ダウランド「あふれよ 涙」

涙かれるまで

「あふれよ 涙」は400年以上も前に作曲された、リュートのための作品。

なんと、あの音楽界のレジェンド、スティングも惚れ込みカバーした名曲です。その魅力に迫ります!

 

いにしえの楽器リュート

リュートとは、ルネサンス時代に上流階級の間で大流行した楽器です。アラブ音楽を代表する楽器ウードがルーツで、東へ伝わり、日本で琵琶となり、西へ伝わり、ヨーロッパでリュートとなりました。ヨーロッパでは、貴族たちは競って優秀なリュート奏者を雇い、人々が集まれば、リュートの演奏を楽しみました。当時、最もポピュラーな楽器が、リュートだったのです。

 

悔し涙の果てに

ダウランドが活躍した1600年ごろ、イギリスではリュート音楽の黄金時代を迎えていました。女王エリザベス1世が、リュートをこよなく愛していたからです。リュート奏者たちは、エリザベス女王に仕えるという最高の栄誉を夢見たのです。当時、リュートの名手としてその名をヨーロッパ中にとどろかせていたダウランドも、「女王付きのリュート奏者」には、自分こそがふさわしいと思っていました。しかし、前任者が亡くなり、ポストに空きが出来てもダウランドにお声はかからず、ショックを受けたダウランドは、31歳でイギリスを離れます。すると、エリザベス女王暗殺計画に加わっていると疑われ、身の潔白を証明する手紙を女王の側近に送りますが、イギリスに戻りづらくなるのです。それでもダウランドはあきらめず作曲を続け、歌曲集を出版。英国王室の実力者に献呈しますが、ダウランドの思いは女王には届かなかったのです。「英国王室付きのリュート奏者」というダウランドの望みがかなうのは、1612年、49歳の時。リュートを愛した女王エリザベス1世、亡き後の事でした。その後、ダウランドは創作意欲を失います。皮肉にもかなわない夢を追い続けた日々が、生涯の中で最も実り多き時期だったのです。

 

音と言葉の相乗効果

「あふれよ涙」は、作詞もダウランドではないか、と言われています。言葉と音楽がぴったりとあい、そのことによって生まれる効果とは?

①涙のモチーフ

曲の最初の4つの音には、「Flow my tears あふれよ 涙」という歌詞がついています。1音ずつ音が下がり、まるで涙がこぼれ落ちるようです。これは「涙のモチーフ」と呼ばれ、当時大流行。同時代の作曲家もこのモチーフを使って作曲しました。

②だんだん重ね

「And tears,and sighs,and groans そして涙、そしてため息、そして苦しみの声」の歌詞には、同じ音型を3回繰り返し、その音はだんだんと上がっています。そのことによって、たたみかける感じが強まっています。

③反発が生む真の意味

「Happy,happy 幸運なのは」の歌詞には、下がっていく音型がつけられています。幸せという言葉に、下がる音、暗いメロディーをつけることで、言葉の奥にある本当の感情、幸運ではないことを表現しているのです。