職人としての医師

職人としての医師
 職人という言葉は,気難しい頑固者,寡黙な正直者,実直で昔気質,このような形容詞を連想させる.また古き良き日本の父親を想像させる言葉でもある.この職人の職人たるゆえんは,仕事に対する絶対的な自信と誇りであり,そしてシロウトが仕事に口出しすることを極端に嫌う性格である.
 この職人が時代と共に少なくなり,最近では大工や左官の法被姿はまったく見なくなった.そして現在,数ある職業の中から職人らしい職業を探すとしたら,白衣を着た医師が最も職人に近い存在になるのではないだろうか.医師は医学部という職業訓練所で学び,卒業後は徒弟制度の下で修業を積み,教授を頂点としたカースト制度に身を置いている.このように医師の世界はまさに職人の世界といえる.
 医師を職人と考えると,さまざまな謎が解けてくる.まず医師が患者の話を聞こうとしない,患者が何かを言おうとすると怒りだす,このような非難すべき現象は,医師を職人と考えると理解しやすくなる.
 職人は独善的と非難されても,良心からの独善は許されると思い込んでいる.そしてナンダカンダの注文に頭がキレてしまうのはこの職人気質に起因すると考えられる.
 職人には職人なりの理屈がある.職人の言葉を借りれば,「最近は,職人の腕を信じない連中ばかりで,説明したら同意が必要なんて,こんな野郎が相手じゃ,仕事なんかできはしねぇ,ベラボウメ」が本音となる.職人のおまかせコースを逆撫でするような注文が職人の機嫌を損ねるのである.親方,棟梁とおだてることも,職人のやる気を出させる意味では必要である.
 次に,仕事はできても金の計算ができない.これもまた職人の特長である.もちろん商人以上にそろばん上手な医師もいるが,多くの勤務医は金銭は念頭にない.だから,お布施をもらっても身は潔白,後指は指されないと勝手に信じている.
 良い仕事を完成させ,品質を高めることを生き甲斐に,手術ひとつにしても,キズの縫い方にしても,義足を作るにしても,医師は自分の職人芸を密かな楽しみとしている.この職人の世界が,昭和から平成に移り,急速に変わり始めている.
 これまでは最高の材料を用いて最高の物を作るように教えられてきた.そして医師はそれを忠実に守っていればよかった.雑念は無いにひとしかった.過剰診療と非難されても,やればやるだけ診療報酬で評価してくれるし,何と言っても患者サービスのつもりであるから後ろめたさなどないにひとしかった.
 このように手抜きは絶対ダメとされてきた医療に,「予算がないから安物を作れ」と言われるようになったのである.最高の医療だけを考えていれば幸せだったのに,その医療に制限が生じたのである.
 これまで100本の釘でやってきた仕事を,「幕府に金がないから50本にしろ」との御奉行様の命令が下ったのである.「釘50本では安普請しか造れません,建ったにしても何時壊れて死人がでるとも限りません」と言ってはみたものの,唇淋しい秋の風,お上の命令には逆らえない.「文句があるなら自腹を切れ」と叱られることになる.職人はヒトの命にかかわることだから,お上がそう言ったからといって,そのように出来るものではない.しかし「釘50本の仕事をこれまで100本も過剰に使って儲けてきた」,と世間様に言われた日には身銭を切った医療も馬鹿馬鹿しくてベラボウメとなってしまう.
 そもそも御奉行様と商人が決めた釘の値段が高いことが医療費高騰の原因なのである.それなのにお上の前でそれを言うのは御法度になっている.釘一本の値段の方が職人の腕よりも高いのだから,自負心で支えてきた職人のプライドも限界となる.職人はヤケクソの自暴自棄,技術を学ぶ意欲をなくし,酒に溺れ腕を落とす結果となる.
 医師は自己表現が下手である.自己表現が下手なので周囲は医師の本心をわからずにいる.毎日一生懸命に働いていれば,自ずと周囲が評価してくれると医師は思っているが,それは甘い考えである.職人は寡黙ゆえに世間から非難を受け,不当な評価を受けることになる.職人は世間から意見されるほど落ちぶれていない,と粋がってみても,周囲が認めないことには仕方がない.ただ耐えるだけである.
 今日において職人の価値は廃れ,世の中は本物の職人を求めない風潮にある.尺貫法がメートル法に変わった時,世の中は職人を見捨て技術者を量産したのである.昔の職人は釘なしで五重塔を建てたが,今の大工にそれを求めても無理である.芸術より経済性を重んじた結果である.医師も同じである.昔の医師は顔色で患者の死期を言い当て家族を呼んだが,今は当日の検査でも死期を予測できず,家族が来るまで遺体に心マッサージとなる.医師は均一化し,何でもマニュアル,何でも診断基準となり,職人芸は過去のものになってしまった.そして医師は職人というよりは,部品を直す技術屋に姿を変えようとしている.
 医師の仕事を画一的なマニュアルで規定することは不可能である.患者の顔が違うように,患者の病気もそれぞれ違っているからである.しかし世の中は,医療もマクドナルドのマニュアルのごとく,と望んでいる部分がある.マクドナルドの売り子と職人を区別できない連中が,医療にもマクドナルド同様の接客を求めている.医療の内容より,見かけの快適さを求めているのである.
 どうも世の中は,職人にとって住み難くなってきたようだ.
 もう何も言うことはない.降る雪や昭和は遠くになりにけりである.