日本の神話

日本の創世

日本の創世

 1.天地開闢

 遥か昔のことである。天の高い所にある高天原(たかまがはら)に神々が生まれた時、まだ地上の大地は混沌としていて出来てはいなかった。

 そこに多少の兆しが見え、澄んで明るいものは薄く広がって天になり、重く濁ったものは地となった。天が先に生まれ後に地が固まった

 天上界の高天原に最初に現れた神はアメノミナカヌシノカミ天之御中主神)で、次に2人の神が現れたが、この三柱(みはしら)の神たち(造化の三神)は地上には降りなかった。

 さらに天上界(高天原)から五組の神々が現れ、最後に現れたのが男女の神イザナギ(伊奘諾尊)イザナミ(伊奘再である。

 天の神たちは、夫婦の神・イザナとイザナミに国を造りを命じた。天にある沼矛(ぬほこ)を授けると、「海の中にふわふわと漂っている国を、しっかりと固め、人が住めるような国にせよ」と命じたのである。

2.国産み

 そこでイザナギとイザナミは天と地にかかる天の浮桟橋に立ち、沼矛を降ろして混沌とした下界の海水を沼矛でかき混ぜた。次に沼矛を引き上げると、矛の先からしたたり落ちる雫が、1滴1滴と重なり島になった。その時、最初にできたのがオノゴロ島である。

 イザナギとイザナミは神として初めてオノコロ島(地上)に降り立つと、神聖な天御柱を立て、柱を中心に大きな御殿(八尋殿)を建てた。オノコロ島を舞台にしてイザナキとイザナミの国づくりが始まった。

3. 夫婦の契り

 イザナギは妻のイザナミに次のように尋ねた。

「あなたの身体はどのようになっていますか?」

「私の身体は、すっかり美しく出来上がっていますが、一カ所だけ出来ていない穴があります」とイザナミが答えると、

「私の身体もよく出来ているが、一カ所だけ出来き過ぎた突起がある。では私の身体の出来すぎた部分で、あなたの身体の出来きてないところを塞ぎ、この国をつくろうと思うが、どうだろうか?」

「それはよろしいでしょう」

とイザナミが云ったのでイザナギは、

「ではこの天の御柱を、私は右から、あなたは左から回って、出会ったところで男女の交わりをしよう」と述べた。

 イザナミがこれに同意して、イザナギは左からイザナミは右から柱を回り対面すると、イザナミが先に「なんといい男でしょう」 と言うと、続いてイザナギが「ああ、なんと美しい女だ」と答えた 。

 そして二人の間に最初の子である水蛭子(ヒルコ)が誕生した。 しかしヒルコは不具の子として生まれたので、葦の船に乗せられて海に流されてしまう。 続いて淡島(アハシマ)が生まれたが、これも出来損ないとされた。

 二人は高天原に戻り、このことを天つ神に相談した。すると天つ神は「女から声をかけたのが原因だから、改めて儀式をやり直し、今度は男から女に声をかけてみるがよい」と述べられた 。

 二人はこれに従い、再び柱の周りを回って、イザナギから声をかけて二人の神は結ばれた。すると先ず淡路島を造り、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州を次々に生み、八つの島々(日本列島)が生まれた。この八つの島を大八島洲(おおやしま)という。

  

4 .イザナミの死

 日本列島を産み終えた二人の神は、その後も吉備児島、小豆島などの六つの島を産み、さらに多くの神々を誕生させていった。それらは風の神、木の神、山の神、住居の神、船の神、食物の神、火の神など35の神であった。

 しかし最後に燃えさかる火の神カグツチ)を産む際に、イザナミは陰部に大きな火傷を負い、火傷のために苦しみながら命を落としてしまった。イザナギは嘆きながら、イザナミを比婆山(島根県安来市)に埋葬した。必要な火を手に入れたが、イザナミは死んでしまう。このように死の宿命、死の悲劇を負わされることになる。

 イザナ悲しみが収まらず、原因を作った我が子である火の神カグツチの首を長い長い剣(十握剣)で切り落とした。このとき斬られたヒノカグツチの血が岩にほとばしり、剣から滴った血や亡骸から、岩石の神、火の神、雷神、雨の神、水の神など多くの山の神々が生まれた。 これは火山が噴火したときに発生する神とされ、火に対する恐れを反映している。

 イザナミが死によってイザナギとイザナミは大きく引き裂かれた。イザナミを失い我が子さえも殺してしまったイザナキ。その悲しみはいつまでもやむことはなかった。

5.黄泉の国

 イザナギは悲しみ、イザナミに会いたい一心で、死者の国に妻をむかえに行こうと思い、イザナミのいる黄泉の国(死者の国)へ出かけていった。黄泉(よみ)とは死者の国で地中深い底にある。

 イザナギは地の底へ続く長い暗い道を下りて行き、ようやく黄泉の国に辿り着くとイザナミがとびらの前で待っていた。イザナギはイザナミに、いっしょに地上へ帰ってくれるように優しく呼びかけた。

 黄泉の国で出迎えたイザナミは生前と変わらなかった。 「ああ、愛する妻よ、私とおまえの国造りはまだ終わっていない。どうかいっしょに帰っておくれ」とイザナギは泣きながら懇願した。

 イザナミは「どうしてもっと早く来てくれなかったの。私はもう黄泉の食べ物を食べてしまい、黄泉の住民になってしまったので地上には戻れない。でも愛するあなたのためですから、地上へ帰ってよいかどうかどうか黄泉の国の神の許しをもらってくるからここで待っていて欲しい。ここで待つ間、決して私の姿を見ないでほしい」と言い残して奥へ入ってしまう。

 しかしいつまで待っていてもイザナミは帰ってこない。イザナギは待ちきれず約束を破って岩の隙間から奥を覗いてしまった。すると驚いたことに、そこには醜く腐敗したイザナミの姿があり、うじ虫と蛇が這い回っていた。

 世にも恐ろしい光景に驚いたイザナギは一目散に逃げ出すが、それを知ったイザナミは「あれほどのぞかないでと言ったのに、あなたは私に恥をかかせたのね」と激怒し、鬼女や悪霊たちに「イザナギをつかまえて殺しておしまい」と命じた。すると悪霊たちはイザナギをつかまえようと、次々にわき出て、鬼女たちがイザナギを追いかけてきた。

 イザナギは追ってくる鬼女たちに冠を投げつけ、櫛を投げ、必死で地上に逃げようとした。しかし今度は黄泉の国の悪霊の軍勢が追いかけてきた。イザナギはようやく黄泉の国の境までたどり着くと、地上に出て大岩で黄泉の国の入り口を塞いだ。

 岩の向こうでは、怒りの収まらないイザナミが追ってきて「愛しいあなたが、このようなことをしたのだから、私は毎日1000人の人たちを殺ましょう」と呪いごとを言った。するとイザナギは「あなたがそうするなら、わたしは毎日1500人を産んでみせよう」と言い返した。

 このように二人の男女神はケン力別れをすると、イザナギは黄泉の国から地上に戻った。(日本語の「よみがえる=蘇る・蘇る」は「黄泉の国から返る」が語源になっている)

 地上に戻ったイザナギはこの世を守る神になり、イザナミはあの世の神となった。つまり日本列島は夫婦の神によって創られたが、「日本人はみなイザナギ(男性神)の子孫で、死ねばイザナミの支配する黄泉の国へ行く」ことになる。

 

 6. イザナの禊ぎ

 禊ぎ(みそぎ)とは身心の汚れを清浄な水で洗い落とすことである。普段は意識しないが、神社で手をすすぐのが禊である。黄泉の国からなんとか逃げ帰ったイザナギは、穢(けが)れた国へ行ってきたので、それを後悔して、身体を清めるため九州の日向の阿波伎の原(宮崎市)で禊を行った。

 イザナギが衣服や道具(杖・帯・袋・衣服・袴・冠・腕輪)を投げ捨てると、そこから十二柱の神々が生まれた。つえから生まれた神さま。帯から生まれた神さま。小物を入れる袋から生まれた神さま。衣から生まれた神さまなどである。水で体をすすぐと禍々や禍を治す十柱の神々が生まれた。さらに海の神(ワタツミ)が生まれた。

 

7. 三柱神の誕生

 最後にイザナギが顔をすすぐぎ左目を洗うとアマテラスオオミカミ天照大御神)が生まれ、右目を洗うとツクヨミノミコト月読尊)、鼻を洗うとスサノオノミコト須佐之男)が誕生した。イザナギはみそぎの最後に生まれた三人の神さまの誕生をとても喜び、「私は、これまで多くの子を生んだが、最後に貴い三人の子どもたちを得た」として首にかけていた玉の首かざりを天照大御神に授け「あなたは高天原を支配しなさい」といった。次にツクヨミには「夜の国を治めなさい」といい、スサノオノには「海原を統治しなさい」と命じた。この3神を「三貴子」(みはしらのうずのみこ)と呼んでいる。

