クノップフ

フェルナン・

 

(1858年- 1921年)
ベルギー象徴派の代表的な人物である。
  クノップフは裕福な家庭に生まれた。クノップフ家では男子は法律家か判事になるため、クノップフは法律方面でキャリアを積むことを運命づけられていた。 裁判所判事であった父親の仕事の都合で1859年から5年間、ブルージュに住んだ。このブルージュに関する記憶が後の作品に影響を与えている。1864年から一家はブリュッセルに移る。
 18歳のときに大学の法学部に通うが、文学に情熱を傾けるようになる。弟は現代音楽と詩作に傾倒し、仲間と「若きベルギー」という名前のグループを形成する。クノップフは法律の勉強に興味が持てず大学を去ると、 1876年にブリュッセル王立芸術アカデミーに入学する。クノップフはパリを何回か訪れては多くの作品に触れる。授業に出席せず、パリに住んでアカデミー・ジュリアンの授業に出席した。
 1881年にブリュッセルで作品が初めて紹介された。多くの批評家たちは厳しい批評をしたがヴェルハーレンは称賛し、ヴェルハーレンは生涯に渡ってクノップフの支持者となった。
 1883年、20人展会の設立メンバーのになり、20人会主催で毎年展覧会が開かれるようになる。1885年、クノップフはフランスの著述家ペラダン新しい本「至高の悪徳」のカバーデザインを依頼される。クノップフはこの仕事を引き受けたが、後にその作品は破棄している。デザインに使われた空想上の人物像が当時の有名歌手に似ており、これに立腹したためである。この激しい反応は、当時のベルギーやパリの出版業界でスキャンダルとなったが、同時にクノップフの芸術家としての名前を確立するものになった。
 1898年3月、21作品をウィーン分離派による第1回分離派展に出品し、大きな称賛を得た。この時にクノップフの作品はグスタフ・クリムトに影響を与えた。
 1900年以降、クノップフは新しい家とスタジオのデザインに携わるようになる。この家はウィーン分離派の建築家の影響を受けていた。
 家は舞台風の意匠で、クノップフのオペラに対する情熱が現れていた。クノップフは1903年にジョルジュ・ロデンバックの舞台のセットをデザインした。この作品はクノップフが幼少時代を過ごしたブルージュのミステリアスな街並みを想起させる舞台で、ベルリンの観衆に好評であった。1903年にブリュッセルのモネ劇場でオペラ「アルテュス王」の衣装とセットを手掛け、その後10年間にモネ劇場で上演された多くのオペラ作品の制作に関わった。1904年には 市庁舎の天井の装飾を手掛けた。同年、銀行家アドルフ・ストックレーに依頼されてストックレー邸の音楽室の内装を手掛けた。ストックレー邸はホフマンやクリムトが建設・内装を手掛けているため、ここでもウィーン分離派との交流が見られる。
クノップフはどちらかといえば控えめで打ち解けない人柄であったが、彼の作品は存命期よりカルト的な人気を集めていた。レオポルド勲章を受賞している。
クノップフは1921年にブリュッセルで死去した。

見捨てられた町
1904年 76×69cm | パステル・鉛筆・厚紙 |
ベルギー王立美術館

 本作は画家が幼少期を過ごした大都市ブルッヘのハンス・メムリンク広場で、簡素な絵葉書に基づいて制作されている。画面中央には15世紀に活躍したネーデルランドの大画家ハンス・メムリンクの全身像の台座のみが置かれている。その背後にはほぼ忠実な三角屋根の家々が描かれている。さらに画面中央から左側には石畳と道が、中央から右側には現実には在り得ない広大な海がある。そして画面上部へは雲ひとつない極めて虚空な空が無限的に広がっている。
 建物、台座、石畳以外の全てを除外して、人の気配を全く感じさせない閑散とした静寂感はまるで夢中夢のようである。まさに「見捨てられた町」の名に相応しい雰囲気がある。

愛 撫

1896年 50.5×150cm | 油彩・画布 |

ベルギー王立美術館

 1898年の第1回ウィーン分離派展への出品作である。人間の頭部と獅子の肉体を持つ、神話上の生物スフィンクスが、男性とも女性とも取れる人物を愛撫する姿である。荒廃的な風景の中、非常に端整な顔立ちの人物が右手に杖を持ち、寄り添うスフィンクスへと身体を預けているが、その表情は無表情的で視線は観る者へと向けられている。
 幻想の世界であり、スフィンクスは女性を思わせる顔立ちであり、その表情は享楽に耽る穏やかな感情である。画家自身によるとスフィンクスの肉体は豹ではなく、邪悪な生物とされる蛇に最も近いチーターで、黄褐色と黒色の斑点模様や柔らかく曲線的な肉体が採用した理由としている。またこの人物とスフィンクスは、顔面の特長が一致していることから、双方とも画家の最愛の妹をモデルにしていることが推測できる。やや赤味がかった本作の穏健で調和的な色彩なども含め、一般的には支配への欲望(両性具有的人物)と、快楽への欲求(スフィンクス)との葛藤(争い)と考えられている。本作品の夢想性と神秘性は後のシュルレアリスム(超現実主義)を先駆するもので、この不可思議な幻惑漂う作品は当時の人々に大きな戸惑いと衝撃を与えた。

記 憶
1889年 127×200cm | パステル・画布(厚紙) |
 ベルギー王立美術館

 7人の同一女性がひとつの風景内に立つという不可思議な作品である。描かれている女性は全て、画家の最愛の妹マルグリット・クノップフである。画家は自ら選んだ衣服を着せたマルグリットの写真を撮り、それを基に手がけたことが知られている。
 画家は生涯で妹マルグリット・クノップフをモデルに数多くの作品を手がけているが、本作はその中で最も重要な作品に位置付けられている。垣と画面左端の木々以外の構成要素が描かれない芝生の風景の中、様々なテニス用の衣服に身を包む7人の女性は、その視線を交わすことなく、ラケットを手に持ちそこに立っている。
 7人の女性の無機質的な感覚にクノップフの深層心理が表れている。希望と絶望が入り混じり、ある種の願望を感じさせる。さらに全く特徴の無い背景や高い写実性は、冷静に観察している枯いた画家を見出すことができる。

シューマンを聞きながら
1883年 101.5×116.5cm | 油彩・画布 |
ベルギー王立美術館

 1884年と1886年の20人会に出品され、大きな反響と議論を呼んだ作品。クノップフの母親をモデルに、シューマンの曲を室内で聴く女性を描いている。画面中央でひとりの婦人が、椅子に座り音楽に耳を傾けている。こめかみを押さえ、右手で顔を覆う仕草で表情を隠している。その姿態や雰囲気は何かに悩み、頭を抱えているようである。奥左端には譜面と共に一台のピアノが置かれており、演奏する者の右肘から下が見えている。
 この部屋のの家具、質の高そうな絨毯、暖炉の上に飾られる豪壮な燭台から、この婦人は裕福なブルジョワ階級層であることがわかる。