ルネッサンスとは

  もともと多神教国家であったローマ帝国は、キリスト教を弾圧し多くの殉教者を出したが、その迫害にもかかわらずキリスト教の広まりは衰えなかった。多神教に慣れ親しんだ人々にはキリスト教の世界感は理解困難であったが、ローマ帝国のテオドシウス帝は380年にキリスト教を国教とし、392年にはキリスト教以外の宗教を禁止することになる。

 ローマ・ギリシャの神話文化は異教とみなされ厳しく取り締まられ、キリスト教絶対主義の時代となる。この暗黒とも称せられる中世の時代は1000年も続いたのである。

 キリスト教とともに、芸術や文化はキリスト教を礼賛するものばかりとなり、キリスト教の布教に重点がおかれた。ほとんどの者が字が読めず、しかも聖書はラテン語で描かれていた。キリスト教の布教には尊厳ある教会と、絵画が必要だった。人間は神によって神の姿に似せて創られたが、その霊魂は生まれながらにして堕落している。もし救われて天上界に行きたいのならば、神を信仰し神に奉仕する以外に道はない。このような宗教観が中世の人々を支配していた。人間の救済や向上さえも、神の意志によって行われるとされ、中世の人々は庶民、王侯、愚者、賢者を問わず、すべての人々がローマ法王を頂点とするキリスト教会に奉仕し、ひたすら神のために尽くし、神を信仰することを生きる基礎とた。

 ルネサンスとは「再生」「復興」を意味する言葉で、14世紀から16世紀にイタリアを中心に起きた文化運動である。ルネッサンスには二つの柱があった。ひとつはギリシャ・ローマ時代の「古典古代の文化を復興すること」で、もうひとつは「自由な人間性の回復および自然認識」であった。当時のイタリア人は「人間は万物の尺度」と考えていたので、例えば裸体美の追求は古代趣味と同時に人間賛歌であり自然描写でもあった。

 ではなぜ1000年も続いたキリスト教絶対主義的世界観が変化したのだろうか。まず十字軍の遠征によって古代ギリシャ文明を知ったことが挙げられる。さらにルネサンスはイタリア(フィレンツェ、ローマ、ミラノ、ヴェネツィアなどの各都市)が中心となって始まり、その後西欧諸国にも広まっていく(このサイトでは、イタリアルネサンス以外の、スイスを超えた西欧で興ったものを北方ルネサンスと分類する)
 学芸を愛好し、芸術家たちを育てたパトロンとして、フィレンツェのメディチ家が最も有名である。また、ルネサンスの3大巨匠として知られる、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロは美術史の中で偉大な存在として君臨している。

 ヨーロッパは新航路の発見や印刷機の発明などで活気づき、中世の教会中心の文化から、個性を尊重し人間性を解放させたギリシア・ローマ文化が復活した。ギリシア・ローマ時代、芸術や文化は人間性に重点をおいていたが、

  

 このキリスト教中心のヨーロッパ文化に大きな転換をもたらしたのが、イタリアルネサンスである。つまりルネサンス=「キリスト教からの解放」だった。もちろんキリスト教の世界観が、この時代に終わりを告げたわけではない。ローマ法王は絶大な力を持ちながら、中世のキリスト教絶対主義的世界観に人間中心の世界観がしだいに入り込んできたのである。暗黒時代と呼ばれた中世に終わりを告げた。
 ルネサンスが14世紀後半のイタリアから興きたのは、イタリアが世界貿易によってヨーロッパ随一の富を貯えただけでなく、その開かれた精神によって新しい時代を導いたからである。フィレンツェのメディチ家のロレンツォ公が擁護者となり、知性的集団「プラトン・アカデミア」がその思想的中心になり、ルネッサンスが花ひらいたのである。

 ルネッサンスがイタリアで起きたのはのはなぜか?

その具体的答えは、

 第1  東方貿易でイタリアが非常に裕福になったことによる。東方貿易とは、北イタリア諸都市と地中海東岸地方との貿易のことで、イタリア商人は、イスラム商人や東ローマ(ビサンチン)帝国の商人とのつながりが強く、貴重な香辛料を独占的に販売してきた。これがイタリアに富をもたらした。
第2 十字軍以降、イスラムや東ローマ帝国の文化が入りやすく、東ローマ帝国が衰退すると、イスラムの学者や文化人がイタリアに流入し、抑圧された当時の文化人に様々な刺激を与えた。
第3 イタリア、特にローマには遺跡や石像が多く残っていて、イタリア人は古代ローマ文化に囲まれ、古典復興の気運が高まりやすい土地柄であった。


 このような理由から、イタリア=ルネサンスの幕が開けた。

 ルネッサンスは、音楽、絵画、建築、文学などの文化が一斉に花開いた時期であったが、日本の戦国時代のように激動の時代でもあった(上図)。イタリアの都市国家はその領主に服し、行政は教会の司教が行うことが多かった。それが12世紀ころから北イタリアの都市部の商工業の発展を背景に、ミラノなどの市民(中心は商人ギルド)が自治権を獲得していった。 さらに農村から解放された農奴が都市に流入し、都市人口が増加し、手工業者のギルドの親方などの中産階級は都市貴族と対立するようになった。13世紀になると共和政が実現し、大商人は武力と財力で都市の権力を握り新たな都市貴族となった。さらに大商人はローマ教皇の支持を受け、政治的独裁者が出現するようになった。

 15世紀のフィレンツェのメディチ家はその典型である。 レオナルドが拠点としたフィレンツェはルネッサンス発祥の地でもある。この街はペストの襲来を受けながらも、織物と金融で栄え、そのフィレンツェで金融業のメディチ家が台頭してきた。そのメディチ家の庇護のもとフィレンツェは一大芸術都市となる。フィレンツェだけでなく、ローマ、ヴェネツィアなど都市独自の特徴的な画派が誕生し、絵画、建築、彫刻などあらゆる芸術が発展した。

 

イタリアルネサンスの特徴として、以下のことが挙げられる。
①調和のとれた美しい画面、理想的な美の追求
②遠近法、空気遠近法、スフマート等の技法の発展
③ボッティチェリが復活させた女神の裸体表現