともなくなり、一歩ずつ大人になっているようだ。

  それから時は流れ、1カ月くらい後の3月20日を過ぎたころに父の正妻・弘徽殿の実家の右大臣家で藤の花の宴が開かれた。

そこに光源氏も招待されていた。光源氏は側室の子なので右大臣からすれは政敵であるが、皇族なのでおろそかにできず和歌や踊りに秀でた光源氏を招いたのである。

 宴は盛り上がり、宴の途中で光源氏はひどく酔ったふりをして途中で退席すると、朧月夜がいそうな屋敷の戸口に寄り掛かっり、光源氏は「扇を取られてしまった、憂き目にあった」と声に出してみたところ、女性の気配がして歌が返ってきた。もしやと思って几帳(カーテン)越しに手を握ると、紛れもなく朧月夜だった。運よく朧月夜と会えまたそこで共に過ごした。

第九帖(あおい)
 桐壷帝が譲位して春宮が即位して朱雀帝となった。若宮は春宮となり、大将となった光源氏が後見人となる。

  六条御息所の娘(秋好)も斎宮(天皇即位毎に伊勢神宮に遣わされる未婚の内親王)に決定した。光源氏の通いも絶えてしまい、光源氏と浮名を流し世間に噂される恥ずかしさもあり、六条御息所は斎宮とともに伊勢に下ろうかと考えていた。

  噂は光源氏から思いをかけられていた桃園式部卿宮の姫君・朝顔にも伝わり、朝顔はこのような辛い目に遭うのはまっぴらと光源氏と会うことはなく、手紙のやり取りだけの関係を続ける。

 そんな折、不仲と思われた正妻・「葵の上」が懐妊した。光源氏22歳、葵の上26歳のことである。妊娠した「葵の上」は気分が優れないため、周囲の勧めもあって気晴らしに葵祭りの見物に牛車で出かけた。

 祭りは混んでいて牛車を止める場所がない。「葵の上」の従者たちは他の車を押しのけて無理に停めようとするが、そこにあったのは六条御息所の乗った牛車だった。そこで双方の従者が乱闘となり、御息所の牛車は破損された。

 その牛車には生霊となり夕顔を殺した六条御息所が乗っていた。六条御息所は祭りに登場する源氏の姿を見ておきたいと願い、身を潜めてお忍びで見物に来ていたのである。それにもかかわらず市井に醜態を晒す結果となり御息所の心は乱れた。六条御息所は辱めを受けたといたく傷つけられることになる。

 光源氏は祭りに14歳に成長した「紫の上」と一緒に来ていたが、その事件を知らずにいた。源氏は紫の上を伴って祭りの見物に牛車で出かけると、やはり立て込んでいたが、源典侍が色めいた手紙を寄越しつつ場所を譲ってくれた。源氏を思う他の女性たちは源氏の牛車に同乗している女性が誰なのか思い悩む。

 後日、事件の話を聞き、六条御息所に久々に文を送るが無視される。いっぽうの正妻「葵の上」は事件以降、六条御息所の生霊によって苦しめられるが、六条御息所は殺したいほど「葵の上」を憎んでいるわけではなく生霊として「葵の上」を軽く攻撃しただけであった。「葵の上」は生霊に苦しめられ加持祈祷を重ねるが結果ははかばかしくなかった。

 世間は六条御息所が葵の上を怨みにしていると評判となったが、六条御息所は自分の感情ではどうすることもできず、辱めを受けた六条御息所はますます思い悩むことになる。魂が己の姿から抜け出し「葵の上」の髪を引っ張ったり叩いたりして苦しめる自覚が御息所にあったのだがどうすることもできなかった。

 車争いの話を聞いた源氏は「葵の上」見舞いに行くが、お互いの距離は縮まらなかった。葵の上は物の怪に憑かれ大層苦しみ、加持祈祷をさせるが好転しない。世間では並々ならぬ執念の霊の仕業と噂した。

  葵の上が産気づきより苦しみだす。そのとき源氏は物の怪の正体をはっきりと見てしまう。それは六条御息所であった。

「葵の上」は男の子(夕霧)を生み、生前は距離のある夫婦だったが、出産を機に夫婦として仲良くするつもりだった。

 しかしある日、光源氏がかいがいしくの世話をするが、「葵の上」のそばを少し離れた隙に容体が急変しあっさり亡くなってしまった。光源氏は枕辺に立つ六条御息所の生霊を見た。

 「葵の上」の左大臣家は悲しみに暮れ、光源氏の失望も大きかった。光源氏が寄越した手紙から御息所は全てを察し、伊勢への下向を決心する。

第十帖賢木(さかき )

 葵の上が亡くなったことを光源氏からの手紙で知った六条御息所は、すべてから逃げるように娘と共に伊勢へと移っていった。

 光源氏の正妻「葵の上」が亡くなったことで次の妻の座をめぐる動きが始まる。今後は他人となる左大臣家との別れを経て、源氏は久々に二条院に戻った。「紫の上」は成長しすっかり大人びて見えた。

 ある夜、光源氏は連れてきた娘「紫の上」(15歳)とついに一夜を共にする。「紫の上」に使える侍女たちはこれで正式に側室になれたと喜ぶが、「紫の上」は兄のように慕っていた光源氏と初めて一夜を共にしたことが、あさましいことだと思い光源氏を許せなくなってしまった。「紫の上」は不機嫌になり光源氏を少し嫌いになる。この時代の年頃の娘たちは性教育を受けるが「紫の上」の場合は光源氏がさらってきた娘なので性知識がなかったのである。光源氏がどれだけ優しいしてもショックだった。

 不機嫌な「紫の上」を光源氏はいじらしくかわいらしと思い、また正妻の「葵の上」が亡くなったことで光源氏と左大臣家の関係は途絶えてしまう。婚姻したからには裳着(成人式)も盛大にせねばと準備を始め、実親である兵部卿宮にも知らせようとした。年が明け左大臣邸に出向くと夕霧はすくすくと育っていた。顔立ちはやはり春宮によく似ていた。
 そのころ朧月夜は源氏を思い続けていた。そのような時、右大臣は朧月夜を朱雀帝(父・桐壺帝と正妻の息子)ではなく、光源氏に嫁入りさせてもいいと考えるようになる。側室ではなく正妻ならばと条件を出したが、朧月夜の姉であ桐壺帝の正妻・弘徽殿は当然おもしろくないので反対し、予定通り朱雀帝のもとへ朧月夜は嫁ぐことになった。それからしばらくして桐壺帝が亡くなった。

 朱雀帝ははっきり物を言わない人で、政治は右大臣家の思うがままになっていた。朱雀帝は妻である朧月夜と光源氏が続いていることも「昔からの縁ならば仕方ない」とそのまま許していた。

 光源氏は里下がりの藤壷の中宮に熱い想いを訴えるが、藤壺は拒絶する。藤壷は光源氏の愛を負担に感じ、息子のために出家を決意し、桐壺院の一周忌の法事の後、春宮に心を残しながら黒髪を切り出家した。

 朱雀帝の御代となると右大臣家の勢力が強くなり左大臣家はしだいに冷遇されてゆく。光源氏の亡くなった正妻・葵上の兄である頭の中将も妻が右大臣の娘にも関わらず、左大臣家出身ということで冷遇され出世できずにいた。年が明け左大臣邸に出向くと、夕霧がすくすくと育っていた。顔立ちはやはり春宮によく似ていた。

 その頃、朱雀帝の寵愛を受けた尚侍の君(朧月夜)は光源氏と忍んで逢瀬を重ねていた。ある雨の激しい夜、二人は右大臣に見付かってしまい、弘徽殿の女御の逆鱗にふれてしまう。弘徽殿の女御は、これを機会に憎い光源氏を政界から葬ることを考えた。

 

十一花散里(はなちるさと)

 宮中の政争は激しさをまし、桐壷院の外戚であった左大臣側から朱雀帝の外戚である右大臣側に移って行った。光源氏の左大臣側は旗色が悪く、重苦しい毎日の中、昔は枕を交わしたものの、いつの間にか間遠になってしまっていた女人が思い出された。

  亡き桐壷院がまだ帝位にあったころ、その後宮に麗景殿女御と呼ばれる女性がいた。桐壷院との間に子は無く、桐壷院の死後は後ろ盾がないため、光源氏の庇護のみを頼りにひっそりと暮らしていた。麗景殿女御には花散里(三の君)と呼ばれる妹がいて、花散里と光源氏は忍び逢うこともあった仲だったが、源氏の性格もあり半ば無縁の状態が続いていた。ある日、前桐壷帝の寵愛を受けた麗景殿女御の妹を訪ねることにした。

 訪ねる途中の中川のあたりを過ぎたところで、風情ある琴の音色が聞こえてきた。それが昔一夜を共にした女性の家だと思い出していると、ほととぎすが鳴いて渡って行った。思い起こせば、あれからずいぶん時間が流れたが覚えているだろうか、と源氏は惟光を家へ遣わせ逢いたいと申し入れるが良い返事はもらえなかった。

     光源氏はそのまま麗景殿の御邸を訪ねたところ、屋敷はやはりひっそりとして人も多くなかったが、長い不義理などなかったかのように迎えられた。女御は品良く落ち付いていて優しいままの姿だった。

 橘の花の薫るなか故桐壺院のことがしみじみと偲ばれ、女御と昔のことを語らい、懐かしんでは涙を落とした。時が移ろっても、変わらぬ態度でいてくれる女御を並々ならぬ人だと思った。昔話をして心を慰めあった。

 その後、源氏は花散里のいる西面の部屋に移った。花散里も恨み言など言葉や態度に表さず、ただただ今目の前にいる源氏の訪問を嬉しく思っている様子にいとおしさもひとしおであった。通いがない源氏のつれなさも、ひとたび姿を見るとすっかり消えてしまったらしく、花散里は幸せそうにしている。源氏も優しく睦言をかけては心を癒された。長らく訪ねずにいると変化してしまう人の心というものは、それはそれで仕方のないもの、あの中川の女を責めることはできないと光源氏は考えを巡らせた。それだけに花散里の素晴らしい性質がいっそう際立つのである。先の女人のすげない仕打ちと比べ、より一層、花散里の人柄の謙虚さ、温かさ優しさに感じ入るのである。

 源氏と朧月夜との関係は朱雀帝はとっくに知っていたが、右大臣と弘徽殿は初めて知ることになった。特に弘徽殿は「帝の妻と密通することは反逆罪」とまで言い出すことになる。光源氏はこのとき26歳であった。 

 そこで光源氏はいったん京の都を離れ須磨へと遠く退くことを決意する。家臣たちや財産を18歳の「紫の上」にたくし「お許しが出なくともきっといつか迎えに来る」と言い須磨へと旅立った。

 源氏と朧月夜との関係は朱雀帝はとっくに知っていたが、右大臣と弘徽殿は初めて知ることになった。特に弘徽殿は「帝の妻と密通することは反逆罪」とまで言い出すことになる。光源氏はこのとき26歳であった。 

 そこで光源氏はいったん京の都を離れ須磨へと遠く退くことを決意する。家臣たちや財産を18歳の「紫の上」にたくし「お許しが出なくともきっといつか迎えに来る」と言い須磨へと旅立った。

須磨流寓から都への復活と栄華

 兵庫県須磨で侘び住まいを送る光源氏だったが、明石で出会った女性明石の君と懇意になる。一方都では災難が起こり、右大臣は死亡、朱雀帝も目を患う。これらの災いは源氏を追いやった報いだと考えた朱雀帝は源氏を2年ぶりに召還される。
  これにより朱雀帝は退位し、源氏と藤壷の宮の子が即位して冷泉帝(れいぜいてい)となる。再び風は光源氏に吹くようになり、順調に出世を重ねていくのであった。町ほどの広さを誇る大邸宅「六条院」を造営し、以前から交際していた女性たちも一堂に集めて住まわせるほどの権勢である。さらに源氏と明石の君との子も宮中に入り、源氏自身も准太上天皇(上皇に準じる位)まで登りつめた。


十二須磨(すま)

 光源氏は罪せられそうな気配を察し、先手を打って京を捨て須磨(神戸)へ移り住むことになる。うかうかしていると朝廷から流罪などの罰を受けるやもしれないので、政治の中枢から離れてしまうことに道を見出したのである。
 しかし、そうとなればいつ再び都に戻れるかも判らないので数々の人のもとへ別れの挨拶に向かった。

 まずは左大臣家を訪問する。悲しみに暮れる左大臣、何も判らずにつきまとっては遊んでいる幼い夕霧に涙を流した。今や宰相の中将となった頭の中将やこの家の中納言の君という女房とも睦まじく別れ話をした。二条院でも「紫の上」は惜別の悲しみに暮れていた。都を離れる光源氏について行きたいと申し出るが、人里離れた土地に連れていけるはずもなく、光源氏は家臣や財産を「紫の上」に託して出立の準備をした。

 右大臣に目をつけられることを憚った兵部卿宮は娘の「紫の上」に対して手紙すら寄越してこなくなった。兵部卿宮の妻に至っては「紫の上」に訪れた不運を笑うありさまである。落ち込む「紫の上」を光源氏は、何年経ってもお許しがでなければ、どんな岩屋住まいに落ちぶれていようが、そのときは必ず迎え入れると慰めた。

 異母弟の蛍兵部卿宮、花散里、入道の宮'(藤壷中宮)らと別れを告げた。また桐壷院の墓にも参り、出立の晩は紫の上と過ごして、夜が明けぬうちに須磨へと旅立って行った。「光源氏は「紫の上」にすべてを託して京を去った。

 京から須磨までは1日で行ける距離だったが、須磨へと移り住むとわびしい暮らしになった。都から隔絶された須磨の海辺の生活は侘びしさが募るばかりだった。とはいえ従者の良清が指示して造らせただけに、住まいは素朴ながらも風情ある佇まいではあった。

 梅雨の季節にもなれば人恋しさもあって、源氏は都へ使いを遣り、紫の上や入道の宮、朧月夜の近況を尋ねるのであった。また伊勢の六条御息所とも手紙のやり取りをしては昔を悔み、現世の罪を滅ぼしに勤行の生活を送りつつ、困窮している花散里への財政の援助を家臣に命じたりもした。

 京では朱雀帝の正妻・朧月夜が、光源氏の都落ちを悲しく思い、またそれを察して朱雀帝が寵愛してくれることも申し訳なく思っていた。朱雀帝は異母兄弟である光源氏を窮地に追いやったことを苦悩して本気で悲しみ、父・桐壺帝が望んだように、ふたりで都を維持できなかったことを申し訳なく思った。未だ源氏を想う心の内を見透かされた朧月夜だったが、朱雀帝はそれを責めるわけでもなく、それがさらに朧月夜の良心を苦しめた。

 ひとり残された「紫の上」は気丈にふるまい、家を仕切り、辞める侍女はひとりもいなかった。

 須磨の寂しい夜は都恋しさも募り、琴を少し鳴らしては歌を詠みあげると、周囲の者も釣られて泣いてしまった。自分のために家臣までも辛い気持になることを悟った源氏は、泣き言は言うまいと漢詩や和歌で気持ちを紛わせ明るく振る舞うのだった。なかでも源氏が描いた浜辺の絵は見事な出来栄えに仕上がった。光源氏は須磨で穏やかに暮らしていた。

 そのような光源氏に対し、明石入道という男が、身分は違うが自分の娘を光源氏に嫁がせたいと企んでいた。

 そこへ都から親友・頭の中将が須磨までやってきた。光源氏に会えば政治的に非難される立場になる可能性を承知上で、昔を懐かしむため右大臣家に冷遇された光源氏を訪ねてきたのである。ふたりは大いに懐かしんでは涙を落した。

 須磨での生活も1年が経ち、春になると心労が多いのでお祓いをしたほうがいいとの声を受けて、源氏は陰陽師を呼んで波打ち際でお祓いをさせた。

 するとにわかに風が吹き始め、空は曇り、土砂降りになった。

 瞬く間に暴風が吹き荒れ、まわりの物を吹き飛ばしてしまった。暴風雨は都も襲い大嵐で混乱した。

 夜明け前になって、ようやくうとうとした光源氏の枕もとに夢枕に桐壷院が立ち「なぜこんなところにいるのか、この浦を去りなさい」と告げた。光源氏は不吉な夢を見て、自分を呼んでいるのだろうかと思うと須磨を離れたいと不気味に感じた。

十三明石(あかし)

 須磨の館は暴風雨で壊れてしまい、光源氏が桐壺院のお告げを明石入道に伝えへ明石へ移ることを申し出てた。嵐が止んだ明け方、小舟に乗った者が現れ、従者の良清に取り次ぎを願い出た。良清はいぶかしむが光源氏は昨晩の夢のこともあり話を聞いてみる。

 その者は明石入道で、住吉の神の導きで嵐が去ったら舟を出せとのお告げに従って来たと言う。明石入道の勧めもあり、光源氏たちは入道の住まう明石へ移ることにした。

 日が昇る前に出立し光源氏たちは明石入道の邸宅へ入る。明石入道の邸宅は家も庭も趣向を凝らしており、都とたがわぬ造りであった。入道の一人娘・明石の君(あかしのきみ)は山手の棟に暮らしていて、光源氏は浜手の棟で暮らすことになった。

 さっそく光源氏は紫の上や入道の宮へ現状を伝える手紙をしたためて使いに持たせた。明石入道は勤行三昧の日々を過ごしつつ、明石入道の娘「明石の君」を嫁にしてほしいと光源氏にそれとなくほのめかした。光源氏は都の「紫の上」を思うとそのような気になれないと思いつつも、娘を垣間見た光源氏は一目でとりことなり明石の娘のことが気になってくる。

 4月になり、光源氏が琴を弾くと、その音色は明石の君や明石入道のもとにも届いた。見事な音色に明石入道は居ても立ってもいられずに光源氏のもとへ行きともに琴を奏でる。明石入道は「明石の君」が弾く琴も良い音色なので、いずれお聞かせしたいと申し出た。

 「明石の君」もほのかに垣間見た光源氏の美麗な姿を想うにつれ、自分の身の差を感じ、親のもくろみを面倒で恥ずかしいことだと思うのだった。光源氏は自分のような身分の者がと気おくれしながらの「明石の上」が上品で気高く嗜み深さから惹かれていく。

 まずは和歌のやり取りからと光源氏は手紙を送るが、明石の君は恥ずかしがって返事もしない。入道の代筆の返歌に呆れる光源氏だったが、興味は募るばかりだった。しだいに「明石の君」も自筆で返信するようになった。明石の君は光源氏が想像した以上に上品で素晴らしい女人だった。光源氏と明石の娘との手紙のやりとりがはじまり、秋になっても手紙のやり取りは続いたが、これ以上を望むのは身の丈を過ぎると自分を戒める明石の君とは逆に、光源氏はますます思いを募らせていった。噂の琴の音色もまだ聞かせてもらってないではないと光源氏は明石入道に持ちかけると、頃合いを見て入道が誘いの文句をよこした。

 その夜、光源氏は少人数だけを連れて山手の棟へゆき、物越しで「明石の君」と対面に始まり、心づくしにかき口説いて、ようやくふたりは結ばれた。京を離れてから約1年半で「明石の君」と光源氏は結ばれ「明石の上」は懐妊した。

 その頃、都では朱雀帝の枕もとにも亡き父・桐壺帝が立ち、怒りの目で朱雀帝をにらんだ。朱雀帝はこれは光源氏を冷遇したことを怒っていると畏れ、母の弘徽殿に伝えましたが、そんなわけはないと軽くあしらわれてしまう。しかしその後、朱雀帝は目を患い、次いで弘徽殿も病み床にふせ右大臣が病死した。

 「明石の上」は懐妊のご様子に光源氏が明石を離れることを嘆かれた。また光源氏はこのことを隠してはおけないと思い「はかない夢をこの浦で見た」と都の「紫の上」に手紙を書いた。

 「紫の上」はすべてを察したが、恨みごとのひとつも言わずにさらりと一首の返歌を詠んだ。光源氏は最愛の人を傷つけてしまったと後悔し、しばらく「明石の君の」もとに通わなくなるが、それだけに「明石の君」は塞ぎこんでしまう。

 年が明け、朱雀帝は春宮に天皇の座を譲位しようと思うが、自分以外に後ろ盾がないことが気がかりで、光源氏を都に呼び戻すことにする。光源氏を許す宣旨を下した。

 光源氏はこれで約2年の隠居生活は終わると思うが、都への帰還は「明石の上」との別れであり、身重の「明石の上」を残すことを意味していた。光源氏は懐妊している「明石の君」の元を去りがたく毎夜明石の君のもとへ通うようになる。

 秋になりいよいよ出立目前となっても、光源氏は明石の君の傍を離れがたい様子であった。別れを偲んで明石の君にせがんだ琴の音色は格別なものだった。「明石の君」は離れることを悲しむが気丈にふるまい、光源氏は必ず都に迎えると約束して明石の浦を去った。「明石の君」はうち萎れ、明石入道も茫然自失に陥ってしまった。

