情報医原病と健康狂想曲

情報医原病と健康狂想曲
 日本には仏教,神道,キリスト教など様々な宗教があり,公称信者を合計すれば2億1500万人に達するとされている.このように日本の宗教人口は日本の総人口を優に上回っている.一方,政治集会が開催されると,主催者が発表する参加人数と警察が発表する人数には大きな隔たりがみられる.前者は教義に反するウソは絶対にダメとしている宗教団体,後者は国民への背信行為であるウソは打倒すべきと訴えている政治団体である.このように正義を唱える人たちであっても,自分の都合の良い方向へ事実を曲げているのである.そしてその結果,誰も宗教や政治を信じなくなった.
 医学においても同様である.真面目な顔をしてウソを唱える者がいる.ウイルス学者はインフルエンザの大流行で数100万人が死亡すると警告している.脂肪学者はコレステロールの増加により心筋梗塞が急増していると主張する.しかし,彼らの話の一部分は正しくても,声を大にして言うほどの正論ではない.インフルエンザの死亡者数は点滴がなかった大昔のデータを現在に当てはめただけである.日本人のコレステロール値はすでに欧米並みとなったが,年齢を補正した死亡統計によると心筋梗塞は横ばいかやや上昇程度にすぎない.彼らの宣伝で急増したのは,週刊誌のインフルエンザの記事と高脂血症治療薬2000億円/年の売り上げだけである.
 医学にも流行りすたりがある.C型肝炎のインターフェロン療法,胃潰瘍のヘリコバクターピロリー,エイズ,狂牛病,慢性疲労症候群,薬剤耐性結核菌,いずれも欧米からの輸入品であるが,輸入品が姿を見せるたびに黒船騒動となる.そして騒動を煽っているのは常にその分野の専門家である.物の数にも値しない有意差などの統計値を振り回し,騒ぐだけ騒いでおいて,結果として国民に不安と誤解を撒き散らしている.
 病気を啓蒙すること,また自分の考えを述べることは正しい行為である.しかし1の価値のものを10と過大に表現するから混乱が生じる.我田引水の悲しさであるが,彼らはそれを知ってか知らずか粉飾するから,「自分の存在や利益のために病気を利用している」と陰口を言われるのである.そして,目立ちたい気持ちが度を越すと,狼少年のごとく誰からも信じてもらえなくなる.そしてそれは狼少年だけでなく,医師全体がそのような目で見られ信用を失うことになる.
 医師も科学者の端くれならば,1の価値の内容は1の範囲内で主張すべきである.もしマスコミが誇張して彎曲するならば,マスコミに喋らないことである.何も喋らない方がむしろ国民のためになるであろう.
 秦の始皇帝が不死のクスリを求めたように,国民の誰もが健康を望み,健康のための情報に飢えている.街の図書館へ行けば多くの医学関係の本が棚に並び,テレビの健康相談では愚にもつかない健康話題で花盛りである.このように,病気に対する一般人の知的欲求は非常に強いが,医師が供給する医学情報と一般人が求める医療情報には常に大きな食い違いがあるので,いつも誤解を生むことになる.これが学問的な興味だけであれば問題はないが,一般人は医学情報に過度の期待をもち,それを自分の健康に還元しようとするので混乱が生じることになる.
 健康にとって大切なことは昔から変わっていない.基本は食事制限,適度な運動,禁酒禁煙,摂生,車に気をつけることである.それ以外は何を真面目にやったとしても,運命の支配から逃れることはできない.この分かりきったことを医師が強く言わないから,一般人は自分に都合の良い楽な健康法を探そうとする. 
 タバコを吸いながらビタミン剤をのんだり,お菓子を食べながらダイエットの本を読んだり,栄養ドリンクを飲みながら徹夜をしたり,酒を飲みながら肝臓の薬をのんだり,このようなちぐはぐな行動をとる.彼らは医学情報の内容と価値を判断できず,あれもダメ,これもダメ,あれはヨイ,これはヨイ,のヨヨイのヨイと健康食品に走り,禁煙も出来ないでいる.まるで健康狂想曲である.1人ひとりが秦の始皇帝のように健康と不死のクスリを求めようとしている.
 健康の指揮者となるべき医師は,本来からの健康法を憎まれるほど繰り返し言うべきである.しかし現実には,それを強く言っても患者に嫌われるだけで収入にならないので,アリバイづくりで「お酒は控えて下さい」などと弱々しく言うだけとなる.そしてすぐにクスリを処方し,健康人の健康の足を引っ張ることになる.
 医師と患者の信頼関係が徐々に崩壊しつつあるが,まだまだ多くの国民は医師を信頼している.信頼があるから医療行為が成り立っている.しかし医師の仲間による羊頭狗肉が繰り返されれば医師への信頼が崩れてゆくことになる.そしてその時に本当の医療危機がやってくるであろう.
 この兆候は妙な形ですでに表れている.現在,病院の7割は赤字であるが病院の経営が苦しいといくら訴えても国民が相手にしないのは,医師の言葉を半信半疑で聞く癖がついているからである.
 患者との信頼関係を保つためには,また医師の発言力を強めるためには,医師はウソをつかない正直な人種であることを国民の心に刷り込ませる必要がある.もちろん医師一人ひとりの誠実な努力によってである.
 現在,無知なる者の弱みにつけ入る情報医原病が国民を蝕んでいる.私たちにとって痛手なのは,この情報医原病に荷担している医師が医師全体への信頼性を低下させていることである.この情報医原病をつくらないことも,これを正すことも医師の仕事のひとつである.