レスピーギ「ローマの松」

永遠の都を愛して

 

レスピーギ作曲「ローマの松」。ローマの“松”!?ローマにも松があるの!? 

永遠の都・ローマの美しい風景とともにお楽しみください。

 

ローマで“待つ”のは…

ローマはその輝かしい栄光と美しさを讃えて「永遠の都」とも呼ばれています。古代ローマの闘技場「コロッセオ」など歴史の跡が今もなお残る街。でもローマで私たちを待っているのは遺跡だけではありません。実はローマにはいたるところに松の木が!ローマでは「繁栄・不死・力」の象徴とされ、古代から大切にされてきました。そんなローマの松を音楽で描いたのがこの曲。松の名所4つが描かれています。いったいどんな松が描かれているのか見ていきましょう。♪第1曲「ボルゲーゼ荘の松」…もともとは貴族の邸宅で、今ではローマ市民の憩いの場となっています。松林に見守られて子どもたちが輪になって踊ったり童謡を口ずさんだりしています。♪第2曲「カタコンブの松」…カタコンブとは地下墓地のことです。悲しげな聖歌が地底深くから立ち昇り、荘厳に響き渡る様子を松が見守っています。♪第3曲「ジャニコロの松」…街を見渡せる、ながめのよい場所です。日が暮れて夜になると…。穏やかな満月の下、松の姿が浮かび上がり、鳥の歌い声が聞こえてきます。♪第4曲「アッピア街道の松」…そして曲の最後を飾るのがアッピア街道。ローマからイタリア南端まで全長約560キロにも及ぶ長い長い道です。「すべての道はローマに通ず」なんて言われるローマの道の中でも、もっとも長い歴史を誇ります。松は街道の両側にそびえ立っています。古代、戦いに勝ったローマ軍が行進した栄光の道です。昔も今も、ローマの風景にとけこんでいる松。松は輝きにみちたローマの歴史を何千年もの間、見守ってきたのです。

 

ローマでアモーレ

レスピーギはイタリア中部の都市・ボローニャ生まれ。幼いころから音楽を学び、20代には作曲家としていくつかの作品を発表していました。34歳のとき、芸術の中心地ローマの名門・チェチーリア音楽院から、教授として来ないかと声がかかります。新たな活動の場を求めてローマに移り住んだレスピーギ。たちまち美しい街並みに目をうばわれました。そしてこの街でひとりの女性に出会います。レスピーギの生徒のひとり、エルザ。才能あふれるエルザにレスピーギは心惹かれます。エルザもまたレスピーギのことを尊敬。ふたりの気持ちはしだいに恋心へと変わっていきました。出会いから6年後、ついに二人は愛を実らせ結婚します。いっしょに暮らす中でレスピーギはエルザから大きな影響をうけました。彼女が好きだった古い時代の音楽に興味をもつようになったのです。さいわい歴史あるローマには古い楽譜がたくさん残っていました。彼はそれを熱心に研究し、作品の中に取り入れていったのです。作曲の新たな扉を開いてくれたローマ。愛する人と出会ったローマ。レスピーギはこの街を愛する気持ちを音楽に注ぎます。そして書き上げたのが「ローマ三部作」です。

♪「ローマの噴水」…街じゅうにある噴水が描かれています。

♪「ローマの祭り」…祭りの音楽・踊り・熱狂するローマ市民が描かれています。

そして「ローマの松」。緻密な描写とスケールの大きさで、「ローマ三部作」はレスピーギの代表作となったのでした。エルザを愛し、ローマを愛したレスピーギ。彼は57歳でその生涯を終えるまで、ローマを離れることはありませんでした。

 

すべての“音"はローマに通ず

「アッピア街道の松」で描かれているのは、ローマ軍が遙かかなたから姿を現し近づいてくる凱旋の様子。その輝きを表現するためにレスピーギはどんな技を使ったのでしょうか。

ポイントその①―ローマ軍の“足音"

曲の最初から最後まで低音で響くローマ軍の足音。ローマ軍が遠いときは不安定な音程で演奏されます。その足音は、曲がすすみローマ軍が近づいてくるとはっきりした音程に変化します。微妙な音程の変化で、ローマ軍の輝かしい姿が近づいてくる様子を描きました。

ポイントその②―ローマ軍の“ラッパのファンファーレ"

「バンダ」と呼ばれる、ステージのオーケストラとちょっとはなれたところで演奏するグループに注目です。役割は“音響効果"。ラッパのファンファーレがあっちからもこっちからも、たたみかけるようになり響きます。音量も音の厚みも増す迫力の演奏にご注目ください。