悲しい勘違い

悲しい勘違い
 医師の仕事は患者から信頼を受け,患者との共同戦線で病気を治すことである.しかし残念なことに医師は世間を知らず,患者の心理分析も劣っている.医師は医学的に正しい治療を行えば周囲は自分を評価すると自惚れており,患者は医師の善意を信じるべきとする独善的思考から脱していない.そのため医師はつまらない誤解を受けることになる.
 いっぽう詐欺師の仕事は相手をいかに騙すかであるが,詐欺師の心理分析能力は心理学者以上の実力がある.詐欺師の言葉使いは丁寧で,身なりはきちんとしており,相手を信頼させる説得力と笑顔に満ちている.詐欺師は悪党であるが,医師は詐欺師の心理学や演出を学ぶことも少しは必要である.それは患者を騙すという意味ではなく,医師と患者のよき共同戦線を構築させ,患者とのよき信頼関係を築くためである.現在の医師に欠けているのは,患者の心の動き,人間の心理をあまりに知らないことである.
 昭和37年,若き脳外科医の活躍を描いたアメリカABCテレビの連続ドラマ「ベン・ケーシ」が日本でも放映され爆発的な人気となった.ベン・ケーシはロサンゼルスのカウンティ病院に勤務する正義感あふれる脳外科医で,50%以上の視聴率を越えていた.ベン・ケーシは人間の尊厳を重んじ,妥協を許さない熱血医師を演出していた.医学の良心にしたがい,医師の情熱と正義感,医師としての誠実さと人間味が視聴者の人気を得ていた.現在,医師の半数近くが半袖の「ケーシスタイルの白衣」を着ているが,これはケーシが着用していた白衣をまねたものである.当時はケーシスタイルの白衣に似せたケーシブラウスまで売り出され,女性の人気を得ていた.
 ベン・ケーシの成功以来,「ドクター・キルデア」「ER緊急救命室」「シカゴ・ホープ」などの医者ものドラマがはやることになる.日本でも同じように医者ものドラマは途切れることなく放映されている.日本のドラマは馬鹿げた演出が多く腹立たしいので見ないことにしているが,知人の話ではドラマに出演する医師の服装は2種類に分類できるらしい.
 ひとつはTシャツに白衣をひっかけ,白衣のボタンをかけない医師である.これはアメリカのテレビ番組の影響で,医師は服装ではなく生命に立ち向かう意気込みを評価すべきであると暗に要求している.かつてはこのような医師の服装が多かった.しかしそれは,高校生がわざと制服を着くずして精一杯の自己主張をしているようなもので.滑稽にみえることが多い.
 次のタイプの医師は,髪をきれいにそろえ,ネクタイをしめ,まるで銀行員風の医師である.このての医師は,かつてはドラマの脇役か悪徳医師の役柄が多かった.つまり表面的な服装で内面の悪徳を隠そうとする手法である.しかし時代は変わり,清潔できちんとした服装の男性が女性にもてる傾向となり,銀行員風の医師の出演も多くなってきた.そして知性的,あるいは不器用であっても真面目な医師のイメージづくりに成功している.
 アメリカのドラマではジーパンにTシャツの医師がまだ放映されているが,アメリカの患者アンケートでは,医師にはきちんとした服装を希望している患者が大部分なのである.ラフな服装を素敵と思う患者は,自由の国アメリカでさえ少ないのである.
 企業が顧客を失うのは7割が従業員の態度とされている.患者の医師への信頼も同じであろう.医療訴訟も技術的なこともあるだろうが,根底には医師の服装や態度が関係していることが多い.誠実そうな態度や服装は医師の実力のなさを補う作用があるのに,実力のない医師ほど服装は乱れている.
 また手術着のまま病院内を歩くのはよくない.これは不潔なだけではなく,術着のサイズが共有なので,お仕着せの服を猿や豚に着させたように,だらしなく見えるからである.フリーサイズのくたびれた術着を素敵に着こなすことは不可能にちかい.俳優がテレビで着る術着は,オーダーメードの高級品である.
 医者もののドラマは現実とは違っている.しかしそのフィクションに引きずられている医師がいる.医師は医療の主役ではあるが,映画の主役ではないのだから,俳優を真似てTシャツでカッコをつけても患者はそうは思わない.俳優は何をやっても,何を着ても,あるいは何も着なくてもカッコよい.それは俳優だからである.
 医師は自分の顔を鏡に映し,悲しい勘違いと服装を正さなければいけない.医師は患者から信頼を得るための努力を真面目に演出することも大切である.演出という言葉はあまりよいイメージをもたない.しかし演出の心がけによって,誠実な態度が自然に身につくものである.