 それでもお腹の子がいるからと、なんとか気を強く持ち自分を慰めた。

  光源氏は「紫の上」の待つ京に戻った。二条院に帰着した光源氏は28歳で「紫の上」と久しぶりに対面するとこれまでのことをすべて話した。「紫の上」はますます美しく「明石の上のことを打ち明けてもとがめなかった。光源氏は「紫の上」のそばから離れようとしなかった。数多くの女人との浮名を流した光源氏だったが、帰着後は紫の上にべったりで他の女人のもとへ通うそぶりもなかった。

十四澪標 (みおつくし)

 光源氏は須磨で夢枕に立った父・桐壺帝を弔う式典を盛大に行い、自分を嫌っていた弘徽殿のことも丁重に扱い権力を行使することはなかった。桐壷院の法要を盛大に行ない、朱雀帝の眼病もよくなりひと安心したが、いつまでもこの世に執着してはいられないと譲位を決心した。

 2月に皇太子・春宮が元服するが見るからに光源氏とそっくりな顔立ちで、入道の宮(藤壺)は後ろめたさで一杯なる。朱雀帝が位を退かれ、春宮が即位して冷泉帝とななった。新たな春宮には承香殿女御(じょうきょうでんのにょうご)の子がなった。光源氏は内大臣に、引退していた左大臣も復職して太政大臣に、宰相の中将(頭の中将)は権中納言に昇進した。

 光源氏は自身の不遇の折に細々と暮らしていた花散里たちを住まわせようと、二条院の東の屋敷を改築しはじめた。

 朱雀帝の譲位により春宮が新しい帝・冷泉帝となり、すべてが丸くいくと思われたが、表向きは桐壺帝の息子であるが、冷泉帝があまりに光源氏にそっくりなので真実を知る藤壺は気が重くなった。

 朱雀帝は譲位したことに迷いはなかったが朧月夜の身の上を案じていた。冷泉帝と間に子ができないのを嘆いていたのである。朱雀帝の愛情の深さを今更ながらに理解した朧月夜は今までの自分の振る舞いを悔い改めずにはいられなかった。

 また同じころ、身重の「明石の君」はどうしているかと心配になり光源氏は使いを遣った。報告によれば女児(明石の姫君)を女児を出産したとのことであった。この子が「明石の姫君」で、これで光源氏の子は藤壺が産んだ冷泉帝、亡妻・葵上が産んだ夕霧、明石の姫君の2男1女となった。

 光源氏は「紫の上」に隠れて姫君の誕生を喜んだが、「紫の上」は「明石の君」に嫉妬を感じ、取り残される我が身に不安を抱くようになる。

 光源氏は「身分の低くない女性の子が将来の妃になる」と占いで言われていた。これは明石の姫君が将来の帝の妻になるこかもしれないと思い、丁重に扱うため乳母を派遣した。明石に辿りついた乳母はこんな田舎で心細いと感じたものの、赤ん坊の美しさにすっかり虜になって世話に当たった。

 子が生まれたとあっては隠しておくわけにもいかぬと、光源氏は仔細を「紫の上」に明かす。「紫の上」は嫉妬しつつも、それほどまでに「明石の君」という女性は素晴らしい女人なのかと思いを巡らせた。

 光源氏は生誕五十日目の節句に大層な祝いを遣って盛大な祝いの品を届けた。光源氏の心づくしに明石入道は涙を流しておおいに喜んだ。

 秋になって光源氏が住吉大社(大阪)に詣でた。偶然にも「明石の上」が源氏の行列に出くわし、光源氏の参拝の大行列に気圧されてしまう。「葵の上」との間の子・夕霧の颯爽たる姿に「明石の上」はわが娘との身分の違いをまざまざと知り、却って落胆してしまうのだった。後に従者の藤原惟光から「明石の君」も参拝に来ていたことを知った光源氏は、声も掛けられず哀れなことだったと「明石の君」へ和歌を送った。

 公務の忙しさに気をとられ出向く暇がなかったのを反省し、光源氏は数年ぶりに花散里のもとを訪ねた。花散里の気立てのよさは変わっておらず、心休まる女性のままだった。

 そのような時、あの生霊事件を起こした六条御息所が娘の斎宮(秋好)共に伊勢から京へ帰ってきた。六条の屋敷で暮らしていたが、六条御息所は病に伏せ死期を悟り出家を決意してしまう。光源氏はあまりの急な出家の知らせに驚き下心なく会いに行く。たいそう弱っていた六条御息所は娘を光源氏に託し、光源氏が秋好に変な気を起こさないように「娘に手を出さないで」としっかり釘をさして1週間後に亡くなった。光源氏は六条へ赴きしかるべき指図をして立派に葬儀を執り行い、六条御息所の遺言通り光源氏は娘の斎宮(秋好)を養女に迎えた。

 光源氏は物陰越しにちらりと見えた秋好の姿に心躍る気持ちになるも、御息所の言葉もあるので自制して手は出さずにいた。ひとりになった斎宮は家がらはもちろん器量もよい

 ため引くてあまたで、朱雀帝からも側室の話がくるほどであった。

 しかし光源氏は、まだ年端もいかぬ朱雀帝に嫁いでも宮中の面倒なことに巻き込まれるだけなので、自分の子の冷泉帝(10歳)の侍女として仕える方が良いと藤壺に相談した。藤壺は賛成したが、兄の兵部卿宮(紫の上の父親)は自分の娘を冷泉帝の妻にしようとしていたので、光源氏と兄の関係がさらに悪化することが心配された。斎宮は源氏の養女となり冷泉帝の元へ入内するが、光源氏の親友・頭の中将(権中納言)と四の君の間の娘も冷泉帝の女御として宮中に入っていて、わずか10歳の冷泉帝の正妻の座を巡って静かな戦いが過熱してゆく。

十四澪標 (みおつくし)

 光源氏は須磨で夢枕に立った父・桐壺帝を弔う式典を盛大に行い、自分を嫌っていた弘徽殿のことも丁重に扱い権力を行使することはなかった。桐壷院の法要を盛大に行ない、朱雀帝の眼病もよくなりひと安心したが、いつまでもこの世に執着してはいられないと譲位を決心した。

 2月に皇太子・春宮が元服するが見るからに光源氏とそっくりな顔立ちで、入道の宮(藤壺)は後ろめたさで一杯なる。朱雀帝が位を退かれ、春宮が即位して冷泉帝とななった。新たな春宮には承香殿女御(じょうきょうでんのにょうご)の子がなった。光源氏は内大臣に、引退していた左大臣も復職して太政大臣に、宰相の中将(頭の中将)は権中納言に昇進した。

 光源氏は自身の不遇の折に細々と暮らしていた花散里たちを住まわせようと、二条院の東の屋敷を改築しはじめた。

 朱雀帝の譲位により春宮が新しい帝・冷泉帝となり、すべてが丸くいくと思われたが、表向きは桐壺帝の息子であるが、冷泉帝があまりに光源氏にそっくりなので真実を知る藤壺は気が重くなった。

 朱雀帝は譲位したことに迷いはなかったが朧月夜の身の上を案じていた。冷泉帝と間に子ができないのを嘆いていたのである。朱雀帝の愛情の深さを今更ながらに理解した朧月夜は今までの自分の振る舞いを悔い改めずにはいられなかった。

 また同じころ、身重の「明石の君」はどうしているかと心配になり光源氏は使いを遣った。報告によれば女児(明石の姫君)を女児を出産したとのことであった。この子が「明石の姫君」で、これで光源氏の子は藤壺が産んだ冷泉帝、亡妻・葵上が産んだ夕霧、明石の姫君の2男1女となった。

 光源氏は「紫の上」に隠れて姫君の誕生を喜んだが、「紫の上」は「明石の君」に嫉妬を感じ、取り残される我が身に不安を抱くようになる。

 光源氏は「身分の低くない女性の子が将来の妃になる」と占いで言われていた。これは明石の姫君が将来の帝の妻になるこかもしれないと思い、丁重に扱うため乳母を派遣した。明石に辿りついた乳母はこんな田舎で心細いと感じたものの、赤ん坊の美しさにすっかり虜になって世話に当たった。

 子が生まれたとあっては隠しておくわけにもいかぬと、光源氏は仔細を「紫の上」に明かす。「紫の上」は嫉妬しつつも、それほどまでに「明石の君」という女性は素晴らしい女人なのかと思いを巡らせた。

 光源氏は生誕五十日目の節句に大層な祝いを遣って盛大な祝いの品を届けた。光源氏の心づくしに明石入道は涙を流しておおいに喜んだ。

 秋になって光源氏が住吉大社(大阪)に詣でた。偶然にも「明石の上」が源氏の行列に出くわし、光源氏の参拝の大行列に気圧されてしまう。「葵の上」との間の子・夕霧の颯爽たる姿に「明石の上」はわが娘との身分の違いをまざまざと知り、却って落胆してしまうのだった。後に従者の藤原惟光から「明石の君」も参拝に来ていたことを知った光源氏は、声も掛けられず哀れなことだったと「明石の君」へ和歌を送った。

 

十五蓬生(よもぎう)

 光源氏が都を追われて須磨に隠遁してから、光源氏の庇護で生計を立てていた女性は困窮していた。なかでも宮家の娘でありながら後ろ盾を持たない末摘花の生活は貧しくなる一方だった。かつてたびたび通っていた不細工な「末摘花」は身分は高いが、後見人もなく心細い境遇になっていた。些細な援助さえも与える者はなく、生活は悲惨なものとなっていた。もともと落ちぶれた暮らしだったとはいえ、光源氏の援助で華やいだ境遇を経験していただけに、再び訪れた貧乏な日々はいっそう辛く感じられた。それなりにいた女房たちの中には、ここでは暮らして行けないと屋敷を次々と出て行ってしまった。庭は荒れ放題になり、女房たちは屋敷や庭の樹木、家財道具を売って現金化するように進言するが、末摘花は父の遺品を手放せないと頑なであった。

 光源氏が都に戻り、昔をしのぐ栄耀栄華ぶりであったが、多忙を極めて末摘花のことを思い出すこともなかった。

  末摘花の乳母の娘の侍従(世話係)は長らくこの屋敷に仕えていた。受領(県知事)の妻になった末摘花の叔母が、「娘の世話係にしたいから、侍従を貸してくれ」と屋敷を訪ねてきた。この叔母は、かつて末摘花の亡き母から「受領ふぜいの妻になり下がった」と侮られた過去があった。その過去を引きずり、末摘花に冷たい言葉を浴びせ続けた。ことあるごとに落ちぶれた宮家をせせら笑っていた。
  いっそ末摘花を自分の娘の召使にすれば気分がいいだろうと、叔母は任国の筑紫(福岡県)に一緒に来ないかと誘った。内気な末摘花はそんな遠くへは怖くて行けないと断り、またそれが叔母には癪に感じるのだった。

 須磨から京に戻った後も、官位も戻り忙殺される日々に末摘花のことをすっかり忘れてしまい、たまに「元気でやっているだろうか」と思い出す程度でしかなかった。また「紫の上」にべったりであると侍女や乳母から聞かされ、ここには来ないとしながらも、末摘花は光源氏をいちずに思い続けていた。

 光源氏が訪ねてくるかもしれないと、一縷の望みをかける末摘花だったが、その気配はどこにもなかった。
  叔母はそれ見たことかと言わんばかりに「気位ばかり高いだけの醜い末摘花など光源氏が相手にするはずがない。今や紫の上につきっきりで浮気など全くしないらしいのに」と口悪く罵る。
  ついには侍従が叔母の親類と縁組したこともあり、侍従までも後ろ髪引かれる思いで筑紫へ旅立つことになってしまった。

 冬、光源氏が開催した亡き桐壷院の法要に末摘花の兄の禅師の君が招かれた。しかし禅師の君から光源氏に何かをとりなした様子はなかった。話し相手になってくれていた侍従も筑紫へ行ってしまい、末摘花は寂しく貧しい日々にただ哀しくぼんやり過ごしていた。
 年も改まって春になり、光源氏はあの末摘花はどうしてるかと思い、ある日、久々には藤原惟光をお伴にお忍びで訪ねてみた。すると庭はさらに荒れてキツネの住処となり、軒の高さまで伸びきった雑草目当てに牛が行き交い、人の気配はなかった。 あまりに屋敷が荒れ果てていたが、中から人の気配がした。どこかに引っ越したのかと従者を使って末摘花の乳母に尋ねると、乳母は笑って「心変わりするような姫君ならこんな荒れた藪の中に住んでいません」と答えた。

 戻って来た惟光にいきさつを聞いた光源氏は、末摘花の愚直さと一途さに心動かされ、末摘花のもとへ歩んでいく。内気で不器用で世渡りを知らない性格はそのままだったが、光源氏が和歌を詠むと返歌するほどに成長していた。末摘花の屋敷をきれいに手入れして贈り物を届けさせた。

 以前にも勝る御威勢の光源氏は、物事の思いやりも以前にまして深くなり、末摘花にも細やかに心遣いされ、末摘花邸には散り散りになっていた女房も戻ってきて、活気が戻ってきて、次第に人の気配が見えるようになった。その2年後、光源氏は二条院の東の院の館の一角に末摘花を引き取った。

 

十六関屋(せきや)
 かつて光源氏は伊予介の妻・空蝉に心惹かれ、たった一度の契りを結んだが、空蝉はその後光源氏を拒み続け夫の任地に下って行った。伊予の介は国替えで常陸の介となり空蝉を伴い常陸国(茨城県)を治めていた。

 空蝉の夫・常陸の介は任期終了間際に病がちになり亡くなってしまった。親族は残された空蝉に対し初めこそ優しかったが、未亡人の立場では肩身は狭く、あくまでうわべだけの話で、空蝉にとって悩ましい日が続いた。さらに息子の河内の守が下心丸出しで執拗に近づいてきた。やむをえず空蝉は覚悟を決めて出家して尼になった。

 空蝉が常陸国から京に戻ることになったが、京に戻る道すがら、逢坂の関に一行がさしかかった時である。石山寺(大津)に向かう光源氏の一行と偶然すれ違うことになる。光源氏の権勢は今や絶頂であった。空蝉は光源氏が須都を追われたことも風の便りに聞いてはいたが、光源氏を忘れてはいなかった。 空蝉たちは車を木陰に寄せて光源氏の大行列をやり過ごそうとするが、光源氏は空蝉の姿を思い返していた。光源氏が石山寺参詣から戻ると、空蝉の弟・右衛門佐が参上してきた。右衛門佐は光源氏が不遇の折に、世間の評価を気にして光源氏につかず、常陸へ下ったことを悔やんでいた。

  光源氏は右衛門佐に空蝉への手紙を託し、長年にわたり連絡もなく不通であったが、心の内ではずっと偲んでいたとと述べた。空蝉は今の年齢を考えると恥ずかしく気後れするがやはり心動かされて返信を書いた。

懐かしさから空蝉の弟右衛門佐(元の小君)を呼び寄せた。当時小君と呼ばれていあの右衛門佐を呼び出して言葉をかけてきた。右衛門佐からことのあらましを聞いた空蝉は、さまざまを思い返しては胸を痛めた。

 右衛門佐は光源氏が不遇の時に力になれず、常陸国に下ってしまっていたことを悔やみ詫びた。光源氏は右衛門佐に空蝉へ歌を託し、行き来は絶えて久しいが、いつも気にかけていたとの言葉を送った、空蝉の心は再び乱れ、もう若くはなく、会うことはかなわないけど、しかしいたたまれず歌を返した。2人は昔を忍び、切ない思いを込めて歌を交わすのだった。

 その頃、光源氏は住んでいる二条東院の改装・増築をし、妻の・花散里を西の対に住まわせる事にした。さらに末摘花と空蝉を北の対へ移す事にした。


十七絵合(えあわせ)
 内大臣・光源氏の源氏の養女となった斎宮(秋好)は、冷泉帝の元に入内して梅壺女御と呼ばれるようになった。まだ若い冷泉帝は年上の梅壺女御になじめなかった。哀れに感じた光源氏は、せめて手紙の返事だけでもと斎宮(秋好)に書かせた。儀式の場でも光源氏は朱雀院を気遣って出しゃばらず、親代わりではなく単に祝いの席に出席したという体裁で臨んだ。斎宮(秋好)は内裏で梅壷の部屋を与えられ、以降は梅壷女御とも呼ばれることになる。

 若き日の頭の中将(権中納言)の娘もすでに入内しており弘徽殿女御と呼ばれていた。冷泉帝(藤壷と光源氏の不義の子)には、この弘徽殿女御と梅壷女御の二人の妻がいた。弘徽殿女御は権中納言の娘で、光源氏が親代わりの梅壷女御(秋好)とが後宮を争う事態になった。以前から王女御を冷泉帝に差し上げていた兵部卿宮は心休まる暇もなかった。冷泉帝はどちらかといえば気安い弘徽殿女御と仲良く遊んでいた。女院は「全て整った大人の女性がいるのだから、そのつもりでしっかり振る舞いなさい」と冷泉帝に諭したが、その心配は杞憂に終わった。斎宮(秋好)はおっとりしているだけでなく、見た目も小柄で優しい人柄であった。光源氏が親代わりでもあり軽々しい扱いはされず、冷泉帝の絵画という共通の趣味をきっかけに寵愛を増していった。

 冷泉帝は大層絵がお好きで、鑑賞はもちろん自身でも筆をとった。梅壺もまた絵を上手く描くので、ふたりでいるときはいつも描き合って仲良くしていた。絵がきっかけとなり、冷泉帝の足が梅壷に向かう頻度が次第に増えて行き、絵の上手な梅壺をご寵愛なさった。権中納言は梅壷には負けていられないと、絵画の名人を呼び寄せて豪華な絵を集め冷泉帝の気を引こうと躍起になった。

 宮中ではお互いに綺羅を競い合う「絵合」が流行しており、藤壺中宮の御前でも絵合せが行われていた。これをきっかけに、帝の御前でも梅壺対弘徽殿の絵合せが華々しく催された。

  権中納言のなりふりに光源氏は苦笑しながら、冷泉帝に見せる絵画を「紫の上」といっしょに選んでいった。その中には光源氏が須磨で描いたものもあった。見事な腕前で描かれたうら寂しい波打ち際の風景は、今更ながらにふたりの涙を誘った。

 権中納言は当世風の、光源氏は古風で趣深い絵を取り揃えていたことから、宮中では絵の話題でもちきりになる。皆が絵を集め絵の話で盛り上がる。また絵の批評をする者が現れるほどの流行ぶりだった。

 そんな折、女院も絵が好みとのことで、内々に女房たちを左右両陣に分けて絵物語の論評合戦の余興をおこなうことになった。それを聞いた光源氏は、どうせなら冷泉帝の前で披露して勝負をつけようと思いついた。

 絵合わせ当日、冷泉帝の御前に、今をときめく要人が勢ぞろいして向かい合い「絵合」が催された。「絵合」とは絵の見事さを競い合うことで、光源氏の異母弟の蛍兵部卿宮が審判を務めた。

 古今の素晴らしい絵が数多く出され、梅壷方も弘徽殿方も交互に見事な絵巻を出して甲乙つけがたく、なかなか勝負がつかずに夜になってしまった。もうこれで最後の一篇となったとき、光源氏が出したのは須磨で筆をとったあの絵だった。最後の1枚に、勝負として須磨の絵日記を出したのである。光源氏が須磨に隠遁していた時に書いたもので、今は栄華を極めている者が寂しい浦を彷徨っていたことを改めて思い起こさせた。

 不遇な時期の光源氏の心を思いやり、参列した人々はみな涙を流し、その感動的な内容と絵の見事さに心を打たれ、梅壺方が勝利を収めた。須磨で描いた絵は永く宮中の人々の記憶に残り語り草となった。

 絵合せからしばらくして、冷泉帝は藤壺中宮に「貴族たちが弘徽殿女御と梅壺のどちらが中宮にふさわしいかを噂している」と悩みを打ち明けた。

 その後光源氏は藤壺に絵日記を献上すると「世を捨てるにはあまりにしがらみが多いが、来世を思えば仏道修行に励まねばならぬ」と、出家する日のことを思い嵯峨野に御堂の建立した。

 

十八・松風(まつかぜ)

 光源氏が造営させていた二条東院が完成し、光源氏は西の対に花散里を移らせた。東の対には「明石の上」を迎えるつもりだった。光源氏はしきりに「明石の上」に文を送るが、「明石の上」は自分のような田舎者が都の高貴な姫と立ち混じっては引け目になるばかりと決心がつかなかった。明石入道は光源氏に、娘「明石の上」は住みなれたここを離れて、上洛することに不安を抱えている」と伝えた。しかし姫の将来を思えば、この先ずっとの明石住まいでは展望は開けまいとも思っていた。

 明石入道は明石の君の思いをよそに大堰川近くの屋敷(祖父・中務宮の別荘)を修理して「明石の上」をそこへ住まわせることを決めた。屋敷はちょうど光源氏が建てた嵯峨野の御堂が近くだった。明石入道からその話を聞いた光源氏は喜び、さっそく大堰川の屋敷へ出向いては改築について指示を出し明石の里へも召使を遣るのだった。

 「明石の上」は姫君や母尼君と共に大堰川の屋敷へ向かうが、明石入道は今更世俗に交じるわけにいかないと明石に残ることとなった。娘の立身を思う宿願成就のためと判っていても、妻と別れ、娘と別れ、孫娘とも別れねばならぬ哀しさで袖を濡らしていた。

