徴医制度

徴医制度
  日本の医療は医療機関へのアクセスの良さ、高度の医療と安い医療費、平均寿命の高さと乳児死亡率の低さ、まさに世界がうらやむ高い水準にある。しかしこの 医療が日本すべてに当てはまるかというと実情は違っている。特に問題になるのは過疎地の医療である。そしてそれが表面化したのが北海道、東北地方をはじめ とした「医師の名義貸し」であった。
 病院の病床数や外来患者数によって、病院の医師定数が医療法で決まっている。正当な診療報酬を得るためには、病院が医師定数を満たしていることが前提条件であり、医師数が定数の6割以下なら入院基本料は12%減、5割以下では15%減となる。そのため医師を確保できない病院は大学医学部の医師の名前を借り、収入を増やそうとした。
 現在、過疎地の病院のほとんどが赤字である。医師の名義貸しがなければ赤字は増大し確実に倒産である。
 また医学部大学院の医師は無償で大学病院で診療をしている。そのため名義貸しで収入を得ていることに罪悪感は少ない。多くの大学院生は医師免許を持ちながら生活保障のない無職状態である。診療、実験、研究が深夜にまでおよび、自由な時間は限られている。年間約50万円の授業料を納め、結婚していれば家族を養わなければならない。この両者の利害が一致したのである。
  この「医師の名義貸し」は国会議員の秘書給与事件と同様の詐欺行為である。国会議員の秘書給与事件では、報道は過熱し、議員の辞職、逮捕にまでにおよん だ。医師の名義貸しは、秘書給与事件と同様に慣例化した犯罪ではあるが、個人的犯罪というよりも、社会構造の不備による要因が強かったため、医師たちに とっては罪悪感どことか青天の霹靂だったことであろう。
 またこの問題の背景には僻地医療の医師不足があるので、「厳格に罰すべき」という声は小さい。社会保険事務局は保健医療機関の指定取り消し処分と息巻いているが、厳格に罰すれば僻地の病院は廃院となり住民が困ることになる。
 北海道・東北地方では医師の配置基準を満たしていない病院は48%、全国の病院では25%である。画餅に過ぎない全国一律の医師配置数を基準にしている医療法に大きな時代錯誤がある。もし処分するならば僻地医療を放置した無作為行政を処罰すべきであろう。
 「医師の名義貸し」はその罪よりも、僻地医療をどうするかという大きな社会的問題を含んでいる。そのため大学学長がいくらカメラに向かい頭を下げても、僻地医療の問題を解決しない限り抜本的解決には至らない。
 この僻地医療に対策はあるのだろうか。この問題の根本は医師の都市偏重、僻地敬遠であるから、医師をどのようにして僻地に行かせるかである。好待遇、名誉、やる気、この個人的動機を高めたいところであるが、過去の例からも個人的動機には期待はできない。
  次に強制的方法がある。北海道の場合、札幌医大は道立大学である。北海道の予算で成り立っている大学であるから、札幌医大の医師や卒業生を強制的に一定期 間過疎地に出向を義務づける方法がある。札幌医科大学の入試要項、職員募集要項に義務規定を明記すればよい。また北海道大学、旭川医科大学も国の特例に よって強制的に参加させればよい。いやこれは北海道だけの問題ではない。「医師の名義貸し」は医学部を持つ全国79大学のうち51大学に及んでいたのだから、日本の医療全体の問題である。それでいながら具体的解決策を示した報道機関、行政は皆無であった。
  世界の多くの国には徴兵制度がある。永世中立国のスイスでさえも徴兵制度がある。またアメリカの大統領になるには兵役の有無が大きく左右する。日本には徴 兵制度はないが、その代わりに徴医制度を作ればよい。医師になる者は、大学で訳のわからないおタク的研究をするよりも、僻地で素朴な人たちに接するほうが むしろ良い医師になるであろう。動物実験よりも、人間の心に接する僻地医療のほうが良い医師になるはずである。
  一定期間の徴医制度をつくるべきである。そして徴医制度に応じた医師にはある程度の優遇措置を与える。徴医制度に応じたかどうかを医院の看板に書くことを 義務づける。徴医制度を拒否した者は大学に残れない。このような徴医制度をつくれば、現在失われつつある医師の社会的信頼、社会的地位も向上するであろ う。
 徴医制度を作る上で必要なことは、ご老体医師や議員たちによる議論ではない。行政トップの勇気だけである。