グルック「精霊の踊り」

王妃アントワネットが愛したオペラ

マリー・アントワネットの音楽教師だったグルックの傑作。

彼のオペラのパリ上演を巡る二人の師弟愛を見つめます。

 

オペラを変えたオペラ

「精霊の踊り」は、歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の中の1曲で、第2幕のバレエの場面で演奏される曲です。初演は1762年のウィーン。発表当時、音楽界に衝撃を与え、オペラを改革した作品とされています。当時のウィーンの観客を魅了していたオペラはイタリアオペラ、なかでも去勢した男性歌手カストラートたちが大活躍するオペラでした。カストラートは、強靱で高い声と超絶技巧を売り物にした歌手で、観客は彼らの声に酔いしれました。その結果、オペラは物語を置き去りにしたカストラートの歌謡ショーになっていたのです。グルックはこうした歌手至上主義のオペラではなく、音楽とドラマが一体となった作品を望んでいました。そこで発表したのが歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」でした。具体的には、歌手と合唱が交互に歌うことで、ドラマチックに物語を進行させたり、主人公のアリアも技巧的な部分は出来るだけ抑制し感情をより深く伝える歌にしたのです。こうしたグルックのオペラ改革は、その後、ワーグナーなど多くの作曲家に影響を与えることになるのです。

 

グルック先生のために

グルックは1714年、南ドイツのエラスバッハで生まれ。父親は森林官でした。父親は息子を森林官にしようとしていたので、音楽家になろうとしたグルックに大反対。グルック少年は家出をして音楽の道へと進みます。ミラノ、ロンドン、コペンハーゲンなどヨーロッパ各地を旅しながら様々な音楽を吸収。転機が訪れたのは36歳の時。ウィーンで結婚した妻の縁で宮廷の仕事をはじめます。そのひとつが、マリー・アントワネットの音楽教師でした。この間二人には、強い信頼関係が生まれたといいます。作曲家としても斬新な曲を次々に発表。歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」で成功をつかむと、やがて文化芸術の都パリを目指します。その時頼ったのが、既にフランスの王室に嫁いでいたかつての生徒、マリー・アントワネットでした。アントワネットは、外国人であるグルックのオペラを嫌う人々を説得し、上演を実現させます。アントワネットの師弟愛もあってグルックのオペラはパリでも成功を収めることができたのです。

 

フランスで バージョンアップ

この曲は、ウィーン初演時に書かれていた部分とパリ版のために書き足された部分から成り立っています。両方ともバレエの場面の曲ですが、当時のパリはオペラの中でバレエの場面をとても重要視したので、グルックはパリ上演のためにさらなる充実をはかったのです。まさにバージョンアップさせていたのです。いったいどのように・・・

①ウィーン版

1762年のウィーン初演時に書かれた部分は、ヘ長調の明るい牧歌的なメロディです。美しいフルートの調べが印象的で、ここでは主人公のオルフェオが妻を取り戻すためにやってきた黄泉の国に着いた時、目に飛び込んできた美しい風景とそこで戯れ踊る精霊たちの様子を表していると言われています。

②パリ版で書き足された部分

1774年のパリ上演のために書き足された部分は牧歌的なウィーン版とはうってかわって、悲劇的な印象を与える曲調です。二短調という調性も暗い印象をより強くしています。しかし、はっきりとしたコントラストが付くことによってこの曲は、より印象深くなり進化したといえるのです。さらに、ゆったりとしたフルートのメロディの裏でバイオリンが繰り返す細かな音との対比も印象的です。