ホルバイン

 ハンス・ホルバイン(1497年- 1543年)は、ルネサンス期のドイツの画家。南ドイツのアウクスブルクに生まれ、後にイングランドで活動した。国際的な肖像画家として、また木版画シリーズ「死の舞踏」の作者としても有名である。
 同名の父と兄も美術史上に名を残す画家である。そのためハンス・ホルバイン(子)と書かれることがある。父ハンスは末期ゴシックとルネサンスの過渡期の画家として活動し、祭壇画などに多くの傑作を残すが、息子の名声のため隠れた存在になっている。
 ホルバインは父の工房で修業したのち、当時の画家の常として各地を旅して絵の修業を行う。1515年頃からスイス・バーゼルの画家として活躍し、1516年制作の「バーゼル市長ヤーコプ・マイヤー夫妻の肖像」は、ホルバイン18歳の作品であるが、すでに成熟した技巧を見せている。その後、ロンドンへ渡るまでの間、バーゼルの市長や富裕な市民をパトロンとして宗教画や肖像画を数多く手がけている。当時のバーゼルは文化の中心地であり、エラスムスなどの人文主義者が集まっていた。

 ハンスは宗教絵画として頭角を現したが、宗教改革によって教会用の絵画の需要が減ることを懸念して、ハンスは妻子を養うため英国に渡ることになる。

 1526年、ホルバインはトマス・モアを頼ってロンドンへ渡る。536年に2度目の渡英から、年30ポンドの契約でイングランド王ヘンリー8世の宮廷画家となる。ヘンリー8世は不要になった王妃や、自分に意見する側近を反逆罪にかけて処刑するなど、残忍非情な人物であったがホルバインは気に入られたようで、ヘンリー8世自身の肖像画をはじめ宮廷の関係者たちの肖像画を多数描いている。

 優れたデッサン力に加え、着衣や髪の質感あふれた繊細な描きかた、そして何よりも単なる肖像画をこえて、その人の人間性まで描くハンスは宮廷画家として最高の地位にのぼりつめた。しかし使えたヘンリー8世は歴史に名を残すほど残忍で非情な王だった。
 当時のヨーロッパの王室や貴族は、国境を終えた結婚をしていた。もちろん写真はなかったので、相手の女性の肖像画を画家が描いて、それを王が見て妃を決める仕組みになっていた。

 ホルバインはヘンリー8世の依頼で、外国の王妃候補の肖像画を、見合写真がわりに描いていた。肖像画だけで結婚相手を決めるのだから描くほうも大変である。ヘンリー8世が気に入ったのは楚々とした美人の「アンナ・フォン・クレーフェ」の肖像画で、彼女を4番めの后と迎えた。しかし王の想像する王妃と描かれた王妃が違っていたために「フランドルの太った雌馬」とヘンリー8世はわずか6ヶ月で離縁した。このことでヘンリー8世の不興をかったホルバインは処刑こそまぬがれたが、その後、めだった活躍をせずに、1543年、失意の中でペストに感染しロンドンで死去した。

 ホルバインの肖像画は、ヘンリー8世、トマス・モア、エラスムスなどの王侯貴族や学者たちを冷めた筆致で描いた。人物の表情もさることながら、その身分や職業を示す細かい道具立てや、着衣の毛皮やビロードなどの質感描写に見るべきものがある。一方、ホルバインがロンドンからバーゼルへ一時的に戻った、1528年から1529年頃にかけて描かれた、画家自身の妻と子どもの肖像画は、それまでの肖像画とは異なった作風で描かれている。この絵に見られる妻と子どもの悲しげな表情は、ホルバインが妻子を省みずにロンドンで単身生活を送っていたことを、ホルバインが自責の念を赤裸々に込めて表現したものである。

バーゼル市長ヤーコプ・マイアーの聖母
1526年頃 146.5×102cm | Oil on panel |
ダルムシュタット城美術館

 聖母子と聖人を配する構図の「聖会話」が基礎になっている。本作では注文主のマイアー、その最初の妻マグダレーナ、ドロテア・カンネンギーサー、アンナ、亡くなった2人の息子が描かれている。

 幼子イエスを腕に抱く聖母マリアの感情豊かな表現や細密な描写など、肖像画家として名を残した画家の溢れる才能がよく表れている。
 ラファエロの影響が表れていて、特にマイアーの妻マグダレーナと息子の上品な顔立ちや若々しい表現などに影響がみられる。人物の感情豊かな表現や細密な描写など、肖像画家として名を馳せた画家の才能がよく表れている。

大使たち
1533年頃 206×200cm | Tempera |

ロンドン、ナショナル・ギャラリー

 当時のイングランド国王はヘンリー8世が支配しており、ヘンリー8世は6度の結婚をして、離婚を認めないローマ教皇庁から独立を宣言する。自らの手で2人の王妃を断首台に送り、史上最悪と呼ばれた国王であった。そのヘンリー8世の命令でホルバインは「大使たち」という絵を描た。

 仏の使節として渡英したダントヴィユと、友人の司教ジョルジュ・ド・セルヴの肖像画である。二度目のイギリス滞在となる1532年に描かれている。肖像画としてのとらえ方、繊細な表情や細密な描写など、ホルバインの円熟味を増した表現が見られる。またこの絵は単なる肖像画ではなく、ホルバインの意図を随所にちりばめた寓意画である。

