ショスタコーヴィチ「革命」

命がけで書いたシンフォニー

ロシア革命と深い関わりのある交響曲。

ソ連の最高指導者スターリンによる

大粛清の嵐が吹き荒れる中、この曲を書き上げた

ショスタコーヴィチの芸術家魂にせまる。

 

ロシア革命を祝して!

「革命」の愛称で親しまれるショスタコーヴィチの交響曲第5番は、1937年11月ロシア革命20周年を祝う演奏会で初演されました。当時の芸術作品に求められたのは、「革命」の成功によって、夢と希望を持って生きる民衆の姿を描くことでした。低音と高音の弦楽器がかけあいながら印象深いメロディを奏でる第1楽章。ものものしい雰囲気は、かつてロシア皇帝によって虐げられていた人々の苦悩を思い起こさせます。第3楽章には、苦難の連続だった民衆の気持ちによりそうかのような旋律が登場。初演の時、観客の中には、革命とその後の混乱で亡くなった家族や友人を思い出して、涙する人も多かったといいます。うってかわって華やかな金管楽器の音で立ち上がる第4楽章。民衆が苦難を乗り越えて新しい国家のもとで幸せになる。スターリン政権はこの曲に「体制への賛美」を感じ取り、高く評価しました。交響曲第5番の成功で、ショスタコーヴィチはソ連の作曲家として不動の地位を獲得することになるのです。

 

絶体絶命を乗り切るために・・・

若い頃から天才作曲家として知られていたショスタコーヴィチ。28歳で野心的なオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を発表。当初は人気オペラとして高く評価されていましたが、最高権力者スターリンが観劇した後に、"荒唐無稽のオペラ“と酷評されてしまいます。理由は、当時の政権にとって、“権力への抵抗"というこのオペラのテーマが危険視されたと考えられています。ショスタコーヴィチにとって次に発表する音楽は政権に睨まれないようにすることが絶対に必要でした。命の危険すらある中で作曲したのが交響曲第5番だったのです。初演は大成功、政権からも評価されたこの曲。しかし、ただ政府に気に入られるためだけの音楽を書くなど、芸術家、ショスタコーヴィチのプライドが許しませんでした。そこで彼は、音符の中に、スターリン政権を批判する暗号を忍ばせていたといいます。

 

隠されたメッセージ・・・

ショスタコーヴィチが交響曲第5番の中に刻み込んだもう一つのメッセージとは・・・様々な説の中から、第4楽章からビゼー作曲の歌劇「カルメン」の引用をご紹介します。そもそもショスタコーヴィチは過去の作曲家の作品から一部引用するのが好きでした。第4楽章の冒頭やクライマックスに何度も、カルメンの有名なアリア「ハバネラ」の中の一節が登場します。歌詞は、「信用しちゃだめよ!」の部分に相当します。加えて、クライマックスでは、トランペットが「信用しちゃだめよ!」という歌詞のフレーズを演奏する裏でバイオリンがひたすら「ラ」の音を弾き続けます。「ラ」は、古いロシア語では「リャ」と発音し、「私」を意味するそうです。この2つの言葉を結びつけると、“私は信用しない"というメッセージが埋め込まれていたという解釈が浮かび上がってくるのです。