ブラームス「ハンガリー舞曲」

ヒット作は疑惑とともに

世界中で愛されている名曲「ハンガリー舞曲」。

しかしこの作品、じつはブラームスの作曲ではなかった!?

名曲の誕生秘話をご紹介します。

ハンガリー舞曲 第5番 第1番

 

時流に乗った舞曲

「ハンガリー舞曲」はオーケストラの演奏でもおなじみですが、原曲は1台のピアノを二人で演奏する「連弾」の作品。1869年の発表直後から大ヒットとなったのには2つの理由がありました。ひとつは、当時のヨーロッパを席巻した「チャールダーシュ人気」です。チャールダーシュとはハンガリーの民俗舞曲のひとつで、超絶技巧を誇る華やかなメロディーや小気味良い2拍子のリズムが特徴ですが、そのチャールダーシュがこの時期ヨーロッパじゅうに広まり、多くの作曲家が自分の作品に取り入れたのです。ブラームスの「ハンガリー舞曲」もチャールダーシュの曲で、当時の「チャールダーシュ人気」に乗ったものでした。そして、この曲がヒットしたもうひとつの理由は、「ピアノの連弾曲」だったことです。ヨーロッパの家庭にピアノが普及した19世紀半ばは、楽器といえばピアノという時代。中でも1台の楽器で二人が楽しめる「連弾」は人気でした。「ハンガリー舞曲」は、当時の「連弾ブーム」と「チャールダーシュ人気」に乗ってヒットした作品だったのです。

 

チャールダーシュに 魅せられて

1833年、ドイツ北部のハンブルクに生まれたブラームス。彼は20歳の頃、ハンガリーから亡命したバイオリニストのレメーニの奏でるチャールダーシュの旋律を聴いてその音楽のとりこになりました。やがて、110冊ものチャールダーシュの楽譜を集め、自作にもチャールダーシュの要素を取り入れたものを多く残しています。さらにブラームスは、チャールダーシュそのものをもっと多くの人に好きになってほしいとまで考えるように。そして彼は、自分が親しんだ何百にものぼるチャールダーシュの曲をいくつかの作品集から組み合わせて編曲し始めたのです。こうして生まれたのが、21曲からなるピアノ連弾の曲集「ハンガリー舞曲集」でした。発表後は、ブラームスに自分の曲を使われたチャールダーシュの作曲家たちからクレームがつけられましたが、彼はこの曲集を自分の「作曲」ではなく、「編曲」と表記していたため咎められずに済みました。こうして、ブラームス選りすぐりのチャールダーシュを集めた「ハンガリー舞曲集」は、今では彼の代表曲のひとつとして世界中で愛されるようになったのです。

 

素材が光る!編曲のワザ

「ハンガリー舞曲」の多くは既存のチャールダーシュを編曲したものですが、その編曲には、ブラームスが「素材の持ち味を壊さずに料理した」見事な手腕が光っています。たとえば、2つの原曲を組み合わせる際も、相性の良い2曲を選曲しています。有名な「第5番」の場合、Aメロ=ケーレル作のピアノ曲、Bメロ=ボーグナー作の歌曲がそれぞれの原曲ですが、まったく違う作曲家の書いたチャールダーシュを合体させることで、それぞれの曲の良さを引き出しているようにさえ感じられるのです。そして時には、原曲の長大なエンディングを大幅にカットしてまるっきり違う3つの音で曲を締める…という大胆な編曲も行っています(「第5番」の最後の三音はブラームスのオリジナル)。「ハンガリー舞曲」には、チャールダーシュを愛し、研究し尽くしたブラームスならではの編曲センスが光っているのです。