天照大御神(アマテラスオオミカミ
 日本皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされている。日本を作ったイザナギの子供で、イザナギが自ら生み出した神で、神々の中で最も貴いとされる三貴子の中の一人である。日本の初代天皇・神武天皇がアマテラスの血を受け継ぐ正当な神の化身として崇められている。神武天皇の存在は別として、アマテラスは太陽を神格化した神で、皇室の祖神(皇祖神)とされる。神社としては伊勢神宮が特に有名である。

 信仰の対象としては最高クラスで、女性のイメージが非常に強いが、男性を思わせる部分もある。日本書紀ではスサノオが姉と呼び、また男性を連想させる記述がないため、女性とするのが一般的である。またその女性のイメージから神御衣を織らせ神田の稲を作り大嘗祭を行う神、祭祀を行う古代の巫女を反映した神とする説がある。

月読命(ツクヨミノミコト
 三柱神の中で謎に包まれているのがツクヨミである。月を神格化して夜を統べる神とされている。男神のイメージからアマテラスの弟、スサノオの兄とされている。月の神をして神格化されているが、ツクヨミは日本神話の誕生の時に名前が出るだけでその活躍は書かれていない。
 ツクヨミは暦と結びつける説が強い。暦の歴史を見ると、月の満ち欠けが暦の基準として用いられ、月と暦は関係が深い、つまりツクヨミは暦や時を支配する神とされている。

須佐之男(スサノオヲミコト
 スサノオの性格は多面的で、母を恋しがり泣き叫ぶ子供のような一面があれば、高天原では凶暴な一面を見せ、また出雲国へ降りると英雄的な性格となる。また和歌を詠んだり、木の用途を定めたりする。この変化はスサノオの成長に伴う変化との捉えられている。「スサ」は荒れすさぶの意味で、嵐や暴風雨の神とする説や勢いのままに事を行う神などの説がある。また出雲は製鉄の盛んであったことから、州砂(砂鉄)の首長、あるい出雲を奪い取った説がある。

 スサノオは出雲と結びつきが強いが、不思議なことに出雲国風土記にはその名前はなく、ヤマタノオロチ退治の説話も記載されていない。しかし古事記・日本書紀では出雲の神としている。ヤマタノオロチの退治は、スサノオが製鉄集団を統治したことを意味し、ヤマタノオロチの体内から、三種の神器のである草薙剣(くさなぎのつるぎ)が出てきたのである。

 ヤマタノオロチが出雲の神で、それを退治したスサノオが天皇系の神であれば、つまり出雲の国譲は国譲ではなく、出雲(ヤマタノオロチ)が天皇系の大和朝廷(スサノオ)に征服されたとすれば納得がゆく。スサノオはアマテラスの弟であり、日本皇室の祖神になることから大和朝廷にとって都合が良かったのである。

8. 神生み勝負

 イザナギの命を受けて、アマテラスとツクヨミはそれぞれが統治する国へ赴いた。しかし末っ子のスサノオ(須佐之男)だけは海原の国を治めようとせず、亡き母のいる根の国(黄泉の国)に行きたいと泣きぐずった。その泣く有様は強烈で、山々の緑は枯れ、海川は乾き、悪い神がうごめきだし、あらゆる災いが広がった。これに怒ったイザナギはスサノオを追放した。

天照大御神と須佐之男命(松本楓湖筆・広島県立美術館蔵)
天照大御神と須佐之男命(松本楓湖筆・広島県立美術館蔵)

 スサノオは神の国を去るにあたって、姉であるアマテラスに別れを告げようと高天原を訪ねる。しかしこの時もスサノオが乱暴に足音を立てたため、山、川、大地が大揺れに揺れ大嵐になった。これに対しアマテラスは「スサノオがやっていることは良い心からではなく、国を奪おうとしてる」と警戒した。

 アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たのかと勘違いし、弓矢を携えてスサノオを迎えたTE4REHNJMHHGアマテラスは髪をふりほどくと、玉の緒の輪を巻きつかせ、背には千本の矢と腰には五百本の矢を筒に入れ、力強く庭を踏みつけ、威勢よく叫びながら待ち構えた。

「おまえは、どういうわけで来たのか」

「私はやましい心を持ってはいません。父のイザナギが泣きわめく理由を訊くので、母のいる黄泉の国へ行きたいと答えました。すると父は、お前はこの国いてはいけないと言って追い払らわれてしまったのです。これから黄泉の国へ行くので、姉のアマテラスに報告しようと思って参りました」

「それなら、心の清いことをどうやって証明するのか?」

 するとスサノオは「神々に誓約(ちかい)を立て、女の子を生んでみせましょう」と提案した。

 アマテラスは暇乞いに来ただけと訴えるスサノオを信じなかった。そこでスサオノは自分の潔白を証明する為、古代の占いである「誓約」をおこなうことになる。まずアマテラスがスサノオの長い剣を受け取ると、三つに折って神聖な井戸水で清め、その剣を口に入れてかみ砕いて吐き捨てた。すると吐き捨てた霧から三人の女神が生まれた。

 スサノオはアマテラスの髪や腕に巻いてある玉飾りを取り上げると、神聖な井戸水で清めて、同じようにかみ砕いて吹き捨てた。するとそこから5人の男神が誕生した。アマテラスは「玉飾りから生まれた男神は私の玉飾りから生まれたのだから、自分の子」と宣言し、スサノオは得意げに「私の心が清いから、私の剣から、このようにかわいい三人の女の神さまが生まれた。これで私の心に嘘偽りりがないことが分かっていただけたか」こうして、アマテラスのスサノオへの疑いは晴れたかのように見えた。

 

9. 天の岩戸

 スサノオは誓約に勝ったと思い、勝った勢いでアマテラスの田畑を壊し、御殿に汚物をまき散らすなど次々に乱暴をはたらいた。アマテラスは「田畑を壊したのは土地を再生させるため、汚物をまき散らしたのは酒に酔ったせいでしょう」と、かわいい弟をかばった。

 しかしある日、神聖な機織場(はたおりば)で娘が神様の着物を織っていると、スサノオは皮をはいだ斑模様の馬の皮を小屋の屋根から投げ込んだ。これに驚いた機織りの娘は機織道具板に尻もちをつき、女陰をつきさして死んでしまった。これにはさすがのアマテラスも堪忍袋の緒が切れて、とうとう天岩戸に中に入ると戸を閉じてしまった。

 太陽の化身であるアマテラスが天岩戸に隠れたため、世界は闇に包まれてしまった。高天原(天の国)も真っ暗になり、葦原の中国(地上の世界)も闇につつまれ永遠の夜になってしまった。多くの神々が騒ぎだし、あらゆる禍いが起きた。

 神々が説得してもアマテラスは天岩戸から出てこない。そこで八百万の神々が集まり、アマテラスに夜が明けたと思わせるためにニワトリが集められを集めて、いっせいに鳴かせてみたが効果はなかった。

 次に思慮の神はタマノオヤに玉飾りを、イシコリドメに鏡を作らせ、アメノコヤネが祝詞を献上し、その間に神々が岩戸からアマテラスを引きずり出す計画を立てた。

 岩戸の前では大宴会がひらかれ、アメノウズメがおもしろおかしく裸で踊りだした。女神の踊りはしだいに過激になり、着物を脱ぐと乳房をかきむしり陰部を広げた。これを見ていた八百万の神様たちは笑いだし、大声ではやし、まさに乱痴気騒ぎとなった。

 アマテラスは外の様子があまりに騒がしいのを不思議に思い岩戸を少し開けた。すると裸で踊っているアメノウズメが「あなた様よりも貴い神様がいらっしゃるので、わたしたちはみな喜んで笑い、楽しんでおりました」と思いがけないことを言った。

 そこへ差し出された鏡には美しい女神が映っていた。鏡に映っている女神を自分の姿とは知らず、新しい神の姿と間違えて、よく見ようと少し扉を開けアマテラスは身を乗り出しまった。

 その時、岩戸の横に隠れていたタヂカラオがアマテラスの腕を掴んで引っ張り出した。そしてフトダマが岩戸に縄を張り、二度と中へ戻れないようにした。このようにして世界に光が戻った。

 いっぽうスサノオは八百万の神によって、罪の償いに多くの品物を供することを科せられ、髪と手足の爪を切られて高天原を追放されてしまう。その後、根の国(黄泉の国)に渡ったとされている。

10. 五穀の誕生

 スサノオは数々の乱暴を働き、アマテラスを怒らせた罪は重く、そのため高天原の神々はスサノオの追放を決定する。罪の償いに多くの品物を科せられ、ひげと手足の爪を切られ、高天原を追放されてしまう。ひげと爪は穢れが溜まりやすいとされ、ひげと爪を切ることは穢れを落とすことを意味していた。

