村の特産品

村の特産品
 日本の国は何によって,あるいは誰によって支配されているのだろうか.総理大臣であろうか,自民党であろうか,あるいは官僚であろうか.もちろん彼らはそれほどの存在ではない.では何が日本の国を支配しているのだろうか.それは経済界でも,マスコミでも,法曹界でも,もちろん特定の人物でもないであろう.家庭,隣組,学校,医局,会社,医師会,官僚,政党,・・・これら日本を構成する各集団を眺めてみるとこの疑問への答えがみえてくる.
 集団のなかの1人ひとりは組織のなかでもたれ合い,ぬるま湯的感覚に浸っている.また集団のなかの安住が外部への無関心を引き起こし,井の中の蛙的感覚が自然に作り上げられている.各自が考えるのは自分のことばかりで,それ以外には関心がない.同族意識と排他意識,あるいは利己主義と他人への無関心,このような日本人の意識が目に見えない形で日本全体を支配している.1人ひとりの狭い了見によるムラ意識が日本全体を支配しているのである.
 戦後,農業から工業へと産業が変化するとともに,田舎から都市へと人口は移動した.古い因習や近所付き合いが希釈され,地縁・血縁によるムラ意識は一時失われたかのようにみえた.しかしこれは単に「地域としての村」から「各自が所属するムラ」へと意識の重心が移動したにすぎなかったのである.会社などの集団が新たな共同体としてのムラを形成したのだった.
 この新たなムラ社会は葬式の形態に顕著に反映されている.かつて地域が仕切っていた葬式は会社が仕切るようになり,面識のない上司の親の葬式に出ることが日本社会の掟になった.本人ではなく,本人の親の葬式にかり出されることが共同体としてのムラ社会を表している.そしてこの掟を破る者は会社のなかでは生きてゆけない雰囲気が作られた.人々は集団というムラの中で,ムラに縛られ,ムラに安住し,そして村八分を恐れながら生きている.
 海外から見れば日本は近代国家とされている.国民総生産は世界第2位,海外援助金は世界第1位となっている.そして情報化時代が国境を取り除き,国際化の波が目の前に押し寄せている.しかし日本人の意識はムラ社会から脱せず,ひたすら自分たちのムラ社会に安住しようとしている.日本をリードすべき政治家や官僚も,そしてビジネスマンもひたすら自分のムラ社会に留まりながら意識の変化はみられない.IT革命と騒いでみても,頭髪を金色に染めてみても,日本人の脳ミソは江戸時代と変わらずに鎖国状態のままである.
 日本は高度経済成長をとげ裕福な生活を得ることができた.これはアメリカの傘に守られ,世界の紛争に巻き込まれなかったからである.この単なる国際情勢の幸運を日本人は幸運だったと実感していないので,偶然に得られた平和のなかで,これからも何とかなるだろうと思っている.ムラ社会にはぬるま湯に浸っているような快適性がある.これを平和な社会といえばそうかもしれない.だが食糧や資源の大部分を海外に依存している日本だけが,1国平和主義に安住できる可能性は低いと考えるのが常識であろう.
 日本人の海外旅行者は1600万人に達し,ほとんどの日本人が海外を経験している.しかしその大部分は観光が目的なので日本人の脳ミソには海外事情はインプットされない.現在,グローバルスタンダードという言葉が叫ばれている.そして日本の村人たちは医師も含め何も考えずにアメリカン・スタンダードをグローバルスタンダードだと思っている.しかしこれは井の中の村人が陥る最も大きな間違いである.そして意識までも他人に依存している指導的立場の村人たちが全体を間違った方向に導く可能性がある.
 WHOは2001年,世界各国の医療を比較して日本の医療を世界1位と評価した.そして評論家が大好きなアメリカの医療を世界36位と位置づけたのである.日本人の多くはアメリカの医療を知らないので日本の医療を低レベルだと思い込んでいる.しかし実際には逆である.医療以外に日本が世界に誇れるものがいくつあるだろうか.
 このように高い評価を受けている日本の医療が,何故これほどまでに誤解され不満にみちているのだろうか.それは「医療こそが世界に誇れる日本最大の特産品」であることを日本の村人たちが知らないからである.井の中の村人たちは評論家の悪口に乗せられ不満ばかりを言うが,このままでは日本の特産品は腐るだけであろう.日本の医師たちは村人たちに特産品のよさを堂々とアピールして,日本の医療が世界1位であることを宣伝する必要がある.