 しかし肝心の光源氏はなかなか大堰を訪れなかった。近くまで来てたのに会えないため「明石の上」は物思いに悩まされ、琴を爪弾き無聊を紛らわせていた。光源氏は「紫の上」に気兼ねをして会うことができなかったのである。

 ある松風が吹く日に、光源氏は「紫の上」に気を遣いながらも、御堂の様子を見に行くと口実を設け、ようやく大堰で3年ぶりに「明石の上」と再会を果たすことができた。再会を喜び合い、また初めて見る娘の愛らしさに感嘆した。

 さらに姫君を将来の后と願う光源氏は、その出自の低さを補うために、一日も早く姫君を身分の高い紫の上の養女にしたいと考えた。「明石の上」から姫君を取り上げて二条院で育てることは、「明石の上」には非情な仕打ちになるが、それでも正妻ではない腹の子として育つよりも、身分の高い「紫の上」を養母として育てられたほうが姫君のためになるのだと考えた。

 ようやく二条院に戻った光源氏は教養もあり非の打ち所のない「紫の上」に養育を頼むことにした。しばし休息したのち「紫の上」に全てをうちあけ、幼い姫君を「紫の上」のもとでで育ててみないかと尋ねた。子供がいない「紫の上」は源氏の意外な提案に喜び、大切に育てたいと答えるのだった。


十九・薄雲(うすぐも)
 光源氏が造営させていた二条院の東の院が落成して、西の棟に花散里が引っ越してきた。さらに東の棟には明石の君を迎えようと光源氏は心積もりをしていた。

  明石の里には何度も手紙を送って上洛を促すが、「明石の君」は自分のような身分の低い女が高貴な女人達の間に立ち混じって生きて行くのは無理な話だとなかなか色よい返事ができなかった。といって片田舎で明石の姫君ともども埋もれてしまっては、と心悩む日々を過ごしていた。  明石の姫君を二条院で引き取って「紫の上」が育てる光源氏の案に明石の尼君は思慮深く賛成し明石の君に諭す。それが姫君の将来を考えれば最善だと明石の君は納得しつつも、娘を手放す悲しみと、娘がいなくなった大堰へは光源氏の足が遠のくかもしれぬおそれから思い悩む日々が続く。「明石の君」は悩みぬいた末、姫君の将来を思えばこれが最善と思い姫君を放すことを決断した。

 明石の君の思いをよそに、明石入道は着々と準備を進めていた。嵐山を流れる大堰川の近くにある縁者の無人の屋敷を改築して、そこに明石の君と姫君を移せば、都にも近くなる上に、ちょうど光源氏が御堂を造営している嵯峨のすぐそばなので光源氏の庇護も受けやすいだろうと図ったのである。
   明石入道からその話を聞いた光源氏は喜び、さっそく大堰川の屋敷へ出向いては改築について指示を出し、明石の里へも召使を遣るのだった。冬になり、心を決めた明石の君だったが、いざ別れの日となるとやはり心が塞がれる。光源氏もまた、無理もない罪深いことをしたものだと哀れに感じた。
   明石の君と姫君、そして明石の君の母・明石尼君(あかしのあまぎみ)は大堰川の屋敷へ向かうが、明石入道は今更世俗に交じるわけにいかないと明石の里に残ることになった。入道は妻と別れ、娘と別れ、孫娘とも別れねばならぬ哀しさに袖を濡らしながら勤行に励むのであった。娘の立身を思う宿願成就のためだと判っていても、別れは辛いものである。

  入道を残して明石の里を出立し、大堰川の屋敷に移ったのはいいが、肝心の光源氏は姿を見せない。近くまで来ているのに会えないことで「明石の君」は却って物思いに悩まされる。
  光源氏もなんとか都合を付けて訪ねたいが、変な噂が立って紫の上の耳に入ってはいけないと、自ら「紫の上」に明石の君が上洛したこと、嵯峨の御堂の飾りつけにことつけて3日ほど二条院を留守にすることを伝えた。「紫の上」の機嫌は当然悪くなった。

   光源氏はお忍びで大堰川の屋敷へ向かい、3年ぶりに明石の君と対面する。姫君も可愛らしく成長し、ますます手元に置いて育てたいと思うものの、すぐに東の院に移るつもりのない明石の君から姫君を取り上げて二条院で育てるというのは、彼女に非情な仕打ちになる。それでも正妻ではない腹の子として育つよりも、身分の高い紫の上を養母として育てられたほうが将来を考えれば姫君のためになるのだと光源氏は考えた。

  二条院へ戻る日には光源氏の居所を聞きつけた公卿たちが集まってきてしまい、しばしの別れを明石の君と惜しむこともなかなかできない。公卿たちに囲まれてはまっすぐ帰ることもできず、その夜は宴会となってしまった。

  ようやく二条院に戻った光源氏はしばし休息したのち、紫の上の機嫌をとる。そして夕刻に明石の君に手紙を送り、職務を勤めて帰ってきてみれば、明石の君から返信が届いていた。光源氏は手紙を紫の上に渡し、捨てておくように言うが、紫の上は意地を張って手紙を見ようともしない。その姿がおかしくて光源氏はにっこりほほ笑んだ。そして紫の上の傍に寄って、明石の姫君を自分の手で育ててみないかと尋ねたところ、子供がいない紫の上は光源氏の意外な提案に喜び、大切に育てたいと考えるのだった。

 別れの雪の日に光源氏が姫君を迎えに訪れると「明石の上」は涙ながらに姫君を見送った。光源氏は「明石の上」の落胆を目にして哀れを感じた。

 移動の車中ですっかり寝入ってしまった姫君は、二条院で母の姿が見えないことに気付くと母を求めて泣き、その姿に「紫の上」はこんな可愛らしい赤ん坊を母から取り上げてしまったのだと気づき、寂しい暮らしをしている明石の君を思いやり、また「必ずや立派な女人に育てる」と誓った。

 二条院では早速盛大な袴着が行われ、「紫の上」も今は姫君の可愛らしさに魅了され、紫の上は娘を奪われた明石の上の心情をおもい「明石の上」を気の毒に思った。また光源氏が「明石の上」の元に通うのを、前ほどはとがめだてたり、嫉妬のふるまいはせず、広い心で受けとめようとした。「明石の上」も自らの立場をわきまえ、光源氏は「明石の上」の人柄に改めて感じ入った。

  年が改まった。東の棟に住む花散里は、何不自由なく過ごし幸せそうである。同じ邸内である気軽さから光源氏もたびたび顔を出す上に、花散里の多くを求めないおっとりした性格もあって、ふたりは心安らぐ良い関係を築けていた。
  また、大堰の明石の君のもとへも光源氏は変わらず足を運ぶ。明石の君の振る舞いの高貴さや機微はやはり捨ておくべき人ではないと光源氏は改めて認識する。明石の君もまた出過ぎた真似をせず、たまにでもわざわざ会いに来てくれるだけで充分だと考えるようになった。

 法要が一段落した頃、藤壺の時代から仕えていた夜居の僧が、冷泉帝に出生の秘密を密かに告げた。衝撃を受けた帝は、実の父を臣下にしておくのは忍びないと考え、光源氏に位を譲ろうとしたが、光源氏は強くそれを退けた。冷泉帝は自分が光源氏と藤壷の宮との不義の子だと知らされ、深く悩み苦しむことになる。さらにこれが度重なる天変地異や周りの者の次々続く崩御の原因かと思い至った。

 光源氏はどこから秘密が漏れてしまったのだろうかと王命婦に問うも、藤壺も王命婦もこのことを口外していなかった。


第二帖・朝顔(あさがお)
 翌年、太政大臣(頭の中将と葵の上の父)が亡くなり、政治の柱たる人物を失い冷泉帝は落胆する。加えて母である女院までもが重篤になり帝は動揺した。その後も天変が相次いだ。

 不安定な政情の中、出家していた藤壷の宮(女院)が病に倒れた。光源氏もまた急な重篤の知らせに驚き見舞いに訪ねる。藤壷の宮(女院)のはかなき姿と遣る瀬ない悲しみに惑い、見舞いの言葉を交わすさなか、藤壷の宮(女院)は37歳で崩御した。源氏は深く嘆き悲しみから念誦堂に篭って泣き暮らした。

 藤壺の死去と同じ頃、桐壷院の弟宮である桃園式部卿宮が死去し、その娘・朝顔は賀茂斎院を退いて実家の桃園邸に住まいを移した。朝顔の姫は光源氏のいとこになる。朝顔は父君を亡くし、頼る人もなく寂しく過ごしでいた。光源氏は若い頃からこの姫に好意を寄せていたが、朝顔の君に断られ続けてきたのである。

 光源氏は早速文を送った。手紙のやりとりが長く続き、きちんと返事は返ってくるが、未だに気を許してくれない。筆跡は見事なもので、過去に思いを寄せた今は亡き人である女院や六条御息所と比べると、高貴で才能ある女性はこの人を除いていないと思わせた。朝顔も光源氏に好意を抱いていたが、光源氏と深い仲になれば、六条御息所と同じ不幸になることを恐れていたのだった。返事の文は趣味といい、内容といい、高貴な女人にふさわしく、かつて愛した藤壺や六条御息所のことなどがしきりに思い出された。

 光源氏は朝顔と同居する叔母女五の宮の見舞いにかこつけて桃園邸を訪ねた。光源氏が朝顔に好意を持っていることは女五の宮は知っていて二人の縁組を喜んでいることを「紫の上」の耳にまで入って来ていた。「紫の上」はそれを知っていたので不安になった。姫君と自分を比べ、まさか自分を捨てることはないとは思うが、朝顔の君に寵愛が移ってしまったらと一人悩む動揺することになる。 今まで光源氏の妻として栄華を誇って来たが、身分の高い朝顔が光源氏の正室となれば、これまでのようにはいかなくなる。光源氏は優しい気質なので捨てられることはあるまいが、それでも愛情が薄れて行くのは否定できないだろうと、紫の上の心は入り乱れるのであった。
 女五の宮は大納言(頭の中将)の母である大宮の妹にあたるが、大宮よりも老けて見え、孫もおらず兄も逝去したことから心寂していたため、光源氏の来訪を喜んだ。朝顔との対面は御簾越しで、且つ女房を介してのよそよそしいものだった。光源氏は朝顔の君に真面目な口調で迫るが、朝顔の君は「あなた様が愛された女性はみな、あなた様の心変わりに胸を痛め、苦しんでいらっしゃいました。私はその方々と同じ思いをしたくないのです」とはっきり告げた。

  二条院では「紫の上」が塞ぎこんでいる。光源氏は「紫の上」の機嫌をとった。朝顔のことで気に病んでいるなら杞憂で、朝顔は色恋に縁遠い人で、たまにこちらから戯れに恋文めいたものを出すと当たり障りのない返信をくれるだけの仲で、それ以上進みようがない関係と言い聞かせた。

 しかし雪の積もった夕暮れ、庭を眺めながら光源氏は紫の上に語りかけて、光源氏は「紫の上」に今までの女性遍歴を語ると「紫の上」は大層傷つき心を痛められた。その夜、朝顔に執着していた光源氏の夢に藤壺があらわれ「他言しないと約束したのに喋ってしまい浮名を流すことになった。罪深い行いはしてはいけない」と光源氏をひどくいさめた。翌日、源氏は藤壺のために密かに供養を行い来世では共に過ごそうと願い念仏を唱えるのだった。

   四十九日の法要も済んだ折、ながらく藤壷の宮(女院)に仕えていた僧都が人目がない頃合いを見計らって、冷泉帝に出生の秘密を打ち明けてしまう。
  自らが桐壷院の子ではなく光源氏の子だと知った冷泉帝は、昨今の訃報や天変地異の連続はこれが原因だったかと思い、いっそ光源氏に譲位しようかと思い悩むのだった。

 さらに朝顔の父、桃園式部卿宮が逝去して世の中が騒ぎだすと冷泉帝は塞ぎこみ、心配した光源氏に対して退位をほのめかした。光源氏は母の死で気弱になっているのだろうと思い慰める。
 しかし冷泉帝の気は収まらず、秋の人事異動で光源氏を太政大臣に昇進させると譲位の旨を伝えた。ところが光源氏は頑なにこれを固辞した。ここまで思いつめるとは、もしや女院との関係がばれたのかと察した光源氏は、女院の女房だった王命婦に確認をとるが、女院も王命婦も秘密を一切洩らしていなかった。

   冷泉帝の寵愛が深い秋好(梅壷女御)が二条院に里帰りしてきた。光源氏は亡き六条御息所につらい思いをさせた悔い改めに秋好(梅壷女御)を世話してきたが、親代わりではなく男女の仲として親愛の情を深めたいとそこはかとなく伝える。さすがに秋好は呆れ返り、困り果ててしまった。
 その様子を受けて光源氏もまた、ややこしい恋愛の道には懲りたはずだったが、未だにこんな気持ちになってしまうのは良くないと自制するのだった。

光源氏の次世代の成長
第二十一帖・少女(おとめ)
 光源氏の息子であり、葵の上の忘れ形見でもある夕霧が12歳になり元服を迎えた。母の実家である左大臣家で大切に育てられた夕霧は、元服を機に光源氏の邸に移った。光源氏は夕霧の位を敢えて優遇せずとどめたまま大学に入れた。冠位は栄えある源氏の長男ということで四位は固いだろうと皆思っていたが、源氏は夕霧を六位とした。六位という低い位に本人も周囲も驚くが、光源氏は学問を早く修めて世間に認められるように精進し、自らの力で位を上げるべきと夕霧をさとした。これまで住んでいた大宮の家から二条院の東の院の大学寮に移らせ、夕霧は学生として勉学に励み厳しく辛い日々を送った。

 時を同じくして冷泉帝の后を決める段となった。光源氏の養女秋好が選ばれるか、それとも大納言(頭の中将)の娘である弘徽殿女御かと周囲はざわめく。また「紫の上」の父で今は式部卿宮(しきぶきょうのみや)と呼ばれているかつての兵部卿宮もまた王女御を入内させていたので気を揉んでいた。

 その結果、秋好が冷泉帝の中宮となった。幸薄かった六条御息所に較べ、なんと幸運な女性なのかと世間は噂した。同じく源氏は太政大臣に昇り、大納言(頭の中将)も内大臣となった。

 立后争いで光源氏に敗れた内大臣には、弘徽殿女御のほかに雲居雁(くもいのかり)という娘がいた。離縁した元妻は今は按察大納言(あぜちのだいなごん)の妻になっており、雲居の雁は祖母である大宮の家で育てられていた。この大宮に預けていた雲居雁を東宮妃にしようと期待していたが、雲居雁は共に育った幼馴染の夕霧と密かに恋仲になっていた。仲良く過ごすうちにお互いほのかに惹かれていた。

  ある日、内大臣が大宮と雲居の雁のもとを訪ねた。内大臣は大宮に雲居の雁を春宮の元服にあわせて入内させるつもりだと明かす。大宮も夕霧のことが頭によぎるが入内は悪い話ではないと考えた。

 3人で琴を演奏していると夕霧が現れた。内大臣は夕霧と雲居の雁の間を離し琴の音を聞かせてはならないしたので、女房たちは「知らぬは親ばかりなり」と陰口をたたいた。 しかしその陰口を内大臣が耳にしてしまい、二人の淡い関係に激昂する。せっかく春宮に入内させようとしていたのに、夕霧という邪魔が入ったということである。

 内大臣は雲居の雁を自らの邸に引き取るといって、大宮は孫との別れを嘆いた。邸への引越し当日、諦め切れない夕霧は密かに雲居雁へ逢いに行く。夕霧は物陰に隠れてもう会えないと涙ながらに別れを惜しみ、雲居の雁もこんな大げさなことになってしまいただ嘆くばかりであった。

 そこへ雲居の雁を探しに来た乳母がが割り込み「いくら内大臣様の姫君でも、お相手が六位では情けない」と嫌味を言い、その場から雲居の雁を連れ出し二人の仲を裂いてしまった。これを聞いた夕霧は自分の冠位が低いことで蔑まれると悔しがる。

 二条院の東の院に詰めるようになってからは、夕霧は雲居の雁と気軽に会うことが叶わなくなり、手紙だけでのやりとりが続いた。

 月日は流れ、秋が深まり宮中では新嘗祭を迎えていた。光源氏は従者の藤原惟光の娘を五節の舞姫として選んだ。傷心の夕霧は御所へ行き、豊明節会を見物する事になり、夕霧は五節の舞姫(藤原惟光の娘)を垣間見て、その美しさに惹かれて文を送った。しかし舞姫は宮仕えする事が決まっており夕霧は落胆した。

 早速夕霧は手紙を送るものの、夕霧からの文を読んでいた惟光の娘と兄は、父に見つかり文を取り上げられた。だが文が夕霧からだと知ると、藤原惟光は態度を一変させ、咎めるどころかあわよくば「明石入道のように、なれるかもしれない」と多大な望みを抱き家族から顰蹙を買ってしまう。その後、夕霧は刻苦勉励の甲斐あって進士の試験に合格して五位の侍従となった。

 また光源氏はかねてから新邸を造営しており、新邸は六条院と呼ばれ4つの区画に分かれていた。その六条に四町を占める広大な邸(六条院)を完成させ、秋の宮を中宮の里邸とし秋らしく紅葉と滝の庭があった。春の宮には光源氏と「紫の上」が住み桜や梅など春を思わせる庭を造った。夏の宮には花散里と夕霧が住み、夏を感じさせる水辺や橘、撫子、竹を配していた。冬の宮には「明石の宮」を迎え入れ、冬の雪に映える松の庭であった。

た。

 秋好中宮が宿下がりした際、秋を愛でる秋好中宮と、春を好む「紫の上」は互いに趣向をこらし歌を詠み合った。

 

第二十二帖・玉鬘(たまかずら)

 頭の中将と亡き夕顔との間の娘である4歳の玉鬘(たまかずら)は、夕顔の死後、乳母の夫が九州大宰府の役人に転勤が決まったため、幼い身ながらともに乳母一家に伴われて都を離れ筑紫(福岡)へ下国していた。  任期を終えた乳母の夫だったが、あろうことか都へ戻る前に病に倒れてしまう。家族の者に玉鬘の行く末を頼み、くれぐれも筑紫で埋もれることなく都へ戻って良縁を得るよう言い残して死んでしまった。

 光源氏は今となっても、若き日に亡くした恋人・夕顔のことを折節に思い出し、行方知れずの娘・玉鬘のことを気にかけていた。

 玉鬘はその夕顔にも勝る美貌ゆえ求婚者が多く、乳母は玉鬘を「自分の孫」ということにして、強引な求婚と婚礼から逃れるため、身体に障害があって結婚できないと断り続けてきた。 乳母たちはなんとかして玉鬘を都へ連れて行き、実父である内大臣に引き合わせたいと考えたが、乳母の娘や息子たちは筑紫で結婚してすっかり安住していた。

 しかし肥後の役人で豪族の大夫監の強引に求婚してきた。大夫監は美女を集めて暮らすのが野望を持ち、玉鬘の噂を聞いて求婚に現れる。玉鬘がどんな身体であろうが大切にするのでと押してくる上に、土地の分限者ゆえに断ると仕返しされるのが怖いこともあって、乳母の次男・三男は大夫監の味方をしてしまう。

乳母一家は二つに分裂して困り果ててしまった。ただ乳母の長男の豊後の介は、覚悟を決めて乳母たちとともに玉鬘を逃がそうと決心した。もし大夫監に見つかればどのような仕打ちを受けるかもしれず、また妻子を残して行くのも辛く感じたが、亡き父の遺言を遵守することが第一と考え、実行に移すことにする。乳母の夫太宰少弐が死去した後でも玉鬘は上京できず既に20歳になっていた。

 大夫監が祝言のため4月20日に迎えに来ると通知してきた。それまでに逃げのびねばと、乳母と玉鬘たちは舟で出立し都へ向かった。大夫監の追手がやって来るのではとの心配も杞憂に終わり、ほどなく一行は都へ到着する。

 玉鬘とその一行は都へ向かうが、豊後の介や乳母には内大臣へ奏上するつてもなく、どうしたものかと考えあぐねた。こうなれば神仏に願掛けするため石清水八幡宮(京都府八幡市の神社)と長谷寺(奈良県桜井市)に足を延ばすことになった。徒歩で長谷寺に向かう途中の椿市で宿をとり休息していると、偶然にも同じ宿に夕顔の侍女・右近が宿泊していた。右近もまた長谷寺参りのための宿泊しており、なにやら聞いた声、見た顔の人がいると声をかけてみれば、奇跡の再会の感激を味わうことになる。右近は今光源氏に仕えていた。翌日は長谷寺に参り右近は大願成就を感謝した。

 右近から「源氏の大臣が、自分の事のように心配して探している」と知らされ、夕顔が亡くなった時のいきさつを聞いた乳母一家は驚いてしまう。乳母は右近に内大臣(頭の中将)への口添えを頼む。

 しかし右近は六条院に戻ると光源氏に玉鬘を見つけたことを報告した。光源氏は驚き喜んで早速六条院に引き取ろうと言いだした。子だくさんな内大臣に教えたところで他の子たちの権勢に気圧されてしまうだろう。それよりは、子が少ない光源氏の秘蔵の娘として世に紹介した方が良いと考えたのである。光源氏は玉蔓を六条院に引き取り花散里が養母役を務めることになった。右近は光源氏と語らう「紫の上」の姿を見ると、玉鬘も美しいがやはり「紫の上」には敵わないように感じられた。