 こうして高天原から追放されたスサノオは、道すがら穀物の女神「オオゲツヒメ」(食料神)に食べ物を求めた。オオゲツヒメは快く求めに応じるが鼻や口、尻から食物を出したため、スサノオは汚らわしいと激怒しオオゲツヒメを斬り殺してしまう。

 すると殺されたオオゲツヒメの身体から次々と食物が生え、目から稲の穂が、耳からは栗が、鼻からは小豆が、尻からは大豆が、陰部からは麦が生えてきた。これらをカムムスビという神が刈り取って種にしたのが「五穀の起源」となった。

  なお日本書記によると、保食神を斬り殺したのはツクヨミ(夜の神)となっている。そしてアマテラスはこのツクヨミの暴挙に怒り「お前とは一緒に住みたくない」と絶縁したため、昼と夜が分かれたとしている。


 日本の神話を知る上で混乱しやすいので、下記にまとめておく。

高天原神話

 国生みの神話は世界の始まりから、イザナギとスサノオが国土を生み、イザナギはこの世を守る神になり、イザナミは死んだためあの世の神となった。素戔嗚尊(スサノオ)は亡き母のいる黄泉の国に行く前に、姉の天照大神に会いにやってくる。しかし天照大神はスサノオが天地を奪うためと誤解し、スサノオは邪心がないこと示すため天照大神と誓約をして、天照大神は3女神、スサノオは5男神を生んだ。スサノオが生んだ5男神は天照大神の子とされ、その天忍穂耳尊が天照大神の跡継ぎになった。スサノオが天上で乱暴を働いたため、怒った天照大神は天岩屋に隠れ世界は暗黒となるが、神々は天照大神を引き摺り出しこの世に光が戻った。スサノオは下界に追放され、このスサノオが出雲神話の主人公になる。出雲神話は下界の話なので、これまでの高天原神話とは別系列になり、神は人間らしい内容になる。

 

・高天原(たかあまのはら)は天の世界。 
・葦原中国(あしはらのなかつくに)は地上の世界。 
・黄泉の国(よみのくに)あの世の世界。
・根の堅州国(ねのかたすのくに)はあの世とこの世をつなぐ国。 


出雲神話

1.ヤマタノオロチ退治

 高天原から追放されたスサノオは、出雲の国(島根県)の斐伊川を上って行くと、屋敷の中で泣いている小さな娘と老夫婦に出会った。泣いている理由を尋ねると「ヤマタノオロチ(八岐大蛇)が毎年やってきて、8人いた娘のうち7人まで食べられてしまった。またヤマタノオロチが来る頃で、この娘も犠牲になってしまう」と老夫婦は泣き崩れてしまった。

 ヤマタノオロチは、その名の通りひとつのからだに八つの頭と尾を持ち、谷や山の屋根を超える巨大な蛇だった。目はホオヅキの花のように赤く燃え、背中には苔や杉が生え、腹は血でただれている怪物だった。

 スサノオは「アマテラスの弟」であると身分を明かすと、娘のクシナダヒメを嫁にもらうことを条件にヤマタノオロチの退治を引き受けた。まず娘の安全を守るため櫛に変身させて自分の髪にさした。さらに家のまわりに垣根を巡らせ、老夫婦に強い酒を用意させ、ヤマタノオロチの来る家の八つの入り口に台を作り、その上に酒桶を置くように云った。

 老夫婦が云われたとおりに準備をしていると、すさまじい地響きとともにヤマタノオロチがやって来た。ヤマタノオロチは酒を見つけると、八つの酒桶に八つの頭を突っ込んで酒を飲み干し、酔っぱらってその場にもの凄い大きな音とともに倒れて寝てしまった。

 そこにスサノオが飛び出し、腰に差している剣を抜き、ヤマタノオロチを剣でずたずたに切り刻み込んだ。そのため斐伊川はヤマタノオロチの血で赤く染まった。

 スサノオがヤマタノオロチの尾を切り裂くと、剣の刃が欠けてしまった。これを不思議に思い覗いてみると、尾から一振りの立派な太刀が現れ、スサノオはこれをアマテラスに献上した。これが皇室の三種の神器のひとつである草薙の剣である。

 スサノオはヤマタノオロチを退治すると、クシナダヒメと結婚し、この出雲の国に宮殿を建てて暮らした。

オオクニヌシの神話

 ヤマタノオロチを退治したスサノオから四代目の大国主(オオクニヌシ)は出雲の国の英雄となり国を治めていた。大国主には多くの兄弟の神がいたが、すべての神が身を引いて出雲の国の支配を大国主に任せていた。その理由は、次のようなことがあったからである。ヤマタノオロチを退治したスサノオから四代目の大国主(オオクニヌシ)は出雲の国の英雄となり国を治めていた。大国主には多くの兄弟の神がいたが、すべての神が身を引いて出雲の国の支配を大国主に任せていた。その理由は、次のようなことがあったからである。

 

1.イナバの白ウサギ 

 兄弟の神たちは、イナバ(鳥取県東部)に住むたいへん美しいヤガミヒメ(八上比売)と結婚したがっていた。兄弟の神たちはオオクニヌシに重い荷物を背負わせ、家来のようにしてイナバへ向かった。

 やがて気多の岬(鳥取県気多郡)に着くと、そこに毛のない裸のウサギが泣いていた。兄弟の神たちは尋ねた。

「そこのウサギ、身体が痛いのなら、海の水を浴びてから風に吹かれて、高い山の上で寝るのがいいぞ」

 ウサギは神たちに言われたようにすると、海の水が乾くにつれて、風が皮膚に刺ささるように痛み出した。最後に通りかかったオオクニヌシがその姿を見つけて尋ねた。

「なぜ、泣いているんだ」

「はい、わたしは隠岐の島に住んでいました。このイナバの地に来たかったのですが、渡る方法がないので、海のサメにこう言ったのです。「おれとおまえで、どちらの仲間が多いか競争しよう。おまえは仲間を連れて来て、この島から気多の岬まで一列に並んでくれ。そしたらおれはその上を踏んで数を数えよう。これでどっちの仲間が多いかわかるだろう」

 こうしてサメたちを海の上に一列に並ばせると、その上をウサギは数えながら走った。気多の岬で下りようとした一歩手前で、「バカなサメども。お前たちはだまされているのだよ」と言ってしまったのです。すると一番最後にいたサメが、わたしをつかまえて、わたしの毛をはいでしまったのです。それで困って泣いていたところ、先ほど通りかかった神様たちが、海水を浴びて、風に吹かれて寝ていろと教えて下さったので、そのとおりにしたら、全身が傷ついてしまったのです」

 そこでオオクニヌシはそのウサギにこう教えた。

「今すぐにあの河口に行って、真水で体を洗いなさい。それから河口に生えている蒲(がま)の花を採って、その花粉をまき、その上で転がりなさい。そうすれは膚(はだ)は治るでしょう」

 ウサギが言われたとおりにすると、すっかり元どおりに治った。このウサギは、オオクニヌシにこう言った。

「わたしをだましたあの神様たちは、ヤガミヒメと結婚できないでしょう。家来のように袋をしょっているがあなたこそが、ヤガミヒメと結婚できるお方です」 

 兄弟の神々がヤガミヒメの所に行くと、ヤガミヒメはイナバの白ウサギが云ったとおり「わたしは、あなたたちの言う事は聞きません。オオクニヌシさまと結婚します」と大勢に兄弟の神たちに言ったので、神様たちは怒りオオクニヌシを殺そうと相談した。そこで伯耆の国(ほうき、鳥取県西部)の山のふもとへやってくると、

「この山に赤いイノシシがいる。これを追い出すから、お前はここで待って捕まえろ。もし失敗したらお前の命をもらうぞ」と神たちがオオクニヌシに言うと、イノシシに似た大きな石を火でまっ赤に焼き、山の上から転がり落とした。オオクニヌシは落ちて来た火石をつかもうとして、無惨にも熱に焼かれて死んでしまった。

 オオクニヌシの母親の神が嘆き悲しみ、高天原に昇ってカミムスビノミコト(神産巣日命)に相談すると、神産巣日命はオオクニヌシを生き返らせるためにキサガイヒメ(キサ貝=赤貝)とウムガイヒメ(蛤貝比売)を遣わした。キサガイヒメは自分の身を削り、ウムガイヒメがそれを受けとめてオオクニヌシの身体にやさしく塗ると、オオクニヌシは美しい青年に復活したのだった。

 これを見ていた兄弟の神様たちは、またオオクニヌシをだまして山へ連れて行き、大きな木を切り、その間にクサビの矢を打って中にオオクニヌシを入れた。そしてクサビをいきなり放したため、オオクニヌシは木の間に挟まれてまた死んでしまった。母親の神は泣きながらオオクニヌシを探すと助け出した。

