廃国置県

廃国置県
 政府の医療改革、医療改正は国庫からの医療費を削減することが目的なので、患者負担は増額され、医療報酬は減額され、日本の医療は悪くなるだけである。
 欧米並に日本の公共事業を半分に減らせば、日本の医療費は全額無料になるのに、政府はそれをいわない。もしそれが国民的議論となれば大変なことになるからである。日本は低負担で高福祉というが、国家予算の配分を欧米と比較すれば、日本は低負担で低福祉の国である。政府は国民の健康や生命よりも道路建設、銀行救済、海外援助などを優先させている。
  国民は自分たちが選んだ政治家が、国民の生命と健康を軽視しているとは考えていない。また医療制度に対する国民的意識が低いため、医療のあり方を求める機 運さえ起きようとしない。そして政府の医療改革、医療改正という言葉に騙され、政府は何の苦労もなく国民医療費を削減できたのである。
  医療における最大の問題は国民医療費の総額である。そしてそれを患者、保険組合、国庫がどのように負担するかである。しかしいずれにしても、それらは国民 の金であり、それを政府に委託しているにすぎない。政府は国民から委託された予算の配分を国民に説明し同意してもらう義務を怠っている。
 日本の国民医療費(30兆円)が建設投資額(85兆円)の半分以下、公的年金(40兆円)より低額、パチンコ産業(30兆円)と同じ程度でよいのだろうか。より価値のあるものにより多くの予算を使うべきである。
 本来ならば、各政党は具体的な数値を示し医療政策を提示すべきである。しかし各政党は医療や福祉を抽象的な言葉で飾るだけで、具体的な「医療や福祉のあり方」を数値で示していない。低負担で低福祉なのか、低負担で高福祉なのか、高負担で高福祉なのかを各政党はあやふやにしている。そのため国民は医療や福祉のあり方を選択できないでいる。
 日本の医療を政府に期待できないとしたら、どうすればよいのだろうか。もっと身近な方法で日本の医療を改善させる方法がある。それは医療を国から都道府県単位に変えることである。
  たとえば北海道では、道庁の考えで道路を造ることも、医療を充実させることも自由にできる制度にする。そうなれば医療の問題は身近になり、選挙で具体的な 政策の選択を問うことができる。道路を優先するのか、医療を優先するのか、知事選の論点が明確となり、道民の意思によって医療の選択が可能となる。
  都道府県が医療費の負担率、診療報酬、医療体制を独自に設定できる制度にする。市場原理や混合診療の導入も、また不正医師の罰則などもすべて都道府県が独 自に決められるようにする。そうなれば各都道府県に医療の違いが生じ、その違いを参考に次の選挙で医療の論点が明確となり、県民の意思で医療のあり方が選 択可能となる。選挙の結果、住民の希望する医療が実現するならば、医療は身近な問題になり、医療に対する意識も高まるはずである。
  各都道府県が医療のあり方、医療の内容を競い合えば、医療は良い方向に向かうはずである。都道府県医師会も住民の求める医療の達成に全力をあげて協力する はずである。世界各国にはそれぞれ独自の医療制度がある。それらの利点を取り入れることは国レベルでは不可能だが、都道府県レベルでは可能である。保身だ けの厚労省に日本の医療制度を改善させる力はない。頭の固い厚労省や日本医師会に頼らず、各都道府県の工夫によって医療改革の方法が何通りもでてくるはずである。
 この改革案は達成困難な極論ではない。カナダやスウェーデンでは各都道府県が医療を整備し、医療のあり方が常に住民選挙の争点になっている。
 医療のすべてを各都道府県単位にすることは、政治家の勇気のなさ、官僚の独占体質から困難かもしれない。もし都道府県単位が無理ならば、道州制の導入でもよい。国鉄がJRになって良くなったように、医療も良くなるはずである。
 医療制度を国から都道府県、あるいは道州制に変えることは国民の理解があれば簡単である。制度疲労をきたした現在の医療制度から新しい制度に移ることに何ら法的問題はない。医療を良くするには、都道府県が競い合いながら新しい医療制度をつくることである。
 医療は政府からの押しつけであってはいけない。自分たちの生命と健康の価値を自分たちが考え、自分たちで医療のあり方を判断すべきである。
 政府の医療改革はすなわち医療改悪である。「医療改革を医療の改善、医療の質の向上とイコール」にしたいのならば、政府の医療費抑制政策を改めさせるか、この廃国置県の医療制度しか思い浮かばない。