 ひょんなことから光源氏と出会い、美しく成長した姫は、光源氏の新居である六条院に引き取られ養育されることになる。光源氏は玉鬘を自分の娘というふれこみで六条院に迎え、花散里を後見に町の西の対に住まわせることにした。玉鬘のもとには光源氏から数多くの贈り物が届き、実の親でもない見知らぬ人から施しを受けることに恥ずかしさを感じたが、周囲の声にほだされて玉鬘は六条院の丑寅の町へ移った。光源氏は玉鬘と初めて対面し、光源氏はすっかり親気取りだった。世間には光源氏の娘として流布されたため、夕霧も玉鬘のことを姉だと思いこんでいた。

 豊後介は六条院の家司にに取り立てられ「これで妻子を呼び寄せることが出来る」と安堵した。玉鬘の周りの人物の運勢は好転していった。

 年の暮れ、光源氏は「紫の上」とともに、女性らに贈る正月の晴れ着選びをした。「紫の上」はそれぞれの女人に似合う衣装を光源氏に見立てさせ、見立てから女人の器量を推測するつもりかと「紫の上」をからかいながら光源氏は各女人にぴったりな衣装を選んでいった。

 紫の上のために流行色の葡萄染め(えびぞめ)の紅梅模様を選んだ。明石の姫君には表は白で裏は赤の桜襲(さくらがさね)を選んだ。人の器量は衣装とは必ずしも一致しないと光源氏は言いつつ、柳と唐草模様の衣装を末摘花のために選ぶと本人にもそれくらい艶やかさが欲しいものだと苦笑した。玉鬘へは紅に山吹の花をあしらった意匠を選択した。

  そして梅と花鳥柄で白と紫のものを明石の君に選んだのを見た「紫の上」は光源氏が「明石の上」に贈る衣装の趣味のよさに息を呑み、やはり明石の君は高貴な紫色を纏うだけの貴婦人なのだろうと思いを巡らせた。

  また出家して尼になり、二条院に住まう空蝉にも青鈍(あおにび・濃い鼠色)の織物を贈った。


第二十三帖・初音(はつね)
 すがすがしく新春を迎えた六条院は、この世の極楽浄土の如く麗らかで素晴らしかった。光源氏は春の宮で「紫の上」と歌を詠み交わし新年を祝った。六条院には引きも切らず年賀の客が訪れた。

 「紫の上」は明石の姫君の、正月初めに堅いものを食べて歯を丈夫にして長寿を願う「歯固めの祝い」をしていた。光源氏もやってきて仲睦まじく語りあった。明石の姫君のもとに明石の君から新春の祝いの手紙が届いていたので、光源氏は姫君に返事を書かせた。

 新年の宮中行事が一段落すると光源氏は二条院に出向き、女人の元を順に訪れた。東の院には末摘花、西の院には空蝉が住んでいた。

 末摘花は唯一の取り柄の髪も白髪交じりとなり、かも寒さでぶるぶる震えてしゃべっていた。聞けば温かい皮の衣類は兄の禅師の君に全部あげてしまったといった。正直で実直なところが取り柄とはいえ、これではあんまりだと白地の衣をたくさん重ね着するなりすればよいと思い、末摘花のために倉から絹織物などを出させた。末摘花の姿は衰えたものの気立ては変わらず、光源氏にとって心落ち着く存在のままであった。

 同じ東の院に住む空蝉のもとにも足を運ぶと、空蝉は住みなしている様子で、尼らしくこじんまりと居住まいを正し、我が物顔にふるまわず、風情もある暮らしをしていた。以前に河内の守に言い寄られた過去の苦い話について話しながら、光源氏がすでに知っていることを恥ずかしく感じていた。

 玉鬘は山吹色の衣装は光り輝き、まさに今が盛りの美しさであった。光源氏は玉鬘に紫の上を訪ねてやってくれと頼み玉鬘も了承した。

 夕暮れに光源氏は明石の君のもとへ向かった。「明石の君」は姿は見えず留守かと思われたが程なくもどり「明石の君」の気品と美しさに惹かれ、つい夜明け前まで時を過ごしてしまった。 

 新年早々の外泊となると「紫の上」の機嫌を損ねてしまうと思いながらも、明石の君のたおやかさ美しさに負け、その夜はそのまま逗留した。それでも夜が明ける前には退出したため「明石の君」は寂しく感じる。「紫の上」はやはり心穏やかでなく御機嫌は斜めであった。

 真冬の明け方、月が出て薄雪の積もる六条院に貴公子たちが訪れ、歌を歌い、舞を舞った。各夫人の見物席からは御簾ごしに色とりどりの女房の袖口が出ていて、こちらもいずれ劣らぬものであった。源氏も感じ入り歌を口ずさんだ。

「紫の上」のもとで養育されている明石の姫君に生母・「明石の上」から贈り物と和歌が届き、光源氏は娘との対面も叶わぬ「明石の上」を哀れに思った。

 翌日、臨時の客の儀に大勢の公達が訪れ、特に若者たちは噂の玉鬘に皆気もそぞろだった。今年は男性だけで足を踏み鳴らして歌い舞う宮中の初春の行事「男踏歌」があり玉鬘も「紫の上」も共にそれを見物した。男たちの行列の中には夕霧や内大臣の子息たちもいて、光源氏は夕霧の歌声の良さを褒めた。

 玉鬘はこのとき初めて「紫の上」と顔を合わせたたが、玉鬘は「紫の上」から踏歌を舞う内大臣の長男(柏木)と次男(紅梅)を紹介され、御簾越しにその姿を見て、名乗り出る事が出来ない事をもどかしく思っていた。


第二十四帖・胡蝶(こちょう)
 三月になり、六条院の辰巳の町は花は咲き乱れ、鳥はさえずり春真っ盛りであった。六条院では庭の遠くに広がる春を楽しむため船を池に浮かべ、女人たちは外に出て船に乗り、花が咲き鳥がさえずる中、音楽が奏でられ典雅な春の催しが開かれた。

 ちょうど秋好中宮も六条院の辰巳の町里帰りしており、中宮の女房たちを招いてこの世のものとは思えぬ風趣の中で宴はたけなわとなった。この日は玉蔓の初めてのお披露目であり、頭のの中将と夕顔の娘である玉鬘の美貌が評判になり、蛍宮(源氏の異母弟)、柏木(頭の中将の子)や、鬚黒など多くの男性が恋心を抱き、和歌などを送ってくるようになった。

 光源氏も親代わりという立場ながら、亡き夕顔を思い出させる玉鬘の美しさにすっかり心惹かれてしまう。 玉蔓を引き取ってもう半年になろうとしていた。夜じゅう宴が続き、玉鬘は男性たちに評判の的となる。

 夜が明け、宴に招かれた公卿たちの実の目当ては玉鬘であった。光源氏の秘蔵の娘とあらばさぞ美しいだろうと狙っているのである。光源氏の異母弟の蛍兵部卿宮も妻を3年ほど前に亡くしていて、今は玉鬘を射止めようと光源氏にとりなしを願い出る始末であった。またことあろうことか玉鬘の実父・内大臣の子息である柏木までもが、異母姉弟であることなど知る由もなく、夕霧をつてに恋心を寄せてくるのであった。

 いつになったら内大臣に自身が実の娘だと伝わるのか気が気でない玉鬘であったが、このままではどうにも事態は動きそうにない。そう思い悩むものの、玉鬘にはなす術は何もなかった。

 翌日は秋好中宮の春の御読経の初日で、「紫の上」は秋の宮へ童に鳥と蝶の装いをさせて供養の花を届けた。四月になり源氏は玉蔓のもとに来た恋文を一緒に見て、求婚者たちを親らしく批評し、玉鬘に返事を書かせた。玉鬘をより良い所に縁付かせ、後ろ盾を整えてから内大臣と引き合わせた方が有利になるだろうとの理由であったが、義理の娘に来ている恋文を一緒に読むことに玉蔓は徐々に困惑してくる。「紫の上」はその様子から源氏の玉蔓への恋心に気づき、それとなく皮肉をいう。
 いよいよ源氏が玉蔓へ恋心を訴える。「あなたと、昔なつかしいあなたの母夕顔とはとても別人とは思えない」と玉蔓の手を取るのだった。玉蔓はどうしていいかわからなかった。光源氏の行き過ぎた振る舞いであるが、六条院に置いてもらっている手前表には出せなかった。「亡くなった母にそっくりでしたら、私も母のようにはかない行く末でしょうか」と詠んだ。光源氏は若い玉蔓から困惑されてしまうのである。


第二十五帖・蛍(ほたる)

 玉鬘に思いを寄せている蛍兵部卿宮は相変わらず熱心に文をよこす。光源氏は玉鬘に色良い返事を書かせると、蛍兵部卿宮は勇んで六条院に出向いてきた。喜び勇んで玉鬘の屋敷にやってきた蛍兵部卿宮は、光源氏が隠れているとも知らず、夜、几帳を隔てた玉鬘に向かって対座した。

 蛍兵部卿宮はゆかしい振る舞いや芳香も加味されて、玉鬘をなんとも上品でこの上ない女性であるように感じられた。そこへ好機を窺っていた光源氏は、隙を見て袋に入れて隠していたホタルを解き放った。暗闇に一斉に飛び交うホタルの群れが光を放ち、その一瞬、蛍兵部卿宮は蛍の光に照らされた玉鬘の横顔を見てしまった。その美しさにますます夢中になり、恋心を募らせてゆくが送った和歌の返歌はつれないものであった。

 光源氏は玉鬘へ恋人のような振る舞いをするかと思えば、他の男の気を誘わせる行動もさせる。光源氏に対し玉鬘は困惑するばかりで、悩みは尽きそうになかった。

  5月5日、端午の節句になった。花散里と夕霧が住む六条院の丑寅の町で、弓の技を競う催しが開かれた。普段は静かな丑寅の町も、この日ばかりは大勢の来賓で賑わう。自邸で晴れやかな催しなどなかった花散里だったが、この華やかな日を純粋に楽しんでいた。

 光源氏は久々に花散里と夜を共に過ごしたが、一緒に寝るような若い年齢でもないのでと花散里は寝所を別々に設ける。多くを望まず、なにごとも控えめでおっとりとしている花散里の変わらぬ気質に光源氏は癒される。

   長梅雨の空、六条院では女君と女房たちが絵物語をひろげて物語評論をしていた。光源氏もまた寸評を差し挟んだりして玉鬘に言い寄る、そんな日が続いた。

  「紫の上」も同じく明石の姫君に絵物語を見せては語らっていた。姫君が昼寝した折に光源氏が現れて、あまりに恋愛描写が多い絵物語や継母の意地悪な仕打ちを描いたものは姫君の教育によろしくないと、万事につけ心を配りを指示するのだが、その説教を玉鬘が聞いたら一体どう思うだろうか。

  過去のような過ちがあってはいけないと、光源氏は夕霧を「紫の上」に近づけないようにしているが、明石の姫君は夕霧とは兄妹なので夕霧と姫君を遠ざけることはしなかった。夕霧は心やすく姫君の御簾の中まで入って行き雛遊びなどの相手を務めた。そのような幼い姫君を見ていると、夕霧は雲居の雁と昔仲良く遊んだことを思い出し心を沈ませるた。夕霧はほかの女人に戯れに言葉をかけることはあっても深入りせず、素晴らしい女人との出会いも捨て置いて、あの雲居の雁をおいて他に愛する人はいないと恋心を燻らせていた。

  内大臣に頼みこめば交際を許してはもらえるだろうが、ここはやはり立身出世して向こうが折れてくれるのを待つしかないと心に決めた。夕霧は雲居の雁とは手紙だけのわずかなやり取りで我慢するしかなかった。夕霧は雲居雁への恋に心を悩ましていたが、一方の内大臣(頭の中将)は幼くして行方不明になった夕顔の忘れ形見である玉鬘を探していた。
 3月20日頃、光源氏は春の町で船楽を催し、秋の町からも秋好中宮方の女房たちを招かれた。夜も引き続いて管弦や舞が行われ、集まった公卿や親王らも加わった。中でも光源氏の弟兵部卿宮は玉鬘に求婚していて、光源氏にぜひにも玉鬘をと熱心に請うのだった。
   翌日、秋の宮で中宮による季の御読経が催され、船楽に訪れた公卿たちが参列した。「紫の上」は美々しく装った童たちに供養の花を持たせ中宮に和歌を贈答した。
 夏になり玉鬘のもとへ兵部卿宮、髭黒右大将、柏木から次々と求婚の文が寄せられた。それらの品定めをしつつ、いつか玉鬘への思慕を押さえがたくなった光源氏は、ある夕暮れに、想いを打ち明け。添い臥してしまう。光源氏はそれ以上のことはなかったが、世慣れぬ玉鬘は養父からの思わぬ懸想に困惑するばかりだった。

 夕霧と明石の姫君は仲が良かった。夕霧は明石の姫君と一緒にいるにつれ、雲居の雁のことが思い出され、立身出世しなければと気持ちを新たにした。
 内大臣(元頭中将)には男子は多いが娘が少なく、内大臣としては手駒が欲しい。占ってみたところ「夕顔との間にできた娘は、他の家で養女になっている」と出た。そのため手のものに娘探しを命じた。


第二十六帖・常夏(とこなつ)
 盛夏の六条院で、水辺で涼んでいた光源氏は夕霧を訪ねてきた内大臣家の子息たちに、宴の途中で玉鬘を呼び寄せ貴公子たちの姿を見せる。

 光源氏は近江国(滋賀県)で見つけ出して引き取ったと噂の内大臣の姫君のことを興味深く尋ねた。柏木の弟である弁少将が、春頃に娘だと名乗り出た女性がいたので屋敷に置くようになったとの旨を答える。

 内大臣は玉鬘を探していたが、玉鬘の代わりに庶民と同じ暮らしをしていた娘の近江君(おおみのきみ)を見つけ引き取ったのであるが、近江君は貴族の生活に馴染めず、その愚かな立ち居振る舞いに内大臣は手をやいていた。

 若い頃に遊び歩いた内大臣らしい顛末だと光源氏は笑い、雲居の雁の一件でなかなか前に進めない夕霧に対しても、他の落ち葉を拾ってみればよいものをと冗談めかしてからかうのだった。夕暮れになり、皆をそのまま残して光源氏は奥へ下がる。玉鬘を呼び寄せ、水辺の若い公卿たちを遠目に見せて品定めに興じた。

  何か用事を見つけては玉鬘のもとを訪ねる光源氏だったが、中途半端な恋心を断ち切るには、それ相応の男に縁組させてしまうのが一番だろうと考えるようになる。蛍兵部卿宮か髭黒の右大将あたりの妻に収まるのが妥当なのかと思った。

 夕霧と幼なじみの雲居雁の仲も父の内大臣が許さないことから、相変わらず立ちいかない。内大臣は雲居の雁のことも光源氏が真摯に頭を下げて頼んでもくれば夕霧との縁談を許さないわけでもないのに、それでも今の冠位では見劣りするなどと悶々としていた。

 玉鬘は二人の不仲を聞いて、いつになったら実父に会えるのか思い悩むでいた。光源氏は玉鬘に和琴を教えながらますます惹かれてゆくのだった。

 近江の姫君(近江の君)の評判がすこぶるよろしくない。開き直った内大臣は「見知らぬ田舎娘を引き取ったからで、他人のことをああだこうだ言わない光源氏が、我が家のことになると地獄耳で批評までするとは、人並みに扱われている心地で、なんとも光栄なことだ」と皮肉をこぼした。
 聞けば光源氏が探し出したという姫君はこれ以上ないとの評判なのに、自分が探し出した姫君は困ったもんだ。自分と光源氏の差はなんなのだと頭を痛めていた。

 内大臣は近江の君の処遇を考えていた。田舎に送り返せば問題になるし、かといって屋敷に置いておくのも人の噂になりそうだと思考を巡らせ、弘徽殿女御のそばに置いて女房たちに再教育させようと決める。女御の了承を取り付けて、その足で近江の君のいる部屋へ向かったところ、五節の君という若女房と双六遊びに夢中になっていた。
  見た目はさほど悪くないどころか、内大臣の面影も強くあるのに、やたら落ち着きがなく早口だった。近江の君は、お産の時に祈祷した僧侶が良くなかったので早口に生まれたと説明するのがおかしくて内大臣も苦笑してしまった。

 内大臣は姫君らしくない近江の君を長女弘徽殿女御の元に行儀見習いへ出すことを決めたが、案の定あきれる立ち居振る舞いばかりで、女御へ贈られた文も和歌も支離滅裂な内容で女房たちの失笑を買うのだった。

 内大臣は雲居の雁のもとを訪ねた。ちょうど夏の暑い盛りで、単を羽織ってうたた寝していたが、内大臣の扇で煽ぐ音で目を覚まし、「はしたない」との説教にきまり悪そうにしていた。内大臣は良い縁組を考えているから下手な行動に出てはいけないと軽く説教をした。そのため祖母の大宮から便りがあっても、雲居の雁は内大臣に気後れして、生まれ育った大宮の祖父母のご機嫌伺いもままならない状態だった。


第二十七帖・篝火(かがりび)
 その頃、内大臣が引き取った近江の君の評判が甚だよろしくないことが、世間の噂になっていた。実の子と判った途端に深く考えずに招き寄せたが、意に染まぬとなればいい加減な扱いをする内大臣の性格も良し悪しだと光源氏は思った。

 またその噂を耳にした玉鬘は、自分も同じような目に遭っていたかもしれないと思い、光源氏に引き取られた自分の幸福をしみじみと感じ光源氏に心を開いてゆく。

 光源氏の奇妙な恋心は困りものだが、しかし無体な振る舞いに出るわけではないので、玉鬘も近頃は安心していた。

  初秋になっても光源氏は変わらず玉鬘のもとを訪ねては、恋人のような親子のような不思議で中途半端な関係を続けていた。光源氏は長居した後、琴を枕にして玉鬘と寄り添う。夜が更けてきたので帰ろうとした際、庭の消えかかった篝火(古来の照明具)を焚きつかせ、己の恋情を庭前に焚かせた篝火にたとえて歌を詠む。
 篝火に照らされた玉鬘の美しい姿は、ますます光源氏の心を魅了してゆく。光源氏は乱れる心を抑え、世間から悪い評判がたたないように養父として乱れた振る舞いをしないように心を落ち着かせるのだった。玉鬘は恋心の和歌に戸惑いながらも困惑するばかりであった。源氏の困った振る舞いは相変わらず続いているが一線を越えることはなく、玉鬘の身は安泰であった。
 光源氏はちょうどそのとき、なにやら合奏の音が耳に入った。光源氏は夕霧が柏木たちと演奏しているのだと察し顔を出した。光源氏も加わり和歌を詠み合ったり、夕霧と合奏をしていた。源氏は琴、夕霧は横笛を奏でいた。柏木は歌うのを躊躇し、光源氏は琴を柏木に託した。柏木は琴の名手であったが、すぐそばに玉鬘がいると思うと、玉鬘に密かな恋心をいだく柏木は、その手を緊張のあまり琴の音はどことなくぎこちなかった。


第二十八帖・野分(のわき)
 六条院では秋の草花が見事に咲き、庭いっぱいに秋の花が咲き競っていた。ちょうど秋好中宮も里帰りしていて、光源氏は管弦の遊びなどを催したいと思うが、中宮の亡き父の命日にあたる月なので控えていた。

 8月のある日、六条院を野分(台風)が見舞い、激しい野分が都を吹き荒れ、美しく豪奢な六条院も野分のため庭の草花も倒れすっかり荒れてしまった。

 そこに夕霧が見舞いに訪れると、台風に気を取られ御簾から出た「紫の上」は心配そうに軒先まで出て庭の草木を眺めている姿を偶然見てしまった。夕霧はそのあまりの美しさ、春の霞の間に咲き誇る樺桜のような艶やかさ、年とともにさらに美しさを重ねたその姿に身も心も打ち砕かれたように感じ、気高さに激しく心を揺さぶられ感動してしまった。

 またこれほどにまで美しい貴婦人ゆえに、父(光源氏)は決して「紫の上」を他の男の目に触れさせないのだと感じ入った。

 そのとき光源氏が戻ってきた「格子を下ろしてしまいなさい。外から丸見えではありませんか」と声がした。夕霧は光源氏に見つかってしまう前に、まるで今来たかのように咳払いをしながら顔を見せた。台風の状況を光源氏に報告すると、大宮の見舞いをしようと思うと伝え夕霧は退出した。

 雨風はなお強く、夕霧は心配になり源氏の許可を得て三条の大宮邸へ向かうが、その後祖母大宮の元へ見舞いに行ってからも、爛漫の桜のような「紫の上」の姿は夕霧の脳裏に焼きついて消えなかった。

