ノー・モア・サンキュー

 私たちはすでに生まれてしまった存在であり、かつこれから死んで行こうとする存在でもある。この気が狂いそうな運命を背負いながら私たちが平然と日常を過ごしていけるのは、生死があまりに他人事だからである。
 誕生を喜び、死に涙を流しても、それは他人の生死であって自分の生死ではない。誰も自分の生死を自覚的に経験できず、他人の生死からわずかにそれを想像するだけである。私たちは自己を選択できず、また死に方さえも選択できない。
「不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」これは鴨長明の「方丈記」の一節であるが、鴨長明が言うように人間はどこから来てどこへ行くのか分からない。主発点も終点も分からないまま私たちは日常を過ごしているのである。
 かつての日本人は神道や仏教などの宗教から死をとらえていた。それは無常観であり、また輪廻思想であった。明治以降は国家のために死ぬことが美化され、死ぬことに意味づけがなされた。しかし戦後になって死は意味づけを失い、死を語ることはタブーになった。そして死という現実を避けようとする心理が強くなった。
 宗教を持たない日本人は心臓死、脳死の議論をしても、患者の死に方をどうするかの議論を避けてきた。死の意味を曖昧にしたまま放置したのである。
 現在、畳の上で死ねる日本人は15%にすぎず、死は本人の意思とは無関係に周囲の都合によって迎えられる。生命を形式的に重視するあまり、生死を病院に押しつけたのである。
 死を考えるべき文学者も、哲学者も、宗教家も、延命の手段しか持たない病院に死を押しつけた。「病院が生命を何とかしてくれる」と思い違った期待感と、生死を専門家に任せようとする歪んだ合理主義である。
 本人が家で死にたいと願っても、その願いは受け入れられない。法律も社会も家族も、患者が家で死ぬことを拒んでいる。死を前にした厄介者は病院に送られ、生死を任された医師は見込みのない患者にも御仏前療法を行うようになる。
 本人のいやがる治療を周囲が行うのは、救命という名の暴力である。人格を持つ人間への冒涜ともいえる。この不幸は誰もが分かっていることなのに、周囲がうるさい、法律がうるさい、そのため本人の尊厳は軽視され、周囲の都合によって終末医療が行なわれている。生命至上主義が生命の尊厳を言い過ぎたため、逆に生命の尊厳が奪われたのである。生命の責任を言い過ぎたため、誰もが責任を取りたくないので、このような事態になったのである。
 これまで人間はモノよりも精神を重んじてきた。法律よりも情を優先させてきた。もちろん現在もそうである。しかし近代医学は目に見えぬ人間の精神を相手にせず、人間の心の苦痛を探らず、肉体の数値ばかりを優先させてきた。人間の存在が肉体にあるのではなく人格にあることを忘れている。そして人格よりは脳波、会話よりは検査となった。
 人間の存在は本人のものである。元来、死に方は本人が決めるべき問題である。しかし私たちは死の直前まで死にざまを考えない。これらは死を他人事としてきた私たちのツケである。人間にとって最も大切な精神の存在を軽視したため、私たちは医学と法律に縛られ人間そのものを失うことになった。自分たちの健康を守るべき医学が、生活を守るための法律が終末医療の不幸を招いている。
 人間は精神的活動を持つ点において他の動物とは明らかに異なっている。美しい花を美しいと感じ、楽しい日々に喜びを感じ、醜いものを嫌い、卑劣な話に憤りを持つ動物である。この心の動きを数値化できないように、人間を医学の数値や法律の条文で閉じこめることはできない。
 生から死への移行は逆らうことのできない自然現象の1つである。脳死だろうが心臓死だろうが問題外である。最後くらいは人間らしく死にたいと思うのが多くの人たちの願いであろう。そして人間らしい死とは、人工的産物である医療器機の介入をなるべく避けることである。
「ねがわくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」これは西行法師が800年以上前に吉野で詠んだ句である。時代が変わっても私たちの心は変わらない。たとえ桜の木の下で死ねなくても、せめて穏やかな死を迎えたいものである。
「ノー・モア・サンキュー」これは治療を行おうとする医師にライシャワー元米国大使が述べた言葉である。
 自分にしてほしくない治療を他人に行ってはいけない。死を押しつけられた私たちは、「人間らしい死に方」について、自分自身のこととして考え直すべき時期にきている。