ベートーベンの「月光」


月夜にきらめく 不滅の輝き

~ベートーベンの「月光」~

この作品に対して、多くの人が持つ「月夜」のイメージ。

しかし「月光」という名前はベートーベンが付けたわけではない。

それなのに、なぜこんなにこの呼び名が広まったのか?

ベートーベンが自由な発想で作り上げた作品の魅力に迫る。

月の光にみせられて

 

そもそもベートーベンがつけたタイトルは「幻想曲風ソナタ」。それなのになぜ「月光」という呼び名が広まったのか?はっきりした理由はわかっていませんが、研究者たちの間でもっとも有力とされているのは、ドイツの詩人レルシュタープの言葉がきっかけだというもの。音楽評論家として大きな影響力を持っていたレルシュタープがこの曲の1楽章をきき、「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と例えました。この言葉が広まり、作品自体が「月光」と呼ばれるようになったと言われています。さらに、「月光」というネーミングを後押しした理由の一つに、ベートーベンのはかない恋物語がありました。作曲当時ベートーベンが思いを寄せていた伯爵令嬢ジュリエッタ。この作品は、愛する彼女に贈られているのです。惹かれあった2人でしたが、境遇の差が生み出した壁は厚く、その恋はやがて終わりを迎えます。切なく、はかない印象が「月光」という呼び名を後押したのでは。そんな見方をする人もいます。日本では、盲目の少女のために演奏した曲が「月光の曲」だったというフィクションの物語が戦前の教科書に掲載されるまでに。さまざまな想像をかきたてる「月光」という呼び名。ベートーベンもまさか、こう呼ばれているとは、夢にも思っていないでしょうね。

 

常識をくつがえせ

 

ベートーベンがこの作品につけた「幻想曲風ソナタ」というタイトル。この「幻想」とは、即興演奏する、自由な発想という意味なんです。そこにはそピアノ・ソナタの常識を覆そうとする、ベートーベンの強い意思が反映されていたのです。まず第1楽章はアダージョ・ソステヌート、ゆっくりと音を切らないよう演奏する事が指示されています。これは当時のソナタではありえないことでした。それ以前のピアノ・ソナタは、第1楽章はアレグロ、つまり速いテンポで華やかに始まるというのが一般的。さらに第1楽章に「ソナタ形式」を使うことも、当時のピアノ・ソナタの常識だったんです。しかしベートーベンは「ソナタ形式」を第1楽章ではなく、第3楽章に使っています。ベートーベンは革新的な人で伝統を無批判に踏襲するという事を一番嫌っていました。その一方、この時期、ベートーベンは耳の異常を強く感じるようになっていました。そして「月光」を発表した翌年、1通の遺書をしたためています。自ら死を意識するほど思い悩んでいたのです。音楽家として致命的ともいえる耳の病、周囲に打ち明けることもできず思い悩む日々。そんな苦しみを抱えたベートーベンの心の叫びが、この「月光」にも感じられるというのです。不朽の名作「月光」には、常識を打ち破ろうとするベートーベンの挑戦と死をも意識する心の葛藤を感じとることができるのです。

 

冷静と情熱のはざまで

 

詩人レルシュタープが「月光の波に揺らぐ小舟のよう」と例えた通り、この作品には聴き手に夜の水辺を思わせる効果があるんです。

第1楽章は三連音符、分散和音で貫かれ、これが水辺をイメージさせます。さらに嬰ハ短調という調性を使う事で、霧がかったような夜の雰囲気を思わせるのです。

そして第3楽章は、一転して激しい曲調に変化。p(ピアノ)「弱く」という指示が多いながらも、なぜ激しくきこえるのか?それは時折表れるsf(スフォルツァンド)「その音を特に強く」にあります。緩急や強弱の絶妙なコントラストが内に秘めた高揚感や緊張感を生み出しているのです。