 翌朝、夕霧は光源氏のお供をして、六条院に行くと、宿下がりの秋好中宮や花散里を始めとする女君たちを見舞い玉鬘のところへも足を延ばす。光源氏は変わらず玉鬘と仲睦まじく語らい、その間手持ちぶさたな夕霧は、こっそりと隙間から玉鬘の姿を覗き見る。夕霧は玉鬘の美しさに見とれ、親子とは思えない仲の良さそうな振舞いを見せる光源氏に驚きと同時に不審を抱いた。こんな親子があるだろうかと疑問を感じつつ、玉鬘は美しさは「紫の上」には及ばないが、それでも美麗であることには変わりはないと考えてみたりもした。

 その後、花散里を見舞って夕霧はようやく解放された。どっと疲れが出たため、夕霧は雲居の雁へ見舞いの和歌を書きつけて、そのあたりの刈萱に紙を結んだ。女房が紙の色にあった素敵な花に結べばよろしいのにと言っても「こういう方面は疎くてね」と生真面目な性格で返した。雲居の雁の存在もそこそこに「紫の上」のことばかり考えてしまう。あるまじき間違いすら犯してしまうのではないかと自分がそら恐ろしくさえ思えてきた。
夕霧の頭の中では一目垣間見た紫の上の姿が、ぐるぐると回り続けた。恋しく思っていた

 夕霧は六条院と三条の大宮邸を絶えず行き来したが、嵐の日でも顔を見せる律義さに大宮も素直に喜ぶ顔を見せる。実子の内大臣よりもよほど孝行と思えた。

 外でぼんやり考えごとをしている夕霧の様子に不審を抱いた源氏は「紫の上」に姿を見られたのではと問いただすが、「紫の上」はまさかと答え、自分の姿を盗み見られたことに気づいていなかった。

 大宮邸に戻るとそこに内大臣も来ていた。大宮は雲居の雁に会えないのが悲しくてと内大臣に愚痴をこぼすが、夕霧の一件にかこつけて不平を言うので、大宮も強くは言い張れないままなのであった。

 
第二十九帖・行幸(みゆき)
 12月になり、冷泉帝は大原野(京都市西京区)に行幸され、玉鬘も見物に参加したが、観衆は行列を見ようと沿道に駆けつけて押すな押すなの大騒ぎであった。冷泉帝が通ると、行列見物をしていた玉鬘は帝のお姿に心惹かれ、その美貌に釘付けになった。冷泉帝はどことなく光源氏に似ているようだが、さらに厳かな雰囲気を足したようで、どこそこの貴人やら若い殿上人が通っても冷泉帝とは較べる余地もなかった。

 玉鬘に思いを寄せる髭黒の右大将の姿もあったが、黒々とした髭姿ゆえ全く見向きもしなかった。冷泉帝を拝したあとではそれも仕方ないことであった。

 ここではじめて実父である内大臣の姿を見ることになる。初めて実父(内大臣)を見た玉鬘だったが、それ以上に光源氏にそっくりな冷泉帝の気品の高い端麗さに見とれてしまう。そんな心中を見透かしたように、翌日、光源氏は玉鬘に「帝を拝して、宮仕えをしてみたくなったのではないか」と手紙で出仕を勧めた。玉鬘は考えを見透かされたような気になった。

 源氏は玉鬘の裳着(もぎ・成人式)を急ぐかたわら、玉鬘の実父・内大臣に腰結いの役を頼むが、玉鬘が実娘と知らない内大臣は母・大宮の病を口実に断ってしまう。夕霧は大宮の看病でに付きっきりで、仮に大宮が亡くなれば、玉鬘のことを知らずに世を去るのは余りに忍びない。そこで光源氏は自ら大宮の見舞いに参上し、臥せている大宮と後から来た内大臣に昔語りをしながら、さもついでのように内大臣にお願いしたいことがあると申し出た。大宮は「きっと夕霧と雲居の雁の一件だろう」と早合点するも、光源氏は当たり障りなく玉鬘の素性を明かした。

 光源氏は内大臣に玉鬘を養育することになった経緯を話すと、まさかの話に驚く内大臣だったが、探し求めていた自分の愛娘の発見を素直に喜び、裳着で腰紐を結ぶ役も当然引き受けた。玉鬘の話を聞きその喜びは尋常ではなかった。内大臣は光源氏に心から感謝した。源氏と内大臣は、今でこそ争い合うこともあるが昔は行動を共にし、内大臣は源氏が窮地の時にも変わらぬ友情を寄せてくれた。二人は久々に胸を開いて語り合い思い出は尽きなかった。

   早速光源氏は玉鬘に事の次第を話す。ずっと願っていた実の父との再会、ようやく叶う日が来るのかとただただ嬉しがるのも無理はない。光源氏は同様に夕霧にも玉鬘が姉でないことを告げた。夕霧は台風の折に垣間見た光源氏と玉鬘のただならぬ風情は、こういうことだったのかと合点がいった。それならば自分が求婚すればよかったと思うが、そんな人の道に外れたことをしてはならないと打ち消した。

 裳着の日、玉鬘は念願だった実父・内大臣と対面を果たすことになる。美しすぎる娘、立派で華麗な成人の儀式。内大臣は源氏の真意をはかりかねず、あの光源氏が娘をただ引き取っただけで済むはずがない、さては娘に手を出したかと勘繰るが、今更宮仕えに出すのも弘徽殿女御の手前よろしくない。光源氏のそばに置いておく方が良いのかもしれぬなどと考えを巡らせした。大宮や秋好中宮などからさまざまな贈り物が届いていた。

 かねてから玉鬘に好意を寄せていた蛍兵部卿宮は改めて玉鬘に求婚するが、光源氏ははぐらかしてしまった。

 やがて事の次第が世間に漏れ、玉鬘の一件は近江の君の耳にも入った。近江の君は思ったことは言わずにおれない性格ゆえ、玉鬘が誰からも大切にされるのを羨んで、弘徽殿女御や柏木の前であからさまに文句を言った。

「またも内大臣様に女子の存在が発覚して、光源氏の太政大臣からも大切にされているなんてなんて幸せな女、しかも身分の低い女が母だそうで、自分と同じ身の上なのにどうしてこんなにも扱いが違うのでしょう。宮仕えは私がしたいからからこそ、下女の下働きみたいなことまでやったのに、頼みもしないのにこんな場所に連れてきた柏木のお兄様が悪い。こうなれば頼りになるのは女御様だけ」
 こんな調子で弘徽殿女御に宮仕えの推薦をしつこく願い出るものだから、女御も困り果ててしまった。それを聞いた内大臣は「なぜ宮仕えのこと、早く申し出なかったのだ」と尋ねると、近江の君は「女御様が口添えしてくださると当てにしていたが、玉鬘に先を越されてしまった」と言い返した。
 内大臣は「それは遠慮が過ぎたというもの。真っ先に言ってくれれば対処したのに。今からでも遅くないので、冷泉帝に手紙を書いてごらんなさい。長歌でも詠めば帝もきっと心打たれるだろう」と嘘八百を並べるが、近江の君は「父上が文章を書いて、それにちょいと付け足す感じで」などと更に上を行く返事をした。そのため周囲は笑いを堪えるのに必死であった。

第三・藤袴(ふじばかま)
 内大臣の母・大宮が亡くなり、玉鬘は孫として喪に服しながら、玉鬘は冷泉帝から内侍にならないかと誘いがあり大層悩んでいた。このまま源氏の館で暮らすのは気が引けるし、内大臣は今までのいきさつがあるのだからと玉鬘を引き取る素振りはない。女人たちが華を競う場で宮仕えが務まるのだろうか、嘆息ばかりが漏れる日が続いた。

 玉鬘が内大臣の娘だったことが公になれば、夕霧は玉鬘が姉でないことがわかり恋心を抱いてしまう。逆に恋心を抱いていた柏木は、実妹と知れば己を恥じることになる。蛍宮や鬚黒は変わらず玉鬘に思いを寄せて和歌を送り続けていた。

 そこへ夕霧が冷泉帝の使いで玉鬘を訪れ、御簾ごしに藤袴の花をそっと差し出して、花を手に取ろうとした玉鬘の袖をぎゅっと掴んで、和歌を詠んでかき口説いたが、そんな不埒な真似を煩わしく感じた玉鬘は「気分が悪くなったので」と奥に引き籠ってしまった。夕霧はこんな冷たい態度を取られるならば、なまじ気持ちを打ち明けない方が良かったと後悔した。玉鬘すればこれまで姉弟として接していたのに、急に態度を変えるのもおかしとだった。
 光源氏のもとに戻った夕霧は、玉鬘の身の処し方について光源氏に問いた。光源氏は「玉鬘にふさわしい相手となると、蛍兵部卿宮に嫁ぐか、もしくはやはり宮仕えであろうと」答えるが夕霧は納得しない。また「内大臣様が内々におっしゃったそうですが、世間では光源氏の大臣が玉鬘を側室の一人にするつもりだと噂しているとの事」と光源氏に玉鬘への不審な態度を問いかけ、その真意を鋭く追及した。玉鬘を手放す気などないのではとの夕霧の問いを受け流す源氏だが、自分の心境を読まれていたことに焦りを覚え、夕霧の追及をかわした光源氏は詮索好きな内大臣らしい浅知恵とするが、内大臣の勘の鋭さに内心冷やりとする。

 身分からいけば入内か蛍兵部卿宮、髭黒。ただし髭黒の正妻は「紫の上」の姉にあたり正妻は嫉妬深い、この際正妻と離縁して玉鬘を正妻に据えたいが、光源氏としては気が進まない。

  大宮の喪が明けたが、9月は忌月なので10月には宮仕えに出仕するとの旨を冷泉帝に奏上した。玉鬘に思いを寄せていた者たちは、その報を聞いて皆落胆した。柏木は玉鬘との血の繋がりを知った後は諦めるよりない。求婚者たちからは諦めきれない文が届き、文をより分ける女房たちは「悲しいお文ばかり」と話す。

  玉鬘の実の姉弟にあたる柏木は、あれほど熱心に言い寄っていたのにふっつりと音信もなくなっていたが、ある日、内大臣の遣いとして玉鬘のもとへやって来た。直接の話ではなく、取り継ぎの女房を介しての会話だったため、柏木はあまりによそよそしいと不満を口にする。恋文を送っていた相手が姉だったと判った上でも、すぐには気持ちの整理がつかぬ様子だった。

 かたや髭黒も熱心に玉鬘に言い寄っていて、内大臣にも取り入るほどだったが、内大臣としては彼の身分や役職としては婿に充分だと思いつつも、光源氏の意向もあろうからと光源氏任せにしていた。ところが髭黒の妻が問題だった。髭黒の妻が「紫の上」の姉にあたるうえに、髭黒がどうにかして妻と離縁したいと画策していると伝え聞いていた光源氏は、髭黒が玉鬘を後妻に据えるのには気が進まなかった。

 とりわけ蛍兵部卿宮は熱心だった。玉鬘は数々の男性から中で蛍兵部卿宮だけに返事を送った。蛍兵部卿宮は玉鬘から届いた手紙に、自分の気持ちに気づいていたのだと悲しい中にも嬉しさを感じた。


第三十一帖・真木柱(まきばしら)
 尚侍として出仕を控えていた玉鬘だったが、その直前に髭黒が女房の手引きで、玉鬘は半ば騙されて強引に契りを交わしてしまった。真面目で堅物だと思っていた髭黒の突飛な行動に玉鬘はなすすべもなかった。

 若く美しい玉鬘を得て有頂天の髭黒を、光源氏は内心の衝撃を押し隠して丁重に婿としてもてなしたが、無骨で雅さに欠ける髭黒と結婚することになった当の玉鬘はすっかりしおれきり、恥ずかしさに光源氏とも顔を合わせられない。冷泉帝は「後宮と言わずとも、せめて気楽な女官としてでも出仕してくれないだろうか」と未練たっぷりの様子である。蛍兵部卿宮も落胆この上ないがあとの祭りであった。

 報せを聞いた光源氏は当然面白くなく残念に思うが、済んだことは仕方ないと嫁入りの儀礼の指図をする。実父の内大臣は、姉妹の弘徽殿女御と冷泉帝との寵愛争いを避けたいとしており、この縁談を歓迎して光源氏の計らいに感謝した。

 髭黒はその後玉鬘を迎えるために邸の改築に取り掛かるが、新妻の到来に浮かれる黒髭をよそに、妻は嘆くばかりである。すっかり見捨てられた「北の方」は絶望し、父親の式部卿宮も実家に戻らせようと考えた。帰宅すると娘(真木柱)から「お父さまは、お母さまとお別れするの」と問われ髭黒は困惑してしまう。

 子煩悩の髭黒もさすがにそれは世間体も悪いと引き止めようとしたが、妻は妻で嘆き節を吐きながらも玉鬘のもとへ出掛ける黒髭を送りだす準備を甲斐甲斐しくしていたが、いざ玉鬘のところへ出ようとした矢先、突然狂乱した「北の方」に髭黒は香炉の灰を浴びせられた。物の怪がとりついたがごとく手に負えない状態になった。正妻は精神的に病んでいたのである。

 「北の方」に愛想を尽かした髭黒は玉鬘の下に入り浸り、全身灰だらけで着物に焦げ穴まで作ってしまった黒髭は、妻の気をなんとか沈めさせ加持祈祷をさせて物の怪を払うしかなく、こんな狂人の妻となどこれ以上一緒には居られない、一刻も早く玉鬘を迎え入れたいと考えた。

 とうとう業を煮やした式部卿宮は髭黒の留守の間に「北の方」と子供たちを迎えにやった。一人髭黒の可愛がっていた娘(真木柱)だけは父の帰りを待つと言い張ったが、別れの歌を邸の柱に残して泣く泣く連れられていった。
 後で事態を知った髭黒は急いで自邸に戻るものが時既に遅かった。柱に残された真木柱の和歌に涙ぐみ、すぐさま式部卿宮邸に足を運んで妻に会わせてくれと懇願するが、宮からは「会う必要はない」と面会を謝絶され、返されたのは息子たちだけだった。髭黒は自分のした事の重大さに「子供たちを不幸にしてしまった」と後悔するが、それでも恋心は止まず苦悩するのだった。
 明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘に髭黒は沈む気分を少しでも転換できればとようやく出仕を許す気になり玉鬘は華々しく参内する。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒は気が気でなく、このまま御所に居付かれるようなことになっては困ると玉鬘を連れ帰ってしまった。何の儀式もなく退出することは非常識極まりないのだが、冷泉帝は苦笑するしかなかった。

 まんまと玉鬘を奪われた光源氏は悔しさを噛みしめ、なおも未練がましく幾度か文を送ったが、それも髭黒に隔てられて思うに任せない。光源氏の恋心はまたして実を結ぶことなくままならぬ男女の仲を思い知らされる。

 やがへ玉鬘が男子を出産し、その後は出仕することもなく髭黒の正室として家庭に落ち着いた。内大臣は孫の誕生を大いに喜んでいた。

 実家に戻った髭黒の妻の気が狂わんばかりの様子はその後も変わらなかった。髭黒との一切の縁を切ったわけではないので、暮らし向きについては髭黒の援助が続いていた。それでも真木柱は髭黒に会うことを許されず、髭黒邸に連れ戻された息子たちがたまに来ては、父や玉鬘との生活の様子を話してくれるので、男に生まれれば父に会えたのにと身の上を残念がる。ふたりに男児が授かり、黒髭はますます玉鬘を大切にする。内大臣も孫の誕生に大喜びであった。
  かたや宮仕えを希望していた近江の君は、妙に色気づいてそわそわしていた。そのうち何かしでかすんじゃないかと、弘徽殿女御は気が気ではない。人前に出るなと制する内大臣の小言も上の空で、ある夜、公卿たちが大勢やってきて管弦をしていた際に現れ夕霧に向かって「妻が決まってないなら私がなりましょう」とぬけぬけと言い放ったほどである。しかし「気のない人のところには行きません」と返された。

 髭黒は「北の方」の間の長女・真木柱を特に愛しており、真木柱も父を慕っていたが、「北の方」と共に引き取った祖父が手放そうとしなかったため、その後も狂気の母と暮らすことになる。父の元に帰った弟二人は継母・玉鬘との仲も良好で、真木柱は自分が男の子なら家にいられたのにと悔しいのだ。


第三十二帖・梅枝(うめがえ)
 光源氏39歳の春のことである。光源氏の住まいである六条院は、美しい女君たちで華やいでいた。それは明石の姫君(春宮)の入内を控え、さらに裳着(女性の成人式)が行なわれることになっているからである。光源氏も明石の姫君の裳着の支度を手伝い、光源氏は女君たちに薫物の調合を依頼し、自分も寝殿の奥に引きこもって秘伝の香を調合するのに余念がなかったのである。

 雨の少し降った2月10日、訪ねてきた蛍兵部卿宮を迎え、香の薫物合わせの審判をさせたが、どの薫物も皆それぞれに素晴らしく、さすがの蛍宮も優劣を定めかねるほどだった。朝顔が調合した「黒方」は心憎い静かな趣。源氏の「侍従」は艶で優美。紫の上の「梅花」は華やかで若々しく目新しく才を感じさせる。花散里の「荷葉」は人柄そのままで控え目で懐かしい。明石の上の「薫衣」は優美な香が芳醇であった。光源氏の館は準備に忙しくなっていた。裳着を終えた後は、明石の姫君は東宮に入内することが決まっており、養母である「紫の上」も香を調合したり、光源氏と揃って最高の輿入れの準備をするのだった。

 月が昇ったので酒が入り、楽器を演奏する。柏木の弟である弁少将が「梅枝」を謡う声も見事であった。宴は明け方まで続いた。

 翌日、明石の姫君の裳着が盛大に行われ、秋好中宮が栄えある裳着の式の大役である腰結いをつとめた。中宮は姫の美しさに目を細め、さすが大臣の愛娘であると感心していた。光源氏は本来ならば実の母である「明石の上」も出席させるべきであったが、噂になることを予想して出席させなかった。光源氏は「明石の上」の心をおもんばかるのであった。東宮も入内を待ちかねていたが、光源氏は他の公卿たちが遠慮して娘を後宮に入れることをためらっていることを知り、敢えて入内を遅らせていた。局は淑景舎(桐壺)と決まり、華麗な調度類に加えて優れた名筆の手本を方々に依頼した。
 そんな華やかな噂を聞きながら内大臣は娘の雲居の雁のことで頭を悩ませていた。夕霧と雲居の雁との間には進展がなかった。雲居の雁にはまだ縁談がなく独り身である。雲居の雁は女ざかりの年齢、むしろ結婚適齢期をやや過ぎているのにまだひとりで所在なげにしているのだ。夕霧が早々に泣きついてくるかと思いきや全く平然と振る舞っているものだから、こちらが折れて娘をもらってくれと頼むのも癇に障るし、世間体が悪い。いっそ交際が発覚した時にふたりを許しておけばなどと思い詰めている。

 夕霧も雲居の雁を忘れかね、他の女にも目を向けろとの光源氏の言葉も聞こえないかのようであった。夕霧は内大臣から受けた仕打ちがまだ忘れられず、雲居の雁を迎えに行くのは立身出世を果たしてからと思い詰めていた。内大臣も雲居の雁の処遇に相変わらず悩んでいた。光源氏も夕霧がなかなか身を固めないことを案じており、親として自らの経験を踏まえつつそれとなく他の縁談を勧めた。

 その噂を父の内大臣から聞かされた雲居の雁は衝撃を受け、あっさり忘れられてしまう自分なのだと悲しむ。久しぶりに人の目を忍んで届いた夕霧からの文に、夕霧の冷淡さを恨む返歌をしたが、心変わりした覚えのない夕霧はどうして雲居の雁がこんなに怒っているのかと悩んでしまう。

 
第三十三帖・藤裏葉(ふじのうら)
 夕霧と雲居の雁の恋を無理矢理裂いてから数年、二人の恋愛は世に知られ、今さら違う相手と結婚させるのは風聞が悪く、夕霧の方から結婚を申し込む様子もなく、内大臣は自分が折れるべきと考えるようになった。夕霧に縁談が持ち上がったとのとの噂を聞きつけた内大臣は、もし夕霧がその相手と結婚してしまうような事態になれば、雲居の雁には別の相手を探さねばならない。また夕霧と雲居の雁の破局は、世間の話の種になる。ならばここは自ら折れて、夕霧と雲居の雁の縁を取り持つしかない。もはやこれまでと決心を固めた内大臣折は、夕霧を招き雲居の雁を夕霧に託すことになる。

 内大臣は大宮の命日の法事にかこつけて夕霧に縁組の話をすることにした。当日、内大臣は夕霧に「老い先短い身の私を苛めなさるな」と話しかけたが、折悪く雨が降り出して話も流れてしまった。夕霧にとっては普段そのようなことを言いだしそうにない内大臣が気弱な言葉を述べたので、法事の席で袖をひいて話しかけてきた内大臣に夕霧は戸惑い、もしや許してもらえるのかと気を揉み煩悶しながら一夜を過ごした。