「おなたは、ここにいれば、いずれ兄弟たちに殺されてしまう」

 母親の神はそう言って、紀伊の国(和歌山県)のオオヤビコノカミ(大屋毘古神)のところへ避難させた。

 兄弟の神たちは追いかけて来て、矢で射ろうとしたが、オオヤビコノカミはオオクニヌシを逃がしながらこう言った。「オオクニヌシのご先祖のスサノオがいる根の堅州国(ねのかたすくに)へ行きなさい。必ずスサノオが知恵を授けてくれるでしょう」

 

ここまでのオオクニヌシの神話

 オオクニヌシはヤガミヒメ(八上比売)をものにしようとする兄弟の神たちにいじめられ、稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)を助けるが,兄弟の神たちに迫害され死んでは生き返る。ここまでは英雄となる前の,若き英雄の迫害物語である。心優しきオオクニヌシと意地の悪い兄弟の神たちが対比されている。


2. スセリビメ(須勢理毘売命) 

 オオクニヌシは云われるまま、スサノオのいる根の国へゆき、スサノオの娘スセリビメ(須勢理毘売命)と出会い、2柱は目が合ったとたんに恋に落ち男女の交わりをして結婚を誓った。スセリビメは父のスサノオに「とっても立派な神様がいらっしゃいました」と報告した。

 父のスサノオ(須佐之男命)はあの高天原でさんざん悪さをして、姉の天照大御神を天岩戸に引きこもらせた神である。

 その後、高天原を追放されたスサノオは出雲の国へ降り立ち、八俣大蛇を退治して櫛名田比売命(クシナダヒメ)と結婚した。

 そのスサノオは「あれはアシハラシコ(大国主の別名)だな」と言うと、娘との結婚を承諾せず、娘を取られた怒りからオオクニヌシを宮殿に呼び入れて、ヘビがいる部屋に寝かせた。

 そこで娘のスセリビメはヘビよけの魔力がある布をオオクニヌシに授け、

「ヘビたちが、あなたを噛もうとしたら、その布を三回振れば逃げ出すでしょう」と言った。オオクニヌシは娘のいうとおりにすると、蛇はおとなしくなり、オオクニヌシはゆっくりと眠ることができた。

 次の日の夜、スサノオはオオクニヌシを大ムカデと蜂の部屋に入れた。そこで娘のスセリビメは、今度はムカデと蜂よけの布を夫に授さずけたので、オオクニヌシは部屋を逃げ出すことができた。

 スサノオは音の鳴りひびく矢を広い野原の中にはなち、オオクニヌシに探してこいと命令した。オオクニヌシが原っぱに入るとその回りに火を放ち、逃げ場所に迷っていると一匹のねずみが地面の穴から出てきて、

「外から見ると穴は埋まっているけど、中はほら穴だよ」と誘い、オオクニヌシが穴に隠れていると火は通り過ぎていった。そのねずみは音の鳴る矢をくわえて、オオクニヌシに差し上げた。

 娘のスセリビメはオオクニヌシが死んだと思い、お葬式を前にして、なげき悲しんでいた。父のスサノオが野原に出て行くと、無事だったオオクニヌシは矢をスサノオに差し上げた。

 スサノオは宮殿にオオクニヌシを連れて帰ると大きな部屋に案内し、頭のシラミを取ってあげようと言った。しかし頭にはムカデがたくさんいたので、娘のスセリビメは椋(ムク)の木の実と赤い土を夫に授けた。オオクニヌシはその木の実を食い、赤土も口に含んでつばを吐き出した。それを見ていたスサノオは、ムカデを退治するため食いちぎってツバを吐いていると思い、かわいいやつと思い寝てしまった。

 オオクニヌシは寝ているスサノオの髪の毛を部屋の屋根の垂木(たるき)に結び付け、大きな石で部屋の出口を塞いだ。 オオクニヌシは娘のスセリビメを背負い、スサノオの大きな刀と弓矢と美しい琴を持って逃げようとしたが、その琴が木に触れ地面が鳴りひびいた。驚いたスサノオは部屋ごと引き倒し起き上がったが、垂木に結ばれた髪の毛をほどいている間に、オオクニヌシと妻は遠くまで逃げていった。

3. 英雄の誕生

 スサノオは二人の後を追って来て、黄泉比良坂(よもつひらさか)までやって来ると遠くにいるオオクニヌシに向かい「おまえの持っている、わしの太刀と弓矢で、おまえの兄弟だちを山や河に追い払い、オオクニヌシ神になり、わしの娘スセリビメを妻とし、御埼山(出雲市)のふもとに、大きな太い柱を立て、天高く千木(神社の建築で屋上で交叉する木材)を上げ、その宮殿に住め」と言った。

 ここで黄泉比良坂での黄泉比良坂に注目いてほしい。イザナキとイザナミの物語を思い出せば、スサノオは黄泉(あの世)から葦原中津国に行けない立場だったのである。

 そこでオオクニヌシは太刀と弓で兄弟たちの神様たちを追い払い、この出雲の国を造った。あのヤガミヒメは約束通りにオオクニヌシと結婚して連れてこられたが、正妻のスセリビメに遠慮して、自分の生んだ子を木の又に差し挟んだまま、イナバの国にお帰りになった。そこでこの子をキノマタノカミと名付けられた。

 ここまでの流れとしてオオクニヌシは運のないは思う。八十神からは逆恨みで二度も殺され、さらには逃げようとしても執拗に追ってきて、なおも殺そうとする八十神から逃げ遂せるようにと根の国に向かう。そこで正妻スセリビメと出会うが、その父であるスサノオからは冷遇を受ける。

 しかし気になるのがスサノオがオオクニヌシが自分の子孫という認識がまるでないということである。これは単純に血族の流れをまるで気にしないということなのか。それとも自分の子孫と思わなかったということなの分からないが、ここでもスサノオからひどい扱いを受けることになる。殺されかけるが何とか生き延びた。大国主はスサノオが眠っている間にスセリビメと琴、スサノオの大刀と弓矢を盗んでいくという、駆け落ちというより泥棒をして根の国を後にする。根の国と地上との黄泉比良坂の入り口で、スサノオは渋々ながらも娘を嫁がせること、盗まれた剣と弓をそのまま大国主に譲渡するということを認める形で二人を送り出している。何だかんだでスサノオが二人のことは最後の最後に公認するところはやはり子を持つ親心といったところであろう。

 

4.ヌナカワヒメとの恋 

 その後、オオクニヌシは越の国の沼河(新潟県糸魚川市)に住むヌナカワヒメ(奴奈川姫)を第2の妻にしようとして、ヌナカワヒメの家に行き、家の窓の外から恋の歌をよまれた。ここでお二人が交わされた歌が古事記で初めて出てくる恋の歌である。

 オオクニヌシはよばい(夜に女性の家へ行くこと)をするため、刀のひもも解かず、上着も脱がないままヒメの寝ている窓の板戸をしゆさぶった。

 そのうち緑の山にはヌエ(想像上の動物)が鳴き、野鳥のキジはさけび、ニワトリも鳴き出した。 「ああ、いまいましい鳴く鳥よ お願いだから鳴くのをやめさせてくれ 」 神につかえる鳥が、オオクニヌシの歌を以上のように伝えている。

  この唄にヌナカワヒメは戸を開けずに、家の中から次の唄でお答えになった。

 ヤチホコの神様 わたしは、しおれた草のような女です

 わたしの心は、おちつかずにフラフラ飛ぶ水鳥のようです

 今は、自分のことしか考えていない鳥

 でもいずれは、あなた様の鳥になりましよう

 ですから、どうぞ殺さないでください

 緑の山に日が沈んだら 真っ暗な夜がやって来ます

 でも、あなたは、朝日のように さわやかにやって来て

 コウゾ(クワ科の植物)の綱のような白い腕

 泡雪のような 若く白い乳房を

 そっと抱いてください 

 そして 手をぎゅっとにぎってください

 玉のような美しいわたしの手をからめて 

 足をのばして くつろんでいただくこの家なのに

 そのような わびしい恋などしないでください ヤチホコの神様

 そこで二人はその夜はお会いにならないで、翌晩お会いになり結ばれた。

 ナカワの「ヌ」は「玉」を表し玉は宝石のことで、実際には「翡翠」のことであった。 高志国の糸魚川は古くから翡翠の大産地で、このヌナカワヒメとオオクニヌシとの間に生まれたのがタケミナカタで、タケミナカタが姫川を登って諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったとされている。ヌナカワヒメが実在したかどうか定かではないが、JR糸魚川駅前にはヌナカワヒメの像があり、左手にヒスイ製の勾玉を持っている。ヌナカワヒメは「ヒスイの玉を身につけ、占いごとや呪術を巧みに行っていた女王であったとされ、ヌナカワヒメにまつわる伝承も多く存在している。オオクニヌシ(大国主)とヌナカワヒメ(奴奈川姫)の結婚は、出雲の国と高志の国の結びつける意味で古代においては重要である。この「ヌナカワヒメ」と「オオクニヌシ」の間の子が「タケミナカタ」というのはしかし、ヌナカワヒメが越の国の女神だと考えると、諏訪のタケミナカタが子供ってのはとても自然な感じがします。

