リヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラをこう語った」

哲学までも音楽に!

どんなことでも音楽で描いてしまう技を持っていたリヒャルト・シュトラウス。

「ツァラトゥストラはこう語った」は何と「哲学」を音楽で表現した曲だ。

超有名なこの曲の冒頭部はいったい何を描写していたのか!?

 

音楽で表現できないものはない

ホルン奏者だった父親の影響で幼いころから音楽の英才教育を受けてきたシュトラウス。20代になると次々と実験的な作品を発表。それは様々な物語を言葉を用いずにオーケストラの音だけでつむいだ音楽でした。例えば夫婦げんかの様子やいたずらっ子の姿、アルプス登山の様子などなど。当時その手法はあまりにも珍しく、初めて耳にする聴衆からは批判を浴びることも少なくありませんでした。しかし本人は気にするどころか「真の芸術ほど最初は理解されないもの。自分の思った通りだ。」と語っていたと言われています。そんな彼が究極のテーマとして挑んだのが、哲学者ニーチェの書いた「ツァラトゥストラはこう語った」という難解な本をもとにした音楽です。シュトラウスには、歴史に残る作品を残したいという野心があり、しかも自分の描写力なら難解な哲学でさえも表現できるという自負の念がありました。

 

ツァラトゥストラって誰?何を語った?

「ツァラトゥストラ」とは古代ペルシャの「ゾロアスター教」を開いたとされる預言者「ザラスシュトラ」をドイツ語読みにしたもの。10年もの間、山にこもり瞑想にふけっていたツァラトゥストラはある朝、悟りを得て山を降り、人々に新しい思想を語って回ります。それは「絶対的な神は死んだ。これからは神に頼るのではなく、自ら生きる意味を見いだし、今を生きて行きなさい(要約)」という言葉でした。シュトラウスはこうした、キリスト教を否定するニーチェの革命的な思想に独自の解釈を施し、本の中から9つの章を選びだして、それぞれを音楽にしたのです。あの有名な冒頭は、悟りを得たツァラトゥストラがほら穴から出た瞬間、全身に光を浴びた様を描いていました。

 

シュトラウスはツァラトゥストラをこう語った

ニーチェの哲学をシュトラウスの解釈で描いたというこの曲。随所にハッとする「技」が込められています。

1)有名な冒頭は「日の出」を表しています。この日の出の音楽を三段階に発展した形、つまりホップ・ステップ・ジャンプの形で構成。それぞれの段階に「ドソド」という音形を用いました。特に「ジャンプ」の段階は、この「ドソド」の後、ただ音階を上がっていくだけの表現です。それなのに壮大な感じを与えたのは、この三段階に発展していく形をうまくいかしていたからなのでした。

2)シュトラウスによるニーチェの本の解釈は「自然と人間は永遠に対立する」というもの。彼は「自然」をハ長調またはハ短調で、「人間」をロ長調またはロ短調で表現しました。これで「対立」が表現できることの理由の一つは、それぞれの「調」をピアノの鍵盤上で見てみるとよく分かります。なんと、すぐ隣同士の鍵盤なのです。和音を鳴らしてみると当然のことながら全く響き合いません。曲の最後の最後でも、それぞれを交互に鳴らすことで決して交わることなない「永遠の対立」を表現していることが分かります。