 まず画面中央下部にのびるように歪んで描かれているのは頭蓋骨である。正面から見ると何を描いているのか想像できないが、絵画の横をすりぬける時にはっきりと頭蓋骨が見えてくる。頭蓋骨が「死のメッセージ」をなのか、謎は残ったままである。「ホルバインはドイツ語でからのドクロという意味」なので画家のサインだったのかもしれない。いわゆる「だまし絵」で、そのほかさまざまな画家の意図がこめられている。

 棚の上には数学や天文学など「神が創ったもの」、下の棚には「人間が作ったもの」が並べられ対比をなしている。ふたりが出会ったのが4月1日とわかるように暦が置かれ、日時計は午前9時30分を示している。また彼らの年齢がそれぞれの持ち物で示唆されていう。
 棚の下には賛美歌の楽譜があり、宗教音楽によりローマ教会と英国教会が統一されたことを示しているが、それにも関わらず壊れかけたリュートは両派の対立と分断を意味している。定規が算術書にはさまっているのは、割り算で「割る」というマイナスのイメージを残している。左の隅にわずかに開かれたカーテンから、磔刑となったキリストがのぞいている。

画家の家族の肖像
1528-29年頃
スイス バーゼル美術館

 幼い二人の子を抱く母親の視線を遠くに投げかける表情。さらに子供たちはどこか不安そうで、幼い妹は今にも泣き出しそうである。神秘的な茶色がかった色彩は、この場の静けさを印象づけ、画家の心の風景そのまま描いたようである。
 ホルバインがイングランドから帰国し、バーゼルに残していた家族たちを描いた作品である。ホルバインは妻や子供たちを、みごとなほどの写実で描かれている。余計な美化も誇張もない真実の姿である。
 妻は1519年に結婚したエルスベートで、子供たちは7歳の長男と2歳の長女である。妻は年齢よりも老けて見えるが、ホルバインは大切な妻だからこそ偽りなく描いたのだろう。ホルバインの肖像画の中で、この作品は従来の三角構図で、息子を抱く妻の右手の表現はレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」との類似が指摘されている。
 この作品は画家の亡き後、妻の手元に残された。しかし妻はあっさりと売却したとされている。

エラスムス

1523年頃 油彩 木(菩提樹) 縦43cm、横33cm

 この絵画はロッテルダムのエラスムスを描いた有名な肖像画である。ホルバインはルネッサンスの道徳主義者のオランダ人文主義者をここで描いている。画面の背景は架空の動物や黄色や赤の花が描かれた緑色の壁掛けと板張りで覆われている。ビレッタ(聖職者の黒い帽子)を被り、暖かい衣服に身を包んだ学者は、傾いた赤い装丁の本の上に置かれた羊皮紙の上の書き物に没頭している。
 観衆の視線は布地の上に浮かび上る、下げられた目線の横顔と、執手つきの繊細さに引き寄せられる。実際に、ルーヴル美術館に保存されている下絵が示しているように、ホルバインは両手の描写を入念に仕上げている。構図はモデルの関心を反映するために控えめで、学者は文学的な作業に専心している。横顔という選択は非常に珍しいのだが、古代のメダルに彫られたローマ皇帝の肖像を明らかに暗示している。こうしてこの肖像画は親近感に満ちた描写の特徴にもかかわらず、非常に公的な様子を帯びている。ホルバインはこの偉大な文学者の真のイコンを我々にもたらしているのであり、軽く結ばれた学者の口元は、道徳的な気難しさを露にしている。自らのイメージに多大な関心を持っていたエラスムスはアルブレヒト・デューラーが刷り上げた譲歩のない肖像画に失望したが、この巧妙で穏やかな肖像画を湛えたに違いない。
 ホルバインによって描かれたエラスムスの肖像画は三点知られているが、それらが誰に宛てられたのかは未だ判明していない。バーゼルの作品は、制作された後、画家によって王の庇護を受けるためにフランソワ1世の宮廷に持ち込まれたが失敗に終わっている。
 エラスムスはその他の二点の作品をイギリスの知人に送っている。今日ロンドンのナショナル・ギャラリーに保存されている肖像画は、このエラスムスの知人かつ援助者であるウィリアム・ウォーラムへの贈り物であったと思われる。ルーヴルの作品に関しては、エラスムスはもう一人の人文主義者で彼の忠実な友人であったトマス・モアに送ったと考えられている、証明がない。「ユートピア」の有名な著者は、エラスムスの勧めもあってホルバインの庇護者となり、画家を英国宮廷へと導くようになる。

墓の中の死せるキリスト
1521-22年頃 | 31×200cm | テンペラ・板 |
バーゼル美術館

 描かれているのは磔刑に処されて死したイエス3日後の亡骸である。ホルバインは死したイエスの肉体を恐々とした写実を以って描写している。この後に復活する神の子イエスの肉体にしてはあまりに絶望的である。本作はドストエフスキーの代表作「白痴」の中で、「この亡骸を目の当たりにしたら、誰一人、その復活を信じることはできないであろう」と語らせている。