60歳の赤ん坊

60歳の赤ん坊
 星の寿命。人間の寿命。イヌの寿命。蜻蛉の寿命。世にあるすべてのものは時間の支配を受け、与えられた時間の枠の中に押し込まれながら生きている。古今東西。老若男女。動植物を問わず、時間は誰の上にも平等に流れている。時間とは不思議なものであるが、ときに残酷である。ある日のことである。スマホ写真の前背面設定を間違え、目に飛び込んできたのが、自分ではなく自分の父親の顔で、思わずギァと声を出しそうになった。
 少年は青年になり、青年はいつしか父親に近づき、白髪となった。走れるはずが走れない。登れるはずが登れない。身長は子供に追い越され、気がつくと視力は衰えていた。気持ちは変わらないのに、肉体だけが時間の洗礼を受け衰えた。若い女性への熱い視線は、いつしか絵画を見るような穏やかな視線に変わった。
 年齢とともに増えるはずの友人や知識は少なくなり、輝かしいステップアップの日々が、いつしかステップダウンの黄昏に変わっていた。友人と飲み明かしながらの激論も、今はテレビ相手の愚痴となった。年相応といわれればそうである。当たり前といえば当たり前である。しかしこのステップダウンはどこまで続くのだろうか。
 老化に驚き、戸惑いを覚え、この現実を受け入れられずにいた。しかし老いの現実を受け入れなければ、人生はより悲劇となる。そして本人にとって悲劇であっても、他人から見ればただの喜劇に映るだけである。
 目をつぶれば、麦わら帽子の少年の日々が蘇ってくる。ふと心を許すと、ほろ苦い青春の思い出に浸っている自分に気づくことがある。懐かしい映像は日ごとに遠ざかってゆくのに、まるで昨日のように思い出される。少年には無限の時間と可能性があった。あの青年には健康な肉体と大きな夢があった。
 ギリシャの神聖ヒポクラテスの言葉「Art is long。Life is short」が思い起こされる。またかつて覚えた「少年老いやすく学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず」の言葉も、まさにそのとおりである。時は速く人生は短い。日暮れの道は暗く、遠くが見えない。時間と健康こそが何よりの財産だとしみじみと思うようになった。
 果たして人生の適齢は何歳ぐらいなのだろうか。「人生50年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり この世に生を受けて 滅せぬもののあるべきや」。織田信長が好んで舞った敦盛は「人生50年」と謡っているが、織田信長は48歳で自刃している。適齢人生は50年なのだろうか。
 江戸時代の寺院に残された記録によると。村人の死亡者の7割が乳児だった。乳幼児死亡率が高ければ当然平均寿命は短くなる。しかし乳児期を乗り越えれば、人の寿命は意外に長いのである。歴史上の著名人の平均死亡時年齢を調べれば、奈良時代のような古い時代でも平均死亡時年齢は63.6歳。明治時代では63.0歳である。平安、室町、江戸、どの時代をとっても死亡時年齢は60歳から65歳の間で変わらない。つまり人生60から70年が適齢人生といえる。
 平均寿命が急速に伸びたのは、乳児死亡率や妊産婦死亡率が低下した戦後のことである。抗生剤の登場、社会環境の整備、栄養状態の改善などが加わり、人生50年の時代は瞬く間に過ぎ去り、還暦(60歳)の時代、古希(70歳)の時代、喜寿(80歳)の時代を飛び越えてしまった。
 還暦とは、生まれた年と同じ干支に戻る年齢のことである。赤いちゃんちゃんこを着て赤い頭巾をかぶるのは、還暦に達すると人間は赤ん坊に戻り、新しい暦に入るためとされている。還暦を過ぎても若々しく活躍している人が多く、また年寄り扱いされるのも嫌であろう。しかし古人は的確なことをいったものである。年老いて赤ん坊に戻るというのは何とも微笑ましい考えである。
 40歳にして惑わず。50歳にして天命を知るというが、そのように悟るのはなかなか難しい。還暦を過ぎてもジタバタしている者。欲ぼけに固まった老人も多く見られる。年の功は死語になり老害の新語が目立つようになった。
 老化を自然なものと受け入れ、老いを老いとして納得することが必要である。「日暮れの道もまた楽しい」このような気分になれれば黄昏の日々も楽になる。ひとりでは生きてゆけない大きな赤ん坊には周囲のサポートが必要であるが、赤ん坊と割り切れない老人が多すぎるのも事実である。
 還暦で赤ん坊というのは早すぎるが、いずれ赤ん坊に戻るのは事実である。欲をもたず、我に縛られず、老醜をさらさず、そして老害を自覚し、赤ん坊のように愛らしく生きてゆければどんなに良い人生だろうか。