ヤナーチェク「シンフォニエッタ」

チェコに咲く 遅咲きの花

~ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」~晩年に多くの傑作を生み出したヤナーチェク

“遅咲き“作曲家の創作意欲の源とは?

 

小さな交響曲に込めた愛

「シンフォニエッタ」とは「小さな交響曲」という意味。ヤナーチェクがこの作品を作曲したのには、当時のヨーロッパの社会情勢が影響しています。レオシュ・ヤナーチェクが生まれたのは、現在のチェコ共和国。当時のチェコは長きにわたり近隣諸国の支配をうけており、街ではチェコ語だけでなく、ドイツ語が広く使われていました。人一倍、愛国心の強かった彼は、祖国が支配下にあることに、大きな反発心を抱いていたといいます。そして1918年、祖国がようやく独立を勝ち取ります。彼はこれまでの苦難の歴史と開放の喜びを込めて、シンフォニエッタを作ったのです。それぞれの楽章は生涯の大半を過ごしたチェコの街、ブルノの情景をモチーフに作られました。

 

爆発する愛 爆発する創作

1854年、現在のチェコにあるモラヴィア地方で生まれましたヤナーチェク。作曲家としてはいくつかヒット作はあるものの、60歳をすぎるまで、国外ではほぼ無名の存在でした。そんな彼の音楽人生に、大きな転機をもたらしたのが、25歳の女性カミラです。当時ヤナーチェクは63歳、2人とも結婚しているにもかかわらず、ヤナーチェクは一目ぼれ。11年間に渡りカミラに600通を超えるラブレターを送っています。彼の一途な思いに、次第にカミラも心を開き、いつしか互いに気持ちを通わせていくようになります。そして出会いから数年後、2人が散歩に出かけた際に、野外音楽堂から軍楽隊のファンファーレが聞こえてきました。幸せな思い出とともに、それはヤナーチェクの心に深く刻みこまれたのです。そしてその翌年、ある記念式典のために音楽を依頼されます。ヤナーチェクの頭に浮かんだのは、2人できいたあのファンファーレ。そして彼は、独自のアレンジを加えたファンファーレに始まる交響曲「シンフォニエッタ」を書き上げたのです。結局ヤナーチェクはカミラと結婚することはできませんでしたが、彼女を愛した晩年の11年で「シンフォニエッタ」をはじめ、多くの代表作を生み出しました。

 

心にしみるファンファーレ

シンフォニエッタの演奏には、オーケストラとは別に「バンダ」と呼ばれる小編成のアンサンブルが加えられています。そのバンダが奏でる独特のメロディー。不思議と耳に残るその秘密は、5音音階で奏でられるファンファーレにあります。一般的なファンファーレは三連音符など鋭く特徴的なリズムが多いのに比べ、シンフォニエッタは悠々としており、力強く土着的な雰囲気を与えます。さらに2番目と6番目の音が抜けている“ニロ抜き音階"によりノスタルジックなイメージも加わっているのです。わらべ歌や歌謡曲に“ニロ抜き音階"が使われる事もあり、日本人にも親しみのある音階でできているのです。