ロシアン・ルーレット

 回転式弾倉のピストルに一発の弾丸を込め、弾倉を回転させて自分の頭に向けて引き金をひく。この生死を賭けた危険な遊びをロシアン・ルーレットという。生きるか死ぬかは運しだい、運が良ければ自慢話、悪ければ死ぬことになる。
 私たちの周囲をみれば、不慮の事故やギャンブルなどはロシアン・ルーレット同様に偶然という運に支配されている。
 かつて生死が日常的であった時代、人々は病気を人知の及ばぬ運命としていた。そして悪霊などに因果を求めても、病気に対する諦めは早かった。しかし医学の進歩という幻想に冒されている現在の人々は、病気を運命とは考えず理屈で納得できると誤解している。そのため病気の告知を受けた時、患者は病気の現実を受け入れられず、戸惑いとやり場のない憤りをみせることが多い。
 昨日まで元気だったのになぜ病気になったのか、患者は病魔の現実を受け入れられず、「病気は何々のせい」と他に原因を転嫁したくなる。煙草を吸えば肺癌、食べ過ぎれば糖尿病、酒を飲めば肝臓病。このように原因があって病気が生じると思い込んでいる。病気のすべてを理屈で説明できると思っているので、病気になると説明がつかないことに、納得できない気持ちになる。
 伝染病が猛威を振るっていた時代、伝染病の原因である微生物の発見が人類に大きな貢献をもたらした。そしてワクチンの開発、抗生剤の発見、環境衛生の改善により伝染病の脅威が激減した。このことは近代医学の輝かしい勝利だった。しかしあまりに伝染病の克服が劇的だったことから、癌を始めとした他の病気も予防可能、克服可能との幻想を持つようになった。この幻想により予防医学がこれからの医学と期待され、また過剰にもてはやされている。
 しかし疾患を予防することは、人間が考えるほど、言葉で言うほど容易なことではない。感染症における微生物というような、病気と原因が直接結びつく図式はむしろまれであり、多くの病気の原因は不明のままだである。にもかかわらず、すべての病気が解明されているような雰囲気に包まれ、人々は病気に対して間違った概念を持つようになった。
 喫煙と肺癌の関係を例に病気の危険因子について説明を加えよう。現在、喫煙は肺癌の原因として常識であるが、かつてはそうではなかった。昭和29年に米国対癌協会が50歳から70歳までの喫煙者の死亡率が非喫煙者より75%高いと報告したのが始まりである。この報告は大規模疫学調査の結果であるが、これが公表されるまでは喫煙が肺癌の危険因子になるとは誰も予想していなかった。人種、職業、嗜好、離婚歴、性生活など様々な因子が分析され、肺癌の危険因子として喫煙が浮上したのである。初めから喫煙を肺癌の危険因子と決めつけて調べたのではない。このように喫煙と肺ガンとの因果関係は大規模調査によってやっと有意差がでる程度であった。喫煙の危険率は約7倍であるが、7倍の危険因子といえども実際には目に見えない程度の違いである。
 事実、昭和32年10月、米国対癌協会の報告を受けた癌研究会(癌研)は独自に調査して喫煙と肺ガンの関連性を希薄であると発表している。昭和45年に、国立がんセンターの平山雄が喫煙者の肺ガン死亡率は非喫煙者の7倍と発表したが、それまでは両者の関連性はそれほど意識されていなかった。この平山雄の研究は、世界的に認められ、さらに受動禁煙の先駆的研究者としても認められている。しかし当時、平山雄は1日10本喫煙している夫より禁煙している同居の妻の方が肺ガン発生率が高いと発表したのである。マスコミはその根拠を示せと迫った。しかし平山雄は国費で調査した数百万人の資料を公開せず、すべて焼却した。多分、自分の研究に矛盾を感じ、自信がなかったのであろう。部下にやらせた研究の計算間違いを感じての焼却だったのであろう。自然の真理は人間の理屈を超えたものである。この科学の基本を知らずに資料を焼却した態度は、科学者の態度ではない。研究の否定を恐れ威厳に生きようとした傲慢で浅はかな態度であった。平山雄の研究は受動喫煙の実証として正しかったが、この焼却という傲慢さを許すわけにはいかない。
 肺ガンを始めとした多くの疾患について危険因子が調べられ、病気は予防できるものとする認識が強くなっている。しかし実際には予防は困難である。それは危険因子といえどもその関与がわずかで、さらに年齢という巨大な危険因子が人間に内在しているからである。現在、日本人の三大死因はガン、心臓病、脳血管障害であるが、ガンは遺伝子の老化によって、心臓病や脳血管障害は血管の老化によって生じる。このように病気の大部分に加齢が関与していて、加齢は運命であるから、いかに病気から逃れようとしても無理である。「成人病の予防は年をとらないこと」というパラドックスに捕らわれることになる。
 病気の原因を究明することは大切であるが、医学の進歩は病気を運命と理解できない思い込みを人々にもたらしている。諦めの気持ちが希薄になり、患者は病気を不運ととらえず、それを治せない医療機関との出会いを不運とする傾向がみられる。このように都合の悪いことを置き換える心理が医療不信の隠れた要因になっている。

 私は予防医学を否定しているわけではない。糖尿病の早期発見は予防医学の最大の功績であるが、糖尿病の検査は最近まで検診の検査に入っていなかった。つまり学校検診で座高を測定するように、成人の検診に無意味な項目を入れる専門家の馬鹿さ加減が多すぎたのである。
 病魔に襲われるのはロシアン・ルーレットと同じ様に運である。さまざまな病気の危険因子は弾倉に入れる弾丸の数の違いにすぎない。弾倉が10あれば9の弾倉に銃弾が込められているのが膵臓ガンで、7が肺ガンで、早期胃ガンはもともと弾倉に銃弾は込められていない。いずれにせよ病気は年齢とともに空の弾倉が少なくなり、大半は80歳前後で運命の引き金を引いてしまうのである。