  4月、庭の藤が見事に咲き揃ったのを受けて、内大臣は自邸で藤の花の宴を催すことにした。夕霧のもとにわざわざ長男の柏木を招待の遣いにやり「先日はせっかくの機会が流れてしまい名残惜しいので、庭の藤を愛でにお立ち寄りを」との手紙を託した。 「御伴しましょう」とする柏木を夕霧は先に帰し、光源氏にどうすべきか相談する。光源氏は緊張している夕霧に、せっかくあの内大臣が折れて来たのだから身を着飾って出掛けるがいい」と促し、着替え用にと自らの上等な衣服を選び与えた。
 やや遅れて参上した夕霧の姿を見て、内大臣は女房たちに夕霧を褒めそやす。宴はたけなわとなり内大臣は夕霧に酒をしきりに勧め、「あなたは秀才であられるのに、年寄りを見捨てるような真似をなさる」とこぼしながら、「あなたが心を開くならば私もあなたを頼りにしよう」と古歌を引き合いに雲居の雁を託す旨を伝えた。夜は更け、夕霧は酔ったていで内大臣邸に泊まることにする。柏木が夕霧を雲居の雁の部屋へ案内した。晴れて夫婦となった夕霧と雲居の雁。長年積もり積もった感情がようやく報われた二人であった。

 藤の花の宴で、内大臣はかねてからの仲であった娘の雲居の雁と夕霧の結婚を認め、仲睦まじい夫婦の誕生に、光源氏は親心に嬉しくなり夕霧の辛抱強さを褒めてやる。内大臣も結婚させてみると、後宮での競争の多い入内より、立派な婿を迎えた今の方が幸せだと分かり、心から喜んで夕霧を大切に扱うのだった。 翌朝、光源氏に結婚の報告をした夕霧は、大宮がかつて住んでいた三条の邸を改装し「雲居の雁とそこで暮らす」ことを告げた。

 葵祭りの日、五節の舞姫だった藤原惟光の娘の藤典侍に夕霧は手紙を出した。雲居の雁と結婚したとの話を耳にしていた藤典侍は、今後も夕霧は雲居の雁を捨てることはないであろうと思った。
 一方、光源氏の娘・明石の姫君は宮中入りが決まり、「紫の上」は明石の姫君の入内に母として付き添うべきなのか、これを機会に実の母である「明石の君」にその役目を譲ってしまおうと思い光源氏に相談した。光源氏はそれは良い決心だと称賛し、早速「明石の君」に伝えると「明石の君」は非常に喜んだ。入内後、「紫の上」と「明石の君」が初めて対面した。明石の姫君をかすがいとして、今までのわだかまりもようやく解けていった。「明石の君」の話す様子を見れば、光源氏が彼女に惹かれたのは当然だと「紫の上」は感じ、「明石の君」もまた数多き女人の中で「紫の上」が最も愛されるのは、もっともなことだと思った。
  明石の姫君は何の欠点もなく美しく成長しており、春宮も姫君を気にかけているようだ。光源氏は自分に遠慮して入内を控える貴族が多い事を憂慮して明石の姫の入内を延期し、他の貴族にも姫君の入内を働きかけた。このことから早速左大臣の姫(藤壺女御。薫の妻・女二宮の母)が入内した。殿舎は麗景殿に決まる。養母「紫の上」は、姫に付き添えない実母「明石の上」に配慮し後見役を譲った。「明石の上」の喜びは大きかった。姫が入内し入れ違いになった二人の母は初めて対面した。

「紫の上」は「明石の上」をこれほどの女性であれば、光源氏が心惹かれるのは無理もないとため息を漏らし、「明石の上」は「紫の上」の光り輝く貴婦人ぶりに驚き、このような女性だからこそ光源氏の第一夫人として光源氏の愛情を集めていると心から思えた。互いに相手の美点を見いだして認め合った二人はこれまでのわだかまりも氷解し心を通わせるのだった。

 明石の姫君の入内に「明石の上」がともに宮中に上がることとなり、「明石の上」は自分が姫の引け目となりはしないかと心苦しく「紫の上」は自分も子を持ちたかったと思わずにはいられなかった。
 秋になり、四十の賀を控えて光源氏は准太上天皇(じゅんだじょうてんのう)という天皇の次に高い位に昇りつめ、内大臣が太政大臣に、夕霧は中納言に任ぜられた。11月、紅葉の六条院へ冷泉帝と朱雀院が揃って行幸し、朱雀院、太政大臣、中納言、源氏が一堂に会し華やかな宴が催された。このようにして少年の日の高麗人の予言は実現を見た。光源氏は栄華の絶頂に立ったのである。


光源氏の晩年 因果応報と孤独
第三十四帖・若菜上(わかなじょう)
 光源氏の兄である朱雀院の病気は芳しくなく出家したが、14歳で最愛の異母妹の娘・女三宮の行く末だけが気がかりで末頼もしい人に託したいと考え、光源氏に正妻として嫁がせたいと懇願する。光源氏は最愛の妻である「紫の上」がいるので迷うが、しぶしぶその申し出を受けてしまう。まだ幼い女三宮は、六条院の正妻だけが住むことが許される寝殿に住むようになった。

 新年を迎えると、二児の母となった玉蔓が光源氏の40歳の祝賀を主催し、縁起の良い若菜を贈った。他にも紫の上、秋好中宮、冷泉帝の命を受けた夕霧が、それぞれ別々に祝賀を主催した。

 光源氏はその祝賀の合間に女三宮が六条院にやってきて三夜連続の契りを交わしたがあまりの幼さに失望し、昔馴染みで朱雀帝の出家で相手のいない朧月夜と再び契を交わすようになった。そんな光源氏の行動をすっかり見通していた「紫の上」はさらに倦怠感を深めるのだった。今まで光源氏の最愛の人と言われ寵愛を一身に受けていた「紫の上」は衝撃を受け男女の愛の不確かさを悲しむのだった。

 年が明けると明石の姫が皇太子の息子を出産し、明石入道は安心して仏の道に入ることになる。「紫の上」は喜び「明石の上」は出過ぎることなく思慮深く賞賛の的であった。柏木はかねてから女三宮に恋焦がれていた。光源氏に嫁したものの、光源氏の女三宮への態度はぎこちない。幸せとは言えぬ結婚生活の噂が柏木を苦しめる。六条院で蹴鞠の最中、猫が騒ぎ不用意にも女三宮の部屋の御簾があがり、女三宮の姿がはっきり見てしまう。柏木はその美しさに三宮に恋心を抱いてしまう。柏木はたまらず女三宮に文を送るが相手にされるはずはなかった。


第三十五帖・若菜下(わかなげ)
 月日は流れて光源氏も46歳。冷泉帝と太政大臣が引退して、冷泉帝は譲位し、今上帝がミカドになり、今上帝と明石女御の子は皇太子に、髭黒が右大臣に、夕霧は大納言に、柏木は中納言となった。

 年の離れた幼い正妻である女三宮の元に通い続ける光源氏を見て「紫の上」は大層思い悩み苦しんでいた。光源氏は朱雀院の後ろ盾のある女三宮を粗略には扱えず、自然と「紫の上」と過ごす時間は短くなっていった。「紫の上」は病がちとなり、わが身のはかなさを思い知り出家したいと光源氏に懇願するが無論光源氏は許さなかった。

 光源氏は朱雀院の50歳の祝賀で琴を披露する女三宮の特訓に追われ、「紫の上」のもとに帰らなくなった。その直後「紫の上」は重い病にかかり、長い間育ち慣れ親しんだ二条院に移って闘病する。一度は息を引き取った「紫の上」であるが、祈祷を強めると体からモノノケが去って息を吹き返した。モノノケの正体はまたしても六条御息所であった。驚いた光源氏は、熱心に「紫の上」を看病し、それが愛しさを募らせるようになる。

 光源氏が不在となり、警備の手薄になった六条院に、ある日、柏木が女三宮を慕うあまり忍び込み、女三宮と一夜をともにしてしまう。女三宮は隙だらけの自分の落ち度といい、光源氏に顔向けできないと泣くしかなかった。ついに女三宮は懐妊してしまう。女三宮を見舞った光源氏は、布団の下からでてきた手紙を見つけ柏木と女三宮の不義を知ってしまう。またも女三宮の不注意で光源氏の目に触れ、光源氏は真相を知ることになる。

 光源氏は怒りを見せずに陰険に柏木を口撃し、朱雀院の50才の祝の席で光源氏の視線を浴びた柏木は驚愕のあまり体調を崩し寝込んでしまう。柏木は良心の呵責に悩み病に倒れてしまうが、この内容と同じことが若い頃の光源氏にもあった、光源氏は若き日の己の罪と柏木が重なって見えこれこそ因果応報と思うのあった。

第三十六・柏木(かしわぎ)
 柏木の体調は好転する気配もなく年が明けた。柏木の病状は悪くなるばかりで、気力を振り絞って女三宮に最後の文を送るが、三宮は「誰のせいでこんなことになったのか」と冷たい。「煙となって消えてしまいたい」との返信を受け取った柏木は恋の残酷な幕切れに泣くしかなかった。

 女三宮はまもなく不義の男子を産み薫(かおる)と名付けられた。光源氏は不義の子と知りながらも、我が子として薫を養育する。光源氏は内心では薫を疎ましく思っており、 薫を抱きあやしにも来ない。女三宮はそのことを大層思い悩みこんな生活は続けられないと思う。柏木も重篤で今日明日の命であるという中、女三宮は食事もろくに摂らなくなり、自らも命を断ってしまいたいと考えた。

 女三宮は我が身も薫までも疎まれてしまうのかと悩み、光源氏に今すぐ尼になりたいと泣いて訴え出家して尼となった。

 朱雀院はこの結婚の失敗を悟り、光源氏は改めて女三宮に哀れを感じた。しかし夕霧は光源氏が「紫の上」の出家を決して許さないのに、三宮とは態度が違いすぎると不審に思った。

 それを聞いた柏木は絶望し、親友である夕霧に真実をそれとなく語り、柏木は妻の落葉宮の行く末を頼んで亡くなってしまう。妻の女二宮も女三宮も悲しみに浸るのであった。

 薫の生誕50日の祝いの日、光源氏は柏木似の薫を抱きながら因果応報を感じていた。薫はすくすくと育ち、自分には似ておらず柏木の面影があった。また女三宮の突然の出家や柏木の死を知った夕霧であったが、遺言どおり未亡人の落葉宮を何度か見舞ううちに恋心を抱くようになっていた。


第三十七帖・横笛(よこぶえ)
 柏木の死から1年が経ち盛大な一周忌の法要が行われた。光源氏は前の太政大臣で柏木の父におびただしい金を寄贈した。柏木の父は光源氏と落葉宮をいつも心配してくれる夕霧に感謝していた。柏木の一周忌が終わると、光源氏は薫を心底、愛おしく思うようになっていた。

 薫は朱雀院からもらった玩具の横笛が気に入りっていた。朱雀院の近くで採れたタケノコが女三宮のもとに届いた。薫はよちよちタケノコまで這っていき、タケノコを歯がためがわりに口に近づけかぶりつこうとした。どんな仕草も薫は愛くるしい。

 夕霧は亡き柏木の妻である落葉宮を慰めに訪ねるうちに、落葉宮に心惹かれていた。落葉宮通いを続ける夕霧は、落葉宮の母の一条御息所に気に入られ、ある日、夕霧は琴を弾き落葉宮が琵琶を奏でた。その合奏を聴いた一条御息所は、帰り際に夕霧に柏木の形見の横笛を贈った。夕霧は亡き柏木が大切にしていた横笛を譲り受けると、その夜、夢に柏木の亡霊があらわれ「その横笛を別の人にあげてほしい、横笛を子孫に伝えたい」と告げられた。

 翌日六条院で夕霧は、薫が柏木に似ていることに気づく。また昨夜の夢のことを光源氏に話したところ、光源氏はなぜか横笛は自分が預かるといい出した。さらに夕霧は光源氏に許してもらいたい、という柏木の死の直前の不可解な言葉を光源氏にはじめて伝えた。光源氏は心当たりのない素振りを見せ取り合わなかったが、夕霧は怪しむのであった。

 夕霧が落葉宮に恋心を抱いていることを悟った正妻の雲居雁は、落葉宮に嫉妬を抱くのだった。

 
最愛の人の死と光源氏の出家
第三十八帖・鈴虫(すずむし)
 夏、出家した女三宮のために仏堂を建立しようと発案し、光源氏仏像の開眼供養を執り行った。これ以上ない出来の仏道の品々をさまざま取りそろえた。持仏供養で光源氏は女三宮としみじみと語り合う。

 尼姿の女三宮を見ていると出家させるのはあまりに惜しかったと悔やみ、秋、庭に鈴虫や松虫を放ち、虫の音を聞きながら女三宮と時を過ごすのだった。光源氏は琴を奏で女三宮は光源氏のつまびく琴の音に聞き入った。
 その夜は十五夜で、蛍兵部卿宮や夕霧をはじめ多くの貴族たちが集まり、庭の秋らしい鈴虫の声を聞きながら琴や笛などを調べて楽しんだ。こんな夜は柏木がいてくれれば座は一段と華やかであったろうにと光源氏は柏木を懐かしんだ。冷泉院からの使者があり、六条院に集まった者はそろって移動し、冷泉院のもとで宴はいつまでも続いた。

 光源氏は、亡き六条御息所の娘である秋好中宮(梅壷女御)を訪ねた。秋好中宮は出家し母の六条御息所の霊を慰めたいとの御意向であった。光源氏はなにも急ぐことはない、徐々に準備を進めていけばよろしいと語りかける。

 光源氏にしろ中宮にしろ、なまじ身分が高いばかりに思うように生きたいと願っても、しがらみが多くすんなりと事は運ばないものだった。秋好中宮は亡き母である六条御息所が成仏できないでいることに心痛めていた。光源氏も冥福を祈り法要を行なうことにした。
(実は、柏木が女三宮と不義を犯したのも、女三宮が尼になったのも、栄華を極めた光源氏を陥れるために六条御息所の怨霊が取り憑いておこなわせていた)

第三十九夕霧(ゆうぎり)
 亡き柏木の妻である落葉宮は、母が病に倒れたので小野の山荘に静養していた。夕霧は相変わらず女二宮の元に通い続けていた。女二宮の母である一条御息所は娘がもし夕霧と結婚しても嫉妬深い雲居の雁がいるので行く末は多難であろうと娘の身を案じた。
 夕霧と落葉宮が噂になりはじめ、心配した落葉宮の母は夕霧の本心を知りたいと夕霧宛に手紙を送ったが、その手紙を夕霧の正妻である雲居雁に落葉宮からの手紙と勘違いされ隠されてしまう。夕霧からの返事がないまま悲嘆にくれた落葉宮の母は、失意のまま亡くなってしまう。

 御息所の法要は夕霧が采配し、朱雀院は女二宮・三宮と続けて出家ではあまりにもとの御意向である。夕霧の落葉宮への想いは募るばかりだった。夕霧は半ば強引に女二宮を自分の屋敷に連れ帰り、それを見ていた正妻・雲居の雁は態度を硬化させ実家の太政大臣の家に帰ってしまった。

 前の太政大臣からは亡き息子の柏木の妻が娘・雲居の雁の夫を奪った形になる、これは困ったことだとの文が届いた。女二宮にしてみれば、もともと気の進まない結婚なのに、自分が悪者にされてしまい居心地が悪いことこのうえなかった。

 実家でふさぎこむ雲居の雁。夕霧の側室でもあった藤原惟光の娘・藤典侍より正妻の雲居の雁を慰める文が届く。夕霧と雲居の雁の間には子どもが8人。藤典侍との間には4人の子があり、藤典侍の子のうち2人は花散里が引き取って育てていた。


第四十帖御法(みのり)
 「紫の上」はすっかり病がちになり、女三宮のこともあり男女の仲の頼りなさ、世の無情と死期を悟り出家を願うが、光源氏は最愛の「紫の上」のいない生活に耐えられずそれを許さなかった。そのため千部の法華経の経文を奉納することにして、法要の準備に采配を振るった。その有能ぶりを見て、光源氏はあらためて「紫の上」が比類なき女性であることに心打たれるのであった。

 夏の暑さもあって「紫の上」は衰弱していった。「明石の上」と花散里には和歌を送り、明石中宮(前明石女御)はまだ幼い匂宮との別れをすませた。秋になり庭の萩におりたった露のように「紫の上」は息をひきとった。知らせを聞き夕霧が駆けつけた。夕霧がたっての願いで見た紫の上の死に顔は、透き通るように美しい。最愛の人を失った光源氏の悲しみは、言葉では言い表せることが出来ないほど深いものだった。光源氏は出家させてやればと悔やむ。

 光源氏は気を取り直し「紫の上」の葬儀を執り行う。憔悴し周りに支えられながら歩みゆく光源氏の姿がいたわしく、参列者の新たな涙を誘うのであった。

 もうこの世に未練はない。前の太政大臣からも、秋好中宮からもお悔やみの便りが届いたが、こういったやりとりのできる人も数少なくなってしまった。出家したいと茫然自失のまま毎日が過ぎていった。

第四十一帖(まぼろし)
 新年を迎えても光源氏は年賀に訪れる客に会おうともせず、物想いに耽っていた。帝の子として生まれ准太政天皇にまで上りつめながら、「紫の上」が亡くなってから1年が経っても光源氏は六条院に篭もり、憔悴しきって出家の意志を固めていた。

  女房たちも喪中の衣装のままで、いつまでも紫の上を偲んでいる。そんな具合ゆえに、光源氏がつれづれを慰めようと女房たちと語らうも、自然と紫の上の話となってしまうのであった。朧月夜、朝顔との噂、女三宮降嫁の折に「紫の上」が辛そうだったと語る女房の言葉に、ひとときの戯れや気の迷いがあったにせよ、どうして「紫の上」を追いやる真似をしてしまったのかと光源氏は悔やんだ。自分で自分が情けなくもなった。女房たちも喪中の衣装のままで、いつまでも紫の上を偲んでいる。

 高貴な身分に生まれ、才能にも恵まれ、准太政天皇にまで上り詰めたこの上ない人生でありながら、人生の幕を下ろす段になって、かけがえのない人を失い、出家の道にも進めずにいる状況に、我ながら思い切りの悪い人間だと光源氏は自戒する。

 春になり明石の君や女三宮が慰めに訪ねてくるが、光源氏の心は晴れず「紫の上」への想いだけが胸にあった。

 明石中宮は御所へ戻っり、その際に光源氏の慰めになるかと考え、二条院に匂宮を残していった。匂宮は「紫の上」の遺言だからと庭の紅梅と桜をじっと見つめ「桜の花が散らないよう屏風で囲んでしまいましょう」との健気な言葉に光源氏もつい微笑むのだった。女三宮を訪ね花の話をするが、女三宮は出家した身には関係ないとそっけない。こんな時「紫の上」ならと光源氏は涙ぐむ。

 続いて六条院の女三宮(明石の上)のもとへ匂宮を連れて出向いた。女三宮は変わらず趣深い女性である。光源氏がなかなか出家できないとため息交じりに洩らすと「ためらう気持ちこそが大人の思慮だから、孫が成人するまでは後見してほしい」と女三宮は返した。その夜、遅くまで滞在したのにも関わらず、光源氏は女三宮のもとに泊らなかった。我ながらえらく品行方正になったものだと自嘲した。

 「紫の上」の一周忌が過ぎても悲しみは癒えない。光源氏は出家のため、周りの者に形見分けを始め、おびただしい数の女人からの手紙を処分する。もちろん「紫の上」のものもである。

 師走「紫の上」の法要が開かれた。多くの公卿が集まる中、久方ぶりに公の場に姿を見せた光源氏は、かつてより光り輝くお姿であった。

(これを最後に、光源氏は物語から姿を消す)

光源氏亡き後と宇治の姫君の生い立ち
第四十二帖・匂宮(におうみや)
  光源氏が亡くなった後、光源氏の子孫たちは、東宮になり左大臣になり繁栄していた。明石中宮と今上帝の子・三宮(匂宮)と、光源氏と女三宮の子・薫。光源氏亡きあ匂宮の姉・女一宮はに住み、兄の二宮夕霧の次女と結婚している。夕霧は右大臣に昇りつめ、長女は皇太子妃となった。花散里は二条院、女三宮は三条宮、女二宮は六条院で暮らしていて、夕霧は三条院と六条院に交互に通っていた。明石の上の宮中での地位も安泰であった。

 光源氏亡きあと光源氏の孫である匂宮(におうのみや)と光源氏の子(実は柏木の子)である薫(かおる)の二人がこれ以降の主人公になる。ふたりは光源氏には遠く及ばないが宮中きっての貴公子であった。

 匂宮は明るく軽薄で女性好きな性格であるが、薫は誠実でどこか暗く大人しい性格であった。それというのも薫は自分の出生に疑問を持っていて悩んでいたからである。

 薫は冷泉院の覚えめでたく、院と御所と女三宮の住む三条宮を行き来し、端から見れば多忙だが何不自由ない身分であった。しかし知るともなく漏れた己の出生の秘密が気がかりであった。

 不思議にも薫の体からは良い香りがする。遠くに薫がいても香りでわかる。匂宮は負けじと身の回りのものに香を焚き込め、これが「薫」「匂宮」の名のいわれである。夕霧は娘を薫か匂宮に嫁がせたかった。二人とも契る女人はあまたあるものの、本気の恋に落ちる女性にはまだ出会っていない。

 

第四十三帖・紅梅(こうばい)
 薫24歳の春のころである。亡くなった致仕大臣(頭の中将)の次男は、紅梅大納言になっていた。跡継ぎだった兄の柏木亡き後、紅梅は一族の大黒柱となっていた。亡くなった先の北の方との間には二人の姫君(大君、中の君)がいた。

