三木武吉

 かつて三木武吉という政治家がいた。自由民主党を結党した最大の功労者である。
この三木武吉が郷里の高松から衆議院選挙に立候補したとき、対立候補の福家俊一が聴衆に対し「戦後男女同権となったが、ある有力候補は妾を3人も持っている。このような不徳義漢が国政に関与する資格があるか」と批判した。ところが演壇に立った三木は「私の前に立ったフケ(福家)ば飛ぶような候補者が、有力候補と申したのは、この三木武吉のことである。皆さんの貴重なる一票は、先の無力候補に投ずるより、有力候補たる私に願います。なお、さきの無力候補の間違いを訂正しておく。私に妾が3人いると申されたが、事実は5人であります。5を3と数えることは小学校一年生といえども恥とすべきである。ただし5人の女性は、いろんな事情から関わりを持ったが、いずれも老婆と相成り、これを捨て去る不人情は三木武吉にはない。老婆が私を頼る限り、私の都合で捨て去ることはできない、みな養っております。
 この発言に会場は大爆笑とともに、聴衆は拍手喝さいを送り、トップ当選となった。
 最近の政治家の阿呆ぶりは、愛嬌があれば笑えるが、政治家もマスコミも小者が聖人君子を装うようで不愉快である。総理大臣・宇野宗佑は就任3日目に、神楽坂の芸妓の告発を受け辞任している。美貌の芸妓を30万で買おうとしたが、美貌の芸妓はこのようなケチな人物に日本を任せてはいけないとマスコミにリークしたのである。あの舛添要一元知事は結婚3回、離婚2回、子供2人に愛人の子が3人で、隠し子の養育費裁判で係争中である。家族を守れないものに知事の資格などあるはずがない。私たちの税金をケチくさくチョロまかす議員に、何を期待すればよいのか。
「政治家たるものは、数人の女性を喧嘩もさせず、嫉妬もさせずに操る腕がなくてはならん」と武吉は言ったが、まさにその通りである。三木武吉は72歳で死ぬまで妾5人を養い、その一方で「本当に愛情を持ち続けたのは、やはり女房のかね子だ。ほかの女は好きになっただけ」と述べている。
 三木武吉は気骨あふれる政治家だった。東條英機内閣が提出した法案を、中野正剛が「権力の周囲には茶坊主ばかりが集まり、これが国を亡ぼす。日本を誤らせるものは、翼政会の茶坊主どもだ」と発言し、主流派議員から野次が飛んだとき、立ち上がった三木武吉は「茶坊主ども、黙れ!」、と議員を黙らせたのである。
 三木武吉には妾が5人いたが、米屋に2年以上の借金があり、家賃も3年以上も滞納していた。立会演説会で「このような男が、国家の選良として国政を議することができるか、立候補を辞退すべき」と対立候補が武吉を批判した。しかし、会場にいた武吉の大家や米店の主人が立ち上がると「どうか皆さん三木先生をご支援願います」と頭を下げた。男が男に惚れる、そのような男に女性が惚れるのは当然のことである。青年よ、三木武吉の気骨を知れ。