 

 5.スセリビメのヤキモチ 

 オオクニヌシの正妻のスセリビメはとても嫉妬深い方でした。彼女の嫉妬の激しさは大国主神の最初の妻・八上比売が生まれたばかりの子を置いて帰郷してしまうほどであった。それを夫のオオクニヌシは心配して、出雲からヤマトの国に出発しようとして支度をしていると、片手を馬のくらにかけ、片足を馬の鐙(あぶみ)に踏み入れて次のように歌われた。

 

 ぬばたまの 黒きみ衣しを まつぶさに とり装い 奥つ鳥 胸見るとき 羽たたぎも これはふさわず へつ波 そに脱ぎうて

 そに鳥の 青きみ衣しを まつぶさに とり装い 奥つ鳥 胸見るとき 羽たたぎも こもふさわず へつ波 そに脱ぎうて

 山県に まきし あたねつき  染木 が汁に 染衣を まつぶさに とり装い 奥つ鳥 胸見るとき 羽たたぎも こしよろし いとこやの 妹の命 むら鳥の わがむれいなば 引け鳥の わが引けいなば 泣かじとは、汝(な)は言うとも 山跡(やまあと)の 一本すすき うなかぶし 汝が泣かさまく 朝雨の さ霧に立たむぞ 若草の 妻の命 事の語りごとも こをば

 

 黒い着物をつくってくれたが、沖の鳥が羽ばたくように手を動かしてみたが、これは似合わないようなので、波うちぎわに脱ぎ捨てよう。

 カワセミ(鳥の名)のように青い着物をつくってくれたが、沖の鳥が羽ばたくように手を動かしてみたが、これは似合わないようなので、波うちぎわに脱ぎ捨てよう。

 「あかね草」の汁で染めた着物を立派にしつらえてくれたが、沖の鳥が羽ばたくように手を動かしてみたが、これはたいへんよいようだ。

 いとしい妻よ、群れをなして飛んで行く鳥と一緒にわたしも行っても、あなたは泣かないと言うが、きっと山のふもとの一本のすすきのように、頭をうなだれて泣き、朝の雨が上がった霧の中に立ちすくんでしまうことでしょう。若草のように 若々しく美しいわが妻よ

 ・・・・オオクニヌシの歌を以上のように伝えております。

 そこで、スセリビメは、大きな酒杯を取って、オオクニヌシにささげて次のように歌われた。 

 

 八千矛の 神の命や わが 大国主 汝こそは 男 にいませば うちみる 島のさきざき かきみる 磯 のさきおちず 若草の妻持たせらめ わはもよ 女 にしあれば 汝を除て 男はなし 汝を除て 夫はなし 文垣 の ふはやが下に むしぶすま 柔(にこや)が下に たくぶすま さやぐが下に 沫雪(あわゆき)の わかやる胸を たくづのの 白き腕 そだたき たたきまがなり 真玉手 玉手さしまき もも長に 寝をしなせ 豊御酒 たてまつらせ  

 

 わがオオクニヌシ様、あなたは男ですから、あちこちの島の岬々や磯の浜辺の先々 に、若草のように若く美しい妻を持っるのでしょう。でもわたしは女ですから、あなた以外に夫はいないのです。

 寝心地の良い部屋の絹のふとんの 柔らかさの下で やさやと音をたてる下で 

 泡雪のように白い わたしの乳房を コウゾの綱のような白い腕を 

 そっとさわってください 手をぎゅっとにぎってください 玉のような美しい

 わたしの手をからめて 足をのばして くつろいでくださいおいしいお酒を お飲 み下さい

  こう歌って、お二人は酒杯を取りかわし、お互いのからだを抱きしめ合った。この物語には女性が持つ愛情表現の多様性や結婚生活における様々な局面が描かれている。

 

6.スクナビコナ 

 オオクニヌシが出雲の美保(島根県美保)の岬に行くと、飛沫立つ波頭を天の船に乗って絹の着物を身にまとった神さまが近よってきた。オオクニヌシが名前を尋ねると答えないので、お伴の神たちに聞いてみるが、みんな知らないという。すると一匹のヒキガエル現れ、

「この神さまの名前は、クエビコ(久延毘古)なら知っている」

と答えたので、クエビコという者を呼んで尋ねると、

「これはカミムズビノカミ(神産巣日神)のお子様で、名をスクナビコナ(少彦名神)という神さまです」それで、母神のカミムズビノカミに尋ねてみると、「確かに自分の子どもで、わたしの指の間からこぼれ落ちた子どもです。お前とはこれから兄弟となって、この葦原の中つ国(日本の国)を作り固めなさい」と仰った。

 そこでオオクニヌシとスクナビコナはふたりで国々をまわり、稲や粟の栽培方法や鳥獣や昆虫の害から穀物を守るためのまじないを定め国づくりを行った。ふたりはたいそう仲が良くこの国を作り固められた。

 オオクニヌシとスクナビコナが「赤土の荷を肩にかついで遠く行くのと、屎(大便)をしないで遠く行くのと、どちらがでよいだろうか」と言い争われた。オオクニヌシは「私は便をしないで行こうと思う」というと、スクナビコナは「私は赤土の荷を持って行こうと思う」といった。何日か経ってオオクニヌシは「私はもうがまんできない」といったとたん、その場にしゃがんで便をした。その時、スクナビコナは笑って「その通りだ。私も苦しかったのだ」と、赤土の荷を岡に投げつけたので、この岡を「埴岡(ハニオカ)」と名付けた。

 しかし間もなくするとスクナビコナは、また海のむこうへ帰ってしまった。

 オオクニヌシは、嘆きながらこう言った。

「ああ、これからわたし一人で、どうやってこの国を作ることができようか」

 すると、海の上を明かりで照らしながら神さまがやって来た。その神さまは、こう言った。

「わたしをよくお祭りすれば、わたしは、あなたといっしょに、この国を作ることができます。もしそうしなければ、この国を立派に作ることはできないでしょう」

 そこでオオクニヌシはその神さまに

「では、どうやって、あなた様をお祭りすればよろしいのでしょうか。」

 と尋ねますと、その神さまはこうお答えた。

「わたしを、ヤマトの国の青々とした山々の、東の山の上に祭りなさい」

 これが三輪山(奈良県桜井市三輪町)の大神神社(おおみわじんじゃ)に祀られているオオモノヌシノカミ(大物主神)である。


国譲りの神話

国譲りの使者

 ヤマタノオロチを退治したスサノオはクシナダヒメと結婚してから四代目の大国主神(オオクニヌシ)が出雲の国を治めていた。オオクニヌシは出雲の国の英雄でオオクニヌシは国づくりの神としてはもちろん農業・商業・医療の神などとして崇められ、国を興すのに必要なものを司る神としてよく知られている。

 縁結びの神としても知られているが、どうして縁結びの神とされたかについては様々な説があるが、多数の女神と結ばれたことが一般的理由である。「神が人間関係の縁のみならず、この世の一切の縁を統率しているとして、男女の縁のみならず、広く人と人の根本的な縁を結ぶ」との見かたである。オオクニヌシは実際にスセリビメ、ヌナガワヒメ、ヤガミヒメ、タキリビメ、カムヤタテヒメ、トトリヒメを妻に設け、180柱の神をもうけている。
 またオオクニヌシの大国はダイコくと読めることから、同じ音である大黒天として民間信仰に浸透している。子のコトシロヌシは釣りが好きとされ、海と関係の深いえびすと同一視され、このことから大黒様とえびすは親子とされている。

 スサノオのこの後に須久那美迦微(スクナビコナ)と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医療などの道を教え葦原中国の国造りを完成させる。だが高天原からの使者に国譲りを要請し、幽冥界の主、幽事の主催者となり、顕界から姿を隠した。これはつまり、自害してこの世を去り、国譲りの際に『富足る天の御巣の如き』大きな宮殿を建てて欲しいと条件を出したことに天津神が約束したことにより、この時の名を杵築大神とも言われている。
 さらにこの大きな宮殿というのが、出雲でも有名な出雲大社の事を指す。大国主は多妻で知られており、様々な女神との間に子をもうけていた。その数、実に180柱である。なぜここまで多くの女神と結ばれているとされているのか。別名の多さや妻子の多さは、明らかに大国主が古代において広い地域で信仰されていたこともあり、信仰の広がりと共に各地域で信仰されていた土着の神と統合されたり、あるいは妻と子供に位置づけられたことを意味している。そんな大国主の妻は古事記と日本書紀の記述の中では以下の女神がいる。

