ルブリョフ

アンドレイ・ルブリョフ(1360年頃 - 1430年)
 アンドレイ・ルブリョフはロシアの修道士、15世紀のモスクワ派における最も重要な聖像画家である。正教会では聖人とされているが、トロイツキー・セルギエヴァの修道士であったこと以外は、ルブリョフの生涯および作品について詳しく知られていない。多くの大聖堂の壁画やイコンを手がけているが、どの作品がルブリョフによるものかは判別不可能とされている。
 ルブリョフは1405年頃に修道士となりアンドレイの名を用いるようになった。彼の作品のうち、もっとも重要なものは、創世記17章に材を取った「至聖三者」である。アブラハムの許を3人の天使が訪れたという旧約の記述を正教会では「旧約における至聖三者の顕現」として捉えているが、アブラハムとサラによってもてなされる3人の天使の情景のうち、3人の天使のみが描かれている。
 この作品はもともと知人である修道士の瞑想のために書かれたものであったが、後にロシア正教会はルブリョフの図像を三位一体の唯一の聖像として認めるようになった。正教会に属さないカトリックでもルブリョフの「至聖三者」を用いることがある。「至聖三者」は、1904年に再発見され修復された。

 ルブリョフの様式に倣った聖像画家の一派をルブリョフ派と呼び、彼を題材とした映画「アンドレイ・ルブリョフ」(1967年、監督:アンドレイ・タルコフスキー)は1969年カンヌ国際映画祭の国際批評家賞を受賞している。

聖三位一体
1408-27年頃、114cm×112cm、板、テンペラ
モスクワ トレチャコフ美術館

 優しい表情の三人の天使たちが、ユダヤの族長アブラハムのもとを訪れたところである。この「三」という数字は、父(神)と子(キリスト)と聖霊の聖三位一体を象徴している。この作品はトロイツキー・セルギエヴァ大修道院の開祖、聖セールギーを称えて描かれたもので、同修道院内のトロイツキー聖堂に飾られていた。制作年については、トロイツキー聖堂が二度にわたって再建されたこともあり、正確なところは特定できない。しかし、ロシア最大の画家アンドレイ・ルブリョフによるイコンの世界を現代の私たちも共有できることは奇蹟のようにおもえる。
 ビザンティン美術を知るために、もっとも重要な概念はイコン(聖像)だと言われている。人間を超えた聖なる存在、絶対の存在たる神は不可視であるとして、美術で表現することはできないとする神学者が多く、イコン信仰はキリスト教世界に急激に広まっていった。文字の読めない信徒にとって、キリストやマリアの姿を具体的に目の前に見ることができるということは、やはり強い信仰の支えとなった。
 ロシアはビザンティン帝国から多くのものを得たが、宗教と美術はセットになって輸入され、ビザンティン帝国の積極的な布教政策によってロシアは国をあげてキリスト教化していき、ビザンティンのイコン、写本、工芸品が大量にロシアにもたらされた。やがて1453年のコンスタンティノポリス陥落以後、モスクワは第二のローマ帝国であったビザンティンを継ぐものとして、自ら「第三のローマ」をさえ名乗るようになり、その時代に活躍したのがルブリョフだった。
 この「聖三位一体」はそれまでのイコンの超然とした侵しがたい雰囲気とは違い、暖かく微笑ましい空気につつまれ、秘密めいたものさえ感じてくる。パステルカラーを思わせる中間色、黄緑、黄色、オレンジ色、茶色などが多用され、甘やかな、それでいて心が澄み渡るような静謐な画面から、私たちが求めてきた非常に理想的な精神の有り様とでも表現すべきものを感じさせる。
 天使たちの身体と椅子、そして足元の台はまろやかな円形をなし、テーブルの上の杯にはキリストの犠牲が表現されている。円や三角形の構図は神の摂理を表し、人物の頭部が小さく極端ななで肩もこの頃の特徴的なものである。ドラマティックな演出のない、薄塗りの爽やかな画面には心なごむ詩情があふれ、伝統的なビザンティン美術を脱した夢のような世界がある。