ただ乗りライダー

 日本の国防についてどれだけの国民が真剣に考えているのだろうか。自衛隊が何とかするだろう、アメリカが助けてくれるだろう。そのように考え、いざという時、自分がどのように行動すべきなのかを真剣に考えていない。
  このように安全保障の問題だけでなく、環境、教育、医療など重要な問題を考えず、行動せず、すべて他人任せで利益だけを受けとるのは、まさにただ乗りライ ダーである。身近な例では、葬儀場や障害者施設などは必要であることは分かっていても、近所に作るとなると猛反対の看板を掲げる。
  選挙に行っても世の中が変わるはずがない。この言葉は政治家の堕落をみれば分かる気もするが、あるグループが熱心に投票すれば選挙の結果は偏ったものになってしまう。ただ乗りのつもりが、結果的に自分の利益に反することになる。
 国際的には日本の医学もただ乗りライダーである。日本の医学が進歩したと自慢しても、ノーベル賞100年の歴史の中で、生理医学賞を受賞した日本人は利根川進ほか4人で、しかも彼らの研究を育てたのは米国であるから、実質的には日本人の受賞者はゼロとなる。基礎医学における日本の研究費はアメリカの約1割程度であるから、無理もないかもしれないが残念である。
  日本の医療を世界的レベルで考えた場合、日本の医療が国際的に役立った例は、平成2年に大やけどを負ったシベリアのコンスタンチン君を札幌医大で治療したこと。台湾総裁だった李登輝氏が倉敷中央病院でバルーンカテーテルをおこなったこと。さらには胃カメラの開発ぐらいしか思い浮かばない。国境なき医師団などはあるものの、世界への貢献度は他国と比較すると非常に小さい。
 また日本における心臓移植はまだ10数例であるが、海外で心臓移植を受けた日本人は数100人いるとされている。募金活動で「何々ちゃんを救おう」という報道があるが、募金で心臓移植を受けた患者数はまだ100人に達していない。これは募金を受けずに自費で心臓移植を受けた患者が大部分だからである。日本は臓器移植患者を輸出し、お金の力で移植の優先順位まで買っていると非難され、日本の臓器移植患者を閉め出す運動が海外で起きている。臓器移植は心臓だけではない。角膜、肝臓、腎臓、これらの移植患者を加えれば相当数の移植患者を日本は輸出している。
  なぜこのような現状を変えようとしないのか。日本で臓器移植が進まないのは、脳死、心臓死のドロドロとした議論を見せつけられた国民が臓器移植に関わりたくないと思っていること。厳密すぎる脳死判定、過剰な報道により医師も臓器移植に嫌気をさしていること。そして自分が臓器移植を必要になると誰も予想しないので、臓器移植は他人事になっているためである。
 もしただ乗りが可能ならば、誰でもただ乗りを希望するだろう。そのためただ乗りライダーが増えることになる。しかしそれでは福祉国家は成り立たない。また社会そのものも成り立たない。先駆者が苦労して残した甘い汁を、苦労もなく貰える社会は次第に衰退するのである。ただ乗りライダーは何でも他人任せで、 それでいて相手のことを考えない。自分の享楽だけが関心事になっている。このようなただ乗りライダーのために負担するのが馬鹿馬鹿しいと感じるのが普通の人であろう。
  ただ乗りライダーが増加したのは、日本人の中流意識のなかで、子供に贅沢をさせ、人間としての基本的考えを植え付けなかったからである。 子供に責任と義務を教えずに、甘やかしたからである。親は子供に個室を与えるが、祖父母が病気になれば、祖父母は大部屋に入院させられ、面会にこないケースが多い。そして祖父母の年金を奪い合う醜い光景さえみられる。なんたることであろうか。
  福祉国家の議論をするならば、福祉を誰がどのように負担するかを明確にすべきである。低負担の高福祉などありえない。低負担には低福祉、高負担には高福祉 の原則をきちんと教えないから、無いものねだりの不満ばかりをつのらせることになる。そして観客にすぎないただ乗りライダーも本気で不満ばかりをいう。全員の利益を考える場合、ただ乗りライダーをつくらない教育が必要である。