葦原中国平定

 天照大御神(アマテラス)は「千五百年も長く続いている葦原の水穂の国(あしはらのみずほのくに=日本国)は、天照大御神の子孫とし何人かの神を出雲に使わした。

 まずアメノオシホミミ(天忍穂耳命)が治めるべきと一方的に宣言したが、アメノオシホミミが天の浮橋に立って下界を見下ろすと「この国は、ずいぶん騒がしく手に負えない」と戻ってきてしまった。そこでアマテラスは八百万の神たちを集め、思金神(オモイカネノカミ)が中心になって対策を考えた。

 アマテラスは「この日本の国は、まずわたしの息子が治める国としたが、息子はこの国には乱暴な神が大勢いると思っている。どの神を使って、この国を従わせたらよいか」と天の安の河の川原に八百万の神々を集め尋ねた。思金神は、八百万の神たちと相談してこう述べた。

「アメノホヒノミコト(天穂日命)を遣わずのがよいでしょう」そこで選ばれたのが、アマテラスの子であるアメノホヒノミコト(天穂日命)であった。しかしアメノホヒはアマテラスを裏切って、地上に降るとなんと3年間もオオクニヌシに懐柔され音沙汰がなかった。

 次にアメノワカヒコが選ばれ弓と矢も授けられたが、この神は野心が強くオオクニヌシの娘である下照比賣(したてるひめ)と結婚し、国を乗っ取ろうと8年も報告をしなかった。不審に思ったアマテラスは、キジのナキメ(雉の鳴き女)を遣わした。

 アマテラスはキジにこう言った。お前が下界に行ってアメノワカヒコに尋ねるのは「お前を葦原の水穂の国に派遣したのは、この国の乱暴な神たちをおとなしくさせ、服従させることであったが、どうして八年間も何の報告もしないのか」といった。そこでナキメはアメノワカヒコは天より下って、アメノワカヒコの家の木に止まり理由を聞くと、家の前で大きな鳴き声を上げアマテラスの言葉をそのまま伝えた。これを聞いた娘が「うるさいから殺して」とそそのかすと、アメノワカヒコは授けられた弓矢を持ち出してナキメを射殺してしまう。

 その矢は高天原のアマテラスとタカギ(天津神)の足下にまで飛び、タカギは「アメノワカヒコに邪心があれば、この矢にて災いを」と誓約すると、矢は返り飛びアメノワカヒコの胸を一直線に貫き刺しその命を奪った。これで邪心があったことが証明され、ここでアマテラスは刀剣の神の息子のタケミカヅチ(建御雷神)にアメノトリフネ(天鳥船神)をつけて派遣した。

 二人の神々は高天原に戻らないどころか裏切るという行動を取ってしまう。これは今まで自分たちの国をもったことがない神々にとって、自らが頂点に立ち国を持つということの夢に惹かれたためではないだろうか。 欲望に駆られて主君の命令を無視してしまう行為は、神としてはあるまじき行為である。人が作り出した神話には、人間くさい部分が多いのはしかたがないとしても、アメノワカヒコのように葦原中国を乗っ取ってやろうなどという大それた願いを抱いたために、最後には死という結末を迎えてしまう。

国譲り
 タケミカヅチと天鳥船神は、出雲国伊那佐の小濱に降り立って、十束の剣を抜いて逆さまに立て、その切っ先に胡坐をかいて座り、大国主に「この国は我が御子が治めるべきだと天照大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と尋ねると、大国主神は判断を息子たちにゆだねた。

 そこで息子のヤエコトシロヌシを探すと、美保の岬で釣りをしていた。タケミカヅチがやってくると、コトシロヌシは「お言葉に従います」と答えたが、乗ってきた船をひっくり返して船の中に隠れてしまった。内心では反抗して隠れたのである。
 もう一人の息子タケミナカタは力自慢の息子だったので、タケミカヅチに勝負を挑んできた。タケミナカタがタケミカヅチの手を握ると、タケミカヅチの手は氷柱にかわり更に剣にかわった。次にタケミカヅチがタケミナカタの手を握りつぶし、これには敵わないとタケミナカタは逃げ出しついに降伏し、命乞いをした。(写真は出雲大社にある大国主の銅像)
 タケミカヅチはオオクニヌシの元へと戻り息子達の降伏を伝え、オオクニヌシは立派な社を建てる事を条件に国譲りを承知した。この条件として建てられたのが出雲大社である。この出雲大社は当時の最も高い高層建築で奈良の大仏よりも高かった。こうして地上の支配はスサノオの出雲系がアマテラスの大和系へと移った。

国譲りの重要性

 国譲りは、天皇家の祖先神である「天照大神」が旧来の支配者であった大国主(オオクニヌシ)に、国を譲るように要請した神話である。ここで重要なのはこれが事実であったかどうかではなく、なぜこのような神話が残されたかということである。

 世界の例を見れば、ある民族が別の土地に侵入すると、先住民族は殺されるか奴隷にされる。ところが国譲りの神話では「話し合いによって国譲り」が成立している。ここに日本人の持つ重要な考えが示されている。それは「話し合い絶対主義」の思想である。この国譲りの神話には、日本人の民族性が隠されている。

 またアマテラスが自らの判断で葦原中国(日本国土)を平定するということを決めのに、その全てをご意見番のオモイカネや八百万の神々に任せたことである。アマテラスが全てを他人任せにしていたということは神々を統治するものとしては優柔不断すぎるが、これも日本神話の特徴である。この国譲りの後アマテラスの子孫であるニニギノミコトが天孫降臨することになる。

ニニギの神話

天孫降臨

 大国主の国譲りが成立し、天照大御神と高木神が「今、葦原中国(アシハラナカツクニ=日本)を平定した。以前から命じていたように「地上に降りて統治しなさい」とオシホミミに命じた。

 そこで命じられでオシホミミが地上に降りることになったが、しかしオシホミミは「わたしが地上に降りる身支度をしていたらニニギが生まれた。この子を地上に使わすと良いでしょう」と答えた。アマテラスはこれ了承して孫の二ギギが地上に降りることになった。ニニギは正式には天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニキシクニキシアマツヒコヒコホノ)という名で、ニニギは「豊かに実る」という意味で、「天邇岐志」は天が賑わい、「国邇岐志」は国が賑わいということである。
  名前は穀物神を表していて、父のアメノオシホミミも穀物を意味しているが、アメノオシホミミは勝利を表す名前で、ニニギは「国が繁栄する」という意味を含み、ニニギは日本に降るにふさわしい名前である。

 二ギギが降臨しようとした時、天の八衢(十字路)一帯を輝かせる神が立ちはだかった。二ギギの命を受けたアメノウズメ(天戸岩で裸踊りをした女神)が問いたところ、道の案内のサルタビコと名乗った。このサルタビコの道案内で神々は地上の世界に降臨した。

 二ギギと共に降りたのはアメノウズメや知恵の神オモイカネで、「勾玉、鏡、草薙の剣の三種の神器」を携えていた。アマテラスは別れの際、鏡をアマテラス自身だと思って祀うように言い、オモイカネに祭司を命じた。この鏡とオモイカネは伊勢の神宮に祀られ、これが伊勢神宮祭祀の始まりと云われている。

 二ギギは雲を押しわけ、日向の高千穂の峰に降り立ち、宮を建て住処とした。この神話はアマテラスの孫が降臨して地上の支配者となることから天孫降臨と呼ばれている。

天孫降臨 天照大御神の孫・邇邇芸命が稲穂と三種の神器を手に高天原から地上に下る場面。この途中で、邇邇芸命に道案内したのが猿田彦命である。(所属・画像提供・神宮微古館)(左)。

天照大御神は邇邇芸命に「稲穂」「三種の神器」を授け、地上の国の永遠の発展を祝った(右)。


 生まれたばかりの幼いニニギを降臨させたのは、当時の政治状況の表れとされている。当時は藤原不比等が権力を持ち持統天皇の時代で、持統天皇の子の草壁皇子が死んでしまい、持統天皇の次は彼らの家系とは違う皇子がなるはずだったが、持統天皇は孫の文武天皇が継ぎます。この正当性をつくるため、幼いニニギが天孫降臨したのではないかとされている。

 

短命の始まり

 地上の支配を譲り受けた二ギギはある時、能登半島へ足を運んだ。そこで二ギギは国津神の娘・木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)

と出会い、その美しさに結婚を申し込む。木花咲耶姫とは木の花(桜の花、あるいは梅の花)が咲くように美しい女性の意味である。喜んだ国津神は醜い姉のイワナガも一緒に娶らせることで結婚を許すことにした。しかし醜いイワナガを二ギギは嫌い送り返してしまう。

 それを知った国津神は怒って二ギギに云った。「私が娘の二人を贈ったのは、御子が岩のように永遠の命を保ち、木花の咲くがごとく栄えていくようにと祈りを込めたからで、それなのにイワナガを送り返して来たからには、御子の命は儚くつきてしまうであろう」。このため二ギギの子孫である天皇に寿命がつけられてしまった。

