若きヒポクラテスたちの夢

若きヒポクラテスたちの夢
 きらめくような夢があった.眩しいばかりの夢があった.誰にでも成功のチャンスが与えられ,才能がなくても才能以上のことが発揮できる.そのような明るい希望に溢れていた.
 焼け野原のバラックにはリンゴの歌が流れ,人々の生活は貧しくてもその瞳は輝いていた.街並は汚れていたが生気と笑い声に満ちていた.少年たちは青い山脈の歌を口ずさみ,キューポラの街の映画に胸を熱くした.青年たちは意味もわからずに宗教や哲学を語り,文学論や恋愛論に舌戦を闘わせた.そして学生たちは義憤と激情を抑えきれず,スクラムを組み安保闘争や安田講堂で血を流した.あの時代の活力はどこへ行ったのだろうか.不可能なことを可能にしようとしたあの青年たちの気概はどこへ消えたのだろうか.夢は生きる希望であり,夢を失った人間は動物園の檻の中のうつろな動物と同じである.
 人生論よりはビジネス本,恋愛論よりはデートのマニュアル本,学問よりは学歴,夢よりは預金通帳,このように私たちは目先の現実ばかりを探るつまらない動物になってしまった.
 自分の利益しか考えず,ただ乗りばかりを期待している.評論家と同じように問題を分析しても,愚痴ばかりで現状を変える気力がない.ものの本質を求める力,世の中を変えようとする情熱を失っている.行動する前に利益と安全性ばかりを考え何もできないでいる.
 現在の日本は先の見えない閉塞感で何とも息苦しい.経済が傾いているが,不況だけがこの息苦しさの原因ではない.正義の仮面をかぶった者が健全な人々を攻撃し,他人の不幸を喜ぶような陰湿な空気が漂っている.また得体の知れない黒いシステムが日本を支配し,これらが日本人の夢と活力を奪っている.
 かつて青年であった今の年寄り連中は幸せだった.人々に貢献しようとする使命感,あるいは豊かな生活を追求できる成功の夢があった.将来への希望があり,努力した青年にはそれなりの評価が与えられていた.見果てぬ夢を追えたのだからかつて青年は幸せだった.問題は今の少年,今の青年たちのことである.はたして彼らに夢と希望はあるのだろうか.
 私たちの後輩である医学部の学生についても同じことがいえる.若きヒポクラテスたちの将来はどうなるのだろうか.今の医学部の学生には,残念ながら夢も希望もないように思える.まず医師になるには覚えるべき医学情報が多すぎる.また医師になっても過酷な労働と低賃金が彼らを待っている.医師は以前ほど社会からの評価は得られず,また経済的な待遇もそれほどではない.そして反対に責任ばかりが重くのしかかっている.かつての医師はたとえ無給医局員であっても将来に希望があった.周囲がそれなりに評価した.だから過酷な労働にも耐えることができた.
 偉い人たちは患者のために働けと言う.そんなことは十分承知しているが,大半の患者は研修医より顔色がよい.徹夜で働いている研修医に患者は寝むれないと何度もコールを繰り返す.寝食を忘れて働く研修医に食が原因の糖尿病患者が診察が遅いと文句を言う.何時間寝たかが研修医の挨拶言葉となり,わずかに医師としての誇りだけが彼らを支えている.
 研修医も患者と同じ人間である.奉仕者の自己犠牲ばかりを求める歪んだ考えは捨てるべきである.人間の命を救う聖職としての誇りを支えるには周囲の適切な評価が必要である.それが金銭であれ,名誉であれ,やりがいであれ,評価を与えずに彼らをゾウキンのように使うのはよくない.
 平成16年から卒後2年間の研修必修化がはじまろうとしている.この新しい制度の中で1番肝腎なことは研修医の給料をどうするかである.この予算と過重労働の問題をあやふやにしたまま制度だけが先走らないことを願いたい.研修医の給料を看護婦より高くしなければ研修医の誇りを支えることはできないであろう.また患者への責任も給料に見合うだけの責任とすべきである.私たちの共通した願いは次世代の人々が幸せになってほしいことである.そして私たち年寄り医師の責任は次世代の医師に夢を与え,生き甲斐のある毎日を送らせることである.年寄り医師は若きヒポクラテスたちに夢と希望を与える責任がある.
 かつてインターン制度や無給医局員制度で日本中が大混乱をきたした時代があった.あの当時,旗を振り,ピケをはり,デモをおこない,ストを決行したのが研修義務化を計画している今の年寄り連中である.
 研修必修化がインターン制度の二の舞になれば,もし若きヒポクラテスたちの夢を摘むような制度になれば,それは私たち年寄り医師の大きな責任である.昔の言葉でいえば,切腹覚悟で制度をつくってほしいものである.