当たり前のこと

当たり前のこと
 現在,国民1人当たりの医療費は世界7位,対国民総生産比では世界19位である.いっぽうオリンピックの金メダル数は冬のソルトレークシティーではゼロ,夏のシドニーでは5つで世界15位,日本のサッカーは世界16位となった.
 このことから日本の国民医療費もこの程度で良いだろうと思う人がいるかもしれない.しかしこの医療統計には目には見えない巨大な医療較差が隠されている.与えられた数値による医療の国際比較などで騙されてはいけない.
 日本の医療は皆保険制度のため,医療機関と患者との垣根が低くなっている.そのため国民1人当たりの年間医療機関受診回数は約21回である.いっぽう欧米諸国は風邪などでは受診しないので国民1人当たりの受診回数は年間約5回である.この数値から日本の医師が診察する外来患者数は欧米の医師の約4倍,その診療単価は1/4以下と計算される.
 患者は待ち時間が長く,診察時間が短いと文句を言う.しかしそれは患者数が多いための当たり前の現象なのである.この日本の患者数を欧米の医師に話をすると,クレイジーという言葉が必ず返ってくる.
 このように日本の患者数は極めて多い.そしてそれを知らない日本の評論家は,医師のカルテの書き方が乱雑でメモに近いと指摘する.しかし欧米の医師がカルテをきちんと書いているかといえば嘘である.欧米の医師はカルテには何も書かず,テープに吹き込んだ患者との会話を秘書がカルテにタイプしているだけである.日本とはまったく方法が違うのに,方法の違いを議論せず,日本では何でも医師に仕事を押しつけようとする.もちろん医師が暇ならよいだろう.しかし医師過剰時代が嘘であるかのように日本の医師は忙しいのである.
 日本では医師の責任を重くすれば何でも問題が解決すると思われている.そのため何か問題が起きると医師は会議,会議で対策を検討させられる.そのため患者への少ない対応時間がさらに削られることになる.医療が複雑化するたびに書類が増え,雑用が増え,患者との接触時間が短くなってゆく.
 医療にとって最も大切なことは最新医療でも,消費する医療費でもない.もちろん病状や治療の説明は大切である.また最新医療や医療費も重要ではある.しかし尊厳ある人間として患者に対応しているかどうか,病気という不幸を背負った患者に安らぎの時間を与えているかどうか,そして患者への同情心をどれだけ持っているかどうか,これらは数値や金額では表せないが私たちにとって最も大切なことである.
 人間は敏感な動物である.そのため自分がどのように扱われているかを患者は敏感に感じ取るものである.自分の臓器をポンコツとみなすことは許しても,自分そのものをポンコツ扱いにされれば無性に腹が立つものである.
 医学的に正しいことを行っていれば非難されないと思っている医師がいる.しかしそれは大きな間違いである.むしろ多少の間違いがあっても,患者を診る目に人間らしい暖かさと優しさが欲しいものである.最近の医療訴訟をみると,訴えられる医師は運も悪いのだろうが,患者を無情な態度で扱っていたからではないだろうか. 
 患者を人間として扱うことは,それほど難しいことではない.それは患者のそばにいて,病気とは関係のない無駄話をすることである.孫の話,故郷の話,戦争の話,患者はそれぞれに豊富な体験を持っている.患者の体験から人生を学ぶ気持ちで時間に余裕を持ちながら接することである.無駄話は無駄話ゆえに気持ちが和らぐものである.病気の話も最低限は必要であるが,病気の話で互いのきずなを強めようとしても無理である.病気の話は抽象的で心と心を結びつける作用は弱いからである.
 川が上流から下流に流れるように,切りだった崖から石が落ちるように,物事には一定の自然の法則がある.
 人間の身体や人間のきずなも同じように一定の法則に支配されている.それは人間は加齢を重ね,いつの間にか老人あるいは病人になることである.また人間の心のきずなは無駄話から強くなることである.
 生死を扱う医師は,そのことを緊張したり自惚れる前に「臓器障害をきたした人間を扱う職業」と常に自分に言い聞かせることである.それだけで患者への対応が違ってくる.そして同情の気持ちを合わせ持つことである.
 これらはすべて当たり前のことである.しかし時間に余裕がないと,この当たり前のことを忘れやすくなる.そして時間に追わると怒りっぽくなるので注意が必要である.なにせ欧米の医師の約4倍の患者を診ているのである.