 一方、二ギギはコノハナサクヤヒメと一夜の契りを結び、コノハナサクヤヒメは身籠もった。一夜で妊娠した事を怪しむ二ギギは自分の子ではなく、どこかの神との子ではないかと疑う。コノハナサクヤヒメは怒って「天孫のお子でないなら無事には生まれないでしょう」と云うと、産屋にこもって自ら火を放った。そして炎が燃えさかる中で3人の子を出産した。

 コノハナサクヤヒメは炎の中で出産したことから、火を沈める水神となり、富士山の噴火を鎮めるための浅間大社に祀られている。

      コノハナノサクヤビメが鎮まるとされる富士山と浅間神社

海彦・山彦の神話

 二ギギとコノハナサクヤヒメの間に生まれた長子のホデリは漁を、3男のホヲリは山での狩りを生業にした。そのためそれぞれが海彦、山彦と呼ばれている。

 ある日のこと、山彦は兄を拝み倒して、獲物を獲る道具を交換してもらった。しかし、慣れないため海で釣り針をなくしてしまい、謝ろうとするが、元の釣り針を返せと兄の海彦はとりつくしまもなかった。途方にくれた山彦が海辺で立ち尽くしていると、そこへシオツチが現れた。事情をきいたシオツチは竹で編んだ船を作り。これに乗ってワタツミの宮へ行くように云った。

 やがてワタツミの宮に着いた山彦は、海神ワタツミの娘トヨタマと出会う。トヨタマは山彦に一目惚れし、ワタツミも喜んで二人の結婚を許した。そのままワタツミ宮に住み着いて3年、山彦は自分がここに来た理由を思い出して悲嘆に暮れていた。事情を聞いたワタツミは魚を集めて、釣り針を見つけると、山彦に次のような秘策を授けた。

「呪文を唱えながら、後ろ手で返しなさい。兄が高い場所に田を作ったら低い場所に、低い場所に作ったら高い場所に田を作りなさい。私が水を操りますから兄は3年で貧しくなります。攻めてこられたらこの塩みつ珠と塩乾珠で溺れさせてしまいなさい」。サメに乗って地上に帰り着いた山彦は、ワタツミの言葉とおりにした。すると兄は貧しくなり、貧しくなった兄が山彦を攻撃してきた。山彦は二つの珠を使って溺れさせ兄を降伏させ、兄は弟の守り人になることを誓った。

 

天皇家の始まり

 山彦と結ばれた海神の娘(トヨタマのヒメ)は臨月を迎えて、夫の山彦に、「天孫の子を海では産めなのでここで産みます」と云うと、鵜の羽を使って産屋を建て始めた。しかし産屋の完成が間に合わず、ヒメは産気づき、ヒメは山彦に「元の姿に戻って産みますから、決して見ないで下さい」と頼み産屋に籠もった。

 しかしそうは言われても気になる山彦は産屋の中を覗いてしまう。そこには大きなワニがのたうち回っていた。驚いた山彦は逃げ出し、夫の裏切りを知ったトヨタマはここには居られないと、子を残したまま海に帰ってしまった。

 生まれた御子はウガヤフキアエズと名付けられた。これは鵜の羽の屋根が出来上がる葺(ふ)き終わる前に生まれたという意味である。

 母親のトヨタマは妹のタマヨリを遣わして、この子を育てさせた。そして成長した子は育ての親であるタマヨリと結婚して、4人の子供をもうけた。末子の名はイワレビコ、初代天皇である神武天皇のことである。

  二ギギから山彦、ウガヤフキアエズの三代は日向三代と呼ばれ、神と天皇とを結ぶ重要な役割持っている。地上に降りた二ギギは山の神の娘と、山彦は海の神の娘とそれぞれ結ばれ、山と海の力を天皇家にもたらした。そして万能である天皇も寿命もあり、海に自由に出入りできないことを説明している。

ヤマトタケルの神話

 ヤマトタケルの神話

 日本神話の英雄ヤマトタケルには日本武尊(日本書紀)、倭建命(古事記)の二つの漢字で表記されている。ヤマトタケルは第12代景行天皇の子として誕生し、名を小碓命(おうすのみこと)といい,兄の大碓命(おおうすのみこと)とは双子の兄弟である。

 ある日、第12代景行天皇は第二皇子の小碓皇子(ヤマトタケル)に「兄の大碓皇子(オオウスのみこ)が食事の席に出てこないので出て来るように諭しなさい」と命じた。双子の兄・大碓皇子は父の景行天皇が気に入ったを迎えに行ったが、そのを大碓皇子気に入ってしまい、その娘と結婚して、父親には別の差し出していたのだった。

 景行天皇はそれを知りながらも咎めなかった。しかしバツが悪いのか、兄の大碓皇子は天皇を避けてしまった。大事な儀式にも出ないため、それを改めさせるために弟の小碓皇子を説得に行かせたのである。しばらくして帰ってきた小碓皇子は「兄がトイレに入っている所を掴みつぶし、手足を引きちぎって体を藁に包んで投げ捨ててきた」と報告した。

 小碓皇子(ヤマトタケル)は父親を裏切った兄を許せなかったのである。しかし父景行天皇は勇猛ではあるが、小碓皇子の気性の荒々しさは将来災いを招くと恐れた。そのため小碓皇子は皇太子の地位にありながら、日本中を遠征させられ、大和朝廷の勢力範囲を広げようとした。

熊襲征伐

 まず小碓命(ヤマトタケル)が16才のとき、景行天皇は九州の熊襲(くまそ)を征伐するように命じられた。九州では熊襲建(たける)という二人の兄弟が、朝廷に従わずに反抗を続けていた。天皇は小碓皇子を遠ざけるため、熊襲建の討伐を命じたのである。

 天皇に疎まれた小碓皇子(ヤマトタケル)は、熊襲建兄弟の討伐のため九州に向かう途中で叔母のヤマトヒメのいる伊勢に立ち寄った。伊勢にはアマテラスを祀る伊勢神宮があり、そこで小碓皇子(ヤマトタケル)は叔母から少女の衣装を授けられ、その衣装を持って九州の熊襲建兄弟の討伐に向かった。

 熊襲建の兄弟の屋敷は強固な軍で守られ容易に攻め込めなかった。機会を待っていると、近くの屋敷で増築完成を祝う宴が開かれることになった。そこで小碓皇子は髪を下ろし、叔母からもらった衣装を着て少女に変装して宴に潜入した。熊襲建は女装した小碓皇子を気に入り、傍に置いて酌をさせ宴を始めた。

 宴も終わりに近づき人影もまばらになり、兄の王(川上梟師)もこの美女と今夜は楽しむだろうと思ってみんながそばを離れたころを、小碓皇子は懐にしのばせた剣を取り出して川上梟師の胸を刺した。それを見て外に走って出ようとした熊襲建の弟を追い,背中から刀をさした。熊襲建の弟は、自分たち兄弟より強い者は西方にはいないが、倭にいたこを知り,自分たちの「建」の名をもらってほしいと願い出た。そして「これからは日本武尊(ヤマトタケルのみこ)と名乗られるように」と言い残して絶命した。

 つまり自分がこの国で最も強いと思い「たける」を名乗っていたが、その自分を倒したのだから「たける」の名を譲ると言ったのである。ここで初めて日本武尊(ヤマトタケル)の名前が誕生した。このようにして日本武尊は九州を平定すると次は出雲へ向う。

 

出雲征伐

 日本武尊は初め出雲の首長・出雲建と仲良くなる振りをして山中に誘い出し、肥の川で沐浴をしている最中にこっそり出雲建の刀をニセモノとすり替えた。そして「太刀合わせをしよう」と言って刀を抜いた。出雲建の剣はニセモノだったので、出雲建は日本武尊斬り殺されてしまった。出雲を見事に打ち倒すと父の景行天皇の元に戻った。日本武尊は熊襲に加え、出雲まで平定して意気揚々と凱旋したが、天皇からはねぎらいの言葉はなく、次は東の地の遠征を命じられた。

草薙の剣

 日本武尊は東に向う前に再び叔母のヤマトヒメ(倭比売)の元を訪れて「天皇は私など死んでしまえと思っているのでしょう」と嘆いた。ヤマトヒメは日本武尊を励まし草薙の剣を授けた。草薙の剣はスサノオがヤマトノオロチの体内から取り出した聖剣である。そしてもしもの事あればこれを開けなさいと一つの袋を渡した。日本武尊は袋をもって尾張国(愛知県)に入り、そこで美夜受比売(ミヤズヒメ)と婚約して東の遠征に出発した。美夜受比売の兄の建稲種命(たけいなだねのみこと)は尾張の水軍を率いて副将軍として東国の平定に出かけることとなった。

