アンリ・ルソー

アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー

(1844年〜1910年)

 フランスの素朴派の画家。ルソーは20数年間、パリ市の税関の職員を務め、仕事の余暇に絵を描いていた「日曜画家」であった。このことから「ル・ドゥアニエ」(税関吏)の通称で知られている。ただし、ルソーの代表作の大部分は税関を退職した後の50歳代に描かれている。

 ルソーはフランス北西部のラベルという町で生まれた。ラベルには中世にたてられた塔があり、ルソーはその塔の中で生まれた。家は貧しく、高校中退すると、一時法律事務所に勤務するが、1863年から5年間の軍役を経て、1871年、24歳の時にパリに出て市税関の職員となる。

 ルソーは他の画家と違い、税関を辞めるまで「日曜画家」として独学で絵画を学び、ルーブル美術館で模写の許可をもらうと、休みのたびに模写をくりかえしていた。また緑の自然も観察をくりかえし、これが後の絵画に大きく影響している。「両親に資産がなかったので、私の芸術的趣味が要請したものとは別の職業にまず就かねばならなかった」と語っているように、ルソーが積極的に絵を描き始めたのは遅かった。

 現存するルソーの最初期の作品は、1879年(35歳)のものである。自分の才能を信じ、独学で絵を学び、初めて画家としてデビューしたのが、1885年のアンデパンダン展であった。このアンデパンダン展には終生出品を続けている。1888年、最初の妻クレマンスに先立たれ、生まれた子供も幼くして亡くしている。2番目の妻ジョゼフィーヌにも1903年に先立たれ、家庭生活は恵まれていなかった。
 ルソーの才能は誰も認めず、ルソーの絵画を見て「この絵は誰もが子供のころに描いて喜んでいた絵だ」と笑われていた。しかしそれにも負けず、ルソーは絵画に専念するため、1893年に49歳で退職し、早々と年金生活に入っている。たしかに稚拙な印象があるが、それは細部をおろそかにせず、すべてのものが明確な輪郭と色彩をもっていて、ルソーの絵は人柄そのものであり、子供っぽい願望の表れでもあったと思われる。人は年齢と共に子供のころの精神を捨てしまうが、内なる楽園をルソーは捨てることなく描き続けた。まさに明確な無意識の無垢の人柄であろう。

 税関退職前の作品としては「カーニバルの夜」(1886年)などがあるが、「戦争」(1894年)、「眠るジプシー女」(1897年)、「蛇使いの女」(1907年)などの主な作品は退職後に描かれている。

 ルソーの作品は、画家の生前はアポリネール、ゴーギャン、ピカソなど一部の画家たち以外認める者はいなかった。ルソーの作品には常に嘲笑がついてまわったが、彼はそれを意に介さなかった。無垢な人柄が、人々の負の意識をすべてプラスに変えてしまっていた。

 

エピソード

 1908年、ピカソ、アポリネールらが中心となって、パリの「洗濯船」(バトー・ラヴォワール)で「アンリ・ルソーの夕べ」という会が開かれた。これは「からかい半分の会」だったと言われているが、多くの画家や詩人がルソーを囲んで集まり、彼を称える詩が披露された。日本でも早くからその作風は紹介され、藤田嗣治、岡鹿之助、加山又造など多くの画家に影響を与えた。
 晩年の1909年、ルソーはある手形詐欺事件に連座して拘留されている。この件については、ルソーは事情をよく知らずに利用されただけというが、真相は不明である。ルソーは世間に認められることなく、1910年に肺炎のため没した。

作風
 ルソーの絵に登場する人物は、ほとんどが真正面か真横を向いて、目鼻も同じように描かれている。人物の向きや顔を見たらすぐにその絵を描いたのがルソーとわかるほどだった。この描き方が批評家たちにとっては下手に見えたのである。 

 また風景には遠近感がなく、樹木や草花は葉の1枚1枚が几帳面に描かれている。このような一見稚拙に見える技法を用いながらも、彼の作品は芸術性の高いもので、いわゆる「日曜画家」の域をはるかに超えていた。19世紀末から20世紀初めという時期に、キュビスムやシュルレアリスムを先取りした独創的な絵画を創造した。
 彼の作品には熱帯のジャングルを舞台にしたものが多数ある。ルソーはこの南国風景を、メキシコに従軍した時の思い出をもとに描いたとしているが、実際には南国へ行ったことはなく、パリの植物園で見た植物を組み合わせて、幻想的な風景を作り上げていた。熱帯植物園でスケッチした植物を元に空想で描いたもので、ジャングルの密林を描くにあたり、何十色もの緑色を使い分けている。また、写真や雑誌の挿絵を元に構図を考えた作品もある。

風景の中の自画像(私自身、肖像=風景)
1890年 143×110cm | 油彩・画布 |
プラハ国立美術館

 1890年のアンデパンダン展に出品したルソーの自画像である。パリで開かれた万国博覧会が強烈に印象に残ったルソーが博覧会の閉幕後に描いた自画像で、後ろに博覧会の様子がみえ、ベレー帽にパレットを持ったルソーは「自分は芸術家だ」と主張しているように見える。ある新聞の批評家は「ルソーは絵画の革新者だ。ルソーは風景=肖像画というものを発明した。ひとつ特許をとっておくことをおすすめしたい」と皮肉たっぷりに書いた。するとルソーは、「新聞に出ていたとおり、私は風景=肖像画の発明者なのです」と、ある手紙の中で無邪気に自慢してい。

カーニバルの晩
1886年 116×89cm | 油彩・画布 |
フィラデルフィア美術館

眠れるジプシー女
1897年 129×200cm | 油彩・画布 |
ニューヨーク近代美術館

 砂漠の真ん中で眠る女性と、そばにいるライオンと、空にうかぶ白い月が神秘的である。女性が着ている服はカラフルなのに、とてもバランスがとれている。満月に照らされた青く澄んだ夜空を背景とした、ひんやりとしたイメージがあるが、ルソーの清らかな神話の世界が広がっている。

 「放浪の黒人女が、マンドリンと水差しをかたわらに、くたびれて眠込んでいます。ライオンが通りかかって匂いをかいますが、食べはしません。とても詩的な月のせいです」。当時借金に困ったルソーは、「2,000フランで売ってあげます」と同級生だった故郷のラヴァル市長へ手紙に書いている。この作品の購入は断られ、ルソーが生きている間には評価されず、ルソーの死後13年目の1923年にパリの下町の石炭屋の作業場で発見され、多くの人を驚かせた。斬新な細部描写、大胆で独特な色使い、なにより詩情あふれる世界。ピカソが描いたのではないかと騒ぎになった。

戦 争
1894年
114×195cm | 油彩・画布 |
オルセー美術館(パリ)


1910年 204.5×298.5cm | 油彩・画布 |
ニューヨーク近代美術館

 ルソーの最後の作品で集大成とも言える。すき間がないほど画面にびっしりと描かれれた植物と動物。使われている色の数もルソーの作品の中では最も多い。暗いジャングルの動物と女性、そして周りを囲む不思議な花たちが印象的である。ジャングルなのに、長いすがあるというのも不思議であるが、ルソーはこれについて「長いすに横たわって眠っている女性は、この森に運ばれて、魔法使いの音楽を聴いている夢を見ているのです。絵の情景が彼女の夢なのです」と語っている。タイトルどおり夢の中の作品である。

飢えたライオン
1905年 200×300cm | 油彩・画布 |
バーゼル美術館(スイス)