吉田 都

 吉田 都 (1965年10月28日 - ) は東京都国立市出身のバレリーナ。1988年より2010年まで22年間にわたって英国の2つのロイヤル・バレエ団でプリンシパルを務めた。西欧の宮廷文化が生んだ芸術に東洋人の体型がハンデになるが、「こんなに詩情を感じさせるフェッテ(脚を振り出す旋回)は見たことがない」とロイヤル・バレエ団の創設が述べた。事実、小さなバレリーナに観客の視線は吸い寄せられ、注目は驚きに、驚きは称賛に変わり、やがて喝采に包まれていった。ある教授は「佐々木教授は「吉田さんの踊りは、無我の境地。能のような高度な精神性を感じさせ、それでいて静かな明るさがある」と評している。


 

 1965年、吉田都は東京都国立市に生まれる。父親は税務署に勤め、母親は専業主婦で、2歳違いの姉がいた。バレエとは縁の薄い家に生まれ、人見知りで引っ込み思案であったが、トウシューズへのあこがれが強く、9歳で石沢秀子にバレエを習い始める。1981年に全国舞踊コンクール・ジュニア部門で第1位。その後石沢の勧めで松山バレエ学校に移籍した。1983年、都立北多摩高等学校2年在学中にローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞し、英国ロイヤル・バレエ学校に入学した。1年後の1984年にサドラーズウェルズ・ロイヤル・バレエ団 (現バーミンガム・ロイヤル・バレエ団) に入団。ピーター・ライト卿に認められ、4年後の1988年には最高位プリンシパルに昇格する。

 1991年、英国のダンス専門誌「Dance&Dancers」の人気投票で ダンサー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。ロンドンを本拠地とする姉妹カンパニーのロイヤル・バレエ団に客演していたが、1995年にバーミンガムから正式に移籍した。この理由について家族的な雰囲気のバーミンガムに居続けることで成長が止まってしまうことを恐れたためと後に説明している。

1999年、エリザベス女王ご臨席のもと、オペラハウスオープニングガラ公演に出演した。イギリスでは代表的な古典の主役のほか、アシュトン振付 「シンデレラ」、ニネット・ド・ヴァロア振付「コッペリア」、マクミラン振付「ロミオとジュリエット」などの少女役・妖精役を得意としていた。

 2004年、天皇、皇后両陛下ご臨席のもと、新国立劇場にて新演出「ライモンダ」を踊る。2010年4月にロンドンのオペラ・ハウスで、さよなら公演として「シンデレラ」を踊った。2010年、東京文化会館で同バレエ団の来日公演 「ロミオとジュリエット」 のジュリエット役を踊り、これを最後に英国ロイヤルバレエ団退団。る。ロイヤル退団後は日本を拠点にフリーランスとして活動している。東日本大震災の直後には、ロンドンにてJapan Tsunami Appeal Concertというチャリティー公演を企画し、支援活動を行った。2011年5月には東京で、古巣バーミンガム・ロイヤル・バレエ団と「真夏の夜の夢」を踊った。