 相模の国に入る前で弟橘比売(おとたちばなひめ)が合流したが、東の遠征は苦難の連続であった。土地の役人がヤマトタケルを迎え,草原の神が従わないから成敗してほしいと案内した。しかしそれは罠であった。いつの間にか草原に火がつけられ炎に囲まれてしまった。まさに絶体絶命、弟橘比売とともに焼かれてしまうところだった。そこで日本武尊は叔母から渡された袋を開けると、袋の中には火打石が入っていた。それを見て持っていた天叢雲(あめのむらくも)の剣でまわりの草を刈り,叔母にもらった火打ち石で向かい火をたいて火の向きを変えた。このとき風向きも味方し、ヤマトタケルは罠に陥れようとした者たちを斬り殺して焼いた。天叢雲(あめのむらくも)の剣によって難を逃れたヤマトタケルはこの剣を「草薙の剣」と改名した。この地が静岡県の静岡市(旧清水市)で、そこには草薙神社があり、草原の名が「草薙」で、ヤマトタケルが小高い丘に登り周りの平原を見渡したところを「日本平」と名付けている。

走水の海

 走水の海(浦賀水道)は三浦半島沖と房総半島にはさまれた海をさすが,船出をしたヤマトタケルたちを嵐が襲った。嵐で船が沈みかけ、覚悟を決めたとき同行していた妃のオトタチバナヒメ(弟橘比売)が自ら生け贄となって海に入り神を宥めた。すると荒波は鎮まり船は無事に目的地に着いた。七日後にオトタチバナヒメの櫛が海岸に辿り着き、日本武尊は悲しみの中ヒメの墓をつくり櫛を納めた。甲斐から相模へ行くとき煙を吐く富士山を見ている。

伊吹山

 無事に婚約者のミヤズヒメの元へと帰った日本武尊は約束通り結婚し、次に伊吹山の神を征伐に行く。これまで負け無しだったので、叔母から授けられた草薙の剣をミヤズヒメの元に預けて出てしまう。

 伊吹山を登り始めてしばらくすると日本武尊は白い猪を見かける。白い猪を伊吹山の使いと思い、神を倒した後で狩ろうと白い猪を侮った。ところがその白い猪こそが伊吹山の神であった。怒った神は大きな大氷雨を降らせ日本武尊にぶつけてきた。これに当たった日本武尊は気を失うが、なんとか泉の所まで辿りつき、どうにか山をおりるが身体は大きな痛手を受けてしまう。 伊吹山での戦いで疲れ果ててしまったヤマトタケルは、身体にムチ打って、愛しい故郷大和へと足を進めた。

 しかしついに己の死期を悟り「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭しうるはし」(大和は国の中で最も秀でている。重なり合う美しい山々(青垣)、その山々に囲まれた倭は美しい)と詠い亡くなった。

 日本武尊の死を聞くと妻子が駆けつけて悲しむと、妻子の目の前にヤマトタケルの魂が白鳥に姿を変えて天高く飛び去った。その白鳥がとまった場所には白鳥陵が設けられ、日本武尊が忘れていった草薙の剣は熱田神宮に奉納された。

 三重県亀山市にある能褒野御墓は全長90m,後円部の直径54m,高さ9mで三重北部最大の前方後円墳である。明治12年、この前方後円墳をヤマトタケルの陵と指定した。

 能褒野神社にはヤマトタケル,弟橘姫命などが祀られている。

神話の後

 初代天皇である神武天皇(イワレナビコ)が登場する所で、古事記の上巻は終わる。神話はここまでで、神武天皇からは神ではなくヒトの時代となる。

 神武天皇が実在していたのか、あるいは架空のことなのかは分からないが、その元になった人物は存在していたのであろう。神武天皇の東征軍で進んだ経路には、その遺跡が次々と発見されている。当時の天皇家は強い権力を持った地方豪族にすぎず、従わぬ者たちもいた。天皇家は歴史的に云えば豪族であるが、古事記風に云えば「神の子孫」である。

「日本書紀」や「古事記」によれば、神武天皇は生まれながらに頭がよく、性格もしっかりしていて3人の兄がいたが15歳で皇太子になった。

 神武天皇(イワレナビコ)が45歳になると、日向の高千穂で葦原中国(日本)を治めるにはどこへ行くのが良いかと兄たちと相談して東へ行くことにした。大和に都をかまえるため、大軍を率いて九州の日向をでた。これを神武東征」という。

 神武東征は、日本神話において初代天皇イワレビコ(神武天皇)が九州の日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでを記した説話である。日向の都を大和に移す意味で「東遷」と呼ばれることも多く、宮崎県の印刷物は「神武東遷」と記されている。

 彼らは日向を出発し筑紫へ向かい、豊国の宇沙(宇佐市)から岡田宮に移動して1年を過ごし、さらに阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごした。皇軍はたくさんの船団を率いて難波(大阪)に入り、後に河内(南大阪)へ入り、皇軍は兵を整え生駒山を越えて大和へ入ろうとした

長髄彦との戦い

 大和に向かう途中の登美で長髄彦(ながすねひこ)の軍勢が待ち構え、戦争を仕掛けてきた。そこで兄の五瀬命(イツセ)に矢が当たり重症を負ってしまう。
 
五瀬命(イツセ)は太陽の方角に向かって大和を目指したのが悪かった。日神の子孫が日に向いて敵に向かうことは天の道に逆らうことである。そこで一度退却し、敵を油断させ神々をよく祀り、背に日神の勢いを背負って日影が挿すように敵を倒そうと提案すると部下たちはその意見に賛同した。

 神武天皇(イワレナビコ)全軍に退却命令を出し、海で紀伊半島を回り込み、熊野からの上陸することを決意する。この時、風にあおられ船が少しも前へ進まない。この状況を嘆いた五瀬命(イツセ)は傷は酷くなり報復できずに死んでしまうことを憂いて雄叫びを上げた後に死んだ。海に身を投げ亡くなってしまう。

 船で海路を渡っている時に暴風雨に遭い兄のイナイは天災に対して怒り剣を抜いて海に入りサイモチノカミ(ワニ)となった。ミケイリノハも天災に対して怒り波を踏んで常世の国へ渡った。

 やっとのことで上陸を果たした神武天皇の軍であったが、皇軍を率いて熊野荒坂津へ入り、そこでニシキトベという者を殺した。そのとき今度は土地の神が毒を吐いたため、イワレビコと皇軍は毒にあたり、さらに物も冒されてしまい、今度は全軍が倒れてしまった。
 この時、神武天皇のピンチを救ったのが霊剣・
布都御魂(ふつのみたま)と八咫烏(やたがらす)である。霊剣は地元の高倉下(たかくらじ)という者が天照大神から授かった一振りの太刀で、それを神武天皇に渡すと、倒れていた全軍が目を覚ました。その剣の霊力が軍勢の毒気を覚醒させ、活力を得て軍は復活したのである。その太刀はミカフツ神、またはフツノミタマと言い、現在、石上神宮に鎮座している。

 目を覚ました皇軍は早速進軍しようとしたが想像以上に山が険しく、とても山を越えられそうになかった。しかしその日の夜、神武天皇の夢の中にアマテラスが現れ、頭八咫烏(ヤタノカラス)を使わして道案内をさせると伝えた。すると翌日、ヤタガラスが天空から駆け下りてきて神武天皇の弓に止まり光り輝いた。ここで三本の足を持つ八咫烏(やたがらす)が登場する。八咫烏は神の使いで神武天皇の東征の際に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をした。この八咫烏は現在、日本サッカーのシンボルマークで、日本選手が左胸に付けている。

 大和には兄に重症を負わせた強敵・長髄彦(ながすねひこ)がいた。神武天皇が苦戦をしいられていると放たれた矢が威力を発し、長髄彦の軍を打ち破ることができた。

 神武天皇は大和を平定し、宮殿を建てて初代天皇になった。ちなみにこの神武天皇の祖父は「海幸、山幸」神話の山幸彦といわれ、その父親は「天孫降臨」神話のニニギノミコトで、そのニニギノミコトの祖父があの有名なアマテラスオオミカミだとされている。つまり神武天皇はアマテラスオオミカミの子孫になる。

 神武天皇については、霊剣、神々など神話めいた話が多く、また古事記では137歳、日本書紀でも127歳まで生きたとされている。神武天皇の死後は、後継者に2代綏靖(すいぜい)天皇が即位し、この綏靖天皇から第9代の開化天皇までの8代天皇は系譜だけで業績は書かれていない。

 業績が書かれているのは10崇神天皇からで、このことから8代天皇までを欠史八代と呼び、皇室の起源の古さと権威のために偽作した可能性がある。古事記の下巻になると神との関わりは極端に減り崇神天皇から各天皇の業績が書かれている。

  さらに日本書紀の記述が詳しくなり、古代の日本に何があったのかが分る。そして古事記の最後は33代推古天皇で幕を閉じる。推古天皇で終わったのは、古事記は日本の古代を記す書で、古事記の編集を命じた天武天皇(第40代)の時代にとっては推古天皇までが古代だったからである。古事記と8年後に書かれた日本書紀の世界観は異なっている。古事記は天皇家の正当性を、日本書紀は中国風の史書を作ることを目的にしているからである。