霊長目ヒト科日本人

霊長目ヒト科日本人
 ニッポニア・ニッポンNipponia nippon は医師シーボルトが命名した朱鷺(トキ)の学名である。この学名が示すようにトキは日本を代表する鳥であった。かつては北海道から九州まで広く生息していたが、2003年に日本産のトキが死亡し、現在生き残っているのは中国産のみである。
 また多くの日本人がニホンオオカミに郷愁を感じるのは、田畑を荒らす猪や鹿を退治するオオカミが「大口の真神」と農民に崇められ、さらにオオカミは大神にも通じ、古くから民間信仰が厚かったことによる。このニホンオオカミが突然その姿を消したのは明治38年のことである。ニホンカワウソ、ニホンアシカ、日本住血吸虫、そして日本脳炎ウイルス。さて次に絶滅するのは、・・それは霊長目ヒト科日本人かもしれない。
 恐竜やマンモスなどを含め動物の歴史を眺めれば、動物は絶滅する運命にある。生き延びる動物の方がむしろ例外であるが、しかしながらコロンブスやマゼランの活躍以降、絶滅する生物があまりに急増しすぎている。それまでの「自然の変動による絶滅から、人間の手による絶滅」へと変わってきているからでる。他の生物にしてみれば、人間ほど迷惑な生き物はいない。人間は自分の姿に似せた神を創造し、傲慢にも神が創った生物を絶滅させ、そして愚かにも、人間は自らのヒト科さえも絶滅に追い込もうとしている。
 DDT、PCB、ビスフェノールA、そしてダイオキシン。産業革命以降、地球上に存在しなかった化学物質が徐々に蓄積し、これらの女性ホルモン類似物質がヒトの精子の数を半減させ、この環境ホルモンの汚染によって、このままでは性行為は可能でも子孫はつくれず、ヒトはいずれ絶滅種となる。ヒトに夢を与えてくれた化学物質が夢を悪夢に変えたのである。
 人類絶滅のシナリオのひとつとして、次に遺伝子工学が考えられる。ワトソン、クリックによるDNA二重らせん構造の解析以降、遺伝子工学はヒト蛋白を産生する新種大腸菌を次々に創造した。そして遺伝子工学によるわずな恩恵と引き換えに人類絶滅への切符を切ってしまっている。
 遺伝子工学が人類に都合の良いものだけをつくるとは限らない。エイズが蔓延した時、エイズウイルスは遺伝子工学による人為的産物と噂されたように、エイズ同様のウイルスを試験管内で作ることができる。誘惑に駆られた、あるいは気がふれた科学者が「パンドラ箱」を開けてしまえば、それで人類はおしまいである。科学者に生命倫理を期待してはいけない。彼らも人並みの人間である、一定の頻度で間違いもあれば精神異常者も含まれれいる。
 人間の歴史がいつ幕を閉じるのか、100年は無事でも1000年続くとは思えない。炭酸ガスによる地球温暖化、フロンガスによるオゾン層の破壊、緑の森林を枯らす酸性雨、森林の砂漠化現象、多発する原子力発電所の事故、エボラなどの新興感染症、人類絶滅のシナリオが四方八方から押し寄せてくる。そして、いずれかにより人類最後の日を迎えることになる。
 人類が狩猟から農業に生活の基盤を変えたころから、人間の歴史は自然破壊の連続であった。そして産業革命により自然破壊は決定的になった。つい最近まで、自然破壊を自然克服と称し、巨大ダムの建設を人間の英知と自画自賛していた。しかし自然破壊のない生き方はもはや人間には出来ない。
 生物にとって大切なことは、親の形質を子孫に残し種を守ることである。種の重さに比べれば、個々の生命の重さなどは問題にはならない。つまり人間という種の保存のためには、個々を犠牲にしても地球環境を守ることである。極論を言えば、冷暖房を使わず、テレビは放映せず、自動車には乗らず、物を買わず、ゴミも出さず、経済成長を犠牲にして環境を守ることである。
 資本主義の原則は競争であり、この欲望を満たすための競争が環境悪化を招いている。地球との共存をはかるには、個々の欲望や願望をすて環境保全のルールを作ることであるが、経済と環境のジレンマの中でどのような共存がはかるのかであろうか。
 コンビニに慣れきった者が、現在の生活レベルを落とすことは困難である。それは都会から山奥へ出張を命じられたようなもので、都の贅沢を知り尽くした後醍醐天皇が隠岐へ流された心情となる。困難ではあるが、しかし私たちには公害が深刻化した1960年代に技術革新によってそれを克服した歴史がある。危機感と勇気を持てば、現在進行形の人類絶滅のプログラムを止めることができる。
 地球にとって、他の生物にとって人間の存在そのものが罪である。罪多き人類が自滅の道を辿ることは、キリスト教の終末論、仏教の末法思想として古くから予言されてきた。この人間が自然の破壊を押し止め、先人の予言を変えることが出来るかどうか、人類の未来はまさにこの点にある。