S幼稚園O157事件

S幼稚園O157事件 平成2年(1990年)

 

 平成2年10月8日ころから、埼玉県浦和市にある私立「S幼稚園」の園児らが、血液の混じった下痢や腹痛、発熱などの症状を起こしはじめた。10日には運動会が行われたが、欠席する園児が多くいた。18日には園児184人のうち 28人が欠席し、翌19日幼稚園は休園となった。

 

 園児55人が病院で治療を受け、20人が浦和市立病院や岩槻市の埼玉県立小児医療センターなど5カ所の病院に入院となった。入院した園児20人のうち8人が尿毒症となり、2人が死亡する事態になった。死亡したのは、浦和市大門の上甲哲也さん(40)の長男裕也ちゃん(6)と、岩槻市笹久保新田の会田栄さん(31)の長男豊ちゃん(4)であった。2人とも埼玉県立小児医療センターで亡くなったが、死因は尿毒症を併発した急性脳症であった。

 

 重症者は病原性大腸菌による「溶血性尿毒症症候群、血管内凝固症候群」を併発していた。溶血性尿毒症症候群とは、腎不全、血小板減少症、溶血性貧血を特徴とする症候群である。治療には毒素を取り除くための血漿交換療法、腎不全に対する人工透析、血小板の減少には血小板輸血などがあるが救命率は低かった。

 

 S幼稚園には給食施設がなかったため、給食は外注業者から運ばれていた。そのため、まず納入業者が調べられたが、因果関係はすぐに否定された。幼稚園では井戸水を飲料水として使用していたので井戸水からの感染が疑われた。

 

 埼玉県衛生部が井戸水を検査すると、井戸水から病原性大腸菌O157が検出され、園児の便からも同菌が検出された。厚生省は20日、今回の食中毒は「井戸水からのO157の感染が原因」と発表した。

 

 O157は、昭和57年に米国のミシガン州で集団発生して以来、欧米では注目されていたが、日本での集団発生例はなく、死亡例も今回が初めてであった。O157は、感染すると赤痢と同じような血便を伴った激しい下痢を起こし、腹痛、吐き気、発熱などをきたす。園児の症状からもO157に間違いなかった。感染者数は在籍園児の81.9%、感染しても症状を示さない無症状の園児が30.4%いた。

 

 埼玉県衛生部が井戸周囲を調べると、井戸の近くにトイレの汚水タンクがあり、汚水タンクの継ぎ目に亀裂があった。汚水タンクからO157などの病原性大腸菌が地中に漏れ、5メートル離れた井戸水に混入したのであった。

 

 S幼稚園は埼玉県の許可を受けずに井戸水を使用していた。3年前の昭和62年に行われた保健所の検査で、井戸水から水道法の基準値である「100個」を超える細菌が検出され、また蛇口からも大腸菌が検出され、保健所は水道水に切り替えるか、煮沸して使用するように口頭で指導していた。しかしこの指導が無視されていた。

 

 19日の時点で、厚沢園長は「水質検査は問題なかった」と述べたが、20日になって「検査結果は承知していたが、長年使っているので大丈夫だと思った。衛生に関する考えが甘かった」と前言をひるがえした。

 

 埼玉県の自家用水道条例では、50人以上で井戸を使用する場合は、知事の確認を受け年2回以上の水質検査を受けることになっていた。また、学校保健法では年1回の検査を受けることになっていた。S幼稚園は井戸水使用の届け出をださず、規定の検査も受けていなかった。

 

 大腸菌は便中に含まれていることから、また海水浴場の水質検査項目に登場することから、汚いイメージがある。しかし大腸菌は人間の腸管の常在菌で、消化を助けるなどの役割を担っている。この人体に害を及ぼさないはずの大腸菌が、赤痢菌と混じり合うと、赤痢菌と同じベロ毒素を産生することになる。バクテリオファージ(細菌に感染するウイルス)によって、赤痢菌の遺伝子が大腸菌の遺伝子に組み込まれてしまうからで、これが病原性大腸菌O157である。大腸菌は、菌体表面の糖脂質によって血清型に分離されるが、O157はO血清型の157番目に発見された大腸菌という意味である。この大腸菌の一種であるO157は、ベロ毒素を産生するため、赤痢と同じように出血性大腸炎を起こすのであった。

 

 これまで病原性の大腸菌は、50種類以上見つかっているが、O157が最も毒性が強い。O157の毒性は、フグ毒テトロドトキシンとほぼ同じとされ、抵抗力の弱い子供や老人では、感染によって死に至ることがある。O157が恐ろしいのは毒性だけでなく、数個の菌で感染するため予防が難しいこと、潜伏期間が4〜9日と長いので2次感染を起こしやすいことである。

 

 細菌感染症の治療は抗生剤であるが、O157の治療についてはまだ確立していない。抗生剤を用いると、O157が壊れるときに毒素を放出するからである。下痢止めは毒素を体内にとどめることから使用できず、点滴などの対症療法でしのぐしかなかった。

 

 この事件から6年後の平成8年、堺市をはじめとした全国各地でO157集団食中毒事件が発生して大問題となった。その平成8年の7月、S幼稚園O157事件の判決が浦和地裁で下され、事件当時の園長・厚沢春男(69)は、業務上過失致死罪に問われ禁固2年、執行猶予4年の有罪判決を受けた。この判決は執行猶予がつく軽いものであったが、浦和地裁の裁判長は「井戸水の滅菌措置をとらなかった過失責任」を指摘、大腸菌の混入が予知できたとし、さらに「園長は園児の健全な成長という重要な使命を担っているのに、園長にあるまじき行為だった」と述べた。刑事事件とは別に遺族から約2億円の損害賠償の訴えがあり、浦和地裁は厚沢元園長ら6人に9830万円を支払うように命じた。

 

 さらに遺族は「この苦しみをほかの親に味わわせないためにも、埼玉県の責任を問いたい」と埼玉県の行政指導不作為責任についても訴えを起こした。埼玉県は、「理事長が個人名で井戸水の使用を保健所に申請したため、幼稚園の井戸水との認識はなかった。県には行政指導すべき義務はなかった」と主張した。

 

 埼玉県と保健所は行政として同じ立場にありながら、昭和62年の保健所の検査結果を、埼玉県は把握していなかった。この事件は、縦割り行政の不備が一端を担っていたが、浦和地裁は埼玉県に過失はないとして、原告の訴えを退けた。