一揆の世界

一揆の世界

 室町時代、民衆はしばしば「一揆」と呼ばれる騒動を起こした。民衆は徳政令を求めて高利貸しの土蔵を打ち壊すのみならず、大名同士の戦争に割って入って無理やり停戦させることすらあった(山城国一揆)。

 倭寇といい一揆といい、南北朝室町時代の日本人は、非常にバイタリティに富んだ政治意識の高い民族に成長していた。もちろん為政者の立場から見れば、これらは全て「悪しき下克上」である。ただこの民衆のパワーを「民度の向上」と見て喜ぶことは出来ない。彼らは権威を失った政府(朝廷と幕府)が無能であることを知っているからこそ「俺たちが立たなければ」「自分の身は自分で守らなければ」という使命感に駆られたのである。

 またこの時代は真宗(親鸞)の一派である一向宗など、鎌倉新仏教系の新興宗教が大ブームとなった。これこそまさに政府の無能無策ぶりに不安になった民衆が、せめてもの心の慰めを宗教に求めた証である。

 

 朝廷の権威が凋落し、室町幕府の機能が衰え、各地で大名同士が私闘を繰り返し、商業資本が「座」という組合を傘に着て搾取を行う時代においては、民衆は政治的にも精神的にも強くならなければならなかった。しかしこのような過酷な環境だからこそ、豊かな日本文化が鍛えられ育まれたのであろう。