モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

よりどころは教会のしらべ

3分ちょっとの小品ながらモーツァルトの傑作のひとつと言われている合唱曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。

新しい音楽を次々と生み出し大ヒットさせた天才作曲家が、晩年に完成させたこの曲には、どのような思いが込められていたのか?

モーツァルトの意外な一面に迫ります。

 

感謝の響き

「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、教会音楽。教会の様々な儀式で歌われる音楽のひとつです。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はラテン語で、「めでたし まことの御体(おんからだ)」という意味で、キリストへの感謝と賛美が歌われています。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、モーツァルト最期の年となった1791年、ウィーン郊外の温泉保養地バーデンで作曲されたと言われています。当時、モーツァルトはウィーンに住んでいましたが、病弱な妻は、バーデンで療養生活を送っていました。バーデンで何かと気遣ってくれた教会の合唱指揮者であった友人に、モーツァルトはお礼として、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」をプレゼントしたのです。友人へ感謝を伝えたかったモーツァルト。キリストへの感謝である「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。澄み切った美しい響きは、モーツァルトの感謝の響きなのです。

 

立ち帰る場所

1756年、ザルツブルクに生まれたモーツァルト。当時ザルツブルクは、ローマ教皇によって任命された大司教が支配する、カトリックの宗教の街でした。モーツァルトの父も敬けんなカトリック信者で、教会音楽の演奏や作曲を仕事にしていました。そのため、少年モーツァルトの周りには、教会音楽があふれていたのです。そして、モーツァルトも13歳にして、ザルツブルクの大司教に仕える身となります。教会音楽の演奏や作曲をする事が重要な仕事となりますこうして、教会音楽は作曲家モーツァルトの基礎となったのです。ウィーンに移り住んだモーツァルトは、オペラ、交響曲、ピアノ曲などあらゆるジャンルで、ヒット曲を次々と生み出す人気作曲家となります。しかし、モーツァルトは教会音楽を忘れてはいませんでした。人生の節目で教会音楽を作曲していたのです。父親の反対を押し切った結婚の時には、ミサ曲を作曲し、ふるさとザルツブルクの教会に奉納します。さらに、戦争がおこり、ウィーンでこれまでのような音楽活動が出来なくなるというピンチを迎えた時、モーツァルトは、教会音楽に活路を見出します。教会音楽家としての第1歩を踏み出した、そんな時期に「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を作曲したのです。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の作曲からわずか半年後、モーツァルトはこの世を去ります。教会音楽に育てられ、教会音楽家として生きていこうとしていたモーツァルト。モーツァルトが完成させた、最後の教会音楽、それが、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」なのです。

 

音のグラデーション

3分ちょっとしかないこの曲は、メロディーに細かい音符や複雑な音型なく、とてもシンプルな構造。ところが4回も転調し、こまやかに曲の雰囲気が変化しています。例えば、短調から長調に変化する部分では、どちらの調にも存在する和音を間に挟み、自然な流れで転調が行われています。グラデーションのようにいつの間にか調が変わっているのです。このように気付かれないように行われている“ひそやかな技”が最大の効果を生み、この曲の厳かな雰囲気を生み出しているのです。