国益と国害

 国益という重い言葉を学ぶ意味で、歴史上の実例を挙げてみたい。東洋の小国日本が帝国ロシアに勝利した日露戦争は、日本の技術力や民族的優勢性などが勝因として挙げられている。しかし帝国ロシアが反撃せずに敗退したのは、母国でのロシア革命運動が激化したためで、このことが日本に勝利をもたらした1番の要因とされている。
 ロシアとの戦争が避けられない状況になったとき、陸軍の明石元二郎大佐はロシアを撹乱すべくヨーロッパ各地で反ロシア帝国活動をおこなった。レーニンなどに近づき工作費100万円(今の価値では400億円以上)をばら撒き機密工作を行った。明石元二郎大佐はロシアの情報を集め、ストライキ、サポタージュ、武力蜂起などを煽動して帝国ロシアを足下から揺さぶった。この明石大佐のスパイ工作によって反ロシア帝国組織が強化され、ロシアに革命の気運が高まり、まさに戦わずして敵を屈服させたのである。
 この明石元二郎大佐とまったく逆のことが太平洋戦争で起きている。アメリカは日本の真珠湾攻撃を「宣戦布告なしの奇襲攻撃」と非難し、日本との戦争をリメンバー・パールハーバーの言葉で国民の団結をはかった。しかしこの奇襲攻撃は、実際には日本大使館の単なる怠慢であった。日本政府は外務省に対しアメリカに宣戦布告をするように指示、外務省はアメリカの日本大使館に宣戦布告を伝えるように電報を打った。しかし開戦前夜、日本大使館では転勤する寺崎書記官の送別会が開かれ、大使館に届けられた電文の暗号解読とタイプ打ちを怠り、野村駐米大使がアメリカに宣戦布告を通知したのは真珠湾攻撃の30分後となってしまった。そのため日本は卑怯な国とされ、アメリカは無差別爆撃や原爆投下に躊躇しなかった。この日本大使館の歴史的大失態が日本を騙し討ちをするずるい国というイメージを与えてしまったのである。この国賊的失態を犯した井口貞夫参事官と奥村勝蔵一等書記官は万死に値するが、戦後は相前後して外務事務次官になっている。
 命をかけて日本の国益を守った明石元二郎大佐、パーティーで酔いつぶれ、日本に泥を塗りながら出世した害務省官僚、現在の日本を考えると日本の上層部の多くは後者に属するのではないだろうか。
 政治家は当選するために各団体の利益を主張し、これらの利害を調整するのが政府・議会の役割になっている。政治家は国益よりも目先の利益と人気取りで、官僚は国益よりも省益を守ることに熱心である。政府は消費税の引き延ばしを明言しているが1000兆円の国の借金をどのように返すのだろうか。1000兆円の借金を返すためには消費税を4000 %にしなければいけないのに、このような単純な計算をなぜかマスコミは黙っている。
 官僚は解読不可能な法案を作り、結局は自分たちが得をするシステムを作っている。国益をそこなう法案であっても、法案ゆえに罪はない。マスコミは小悪ばかりを話題にし、日本を沈没させるような巨悪については無言のままである。
 政府は民間の多数の声を聞かず、行政は民間のじゃまをする。中国における知的所有権の問題で、日本政府は中国政府に抗議せず、そのため日本企業は在米子会社を通じて米国通商部に解決を依頼している。なんとも恥ずかしい話である。
 世界の大きな流れの中で、日本の外交や政策は外圧依存、米国追随、対症療法ばかりで、我が国には国益を中心とした戦略がない。各省庁の考えがバラバラで長期的戦略がない。
 日本の政策や外交が日本国民を幸せにするかどうか、この尺度で国益を考えるべきである。「最大多数の最大幸福」のためには日本の国益を守るために国益省を新設する必要がある。各省庁がバラバラに政策を考えるのではなく、国益省が各省庁の調整を行い内閣と一体となって経済外交戦略を担うことである。
 資源のない日本は技術立国、商業立国で生き延びるしかない。そしてこの日本の技術力や経済力が世界の安定と平和に役立つという気概が必要である。
 世界という共同体の中で他国との利害を一致させれば、日本の国益は他国の不利益とはならない。国益は一部の人たちの利益と誤解されやすいが、国益が上がれば国民は豊かになり、国益が下がれば国民は貧乏になるだけである。
 戦争の根本的原因は貧困と利害関係にある。宗教は戦争の名目として名前を貸しているだけである。国際的な視野を持ち、他国との利害を調節し、日本の国益が他国の利益もたらすような政策が必要である。