権威なき時代の多数派良民

権威なき時代の多数派良民
  戦前の日本は天皇を頂点とした権威主義の社会であった.この何事もなし得た権威の神通力が時代とともに低下し,教師,父親,警察官,官僚,政治家,教授,医師,これら権威の傘の下に安住していた者は,その社会的地位を落とすことになった.これは人間を平等とする戦後民主主義が望んだ結果であるが,人々が理想としていた権威なき時代は迷路に入り込み,その本質を見失おうとしている.
 権威を嫌う人たちは,権威に付随する不当な服従や強制力を嫌う自由主義者であるが,権威主義は必ずしも悪い面ばかりではなかった.
 学校では教師が絶対的存在であり,イジメや校内暴力などの問題は生じ得なかった.家庭では父親が絶対であり,もめ事は父親のカミナリで即座に解決したのである.警察官はサーベルをぶら下げオイコラと言えば誰もが渋々従うしかなかった.大学の教授や医師は偉そうにしていれば周囲は偉いものと思い,逆う意志を持たなかった.つまり権威によって見かけ上秩序が保たれていたのである.このように権威には社会の秩序維持という利点が備えられていたのである.
 権威が崩壊したのは政治体制が変化したためではない.世の中の大多数の大衆がそれを望み続けたからである.
 マスコミは一般大衆のこの欲求をいち早く商売に利用した.権威者を笑い者にするテレビ番組を作り視聴率を上げ,週刊誌は権威者のスキャンダルを流し売り上げをのばした.そして権威者を一般庶民のレベルに引き下げることに成功した.本来これに反発すべき権威者は自らの権威を捨てさることを民主的と思い,世間への迎合にためらいを見せなかった.また政府は平等こそが民主的と錯覚し,権威者の給料を下げ累進課税により権威者のやる気を奪う政策をおこなった.そして権威を嫌う女性の地位が向上するにつれ,これらに拍車がかかり世の中から権威が追放されることになった.つまり権威の崩壊は時代の流れだったのである.
 しかし権威を追放した結果どうなったであろうか.自分を最も大切とする自己中心主義者,自分を最も偉いとする自己権威主義者,早い話がわがまま人間が量産されることになった.彼らは他人や社会のことは頭になく,頭にあるのは自分のことばかりである.そして自分のために社会があると考える利己主義が社会を蝕むことになった.さらに何でも反対,何でも批判することに快楽を憶えてしまった少数派は,多数派に反対することに存在感を見いだし,世の中を混乱させることになった.
 もちろん彼らは少数派である.しかし,少数派は声高に勢いを増し,大多数の良民を駆逐したのである.その結果,子供は善悪の判断を失い学校は無法地帯となった.路上に座り込んだ若者は野獣と化し注意できる状態ではない.拝金主義に犯された大人の興味は利益の追求ばかりで品性のかけらもない.世の中には暴力的漫画と女性の裸体ばかりがあふれ,それを生活の糧とするマスコミに自浄作用はない.劇画的犯罪が増え,大多数の良民は右往左往するばかりで解決策を見いだせないでいる.良民は社会の片隅に追いやられ息をひそめることになった.
 権威の崩壊そのものが治安を悪化させたわけではない.世の中の荒廃は権威の消失が原因ではなく,権威に付随していた儒教的精神や道徳心までも追放してしまったことによる.また何でも反対する少数派が権威を持ってしまったからである.これは権威の崩壊を願った大衆による二次的人災といえる.
 そもそも大衆が望んだのは,中世ヨーロッパの教会や国王,江戸時代の悪代官,明治以降の軍国主義,そして太平洋戦争,これらがイメージする権威の打倒だったはずである.戦後これらの悪夢が消え去った後も,悪夢にうなされた民衆は,権威と名のつくすべてのものに悪のレッテルを貼り標的にしたのである.そして身近にある権威までも否定する過ちを犯すことになった.行き過ぎた権威の否定により,物事の道理を教える者までも追放したのである.権威の無い者に従う者はいない.また権威を与えられない者にやる気の起きるはずはない.
 身近な権威を失い,家庭では子供のしつけを忘れ,教師は子供にこびを売り子供を悪くした.もともと人間には尊卑の差はないが,人間の尊卑を教えなかったので皆が卑しくなったのである.
 最近になって,多くの良民たちは自分たちが望んでいた権威の崩壊が迷路の中で途方に暮れていることに気づき始めている.それは権威の対象を間違えたこと,権威に付随した道徳心を失なったこと,そして権威打倒を叫ぶ者が権威化したことが原因である.
 動物の群社会にボスが存在するのは,自分たちの群の秩序維持と外敵からの攻撃に都合が良いからである.人間社会はボスを追放し平等社会を目指したが,個人個人が自己権威主義者となり秩序を失った.個人の自由が無秩序にぶつかり合い,声の大きい者,乱暴者の自由が大多数の良民の自由を圧迫したのである.
 このままであれば人間社会はサル社会以下となるであろう.そうさせないためには,権威化した少数派の権威を打倒し多数派の良民の良識を尊重することである.そして人間としての品性を取り戻し,次世代の子供たちを正しく育てることと考える.