 再婚した今の「北の方」は、髭黒大臣の娘で故・蛍兵部卿宮の真木柱で、ふたりの間に若君(大夫の君)をもうけていた。また真木柱には故宮の忘れ形見の姫君(宮の御方)がいて、この姫君も大納言の邸で暮らしていた。
 裳着をすませた三人の姫君たち(大君、中の君、宮の御方)への求婚者は多かったが、紅梅大納言は、大君を東宮妃とすべく麗景殿に参内させており、さらに中の君には匂宮を縁付けしようと目論んでいた。大納言は若君を使って匂宮の心を中の君に向けさせようとするが、肝心の匂宮の関心は宮の御方にあるらしい。

 匂宮は事あるごとに中の君の話を持ち出す紅梅大納言の思惑には気づいていたが、匂宮はしきりに宮の御方に文を送るが、宮の御方は内気で結婚をほとんど諦めていた。

 宮の御方の義理父の紅梅大納言は宮の御方の顔を見たことがなかったが、察するに風情ありげな女人とみていた。
 大君の後見に忙しい真木柱は、宮の御方には良縁と思うが大納言の気持を思うと躊躇してしまう。また匂宮が好色で、最近では宇治八の宮の姫君にも執心との噂があり、ますます苦労が耐えなかった。

 鬚黒の娘であった真木柱は、最初の夫の死後に娘(宮の御方)を連れて、紅梅大納言(柏木の弟)と再婚していた。匂宮は様々な思惑を感じながらも、この美しい娘に関心を持つようになる。しかし宮の御方の母・真木柱は浮名の多い匂宮は宮の御方の夫によろしいないとの複雑な心境であった。

第四十四帖・竹河(たけかわ)
 鬚黒が早くに亡くなったため、妻となっていた玉鬘は三男二女を抱え、零落した家を復興しようと躍起になっていた。息子は自分の力で立身出世してくれればいいが、2人(大君・中君)の娘の行く末を心配した。大君に思いを寄せていた薫は、玉鬘の邸を訪れる。しかし玉鬘は大君を冷泉院の女御として、妹の中君は今上帝の尚侍とすることに決めていた。

 今上帝から声がかかるが、帝には義妹の明石の中宮が、冷泉院には異母姉の弘徽殿女御がいるため、後ろ盾が母一人では心細いと玉鬘は判断に迷っていた。冷泉院も娘を御所望だが自分の過去を思えば踏み切れずにいた。また薫や蔵人少将(夕霧の五男)も大君に思いを寄せていた。
 薫15歳の正月下旬、玉鬘邸に若者たちが集まって催馬楽の「竹河」を謡い興じた。その席で、玉鬘は薫が弾く和琴の音色が亡父致仕大臣や亡弟柏木に似ていることに気付き涙を流した。一緒にいた蔵人少将は、何をするにも薫ばかりが目立つことで面白くなかった。
 3月の桜の盛りの夕暮れ時、二人の姫君は御簾をあげ、桜の木を賭け碁を打っていた。蔵人少将はその姿を垣間見て、ますます大君への思いを募らせるのだった。
 玉鬘は結局、大君を冷泉院のもとへ参らせることを決意したが、これを知った蔵人少将は落胆のあまり母・雲居の雁に訴え、雲居の雁からの文に玉鬘は頭を悩ました。同様に蔵人少将や薫、帝も落胆はなはだしいものであった。

 4月に参院した大君は冷泉院に深く寵愛されたが、所望が叶わなかった今上帝の機嫌は悪く、息子たちは玉鬘を責めた。

 翌年4月、大君は女宮を出産し、玉鬘は自分の尚侍の役を中の君に譲り、今上帝のもとへ入内させた。その後も冷泉院の寵愛は冷めやらず、数年後、大君は男御子を出産する。冷泉院は大喜びだが、かえって周囲の者たちから嫉妬を買い、気苦労から大君は里下がえりが多くなる。一方、中の君は今上帝のもとで却って気楽に過ごしていた。

 それから数年の月日が流れ、薫は中納言に、蔵人少将は宰相中将に、それぞれ昇進していた。玉鬘は大君の不幸や自分の息子たちの出世の遅さと比べ、思うに任せぬ世を悔しく思い、後悔の念が耐えなかった。

 

第三部

源氏死後の話
 物語は光源氏の死後の数年後からはじまる。源氏一門は明石中宮と今上帝の皇子たちを中心にゆるぎないものになっていた。ことに光源氏の娘である明石中宮と今上帝の息子である「匂宮」は色好みで名高く、一方で薫は死んだ柏木の息子であり、亡き光源氏との血の繋がりはなかった。薫と匂宮は当節の美男子として君臨しつつあった。ふたりは天然の薫香が身から発するために「薫」、それに対して名香を常に焚きしめているために「匂宮」と呼ばれれていた。


【宇治十帖】
第四十五帖・橋姫(はしむすめ)

 桐壺帝から朱雀帝へ交代の時は後継者争いがあったが、朱雀帝の後継者は息子に決定していたので落ち着きを取り戻していた。

 この物語の主人公である薫は光源氏の異母弟にあたる伯父・八の宮に会いに行った。八の宮はかつては皇太子になるかも知れない立場だったが後継者争いから脱落し、日々落ち込んで宇治の山荘で寂しく暮らしていた。薫の伯父・八の宮は光源氏の弟であったが、今は世間から忘れられていた。

 八の宮の妻・北の方が二人の娘を残したまま亡くなり、宇治川のほとりの山荘に二人の娘(大君、中君)と引き篭もり落ち込んだまま聖のような生活をおくっていた。 宮廷では「もう八の宮は終わった」とされていたが、薫は教養人として名高い八の宮が心配になって宇治の山荘を訪ねたのである。

 八宮の妻は中君を産んで程なく亡くなり、館は火事で燃えてしまい、仏道修行をしながら宇治に移り住んでいた。宇治に住む僧侶は度々八宮を訪れ、また冷泉院にも仏教の講義をしていた。冷泉院に仕える薫は八宮の評判を聞きつけて訪れたのである。

 宇治の山荘を訪ね、八の宮と色々話をしてみると、薫はその教養の深さに惹かれ、それからは時々八の宮の山荘にしばしば行くようになった。薫の訪問によって八の宮は落ち込みから解放され、悟りを開いた気分になった。

 晩秋のある夜、薫がいつものように八の宮の家に行くと、八の宮は留守で娘の大君と中君が家にいた。美しい2人の姫君が琴と琵琶を仲良く合奏していた。薫は琴の話をして姫君に改めて演奏を頼むが2人は恥ずかしがるばかりだった。
 その姉妹の美しさに薫は強く惹き付けられ、こんな美人をほっとくわけにはいかないと薫の男心が揺らぎはじめた。しかしさすがの薫も、姉妹の男性相手の有無を訊くわけにもいかず、辨(わき)という老女を仲間に入れて4人で話を始めた。するとその辨という老女は、かつて宮廷の柏木の女官をしていた女性の娘で柏木の事を知っていた。
 柏木は大臣にまで上り詰めた人物で、父・光源氏の前妻・葵の甥でもあり、兄・夕霧の親友でもあった。薫はそのことは知っていたが、柏木は病気で亡くなっていており、くわしい事は知らなかった。

 柏木は宮廷でも評判の男で、仕事をこなす能力にすぐれていたが、ある日、病気で手の施しようのないことを医者から知らされてしまう。仕事も何もかも順調で、地位も名誉も手に入れた柏木であったが、ただ一つ手に入れられなかったものがあった。
 それは親友の夕霧の父・光源氏の妻・三宮であった。柏木は三宮の姉・落葉と結婚していたが、以前から密かに三宮に恋をしていた。しかし所詮は他人の妻と諦めていたが、余命いくばくもないことを知り、死ぬ前に思いを遂げたいと思うようになった。

 そしてある夜、光源氏が出張で自宅にいないことを確認して柏木は三宮の家を訪ねた。
 柏木は義理の息子の親友で、姉の夫なので三宮は安心して自宅に入れたが、柏木は三宮を強引に押し倒したのである。柏木は能力のある男で、しかも光源氏に勝るとも劣らない容貌であった。欠点と言えば強引なことぐらいで、そのまま二人は床に入ってしまう。

 しかし一夜明けて落ち着くと、お互いが自責の念にかられ、その後しばらくは「私が悪い」「いや、私の方が悪い」と、ふたりとも手紙であやまるが、その手紙のやりとりを光源氏は見てしまった。
 しかも三宮はその一度の火遊びで妊娠してしまう。柏木は「自分が早く死ねば、光源氏の怒りも収まるだろう」と考えるまでになり、日に日に病気が悪化していった。やがて三宮は男の子を出産し、その男の子が薫であった。薫は自分の出生の秘密を女官から初めて聞かされてたのである。
 三宮は苦悩のため産後どんどん痩せていき、もう以前のふたりには戻れないと思い、光源氏との離婚を決意し、その事を父の先代帝・朱雀に打ち明けた。朱雀は理由がわからず最初は反対するが、三宮の決意の固い事を知るとしかたなく承諾する。

 このやりとりをそばで聞いていた光源氏は、妻と柏木の不倫の事も、そのためふたりが悩んでいる事も充分に知っていたので、三宮に怒りをあらわにする事はなかった。そして、とうとう柏木は亡くなってしまった。
 薫の生後50日のお祝いの席で、光源氏はやせ細った三宮と死んだ柏木の事を思うと、怒りよりも哀れを感じ、薫をそっと抱きかかえ自分の子として育てることを決意をする。薫は老女から自分の出生の秘密を聞き、証拠の形見として柏木が三宮へ出した手紙を見せてもらった。重過ぎる出生の秘密。この秘密を聞いたにもかかわらず、薫は相変わらず恋愛にいそしむことになる。

 

第四十六帖・椎本(しいがもと)

 薫と子の匂宮は親友のようであった。当然、八の宮のふたりの美人姉妹のことも話題になり、なんとか会う約束を取り付けようとしていた。あるとき、匂宮の宇治の別荘で薫をはじめとする男友達が集まっていると、川向こうにある八の宮の家に音楽が聞こえたらしく「薫様、宇治にいるんだったら、家に遊びに来てください」と八の宮から手紙がきた。

 薫は美人姉妹に会えるとばかりに、若い男たちをひきつれて八の宮の家へ行った。匂宮は都合でいけなかったが、その日の宴会は盛り上がった。それからしばらくして、美人姉妹は23歳・25歳の美しいお年頃になり薫も昇進した。
 ちょうどその頃、薫が宇治の八の宮の家に遊びに行くと、年をとって病気がちになっていた八の宮は「私にもしもの事があったら、このふたりの娘をよろしく頼む、見捨てないでくれ」と薫に頼んだ。これはある意味で親の許しを得たと薫は思い込むが、八の宮は娘たちに皇族としての身分を考え軽はずみな結婚などはせずに、この地で誇り高く暮らすようにと遺言していた。

 まもなく八の宮は亡くなり。薫が葬儀の段取りを行い、薫は悲しみにくれる姉妹の手伝いをしながら姉の大君は自分に、妹の中君は匂宮にと心の中で勝手な妄想を抱き、匂宮に中君との結婚をすすめるとともに、自分の大君への思いをうちあけた。

 薫は残された姉妹をいたわり支援た。この薫の長年にわたる父娘への心遣いを思えば大君も無下には扱えなかった。雪の日、薫は大君を訪ねるが、薫は大君への気持ちは募りながらも、口をついて出たのは匂宮と中君の仲の取り持ちであった。

 匂宮と中君は文をとりかわす仲になり、匂宮の思いは募ってゆく。薫はようやく大君に愛を告白するが大君は動じなかった。

 夕霧は娘を匂宮に嫁がせたかったが、匂宮は堅物の夕霧が舅になるのは気が進まなかった。女三宮は六条院へ移ってきた。

 厚い夏の盛り、久しぶりに宇治を訪ねた薫は大君の姿を見た。

 

第四十七帖・總角(あげまき)

 八の宮の一周忌を迎える頃、この1年何かと面倒を見てきたおかげで、薫と大君は以前よりずいぶんと打ち解けた間柄になっていた。薫はしげしげと大君を訪ね、なんとか口説き落とそうとした。しかし大君は積極的な女性ではなく、何かと後ろに下がり、自分を卑下する女性だったので薫が何度誘っても「私より中君のほうがいいわよ」と言うばかりで埒があかなかった。

 大君は一生独り身で、父の供養がしたいとする態度は変わらなかった。ただ、中君は世間並みに結婚させたいと思っている。身体の弱い自分より妹の中君を薫の妻にと考えていた。ある夜、薫は宇治の姫君たちの部屋に忍び込むが、気配に気付いた大君は身を隠し、中君も大君を思い結ばれなかった。
 そこで薫は一計を案じ「匂宮と中君を会わせて、男女の関係をつくれば、大君も納得するだろう」と匂宮と中君の間を取り持つことにする。薫から宇治の美しい2人の姫君の話を聞いた匂宮はとても興味を持った。
 そしてある夜、薫は明石中宮の目を盗んで匂宮とともに宇治へ向かい、有無を言わさず中君の部屋へ匂宮をほうり込んだ。匂宮と中君も薫の意図をわかっていたわけではないが、匂宮もけっこうな女好きで、しかも相手は美人の中君なので、なるようになってしまうのが若い男と女であった。

 薫が中君を受け入れたと勘違いした大君は薫を館の中に通す。匂宮は中君への思いを遂げるが、薫は無理強いもできず大君と夜通し語り合うだけであった。
 その日から匂宮は中君のもとへしばしば通ってくるようになった。大君もその様子を見て、「匂宮は次期帝という立場なのに、中君のところへ通ってくるので、これはやはり本当の愛なんだろう」と心の中でうれしく思っていた。
 やがて匂宮は「いつか君を両親に紹介する」とまじめに交際するようになった。しかしふたりの交際を知った匂宮の両親は猛反対した。宇治は遠く、己の身分が邪魔して匂宮はあまり中君のところへ通えなくなってしまった。
 宮廷の秋の宴で、宇治に紅葉を見にきた時も、薫やその兄の夕霧や他の者も一緒だったため、中君のところへは寄らずに匂宮は帰ってしまった。

 その様子を見ていた大君は後ろ盾がないゆえにこのような仕打ちを受けるのかと憤り、心労のあまり病に伏してしまう。薫が病床を訪ねるが、時既に遅く大君は亡くなってしまった。薫の傷心は傍目にも痛々しく、あの薫が心酔した女人は、いったいどんな方だったのだろうと世間では噂した。
 匂宮は夕霧の娘、六の君との結婚が決まり、匂宮は中君を二条院に迎えることにした。

 

第四十八帖・早蕨(さわらび)

 春が近づき、父も姉も亡くした中君は、ひとり寂しく暮らしていた。古い友人が、なぐさめに旬のわらびを贈って来てくれたが、匂宮もあれから通ってくることもなく、さすがに明るい中君も落ち込んでいた。薫は大君を忘れられない。薫は匂宮に大君が好きだったと話をしながら「中君とは、これでいいのか」などと問い正していた。匂宮は通えなくなった今も中君が好きで、親を説得中と言った。やがて匂宮は何とか両親を説得して、京都の二条に宿を借りてそこで共に生活をする事になった。

 中君は一生を宇治で父や姉の供養とともに暮らすつもりでいたが、知らない場所に移り住むことが不安でたまらない。薫が中君に会いに行くと「最近、ずっと音沙汰がなかったので不安であるけれど」と言いながらも、中君は引越しの準備を始めた。

 薫は引越しの手伝いをしながら「本当は自分が先に、大君をこうやって迎えいれたかった」と思うと泣けてきた。そしてふと見ると、やはり中君は大君の妹である。よく似ているところがあり、今になって匂宮に紹介したことを残念に思うのだった。

 中君は無事二条院に入り、そして二条の宿で暮らすふたりの姿を、うれしく思う反面、中君を自分のモノにできなかった事が日がたつ程に悔しくなってきた。

 匂宮に中君を引合せなければなければ、中君を大君の形見と思い、娶ることができたのに、これで中君は手の届かない人になってしまったと後悔せずにはいられなかった。

 

第四十九帖・宿木(やどりぎ)

 匂宮は中君と一夜を共にするが、今上帝は自分の娘・二宮を薫の嫁にどうかと考えていた。ある秋の日、今上帝は薫を自宅に呼んで、菊の花を賭けての対決を提案した。ここで今上帝は負けてしまい、薫に一輪の菊の花を差し出した。これは娘の二宮を菊の花に見立てたもので「娘をお前に託す」という意味が込められていた。

 しかし薫はどうしても八の宮の美人姉妹の事が忘れられず、いくら相手が帝の令嬢でもここは譲れないと辞退した。すると翌年になって、夕霧の娘・六君と匂宮の結婚話が持ち上がった。匂宮も夕霧に根負けし六の君との結婚を承知する。匂宮は次期帝だったので、その結婚は、以前から夕霧が望んでいた事であった。当事者たちの気持ちとは関係なく8月に結婚式が行われた。

 このことは程なく中君の耳にも届く。折悪しく中君は妊娠するが、匂宮はまだ気づかない。中君の相談の手紙を受け取った薫は薫は中君の事が気になって二条の宿を訪ねてみた。中君は匂宮の子供を宿っていて体長を崩して寝込んでいた。
 それなのに中君は「私がいたらないせいで、きっとこれから私は世間の笑いものになるのでしょう」と自分がすべて悪いと言い、匂宮を怨むような事は一言も言わなかった。その姿がいじらしく、匂宮はきっと中君の事もいずれは忘れてしまうんだろうと思うと、薫は中君を匂宮に譲った事を悔しく思うのだった。

 親身になって話を聞いているうちに耐えられなくなり、いまこそ思いを遂げようとするが、妊娠を知り引き下がる。

 

いっぽう匂宮は親の決めた結婚で始めは乗り気ではなかったが、六君はけっこう可愛いので、匂宮はすっかり六君に夢中になってしまい二条の宿には寄り付かなくなってしまった。

 そんな時、薫は中君から「もう二条の宿を出て、宇治へ帰ろうかと思うが、どうしたら良いと思う」と相談された。薫は中君が好きになり、匂宮から奪いたいと思っている事を告白した。
 中君は、今まで死んだ姉の大君の事を好きだと思っていた薫にいきなり告白されて驚いてしまい、とまどいのあまり返事ができなかった。しかしそのようなふたりの関係を匂宮は怪しいと感じはじめていた。
 自分は今、六君に夢中だが、中君と薫がこそこそやりだすと、それはそれで面白くなかった。中君と薫の関係が気になって、逆に匂宮は時々、二条の宿へ通うようになった。匂宮は中君の残り香で、薫の訪問を知る。薫は匂宮が中君をより近づけようとするのを知り安堵する。ほどなく中君は若君を産んだ。

 薫は結局、帝のじきじきの仰せで、帝の娘・二宮と結婚する事になった。夕霧は光源氏が皇女を娶ったのは晩年で、夕霧も紆余曲折があったが薫は運がよいといった。

 しかし薫は結婚してからも宇治での楽しかった事がなつかしく、婚礼を済ませると女二宮を三条の宮に連れ帰った。時々老女のもとを訪ねては、思い出話に花を咲かせていた。その日も八の宮の事や、柏木の事、そして大君と中君の腹違いの妹・浮船について聞いたりしていた。気候は晩秋になって、宇治の紅葉がたいへん美しかったので、中君にも見せてやりたいと思い、ひさしぶりに中君に手紙を送ってみた。
 二条の宿では、薫から送られてきた手紙を匂宮があやしんで見てしまったが、その内容はさしさわりのない文で、愛だの恋だのという内容ではなかった。匂宮も中君も安堵して、ふと庭をみると秋の風にススキの穂が揺らいでいてとても美しかった。匂宮は、突然以前薫たちと趣味で邦楽を奏でた時のことを思い出し、尺八を弾きながら歌を歌うと、中君もそれにあわせて葛篭(つづら)を弾いた。その姿がとても美しく、匂宮はこんなに美人なら、薫も惚れるだろうと思うのだった。

 八宮にはもう一人娘・浮舟がいた。亡き大君に似ているとの話を中君から聞きつけ、薫はいてもたってもいられなかったが、宇治を訪れた薫は浮舟の姿を見ることができ、その浮舟は大君に生き写しであった。薫は思わず涙をこぼし、美しい姫に心惹かれ、その日のちに浮舟と契るのであった。

 

第五十帖・東屋(あずまや)

 浮舟の母である中将の君は、八の宮の亡くなった妻・北の方の親戚で、八の宮の部下の女性であった。北の方が亡くなってから、八の宮が寂しさのあまり男女の関係になって浮舟を生んだが、その後八の宮がひきこもり、浮舟の母・中将の君とはまったく会わなくなってしまった。中将の君は浮舟をつれて宇治物産の商人の後妻となっていた。

 薫は帝の娘を妻にしている自分が、商人の娘を愛人に囲うのはどうだろうかと葛藤するが、どうしても浮舟の事を忘れる事ができなかった。浮舟の父親・八の宮は敗れたとは言え、一時は後継者になるかもしれないと噂された人物であった。薫は何とか宮廷で良い待遇で娘を雇ってはもらえないかと色々思案していした。その事を小耳に挟んだ中君は、腹違いとは言え、妹である浮舟の事なので、気になって二条の宿に呼んだ。死んだお父さんや姉さんの事も話たいし、もちろん就職の事も話したいと、しばらくの間ゆっくりして行けばと云った。中君は思い出話をする相手ができてうれしそうであった。

