ヘンデル「葬送行進曲」

黒船が運んできたメロディ

~日本人が西洋音楽に触れた瞬間~

クラシック音楽と歴史の深いかかわりを探る新企画。

第1回目は黒船来航の時代に日本にどんな西洋音楽が

響いていたのかを徹底調査。

果たして黒船はクラシック音楽を運んできていたのか?

 

上陸、ペリーの音楽隊

1853年(嘉永6年)ペリー率いる黒船4隻が浦賀沖に来航、日本全体を震撼させた。この時は、神奈川県横須賀市の久里浜海岸に彼らは上陸、兵隊たちに交じって軍楽隊40人も上陸し、様々な音楽を奏でていた。その中で今日われわれも馴染みの深い曲の一つが「アルプス一万尺」だ。この曲はアメリカではヤンキー・ドゥードゥルと呼ばれアメリカ独立戦争の頃から歌われてきた曲だ。また、2回目の1854年の上陸地横浜では「草競馬」「ケンタッキーの我が家」などで有名なフォスターの歌曲が披露されていた。

 

1853年 東西音楽事情

黒船が来航した1853年。クラシック音楽の本場ヨーロッパではどのような音楽が流れていたのか?また、その頃日本はどうだったのか?調べてみると、1853年にはイタリアのベネチアで、ヴェルディの傑作「椿姫」が初演されていた。また、ピアノの天才リストが、超絶技巧の曲「ハンガリー狂詩曲」を発表した時期も1853年である。その頃日本では、歌舞伎の名作「與話情浮名横櫛」が初演されたり端唄(はうた)が流行したりしていた。 両者とも独自の音楽芸術を花開かせていたのだ。

 

横浜・元町に響いていたクラシック!?

果たしてペリー来航時に日本にクラシック音楽は鳴り響いていたのか?結論からいうと、鳴り響いていたのだ。場所は、横浜のメインストリートの一つ元町商店街。この通りの一角に 当時、増徳院という寺があった。1854年にペリー艦隊2回目に上陸した際、船上で一人の兵士が亡くなった。その兵士の遺体を埋葬するために、船から寺の墓所まで葬送行進が行われ、ヘンデル作曲のオラトリオ「サウル」から葬送行進曲が軍楽隊によって演奏されたことが記録に残されている。この曲は、アメリカ独立戦争の父、ジョージ・ワシントンや英国の元首相、ウィンストン・チャーチルの葬儀でも演奏された曲で、西洋の葬儀ではポピュラーな名曲だったのだ。