霊長目ヒト科日本人

霊長目ヒト科日本人
 ニッポニア・ニッポンNipponia nippon は医師シーボルトが命名した朱鷺(トキ)の学名である.この学名が示すようにトキは日本を代表する鳥であった.かつては北海道から九州まで日本に広く生息していたが,今や風前の灯火,トキの絶滅は秒読み段階に入っている.
 多くの日本人がニホンオオカミに郷愁を感じるのは,田畑を荒らす猪や鹿を退治するオオカミが「大口の真神」と農民に崇められていたこと.さらにオオカミは大神にも通じることから古くから民間信仰が厚かったことによる.このニホンオオカミが突然その姿を消したのは明治38年のことである.ニホンカワウソ,ニホンアシカ,日本住血吸虫,そして日本脳炎ウイルス.さて次に絶滅する日本の動物は何であろうか.・・・・・・それは霊長目ヒト科日本人なのかもしれない.
 恐竜やマンモスなどを含め動物の歴史を眺めれば,動物は絶滅する運命にあることがわかる.生き延びる動物の方がむしろ例外であるが,しかしながらコロンブスやマゼランの活躍以降,絶滅する生物があまりに急増しすぎている.それまでの自然の変動による絶滅から,人間の手による絶滅へと変わってきたのだった.他の生物にしてみれば,人間ほど迷惑な生き物はいないであろう.人間は自分の姿に似せた神を創造し,傲慢にも神が創った生物を絶滅させようとしている.そして愚かにも,人間は自らの種さえも絶滅に追い込もうとしている.
 DDT,PCB,ビスフェノールA,そしてダイオキシン.産業革命以降,地球上に存在しなかった化学物質が徐々に蓄積し,これら女性ホルモン類似物質が半世紀の間にヒトの精子の数を半減させた.環境ホルモンの汚染によって,このまま進めば性行為は可能でも子孫はつくれず,ヒトはいずれ絶滅種となるであろう.人類に夢を与えてくれた化学物質が夢を悪夢に変えたのである.
 人類絶滅のシナリオのひとつとして,次に遺伝子工学が考えられる.ワトソン,クリックによるDNA二重らせん構造の解析以降,遺伝子工学はヒト蛋白を産生する新種大腸菌を次々に創造した.そして遺伝子工学によるわずかばかりの恩恵と引き換えに人類絶滅への切符を切ってしまったのである.
 遺伝子工学が人類に都合の良いものだけをつくるとは限らない.エイズが蔓延した時に,エイズウイルスは遺伝子工学による人為的産物と噂されたように,エイズ同様のウイルスを試験管内で作ることが可能である.誘惑に駆られた,あるいは気がふれた科学者が「パンドラの箱」を開けてしまえば,それで人類はおしまいである.科学者に生命倫理を期待してはいけない.彼らも人並みの人間である,一定の頻度で間違いもあれば精神異常者も含まれるのである.
 人間の歴史がいつ幕を閉じるのか予測はできない.しかし100年は無事でも1000年続くとは思えない.炭酸ガスによる地球温暖化現象,フロンガスによるオゾン層の破壊,緑の森林を枯らす酸性雨,森林の砂漠化現象,多発する原子力発電所の事故,エボラなどの新興感染症,人類絶滅のシナリオが四方八方から忍び寄ってくる.そして,いずれかにより人類最後の日を迎えることになる.
 人類が生活の基盤を狩猟から農業に変えた時から,人間の歴史は自然破壊の連続であった.そして工業化により自然破壊は決定的になった.自然破壊を自然への克服と称し,巨大ダムの建設を人間の英知と自画自賛していたのはつい最近のことである.ようやくこの過ちに気づき始めたが,自然を破壊しない生き方はもはや人間には出来ない.
 生物にとって大切なことは,親の形質を子孫に残し種を守ることである.種の重さに比べれば個々の生命の重さなどは問題にはならない.つまり人間という種の保存のためには,個々を犠牲にしても地球環境を守ることである.極論すれば,冷暖房を使用せず,テレビは放映せず,自動車には乗らず,物を買わず,ゴミも出さず,経済成長を犠牲にして環境を守ることである.
 資本主義の原則は競争であり,欲望を満たすための競争が環境悪化を招いている.地球との共存をはかるには個々の欲望や願望を犠牲にして,この競争に環境保全のルールを作るしかない.経済成長と環境保存とのジレンマの中でどのような共存をはかるかがこれからの課題になる.
 コンビニに慣れきった現代人が現在の生活レベルを落とすことは困難である.それは都会から山奥へ出張を命じられたようなもの,都の贅沢を知り尽くした後醍醐天皇が隠岐へ流された心情となる.困難ではあるが,しかし人類には公害が深刻化した1960年代に技術革新によってそれを克服した歴史がある.危機感と勇気を持てば,進行中の人類絶滅のプログラムを変えることは不可能ではない.
 地球にとって,他の生物にとって人間の存在そのものが罪である.罪多き人類が自滅の道を辿ることは,キリスト教の終末論,仏教の末法思想として古くから予言されてきた.この人間が自然の破壊を押し止め,先人の予言を変えることが出来るかどうか,人類の未来はこの点にあるといえる.