ボロディン「ダッタン人の踊り」

人々を結ぶメロディー

ボロディンの「ダッタン人の踊り」、その異国情緒あふれるメロディは、ジャンルを超え多くのアーチストにカバーされています(現代の歌姫サラ・ブライトマン、ジャズボーカルの大御所トニー・ベネット、ベンチャーズなど)。

ロシアを代表する名曲はソチ五輪では開会式の冒頭で演奏されました。

今回は作曲者ボロディンの知られざる素顔をひも解きながら、

名曲誕生の裏側に迫ります。

 

がんばれロシア!

作曲当時のロシアは、国外に領土を求めたクリミア戦争に敗れ対外的に失敗。国内では、農奴解放令によって都市部に浮浪者があふれ社会は混沌としていました。あらゆる面で西欧社会に遅れをとっていたのです。音楽の世界も同じで、演奏されるのは西欧の音楽ばかり。自国の音楽は受け入れられない状況でした。そんな時代に、ロシア自国の音楽として大きな存在感を示したのが、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」でした。「ダッタン人の踊り」は歌劇「イーゴリ公」の一部分。中央アジアの騎馬民族から自国を守るため出征したロシアの英雄イーゴリ公は負傷し、捕虜となります。しかし敵将は勇敢なイーゴリ公に敬意をはらい宴席を設けます。そこで歌い踊られるのが「ダッタン人の踊り」です。歌劇「イーゴリ公」は国内で大ヒット。さらに、20世紀初頭パリで「ダッタン人の踊り」の部分が抜粋され上演されると、ヨーロッパの聴衆を熱狂させたのです。その異国情緒あふれるメロディは、ロシアを代表する名曲として今も多くの人に愛されています。

 

いい人すぎる化学者

実は、作曲者ボロディンの本業は化学者でした。作曲は化学者としての多忙な日々の間を縫って行っていました。また困っている人を見ると放ってはおけない性格で、彼のもとには様々な相談ごとを抱えた人々が絶えなかったと言います。そのため、作曲に費やせる時間はごくわずか、ボロディンは自らを「日曜作曲家」と呼んでいました。そんなボロディンが取り組んだ人生最大規模の作品が、ロシアの古の武将を描いた叙事詩「イーゴリ軍記」を元にした歌劇「イーゴリ公」でした。歴史書を読み解き、現地調査までおこなったボロディンでしたが「ダッタン人の踊り」のシーンは原作には存在しないボロディンのオリジナルです。このオペラでボロディンは騎馬民族を敵対的には描いておらず、この「ダッタン人の踊り」のシーンは、異民族同士が手を取り合うことが大事、というボロディンのメッセージを読み取ることができる象徴的なシーンだと専門家は話します。ボロディンの温かな思いがこもった名曲、それが「ダッタン人の踊り」です。

 

エキゾチックな化学反応

この曲の得も言われぬ「異国情緒」はどこからくるのでしょうか。作曲家・加羽沢美濃が実演解説します。

その1 「ドローン」

低音部で高さの変わらない音が持続的に鳴り続ける技法。これによって民族色を巧みに表現しています。

その2 「空虚五度」

通常3つの音で構成される和音。その真ん中の音をあえて弾かない技法。明るい響きか、暗い響きかの区別がつかないので、聞き手の想像力にゆだねられた開放感がある。

これらをボロディンは巧みに使って、「異国情緒」を醸し出していたのです。