神道

 日本には旧石器時代から、縄文、弥生を経た先史時代に原始宗教が次第に形作られていった。有史時代に入ると、神話は当時新しく入ってきた外来文化である仏教や儒教へ対応する意味もあって次第に理論化されて整えられていった。

 

 神道とは日本の民族信仰で日本民族の間に発生し、儒教・仏教など外来の宗教・思想などと対立しつつ、しかもその影響を受けて発達した。日本人の精神生活の基盤となってきた民族信仰のことで、さらにその民族信仰を根底とした国民道徳、倫理、習俗までを含めていう場合がある。 

 日本民族の中から自然に発生した神観念とそれに伴う祭祀儀礼が始まりなので、教祖は存在しない。ここが他の宗教との決定的な差異である。

 神道は内容より便宜上、神社神道、教派神道、国家神道、宮廷神道、学派神道などと区分してよばれる。このうち神社神道と教派神道とは、祭祀(さいし)中心と教法中心とによる分類である。

 神社神道とは鎮守(ちんじゅ)・氏神(うじがみ)など全国の神社を中心として、その祭祀儀礼を含んだ信仰組織的なものをいう。これに対して教派神道は、明治のはじめに存在した教派のうちおもな十三派をさすのが普通である。 出雲大社教,御嶽教,黒住教,金光教,實行教 ,神習教 ,神道修成派,神道大教,神理教,枎桑教,禊教,大成教 ,天理教の十三派からなる。また十三派とは別に、強烈な信仰体険をもつ教祖の手によって開祖された、禊教・黒住教、金光教などのように、学問的というよりは土俗的、民俗的な出発点をもつ教派もあり、これらのほとんどが神道の系列に包括されている。

 

 

平安時代に入ると神道信仰と仏教信仰が融合させられる、神仏習合、神は仏が日本に現れた、仮の姿であるという、本地垂迹思想などが一般化した。 また反本地垂迹説(神が本で、仏が末、垂迹思想)の反対が登場したりもした。

 

鎌倉時代に入ると、神道教理の研究が盛んになり、伊勢神道、日吉神道、御流神道などの教派が起こってきた。これらの神道は、それぞれ陰陽五行説や仏教の教義に基いていたりして、純粋性には欠けていたが、日本の精神文化に対する研究が土台という要素をもっていた。

 その後江戸時代中期に本居宣長が古学神道を大成した。「古事記」「日本書記」「万葉集」などの古典を文献学的に研究し、儒教や仏教といった外来思想の流入以前の、日本固有の文化や精神を明らかにしょうとする国学を体系づけ、この研究を通して古神道を整理して古学神道としてまとめた。 やがて幕末を経て、水戸学と国学を思想的背景として明治維新は神道を重んじこれを国教化しようとした。

 近代化への一歩を踏み出したばかりの日本にとっては、先進西欧諸国の帝国主義的圧迫に対抗するために、国民に精神的な背景をもたせねばならぬという判断からでたものであった。

 その為に、時の政府は、国学を基盤とする古学神道(=神社神道とよばれる)を天照大神を租として体系づけられていた皇室神道と組み合わさり再編成しこれを国家の保護下においた。(国家神道) この結果、外来思想ともいうべき仏教を神道から分離しょうという、神仏分離政策がとられ、極端な廃仏毀釈運動が起こったが、明治政府の仏教圧迫政策は長続きせず、明治八年以後には、また従前のように仏教の布教も自由になった。

 第二次大戦後、国家神道は、軍国主義、国家主義と結びつき、天皇制支配の思想的支柱となったとして解体された。 なお、先に挙げた教派神道仏教と神道が、私達日本人の社会で広く一般的に受け入れられてる宗教である。