 それから夜になって、匂宮もやってきて色々話をしているうちに、薫の部署で働くのが良いのではと勧めてきた。ところが中君が風呂を浴びているすきに、匂宮は浮舟の手を握りしめて、意味ありげな雰囲気をかもし出した。この突然の行動に浮舟は戸惑い、恥ずかしさで顔が真っ赤になってしまう。

 やがて夜遅くに匂宮は自宅に帰り、姉妹は明け方まで思い出話に花をさかせた。中君は浮舟が大君によく似ているので、元気だった頃の姉と話しているような気持ちになって随分慰められた。しかし浮舟は匂宮の行動が気になって、戸惑いを隠しきれなかった。その一部始終をまたまた女官は見ていた。

 女官から話を聞いた浮舟の母親・中将の君は、あわてて二条の宿から浮舟を呼び戻し、三条の小さな家に隠して住まわせた。薫は行方不明の浮舟を探し続ける。
 やがて秋も深まり、八の宮の旧宅が改築されて売りに出されたというので、薫はその様子を見に行って、さらに老婆のところにもよって色々話込んでいました。話のついでに、今浮舟はどうしているのか聞いてみると、三条の家にいる事を教えてくれた。
 薫は早速浮船に会いに行く。薫の中に迷いはなかった。車で三条の家に乗りつけ、浮舟に気持ちを伝える。とても金持ちには見えない小さな玄関前で、車から降りてきた高貴な男が、家の中にいる女に向かって大きな声で告白したので、近所の人も興味津々で覗き見した。

 亡き父ゆかりの人の訪問は失意の浮舟にはひたすら懐かしく、また探し続けた薫の気持ちを知り、浮舟はただ驚くばかりであった。浮舟はあわてて玄関の鍵を開け、薫を中に迎え入れた。薫は浮舟の家で一夜を過ごし、朝になると家の前に何台もの車が並んだ。三条の家にある浮舟の荷物をすべて、薫が用意した宇治の館に運ぶたのであった。浮舟は三条の家に母をひとり残していく事が気がかりだったが、こののような状況をうれしく思うのだった。 薫は浮舟を自分の館に迎え入れた。


第五十一帖・浮船(うきふね)

 いよいよ親友どうしの修羅場をむかえた。中君は浮舟が薫の愛人になって宇治に住んでいる事を知っていたが、中君は匂宮の浮舟に対する怪しい雰囲気に気づいていたので、浮舟の事は匂宮には隠していた。しかしある日、浮舟から送られてきた中君への手紙を、匂宮は勝手に読んでそのことを知ってしまう。

 その夜、匂宮は浮舟の住む宇治へ向かった。「薫だ」と声をまねて戸を開けさ、訪れたのが匂宮だと知って驚く浮舟を押し倒し、そのまま強引に自分のものにしてしまった。浮舟も匂宮を受け入れ、次の日から宇治川を挟んだ向かい側の匂宮の別荘で二人で過ごしてしまった。宇治の住まいに匂宮が通ってくるようになると、浮舟は薫がいながら匂宮にも惹かれてゆき、どうしたら良いのかわからなくなる。匂宮は中君を見れば浮舟が思い出され、薫に会えば浮舟は私と薫のどちらを愛しているのだろう、と嫉妬が頭の中を渦巻いてきた。
 とうとう匂宮と薫がかち合う日がやってきた。玄関の前に立つ匂宮を見て、薫はすべてを察した。お互いの顔を見合いバツが悪そうな匂宮であったが、ふたりとも子供ではなかった。自分の立場を充分理解しており、お互い親友であり、しかも二人とも妻のある身だった。ここで問題を起こして表沙汰になれば損をするのは自分たちであった。その日は何事もなかったように浮舟に会わずにふたりとも帰った。
 しかしお互いの心の中は、たいへんな修羅場となっていた。案の定、薫は人を雇って、誰ひとり浮舟の部屋には入れないようにした。匂宮はあの日から何度も通ってくるが、部屋に入れないので、いつも空しくそのまま帰ってしまった。その様子をの窓から見る浮舟は二人の男のどちらも選ぶことができず、恐れおののくばかりで「もう、死ぬしかない」と、月夜に浮かぶ宇治川を見つめるのであった。

 

第五十二帖・蜻蛉(かげろう)

 浮舟の母である中将の君は、八の宮の亡くなった妻・北の方の親戚で、八の宮の部下の女性であった。北の方が亡くなってから、八の宮が寂しさのあまり中将の君と男女の関係になって浮舟を生んだが、その後八の宮はひきこもり中将の君とはまったく会わなくなった。中将の君は浮舟をつれて宇治の商人の後妻となった。

 薫は帝の娘を妻にしている自分が、商人の娘を愛人に囲うのはどうかと葛藤するが、どうしても浮舟の事を忘れる事ができなかった。浮舟の父・八の宮は敗れたとは言え、一時は帝の後継者になるかもしれない人物であった。薫は何とか浮舟を宮廷で良い待遇で雇ってはもらえないかと色々思案していした。その事を小耳に挟んだ中君は、腹違いとは言え妹の浮舟の事が気になって二条の宿に浮舟を呼んだ。死んだ父や姉の事を話したいし、就職の事も話したいからしばらくの間ゆっくりして行けばよいと云った。中君は思い出話の相手ができてうれしそうであった。

 夜になって匂宮もやってきて色々話をしているうちに、薫のもとで働くのが良いと勧めてきた。ところが中君が風呂を浴びているすきに、匂宮は浮舟の手を握りしめて、意味ありげな雰囲気をかもし出した。この突然の行動に浮舟は戸惑い、恥ずかしさで顔が真っ赤になってしまう。

 やがて夜遅くに匂宮は自宅に帰り、姉妹は明け方まで思い出話に花をさかせた。中君は浮舟が大君によく似ているので、元気だった頃の姉と話している気持ちになって随分慰められた。しかし浮舟は匂宮の行動が気になって、戸惑いを隠しきれなかった。その一部始終をまたまた女官は見ていた。

 女官から話を聞いた浮舟の母・中将の君は、あわてて二条の宿から浮舟を呼び戻し、三条の小さな家に隠し住まわせた。薫は行方不明の浮舟を探し続けた。
 やがて秋も深まり、八の宮の旧宅が改築されて売りに出されるというので、薫はその様子を見に行って、老婆のところにもよって色々話込んでいた。話のついでに、浮舟はどうしているのか聞いてみると、三条の家にいる事を教えられた。
 薫は早速浮船に会いに行く。薫の中に迷いはなかった。車で三条の家に乗りつけ、浮舟に気持ちを伝えた。とても金持ちには見えない小さな玄関前で、車から降りてきた高貴な男が、家の中にいる女に向かって大きな声で告白したので、近所の人も興味津々で覗き見した。

 亡き父ゆかりの人の訪問は失意の浮舟にとってひたすら懐かしく、また探し続けていた薫の気持ちを知り、浮舟はただ驚くばかりであった。浮舟はあわてて玄関の鍵を開け、薫を中に迎え入れた。薫は浮舟の家で一夜を過ごし、朝になると家の前に何台もの車が並んだ。三条の家にある浮舟の荷物をすべて、薫が用意した宇治の館に運ぶたのであった。浮舟は三条の家に母をひとり残していく事が気がかりだったが、こののような状況をうれしく思うのだった。 薫は浮舟を自分の館に迎え入れた。

 

 第五十三帖・手習い(てならい)

 三角関係に悩む浮舟はそのまま姿を消してしまう。女官たちは浮舟が悩んでいた事に気づいていて「ひょっとしたら自殺したのかもしれない」と口々に言った。近所の人たちに聞いてみても「川原でうつろな表情で立っているのを見た」とか、「宇治橋の上で今にも飛び込みそうな表情だった」とかの話ばかりが出てきた。

 浮舟が行方不明である噂が宮廷にも広がり、いつしか「三角関係に悩んだ末、宇治川で自殺した」と皆が思うようになった。薫にも匂宮にも惹かれながらどちらも選べない浮舟は宇治川に身を投げたのではと川を探したが遺体は見つからなかった。

   比叡山から北へ少し離れた横川(大津市)に、ひとりの高僧(僧都)が暮らしていた。僧都の年老いた母・大尼君と妹の小野の妹尼が、長谷寺(奈良県桜井市)に参詣し、その帰路で大尼君が体調を崩してしまった。途中の宇治に宿を取って様子を見るも、万が一の事態を懸念して使いを横川に派遣し状況を知らせてきた。横川の僧都は驚いて宇治へ急行し、宿のそばに朱雀院の別邸があるのを思い出して病人をそちらに移すことにした。
 別邸に着くと、どうも不吉な雰囲気がする。物の怪を祓うために経を読み寝殿の裏へ廻ると、木の下に何かがうずくまっていた。これは狐が化けているのかと思いきや、若い娘が泣いていたのだった。騒ぎを聞いた小野の妹尼が現場を見るや、彼女は自分の亡き娘の生まれ変わりに違いないと言い出し、娘を屋敷に引き取って熱心に介抱した。
 大尼君の体調も持ち直し再び帰路に就いた。娘も一緒に連れて行くことになり、道中何度も休憩をとりながら大尼君や小野の妹尼が住む小野(大津市)の里に到着した。
  小野の妹尼は娘の世話を手厚く続けるものの、娘は何も言わず素性すら明かさなかった。ただ「川に我が身を投げ落としてくれ」と言うだけだった。

  こうも娘が塞ぎ込んでいるのは物の怪の仕業だと考えた小野の妹尼は、横川の僧都に助けを求めた。祈祷を一晩行ったところ、娘に憑いていた物の怪が姿を現して退散した。正気を取り戻した娘は、なぜ自分はこんなところにいるのだろうと不思議に感じた。よくよく記憶を辿ってみれば、あの晩悲しみのあまり川に身を投げようと決心した刹那、匂宮が自分の手を引いて抱き寄せてきたように感じたのだった。しかしそこから記憶がなく、周りを見回してみても年老いた尼ばかり。こんな奇怪な場所になぜ自分がいるのかと混乱するありさまだった。

 あの夜からどれだけの月日が流れたのだろうか。娘(浮舟)はいっそ出家して尼になりたいとこぼしたが、せっかく助かった命をむざむざと捨てるような哀しい言葉に小野の妹尼は反対した。まずは養生して、元気になれば気持ちも落ち着くだろう。そう思って小野の妹尼は浮舟の世話に精を出すが、世を儚む彼女の気持ちは変わりそうになかった。

  小野の妹尼の亡くなった娘には中将という婿がいた。小野は横川への道中にあたるため、中将はついでに小野の妹尼の見舞に立ち寄り、ありし日を懐かしんで語らうが、中将はこんな老尼ばかりの庵に似つかわしくない可憐な浮舟の姿をちらりと見てしまい気になった。中将は横川に着くと僧都に対面し、小野で見かけた浮舟のことをそれとなく尋ねたが、詳しい消息も判らず帰りがけに再び小野に立ち寄った。
  小野の妹尼と対座した中将は単刀直入に浮舟の事を尋ね和歌を詠んだ。恋愛ごとなど懲り懲りな浮舟は返歌などするはずもなかった。
その後も中将は小野を訪ねては浮舟を口説き落とそうとするものの、肝心の浮舟は頑として言葉を交わそうともしない。却って勤行に励み、ますます出家を望むようになってしまった。

 月日が流れて9月になった。小野の妹尼は再び長谷寺参詣に出掛けた。浮舟にも同行を熱心に呼びかけたが、彼女は首を縦に振らなかった。 人が少なくなった小野に中将が現れ、逃げ場がなくなった浮舟は、あろうことか普段近寄りもしない大尼君の寝室に隠れた。大いびきで眠る老女のおぞましさに耐えてまで逃げ隠れるとは、再び恋愛に身を投じるのがよほどいやだったのである。
  そのまま朝を迎え、大尼君たちが朝食を摂る段になっても、浮舟は気分が優れず伏していた。そうこうすると他の僧が現れ、横川の僧都が山を下りて病気の女一宮のために祈祷をするのだと告げた。僧都に頼みこんで出家させてもらおうと浮舟は決心する。
  夕刻になって僧都がやって来た。大尼君の様子を伺い、次いで浮舟から出家の訴えに耳を傾ける。どんな理由があるにせよこの若い身空で世を捨てるのは余りに勿体ないと僧都が説得するが浮舟の意志は固かった。僧都は訴えを受け入れ浮舟は剃髪する。

 ようやく本意を遂げて清々する浮舟とは逆に、報せを聞いた中将は落胆を隠せない。長谷寺から戻った小野の妹尼の驚愕はもはや言うまでもなかった。

   女一宮の病は、横川の僧都の祈祷の甲斐もあって快癒し、しばらく御所に留まっていた僧都は、明石中宮に召されて話をするうち、宇治で拾い上げた娘の顛末をふと話題にした。中宮も傍に控えていた小宰相の君も、もしかして薫が宇治に匿っていた浮舟のことかと察した。しかし確証がないので、薫に教えようにも今一歩踏み出せなかった。
 その後、どうにも諦めきれず未練たらたらな中将が小野を訪ねて来た。残念無念な気持ちを抑えられないので、せめて浮舟の姿を見せてくれと頼み込んだ。それくらいならと、覗き穴を案内され、そこから見た浮舟の姿は世を捨てるには余りある美しさである。これほどまでの美女だったとは、なんとかして手元に置いておきたいものだと、改めて中将は感じ入った。
 そのころ大尼君の孫の紀伊の守(空蝉の義理の息子とは別人)が任国から上洛し、小野の妹尼と対面して話している。浮舟が話に聞き耳を立てると、どうやら薫が浮舟の一周忌を催すらしい。法要に必要な装束をここで仕立てるとのことで、浮舟は自分の法事の衣装を自分で縫う奇妙さを感じた。それでも薫が未だに自分を忘れていないのだと知り、懐かしくも嬉しい反面、こんな尼姿を今更世に晒すことだけは絶対に避けねばならぬと心に誓った。

 薫は大君や浮舟と立て続けに宇治で愛する女性を失った。八の宮の姉妹三人が薫との関係で不幸になってしまったため自分がいやになってしまう。そんな時、光源氏とその妻・「紫の上」の何回忌かの法要が行われ、そこで法要の手伝いをする匂宮の姉・一品に心ひかれ一夜をともにする。
 一品のところにいた女官・宮にも手を出してしまい。ある日、兄の夕霧と久しぶりに話す機会があった時、薫は「次から次へと女に手を出してしまう自分自身がいやでたまらない。大君が生きていればこんな事はなかったかも知れない。自分の探していたものが、ここにあったと思って手に取ると、それはいつも蜻蛉のようにすぐに消えてしまう」と薫は女遍歴に悩む薫はため息をついた。  

 匂宮もあまりのことに茫然自失となり表向き病気とした。薫は知らないふりもできずに匂宮を見舞う。薫は浮舟のことを語りながら涙をこらえることができず、匂宮もまたかける言葉がない。 匂宮と薫は宇治に出向き、板挟みの浮舟の気持ちを察する2人は改めて浮舟の哀れさを理解した。

 浮舟の葬儀は内輪だけの質素なものだったが、四十九日の法要は盛大であった。事情を知った帝も自分の娘である薫の正妻をはばかって浮舟を宇治に置いたばかりにこのようなことになったことを気の毒に思われた。

 しかし浮舟は生きていたのだった。比叡山の僧侶が宇治の母が病だというので、僧侶は比叡山を降り、偶然、倒れている女性を見つけたのである。浮舟は入水する前にさ迷い歩き倒れてしまったらしい。僧侶の妹の尼は、浮舟が亡き娘の生まれ変わりだ言って大事に介抱してくれてようやく意識を甦らせた。しかし浮舟は過去を語ることなく、念仏と手習いで時を過ごしていた。ところが妹尼の亡き娘の婿である近衛中将が浮舟に恋心をいだたのである。この世にあっては、同じ責め苦が果てなく続くと悟った浮舟は下山していた僧侶に願い出て出家してしまったのである。

   一周忌の法要を終えた薫は、浮舟の縁者である常陸の守の子息に目を掛けて役職の世話などをしていた。
  ある雨の夜のこと。薫は明石中宮のもとに参上すると、横川の僧都の話を思い出した明石中宮は、薫のあまりの不憫さに、小宰相の君に耳打ちしてあの話をするように伝えた。小宰相の君から顛末を聞いた薫は驚いた。しかも話におかしい点はなく、辻褄は全て合っている。ただ薫は実子である匂宮も当然知っているのではないかと考えた。匂宮のことだから浮舟を取り戻そうと動いているに違いない。

 ならば死んでしまったものとして、それでも確認だけはしておこうと薫は明石中宮にお伺いを立てた。中宮は匂宮の女癖の悪さを判っていたので、浮舟のことが漏れたら、また厄介な事態になると思ったのだろう、匂宮には一切話していなかった。こうなればあとは自分で現地へ向かい真偽を確認するだけである。。浮舟の弟の小君(こぎみ)を連れて行けば、再会に感動も添えられるかもしれない。薫の心を乱らした。

 
第五十四 夢浮橋帖(ゆめのうきはし)

 比叡山の僧都が記憶喪失の娘を保護しているという噂が薫の耳に入ってきた。翌日、薫は横川へ向かい僧侶のもとを訪れた。れまで特に懇意でもなかった薫の突然の訪問に、横川の僧都は驚き丁重に迎えた。

 仏法の話のついでに、薫は小野の里に隠れ住む女性が自らの尋ね人ではないかと切り出した。話を聞いてその娘が浮舟に間違いないと確信したからである。僧都は話の顛末に驚き、いくら浮舟が必死に頼んできたことだとはいえ、むざむざと出家させたことを後悔する。こうなっては仔細を明かすしかないと、僧都は浮舟の経緯を語った。薫はすぐにでも浮舟に会いたいと頼うが、僧都は「いずれ」と言葉を濁し受け入れられなかった。ならばせめて一緒に連れて来た小君だけでも遣いにやれないかと考え、薫の手紙と僧都の手紙を託して、小君を小野に向かわせることにした。薫は一旦は都へ戻ることにする。

 翌日朝、小野の妹尼のもとに横川から先に便りが届いた。「薫の使者がそちらへ着いたか」、「早まって受戒させたことを悔やむ」という内容で、妹尼は何が何やら判らなず、浮舟に問い質しても碌に答えてくれず、おろおろするばかりだった。
  追い打ちをかけるように小君の来訪があった。小君が差し出した僧都の手紙にも曖昧な書き方で浮舟と薫の関係が書かれており、妹尼はこの期に及んでまだ隠し通そうとする浮舟を責めた。
  浮舟が簾越しに外を見れば、そこには確かに懐かしい小君の姿があった。母・中将の君は一体どうしているのか尋ねてみたい気持ちを堪えて、このまま何もなかったことにして生きているとは知られずに済ませたいとこぼした

 浮舟の生存を確認した薫は、今は従者として召し使っている浮舟の弟を小野に遣わすが、浮舟は対面を拒んだ。浮舟が簾越しに外を見れば、そこには懐かしい小君の姿があった。浮舟はみんなはどうしているのか聞きたい気持ちをこらえ「自分がここで生きていること」を知られては困る、と気を取り直しながら几帳越しに文を受け取る。文には懐かしい文字で「罪つくりなことをしてくれたが、全てを水に流して昔話がしたい」と書かれていた。浮舟は今更の薫の前に顔など出せるはずもない。涙をこぼしながらも、心当たりがないと文を返すしかなかった。

 あまりに失礼すぎると尼君はとりなすが、浮舟は答えず顔を伏せたままであった。やむなく尼君はありのままを薫に伝えるように、と浮舟の弟に告げ姉弟の対面はかなわなかった。

 薫は帰りを待ち侘びていた。ところが小君が狐につままれたような顔で戻って来たのでがっかりする。こんなことなら、遣いを送るんじゃなかったと後悔した。薫は何度も文を書くが浮舟はその返事を書かなかった。薫はすぐに僧侶の妹の家に向かった。

 浮舟がなにげなく窓から外の景色を眺めていると、家の前の道に見慣れた牛車がやってきた。思わず窓の下に身を隠すと、懐かしい薫の声が聞こえてきた。
 あの日、始めて三条の小さな家に現れたときのように、玄関先で気の毒なくらいに浮舟の名を呼んだ。さらに温かな文章で浮舟に還俗を求め、会いたいと求めてきた。

 浮舟の瞳からは大粒の涙がこぼれた。

「もうあの日には戻れない」。薫は会ってくれないので、一緒につれてきた浮舟の弟を使いにだした。しかし浮舟は出家し尼となり、心の平静を乱されることを嫌がり、弟にも会わず文も人違いだと言って返事をしなかった。
 薫がいくら想いを伝えても、浮舟は断り続け、平穏に生きる尼の道を選ぶのだった。薫は「かつて自分が宇治の家に浮舟を囲ったように、もうすでに誰かに囲われているのだろう。それなら自分の出る幕はない」と浮舟への思いを断ち切った。